File.3 雲の向こう

1.桜の下の奇妙な出会い

「事件が終わったばかりだというのに、お呼び立てしてすみません」

 窓の外は薄い晩春の闇に覆われたリビングに祖父の声が響く。

「いや、こういうことは出来るだけ早く処理した方が良いからな」

 玄関から父母に迎え入れられて入ってきた浅黒い四角い顔の鼻の大きな中年男性…… モウンはリビングの窓側にある二人掛けのソファに歩み寄ると、肘掛に身体をピタリと付けて項垂れて座っている少年の頭に手を置いた。

「よく皆を守った。頑張ったな」

 大きな手の温もりと暖かな労いと褒め言葉に、まだ幼い少年の丸い頬に涙が落ちる。 引き寄せた膝に顔を埋めて肩を震わせる少年に、モウンと共にやってきた玄庵げんあんとエルゼが痛ましげに眉をひそめる。

「それで、かなりの人数に見られたのか?」

「いえ、和也かずやの話だと直接見たのは班の子、四人だけだそうです。後で来た先生やボランティアの大人達は、なにが起きたのか見てないと言っています」

 父の返事に、お茶を出していた母がテーブルを離れ、用意していたしおりを持ってくる。

『宿泊研修のしおり』という文字と可愛らしいイラストが描かれた表紙をめくり、 各班の名簿のページから『六年一組・五班・班長・沖田おきた和也』と 書かれた下に並んだ四人の子供の名前を見せた。

「この子達だな」

 次に地図を出してくる。両親が地図を指し示して、術士二人に子供達の家を教える。モウンは和也の隣に座ると正面に腰掛けている祖父、宗一郎そういちろうに向かい合った。

「野犬に襲われたんだってな」

「はい。班ごとに子供達で山を歩いていたとき、いきなり野犬が襲って来たそうです」

 沖田和也は破防班のサポート組織である魔術師ギルドの日本支部をまとめる魔術師、 沖田宗一郎の孫で、まだ幼いが祖父の力を受け継いでいる。小学生ということでギルドには仮登録だが、すでにしっかりと力のコントロールが出来、一通りの術を身に付けていた。

 その、小学六年生になった和也の校外行事で行われた宿泊研修の二日目。メインイベントのオリエンテーリングの時間に事件は起きた。

 班ごとに分かれ、山の遊歩道をルートに置かれたチェックポイントを通りながら、ゴールのダム湖に向かう途中、突然現れた野犬が和也の班を襲ったのだ。牙を剥き出した野犬に和也は皆を守る為、祖父の言いつけを破って皆の前で術を使った。和也得意の防御魔法。飛び掛っても、飛び掛っても不可視の壁に跳ね飛ばされた野犬は、しばらくして山の奥に消えて行った。

 しかし、その後、襲われたショックから冷めた班員達が、和也を『化け物』だと騒ぎ始めたのだ。

 そのせいで和也は研修から帰って一週間、学校に行けず、家に閉じ篭っている。

 四人の家を確認した玄庵が住所を書いたメモを手に顔を上げる。

「今夜、儂とエルゼで手分けして、この四人の子供の事件の記憶を消してきます。親の方も子供が忘れてしまえば、余りに現実味の無い話にそのうち忘れてしまうでしょう」

 宗一郎と父母がほっと安堵の息をついた。

「……でも、これ、景子けいこちゃんも混じっているけど、景子ちゃんは記憶を消さなくても良いわよね?」

 エルゼの確認の言葉に和也は顔を上げて、ぶんぶんと激しくかぶりを振った。景子こと朝倉あさくら景子は沖田家の隣の家の娘。和也の幼稚園時代からの幼馴染で、小さい頃から、よく遊んでいたのもあって、彼が魔術師であることを知っている。

「……景子はずっとオレを庇っているけど、 そのせいで今度は景子が『化け物』って言われているんだ。だから、お願いです。景子の事件の記憶も消して下さい」

 袖で濡れた顔を拭き、和也は小さな頭を下げて頼んだ。

「消してやってやれ」

 モウンが命じる。

「……あの……景子の今までのオレが魔術師だったという記憶も消せませんか?」

 和也は景子にだけは、これまでに何度も自分から術を見せている。この頼みに「それは出来んの」玄庵は即答で断った。

「起きてから日の浅い事件の記憶はともかく、長年に渡り積み重ねられてきた記憶は 下手に消すと記憶に穴が開き、混乱してしまうからの」

 玄庵が丁寧に小学生にも解るように消せない理由を説明する。説明を聞き終えて和也は「解りました」と頷いた。

「だったら、良いです。その代わり、もうオレ、景子の前では術を使わないし、魔法の話もしないから……」

 和也は手をきつく握り決意を固めた。

「……そうか」

 モウンが小さな頭を再び撫でる。大きな手の優しい温もりに、和也はまた泣き出しそうになってぎゅっと強く唇を結んだ。

 

 

 時は春。桜が咲き、ついでに花粉症の者には厄介者のスギ花粉も大量に舞い散る季節。 四月に入り、新社会人や大学生は新しい生活をスタートしたが、小中高校生は残り数日となった春休みを楽しんでいる。

