9. 雨の戦い
「やっぱり、他の女の子にうつつを抜かしながらも、都ちゃんのことも見張っていたんだ」
少年の声にシオンが舌打ちする。
「和くん、直ぐに和くんと皆の周りに結界を張って!!」
いつにない鋭い声で指示を飛ばした。
「優ちゃんは皆に精神防御の魔法を。この前、姐さんに習ったアレを掛けて!!」
好色の強い魔族には、無意識に魅了の力を使う者がいる。二人の呪文の声が暗い通路にこだまする中、シオンは濡れた地面に両手をつき力を込めた。
ピキ……ピキ……ピキ……。
小さいが鋭い音が聞こえてくる。
「凍ってる……」
呪文を完成させた二人が周囲を見ると、シオンが手をついたところから前方に放射線上に、雨に濡れた地面の上を薄い氷が張り広がっていた。
ザァ――。緊張が高まる中、降り続く雨が前方から横へと凍っていく。スタジアムの盛り土に生えた草も広がる冷気に凍り始めた。シオンが更に力を込める。
「ボクの力じゃ、ベイリアル家の血を引く者を、どれだけ押えられるか解らないけど……」
子息の力である大地を、雨の力を借りて氷で封じる。ただ広範囲に凍らせるだけなら、コントロール力の無いシオンでも十分出来る。立ち上る冷気に降り続ける雨が地面から数メートル上で
「寒……」
後方にも漏れ始めた冷気に、三人の少女が互いに身体を寄せ合った。
「和くん、もっと結界を強くして」
「ああ」
自分の張る結界が、シオンの力から自分達を守る為のモノだと知り、和也は更に力を込めた。
「……来るよ」
シオンの瞳が赤紫色に変わる。ズン……と腹の底に響くような音がした後、ビキキ……。厚く張った氷にヒビが入る。下から突き上げるような力にヒビが大きく広がり、氷があちこちで白い欠片を飛ばして割れた。
「やっぱりボクじゃ押さえにもならない!」
叫んでシオンが本来の姿、ザリガニにそっくりなレッドグローブ族の姿に戻る。マリンブルーの軍服の裾を翻し、先程、優香を救うときに使った青龍刀を細い両手に、更に大きなハサミも構えて通路から飛び出した。
盛り土の上の氷を突き破り、アスファルトと氷を突き破り、鋭く尖った土の柱が立つ。それは意思があるかのように曲がると、うねうねとミミズのようにのたくりながら、五人を襲う。
「させるか!!」
シオンが向かってくる二本の土柱を切り伏せる。先端をバッサリと斬られた柱は崩れ、地面に落ち、バシャバシャと泥が周囲に跳ね返った。更に盛り土から生えた柱を、自分の両脇ギリギリまで引き付けてから斬る。バシャン!! 泥水が四人の足元まで跳ねた。
「シオン、前だ!!」
和也が叫ぶ。
更に次々と氷とアスファルトを破って土の柱が生まれてくる。シオンがハサミと刀を構え直したとき「シオン! 引け!」男の声が雨の音を割って響く。シオンが慌てて通路に戻る。次の瞬間、ゴウと強烈な熱風が吹いて林立していた柱が、全て白く乾き粉々に崩れ落ちた。
雨が崩れ落ちた土柱を泥へと替えていく。通路の側溝には土くれの混じった泥水があふれんばかりに流れ始めた。
「皆、無事か?」
シオンの前の空間が揺らぎ、白い軍服と白いマントをつけた赤い肌のトカゲ男が現れる。
「無事、のようじゃの」
ピチョン……。軒先から落ちた滴が盛り上がり濃い緑色のローブを着た亀魔人の老爺へと変わる。
「良かったわ」
優しい風が舞い、バサリと伸びやかな羽音と共に蝙蝠のような羽を生やし、燕尾のついた紫の軍服を着た美女が舞い降りた。
「アッシュ、玄さん、エルゼ姉さん!」
優香がほっと息をつく。が、「安心するのは早い。まだ班長が帰ってきてない」アッシュが降りしきる雨を睨んだ。
楽しげな少年の笑い声が雨音に混じっている。薄闇の中に、それ自体が発光しているように少年の姿がくっきりと浮かぶ。
「……あ!」
ただでさえ次々と現れた異形の者達に驚いていた都が、笑みを浮かべて自分を見る少年に小さな悲鳴を上げた。門まで後ずさり、震え出した彼女を優香と瑞穂が両脇から抱え、少年を睨みつける。
