2.美し過ぎる新入部員
「綺麗……」
ぼんぼりのように枝に玉となって咲く桜の花を彼女は見上げた。春の夕暮れ。昨日の季節外れの寒さとは逆に、今日は朝からよく晴れ、雲一つ無い夕の空に淡いピンクの花が映える。
「調度、見頃だな」
満開の桜の下を自転車を押しながらゆっくりと歩く。来年、大学受験を控える塾の帰り道。いつもより早く終わった塾に、お気に入りの花見スポットに寄って桜の花を見てから帰ろうと、思い立ってやってきたのだ。
木々の間には、まだ明りのつかない街灯が等間隔に立っている。ここはこれだけ見事な桜並木があるのにアクセスが不便なせいか花見客がほとんど来ない。今も彼女だけが川のせせらぎの音を聞きながら桜の枝が天井のように頭上を覆う道を歩いていた。
「なんか贅沢だな……」
美しい風景を自分が独り占めしているという気分に酔う。自転車のスタンドを立てて止めるとスマートフォンを掲げた。
パシャリとシャッター音が静かな河原に鳴る。アプリを開くとSNSに撮ったばかりの写真とコメントをアップする。スマホをカバンにしまい、自転車を再び押すと、並木の向こうから彼女より少し年下と思われる少女が歩いてきた。
彼女の友達が通う県立佐伯高校の制服が赤い夕日の光に浮かび上がる。新入生なのだろうか、真新しい制服を着ている。
「さてと……」
街灯がフワリと青白い光を灯す。余り遅くなると母が心配する。彼女は自転車を押す手に力を込めて歩く足の歩を早めた。
前から少女が近づいてくる。川面を渡る風に肩より少し下まで伸びた黒い髪がさらりとなびく。白い面が次第にはっきりと見えてきた。
可愛い……。
満開の桜に相応しい、愛らしい少女だ。その少女が正面を向いて歩いて来る。少女の真っ直ぐな視線に、このまま目を合わすのが 面映くて彼女は少し俯き、地面を見ながら歩んだ。
彼女と少女がすれ違う。少女の口元が妖しく笑んだ。
「!!」
身体が硬直する。
ガシャン!!
次いで自転車の倒れる音が人気の無い河原に響く。しばらくして秘めやかな男女の笑い声がクスクスと薄闇の中に流れていった。
沢山の木の芽をつけた銀杏の木が芽吹きを今か今かと待っている。秋には見事な黄金色の紅葉で、市の名所にも数えられる並木を持つ、佐伯高校の放課後の文化部のクラブハウスは、異様な熱気に満ちあふれていた。
今日は七時間目を使って生徒会主催の新入生の歓迎会が開かれた。その中で運動部、文化部の部活動紹介が行われたのだ。
弱小部にとって新入部員確保は生命線である。『部』と『同好会』では生徒会からの予算も、行事への参加にも差が出る。これからの二週間は一年生の仮入部期間。佐伯高校は一年生は全て一度は部活動に参加しなければならず、しかも一ヶ月間は退部を許されない。生徒会の各部への予算会議は四月末。つまりこの期間に何人、新入部員を集められるかが今年の予算確保の大きな鍵となるのだ。
「和也、良かったよ!」
部室に入るなり景子が和也の背中を叩いて誉める。女子生徒に人気のある和也は、部の最重要期間は客寄せパンダとしてしっかりと酷使される。今日は部紹介の寸劇の主役をやらされていた。
「そうか?」
「うん、すごくカッコ良かった。新入生の反応も良かったし」
郷土資料研究部の部紹介はこの辺りを治めていたという戦国大名、佐伯
これで景子もオレを見直しただろう……。
さっきの女子生徒の反応に自信を取り戻し、嬉しそうに笑う景子を見る。しかし、彼女はくるりと振り向くと「柴田君の脚本と衣装も良かったよ~」 付き合い始めたばかりの彼氏も褒めた。
「そうかな?」
草食男子を絵に描いたような大人しい柴田が黒縁眼鏡の奥の小さな目を微笑ませる。
「史実に少しアレンジを加えただけなんだけど」
「ううん。本当に良い脚本だったよ。私、演じてて楽しかった」
「鎧も皆で作ったんだし」
「でも、デザインは柴田君がしたんでしょ」
二人にとっては普段とおりのさりげない会話だが、その一つ一つが今の和也には癪に障る。和也はイラつく気持ちをなんとか押え込んだ。確かにこうして改めてみると歴史オタク同士というだけでなく、活発で明るい景子と穏やかで優しげな柴田は似合いのカップルにも見える。
だが、オレもそう簡単に諦めるわけにはいかないんだよ。
持ち前の大らかさで魔術師である自分を受け入れてくれる景子は和也にとって、もう二度と会えないかもしれない貴重な存在だ。和也は景子と柴田の間を割り込むように横切ると、机の上に新入部員に渡すチラシや名簿を用意した。
「よし、じゃあ、山田は英語クラブ、堀川は美術部、野田は合唱部に行ってくれ。それぞれの部長に、やって来た新入生をこちらにも回してくれるように頼んである」
毎年、弱小部同士、互いに少しでも部員を増やそうと見学に来た新入生を次はこっち、その次はあっちと案内し回っている。指名された部員達が部室を出、各部室へと走っていった。
他の部員が舞台で和也が着た鎧を椅子に乗せ、目立つように入り口近くに置き、去年の文化祭で作ったポスターをドアに貼る。どうやら、新入生が数人、クラブハウスに入ってきたらしい。今か今かと待ち構えていた文化部の部員達の歓迎の声が聞こえた。
「よぉ~し、こっちにも来い!」
部長が猫か犬でも呼び込むかのような声を出して拳を握る。
そのとき、部室がザワリとざわめいた後、急に静まり返った。和也が振り返ると部員達が一斉に部室の入り口を見ている。入って来た新入生らしき影に「おい、案内しないで良いのか?」声を掛けながら、和也も思わず息を飲んだ。
絵に描いたような美しい少女がそこにいる。少女は部室をくるりと見回してにっこりと皆に微笑んだ。黒い濡れたような大きな瞳、白い抜けるような肌、すんなりと伸びる鼻梁に艶やかに光る桜色の唇。肩の少し下まで伸ばした黒髪が窓から入る春風にサラリと揺れた。
「あの……」
まるで昭和初期の美少女画がそのまま抜け出してきたような少女が、黙りこくっている部員達に声を掛けた。
「すみませんが、部の紹介をして頂けませんか?」
その声に金縛りから解かれたように部員達の身体が動く。部長を始め、男子部員が一斉に彼女に歩み寄った。
「あの……すみません」
美少女の新入生を囲んで有頂天で部の案内をする男子部員と、そんな男達を呆れたように眺めている女子部員達。微妙な空気の流れる部室に、肩をすくめる和也の背に声が掛かった。
「何?」
後ろを振り返るとそこには、入ってきた美少女同様、新品の制服をきた新入生の女子生徒がいた。さっきの美少女とは違い大人しい顔立ちだが、ほっと心を和ませる雰囲気を漂わせた少女が「すみません」再び和也に呼び掛ける。
……アレ?