 白い日差しに華やいだ街を歩きながら、今年、ここ山根市にある県立 佐伯さえき高校の二年生になった沖田和也は、春の陽気に似合わない暗い顔で長い溜息をついた。脇を通り過ぎるカップルの初々しい姿に重なるように、破防班の妖艶な美人術士の呆れた声が聞こえてくる。

 和也の身に起きた希望にあふれる季節を一気に黒く塗り潰すような出来事。それを友人であるシオンに聞いて貰おうと、和也は彼が暮らしている皐月さつき家を訪れた。しかし、シオンはいつものように女友達とどこかに遊びに行っており、代わりに家にいたエルゼとアッシュが相手をしてくれたのだ。

『今時、黙っていても自分を好きでいてくれているなんて、幻想にも程があるんじゃない?』

 面倒見の良い、サバサバとした性格で魔術師ギルドの若い魔術師達から姉貴分として慕われるエルゼは和也の話にまず苦笑いを浮かべた。

『つまり、幼馴染という関係に胡座をかいて、相手も自分のことを好きでいてくれていると思っていたら、意外な伏兵に横から攫われちゃったのね』

 そう、和也はこの春、ものの見事に失恋したのだ。相手は幼馴染の朝倉景子。今でも和也が魔術師であることを知り、受け入れてくれている女の子だ。

 力ある者にとって、それをそのまま認めてくれる存在は貴重だ。和也は景子のことを小学校の頃から、いずれは告白して祖父と祖母のように……と『心の中で』思っていた。歴史オタク……所謂歴女の景子は中学生になってからハマった趣味に邁進する姿から、周囲の同世代の男達からは引かれ気味で、親しい男といえば和也ぐらいの『はず』だった。 一方、和也は勉強もそれなりにこなし、スポーツも得意で、整ったクールな顔立ちから、常にバレンタインデーのチョコレートは二桁をキープし、幼稚園の頃から数多の女の子に告白されていた。

『完全に油断していたのね』

 その景子が先日、和也の家に遊びに来た。目当ては彼の祖父の蔵書。彼女も孫のように可愛がっている祖父の部屋で本棚から借りていく本を積み重ねていた景子が突然『男の子と映画に行くには、どんな格好をしたら良いかな?』と和也に訊いたのだ。

『へ?』

 思わずマヌケな声で聞き返した和也に、景子は今まで見たことの無い顔……ちょっと緊張したような恥ずかしげな顔で告げた。三日前に同じ部の部員、郷土資料研究部の柴田しばたに告白されたのだという。

『彼とは趣味も合うし、付き合ってみようかと思うの』

 景子と柴田は高校の部活でよく一緒に行動していた。景子に誘われ人数合わせに入っただけで、彼女の趣味にはほとんど興味を示さなかった和也と違い、他の部員と共に歴史モノの映画やイベント、地区の資料館にもよく行っていた。

 そして、先日、市の公会堂の特別展を見た後、帰り道で寄った公園で告白され、今度公開される戦国時代を舞台にした映画を見に行こうと誘われたらしい。

『そりゃあ、何も言わなくても自分についてくるだろうと勝手に思っている男より、趣味が合って一緒にいてくれる男の方が良いわよね。アッシュは私と出会って半年後に告白してくれたもの』

 エルゼの懐かしそうな声にアッシュが柔らかく微笑む。

『エルゼはとにかくモテたからね。他の男に取られる前にと急いで告白したんだよ』

『……アッシュったら……』

 ……かくして、和也は今朝、好きだった幼馴染が他の男の為に着飾り、楽しげに出掛けて行く姿を見送った後、仲が良いと評判のカップルに思いっきりアテつけられたのだ。

 項垂れながら、暖かな陽気に花見に出掛けに行く人の波を逆流して、人気の無い河原へと着く。河原の堤防にも桜が五分咲きの花をつけていた。それでも眺めて気を紛らわそうと、顔を上げた和也の耳に偉そうな男の子の声が聞こえきた。

「見よ! 瑞穂みずほ。この見事な桜の咲き具合を! これこそ麿まろの成せる技ぞ!」

 古めかしい言葉使いで自分自身を褒め称える小生意気な声に、楽しげに笑う少女の声が重なる。

「はい、麿様の御技は今年も本当にお見事です」

「うむ。では麿の花の巫女として、この地の桜の名所を案内あないせよ」

「はい」

 声のした方向から、一人の少女がこちらに歩いて来る。年はたぶん和也とそう変わらないだろう。桜の下に相応しい優しい顔立ちの少女だ。が、少女の頭には何か子犬くらいの茶色のモノが乗っていた。

 和也と少女とすれ違う。その時、彼女の頭のモノを見て、和也は一瞬呆気に取られ、振り返った。

 柔らかな春の日差しの中、少女の後姿がゆっくりと街へ向かって去っていく。

 その頭の上にあったのは桜の花越しの光に、茶色の身体を艶めかせた大きな蝉の幼虫だった。

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