「大丈夫よ。あなたは優香と瑞穂の手を握って、自分をしっかり持っていなさい」
振り返って微笑んだエルゼに「はい」三人が手を握り合った。
「チッ!」
都を取り込むのは無理だと知った少年が舌打ちする。
「まあ、良い。素晴らしい獲物が手に入りそうだからな」
少年の瞳が瑞穂を見据え、紅玉色に光った。
「魔憲章九十九条だけでなく、冥界との協定も破られるつもりか?」
アッシュが腰から剣を抜くと構える。
「今ここでお前達全員を倒して、死神がやってくる前に、あの少女から冥界の力を奪えば良いだけのことだ。保護対象の少女がいなくなれば、冥界も何も出来まい」
「瑞ちゃんの力は魂に宿ってるんだ! そんなことをしたら瑞ちゃんが壊れてしまう!」
シオンの悲鳴を少年は鼻で笑い飛ばした。
「シオン、とにかく班長が来るまで時間を稼ぐぞ」
アッシュがシオンを呼ぶ。
「奴が術に集中出来ないように二人で連続攻撃を仕掛ける。玄さんはエルゼと大地の力を押えて下さい」
「解った。儂が主に封呪で大地を押える。エルゼは調整と強化を頼む」
「はい」
「行くぞ!」
二人が飛び出す。暗い出入り口に呪文の声が響いた。
キン! キン!
闇の中に剣が打ち合う音がする。雨と呪文の声音の合間に聞こえるそれに、和也はせめてもと三人の少女の周りに結界を張り直した。
「オレの力じゃ、あんな化け物相手では霞のようなものだけど……」
それでも無いよりはマシかもしてない。自虐の笑みを浮かべた和也に瑞穂が首を振った。
「班長に注意されていたのに、あんなこと言った私が悪いんです」
両手を合わせると「麿様……」と祈る。
「大丈夫かな……」
優香はすっかり暗くなった外に目を凝らした。しかし、時折少年の姿がコンクリートのひさしから少し見える程度で攻撃している二人の姿はまるで見えない。
「モウンが言ってたけど、あの魔族の少年は、まだ学生なんだって」
対してアッシュもシオンも正規の訓練を受けた魔王軍兵士。しかも今も鬼の班長のシゴキを受けている。時々見える少年は明らかに二人の兵士に押されていた。
「何故、そのまま二人で捕まえてしまわないの?」
「前も言ったようにアイツが本気になれば、この街一つが簡単に壊滅してしまうの」
だから、破防班の面々はモウンが来るまで彼に力を使わせないように時間稼ぎに徹しているのだ。
「アイツの力を押えられないまま追い詰めて、アイツがヤケになってしまったら取り返しのつかないことになってしまうから」
勿論、アッシュがいるのだから、そうなっても彼を捕らえることは出来る。しかし、第一種族同士が持てる力をぶつけ合えば、この地域がやすやすと焦土と化してしまうのだ。
「厄介だな……」
思わず和也が唸ったとき、都が小さく足踏みをした。
「何か地面がざわざわして気持ち悪い」
「え、そう?」
瑞穂が地面に目を落とす。
「力を持っているとは言っても、自らの力じゃない富田は感じないんだな」
和也も泥にまみれた通路の床を見下ろした。
「優香、感じるか」
「うん、大地の力が憤っている」
「アッシュさんとシオンの攻撃を受けて、しかも玄さんとエルゼ姐さんが押えているのに、アイツはまだ仕掛けられるのか?」
「第一種族はその属性の力そのもの、呼吸をするように操れるっていうから」
優香が心配そうに答えたとき
「しまった!」
シオンの声が通路に飛び込んできた。 同時にズンと地面が突き上がるように揺れる。シオンの悲鳴が雨の中にこだました。
「きゃあ!!」
少女達の悲鳴に和也は三人に覆い被さった。そのまま三人の身体を通路の壁に押し付け転倒するのを防ぐ。
「シオン!!」
アッシュの声が聞こえる。だが、シオンの返事はない。
「どうしたの!? エルゼ姉さん!! 玄さん!!」
揺れが収まり和也が離れると、通路の入り口で外を見ている二人に優香が駆け寄った。
「……シオン……」
「やはりベイリアル家の者ということかの……」
二人が呆然と呟く。