その顔に見覚えがあり、和也は思わず彼女をマジマジと見詰めた。
最近、見たことがある……しかも何か記憶に残る衝撃的なモノと一緒に……。
思い出そうとする和也の脇を柴田が通る。和也と共に少し離れたところから男達に囲まれる美少女を見ていた彼は彼女に近づき、嬉しそうに声を掛けた。
「
柴田の声に不安げにしていた新入生がほっとしたように微笑む。
「柴田先輩」
その声に遠巻きで男達を見ていた景子や他の女子部員もやってきた。
「柴田君の知り合い?」
「うん、同じ中学校の後輩。今年、うちの高校に入学するって言っていたから、部を見学するように声を掛けておいたんだ」
「さすが!」
景子が柴田の背中を叩く。
「彼女、神社に興味があっておじいちゃん達と、うちの近くの神社の掃除のボランティアをやっているんだよ」
柴田の紹介に「本当!!」嬉々とした声が上がり、女子部員の一人が新入生に近寄った。郷土資料研究部の濃ゆい歴女の面々の中で特に神社好きの女子が、自分と同じ趣味の生徒の登場に嬉々とした笑みを浮かべる。
「柴田の近所ってことは、土童神社?」
「あ、はい。そうです」
「あそこ、ちょっと変わった神社なのよね~」
女子部員は手帳を開いた。彼女がこの地区の神社を調べて記したオリジナルの資料だ。
「御神体が蝉の幼虫だっていうし、狛犬もガリガリに痩せた犬みたいなのだし」
蝉の幼虫……!!
その言葉に和也の脳裏にあの桜並木で出会った子犬のような大きさの蝉の幼虫が浮かぶ。女子部員の話を聞いている新入生の顔を改めて見る。彼女は、あのとき蝉の幼虫を頭に乗せていた少女、小生意気そうな男の子の声が『麿の花の巫女』と呼んでいた少女だった。
「その狛犬、おじいちゃんが区長さん達に聞いた話だと狼なんだそうです。土童神社は元々山の中にあった神社で、山神様の使いの狼が狛犬になったとか……」
「そうなの!」
女子部員が嬉しそうに手帳に書き込んだ。
「おい、今、誰か元、山って言わなかったか?」
新入生の言った『元々山の中』という言葉を聞きつけた部長がこちらを振り向く。彼は古地図マニア。古地図を片手に街を歩き、古えの痕跡を探るのが趣味だ。部長は部室の棚に保管してある地図を机に広げた。どうやら美少女に夢中になっていても趣味のアンテナは敏感に反応するらしい。地図の隣市を指でなぞりながら「土童神社ってどこだ?」柴田に訊く。
「ここです」
「……確かにここだけ周りより一段高いな……」
部長が地図を見ながら唸る。
「土童神社は大地の神様なので神社の土地は昔から手を加えてないって聞いてます」
新入生の話によると神社は周囲より高い場所にあるらしい。
「……となると、昔のままの土地の高さにあるってことだな。一度、行ってみたい」
部長の言葉に新入生の顔が嬉しそうに輝いた。
「柴田君、偉い! 有望な新入部員連れてきてくれて!」
間違い無く自分達と同類の子に景子が満面の笑みで、また柴田の背中を叩く。
「ねぇ、他に神社のことは何か知らない?」
「私は仏像が好きなんだけど……興味無い?」
「これに名前とクラスを書いて」
女子部員達が彼女の元に集まり、いそいそと見学者の名前を書く名簿を持ってくる。 そこに書かれていた、さっきの美少女のものと思われる『一年五組
「瑞穂ちゃんか~、可愛い名前だね」
「私達、今度の週末、皆で竜泉寺の御開帳に行くの。富田さんも一緒に行かない?」
ガタガタと机や椅子と並べ、お菓子を出して、女子達が瑞穂を取り囲む。
「美人に神社好きか……。これは幸先いいぞぉ~」
部長が早速名前が二つ書き込まれた名簿を手にニヤニヤと笑っている。男子部員に囲まれ話をしている美少女に、女子部員に囲まれ、普通の者ならチンプンカンプンの濃ゆい話を聞きながら笑っている少女。二人を眺めていた和也はふと気が付いた。
和也の魔術師としての感覚が二人に普通の人間とは違う何かを感じている。和也は二人を交互に見ながら小さく眉を潜めた。
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