「ねぇ! シオンはどうしたの!?」
雨音が響くのみの嫌な沈黙が通路に流れる。
「玄さん……、エルゼ姉さん……」
沈黙に耐え切れず優香が泣きそうな声を上げたとき、じっと外を見詰めていたエルゼの形の良い眉がキリリと吊り上がった。
「でも、やはり二人の攻撃で集中が出来なかったせいか術が拙い。破れます!」
蝙蝠の翼を広げる。
「儂が雨の力を借りて支援する!」
「はい!」
玄庵が印を組むとザァァァァ!! 雨の降りが激しくなる。その中をエルゼは翼をはためかせて飛び立った。
「アッシュ! 私に炎の力を!」
「解った!」
エルゼの翼が闇に明るく白く光る。その光に照らされ黒い大きな塊が空に浮いているのが見え、少年少女は息を飲んだ。市営野球場の入り口にあった管理室ほどの大きさの土の塊がゆるりと浮いている。
「……まさか……あの中にシオンが……」
和也の喉がゴクリと鳴ったとき、エルゼが塊に向かって白く光る翼を振り下ろした。 バツ印の形に白い光が飛び、塊にぶつかる。光は激しい雨に溶ける塊を切り裂いた。
「いくらアッシュの力を借りてとはいえ、一撃でアレを砕くとはさすがじゃの……」
玄庵が感心する。雨の中、再び翼のはためく音がしたかと思うと、泥まみれのモノを抱えてエルゼが通路に飛び込んできた。
「シオン! しっかりしなさい! シオン!」
荒い息を吐きながらエルゼが泥まみれのモノを叩く。
「……姐さん……?」
ペチペチと平手の音がする中、ようやく弱々しい声が微かに空気を震わせた。
「……すみません……緊張で太刀筋が反れて……」
シオンが呻く。魔族の身分でいえば中階層であるレッドグローブ族にとって、第一種族はまさに天上人。それに刃向かっているという恐怖を必死に抑えて戦っているうちに緊張で隙を見せてしまったらしい。その一瞬の隙で反撃を受け、大量の土砂に囲まれ圧殺されそうになったのだ。
「ううん。私も良く解るわ」
エルゼも最階下位のサキュバス族だ。シオンを慰めながら、彼に意識があることに安堵の息をつくと優しく顔の泥を落とし始めた。
「意識はハッキリしているわね。痛いところはある?」
「……右のハサミと左腕が……熱い……」
シオンの返事に慎重に言われたところの泥を落とす。
「………!!」
その様子を見ていた皆が息を飲む。シオンの泥の塊を外した右のハサミの付け根と 左の細い腕はありえない方向に曲がっていた。
「……貴様……!」
アッシュが白いマントをひるがえすと猛然と少年に向かっていく。怒りのせいか先程からは比べ物にならないほどの火気がほとばしる。サラマンドラ族の総統、ブランデル公爵家三兄弟の中で、最も強い力を持つ彼の激昂した火気に、格の違いをはっきりと理解したのか少年の顔が引きつった。
「……副長も若いのぉ……」
再び大地を押える呪文を唱え始めた玄庵が苦笑する。
「じゃが、今はそれが助かる。エルゼはもう術は無理か?」
「すみません。さっきので力を使い果たしてしまいました。もう治療術も使えません」
代わりに優香と和也にそれぞれに術を指示しながらエルゼが謝った。
「エルゼさん、これ使えないかな?」
術の使えない瑞穂と都がカバンから今日の家庭科の授業で使った物差しを持ってくる。
「ありがとう。使わせて貰うわ」
和也に強化魔法を掛けさせると、エルゼはそれをシオンの折れた左腕に添えた。
「優香、治療魔法をお願い。私の指示どおりに唱えて」
「はい」
優香の術に曲がっていたシオンの左腕が少しずつ戻っていく。さらに二人が出してきた実習のスカートの余り布を受け取り、それを裂いてしっかりと物差しの上から巻き付けていく。
「姐さん、こっちは痛み止めだけで良いのか?」
左腕の固定が終ったのを見て、ハサミに痛み止めの魔法を掛け終わった和也が訊いた。
「そちらは関節がやられているの。素人の魔法で治療して元のように動かせなくなってしまうといけないから専門家に見て貰いましょう」
兵士であるシオンにとって、自慢の四刀流が思うままに使えなくなるのはあまりに惨い。
「ありがとう、皆」
応急処置をされたシオンが苦しげな息の下から礼を言った。
「モウン、早く帰ってきて……」
通路の床にぐったりと横になったシオンから、雨の降り止まない夜空へと視線を移し、優香が祈る。そのとき、場違い過ぎる可愛らしい電子音が通路に鳴り響いた。
「ご、ごめんなさい!」
瑞穂が制服のポケットからスマホを取り出して謝る。
「もう……こんなときに……」
ぶつぶついいながら開き、耳に当てた途端、彼女の顔から血の気が失せた。
「どうしたの?」
「おじいちゃんとおばあちゃんが傘を持って、今、球場についたって……」
震える彼女の声に皆の顔が強張った。
「ボ……ボクが迎えに行きます」
シオンが泥だらけの身体を起こす。
「……シオン……」
和也は服が汚れるのも構わず、彼を支えた。
「アッシュさんはヤツの相手をしているし、姐さんは力を使い果たしている。玄さんが抑えを止めたら、アイツはすぐに思うがままに大地を使うだろうし、ここはボクしかないよ」
「行けるの?」
真剣な眼差しで自分を推し測るエルゼに、シオンは小さく微笑んだ。
「飛ぶくらいなら出来ます。瑞ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんに今からボクが迎えに行くって話をして」
「うん。シオン、ありがとう」
瑞穂は電話で祖父母にシオンが迎えに行く事を告げた。シオンが地面に無事な右手をつく。
「瑞ちゃん、おじいちゃん達はどこに居るの?」
「球場の管理室の前にいるって」
地面を濡らす水を通して、球場周りを見る。アッシュと少年が戦っている場所から少し離れた管理室の軒先に、二つの人影が見えた。
「位置が解った。行きます!」
シオンの姿が通路から消えた。
全身をずぶ濡れにする激しい雨の中、白い影が舞う。続いて放たれた鋭い剣を手にした剣で受け止める。が、受け止め切れず、彼はそのまま飛ばされ地面に尻餅をついた。
「立て」
冷たい男の声に少年の身体がビクリと震える。続いて放たれた怒りの火気に少年はなんとか足を踏み堪えて立ち上がった。
あのレッドグローブの少年兵をやったのは間違いだった。
今更ながら後悔する。自分と同じくらいの年頃、しかも自分より遥かに格下のゴミのような種族にも関わらず、四刀流で自分を翻弄する少年に怒りを覚え、見せた隙に仕留めてやったのだが、なんと風の最階下位のサキュバスにその術を一撃で破られてしまった。その上、それまでは自分に術を使わせまいと慎重に戦っていた彼を完全に怒らせてしまったのだ。
雨の雫が剣を握る拳を伝う。少年はなんとかこの事態を打開しようと辺りを探った。必死の目が管理室の屋根の下で雨宿りをしている、孫を迎えに来た老夫婦を見つける。彼の口元が残忍に歪んだ。
アレを半死半生にして動けなくし、人質にすれば目の前の男も自分に手を出せまい。
「うわわわぁぁぁぁああ!!」
大声を上げて剣を腰の位置で構え、男に突っ込む。さすがに意表を付かれたのか男が火気を緩め、避ける為に身を翻した。そのまま男の脇を抜け、大声にこちらに気付き呆気に取られている老夫婦に向かう。
「危ない!!」
そのとき二人の前に突然レッドグローブの少年兵が現れた。二人を抱え、覆い被さる。
「シオン!!」
男の悲鳴が背後から聞こえた。少年は自分をここまで追いやった元凶である少年兵に目標を変え、剣を構えたまま走り寄った。
ズブ……。
剣が肉にのめり込む感触が両手に伝わる。次に挙がるだろう少年兵の苦痛の声に少年の唇が嬉しげな曲線を描く。だが、その感触は余りに軽いものへと変化した。少年が戸惑う。
「ベイリアル家の血をひく方ともあろうお方が、みっともないお姿ですな」
太い男の声が頭上から彼に掛かった。
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