千客万来

 春……今年はしつこいくらい長く滞った寒気が抜け、ようやく降り注ぐ柔らかな春の日差しに、街の空気ものんびりとたゆたっている。そんな休日の午後の街並みを瑞穂はバッグに箒にチリトリ、金鋏にゴミ袋を持って、 ふっくらと綻び始めた桜の蕾の下を駆け抜けた。

 人工物に覆われた街でそこだけ小島のように、ぽつり木々が囲む、小さな神社の鳥居を潜る。社に二礼二拍一礼し、「麿様、お掃除をさせて頂きます」断ると竹箒を手に玉砂利を敷いた境内を掃き始めた。

 途中、近所のコンビニの春の新メニュー『サクサク衣の骨無しチキン』の包み紙が捨てられているのを見て、金鋏とゴミ袋を持ってくる。先週は瑞穂の中学校でも卒業式があり、県内の小中高校の卒業生は少し早い春休みに突入している。その子達が捨てたものだろうか、他にもチョコやスナック菓子の空き袋が転がっていた。

「……もう、いくら人がいないからって、神様のいるところにゴミを捨てるなんて……」

 文句を言いながらゴミを拾い、他にもないかと社に向かったとき、瑞穂は聞き慣れた声が社の奥から聞こえてくるのに気付いた。

 社の右の縁側、芽吹き始めた広葉樹の枝の間から、差し込む暖かな日差しが日溜りを作っている。その中にこの神社の神様、子犬くらいの大きさの蝉の幼虫の麿様が佇んでいた。隣には春らしい明るいグレーのスーツを着た、穏やかな顔の男性が座っている。

「死神さん!」

 瑞穂の声に男が振り向く。

「やあ、瑞穂。久し振りだね」

 男は瑞穂を見て眩しげな笑みを顔に浮かべた。



「先日は高校の合格祝いをありがとうございました。苺大福、とても美味しかったです」

 バッグからミニマグを取り出し、紙コップを用意しながら瑞穂が死神に礼を言う。

 この人の良さそうな男はこの世界を担当する死神達の長。冥界側のミスにより、瑞穂が力を持ってしまい、悪しきモノに狙われる存在になったとき、隣市に在住する魔界の兵士、魔王軍特別部隊破壊防止班に瑞穂の保護を頼んでくれた冥界の兵士だった。

 四度に渡る天界と魔界の大戦が終結した後、破防班を作った魔王により、魔界と冥界は互いに協力協定を結んだ。それは各界に派遣される破防班と死神にも及び、両者は今も常に協力し合う関係にある。

 死神はその世界の死者を冥界に連れて行く任務により、世界の津々浦々に通じることから、何か異変があったときは破防班にそれを報告し、調査に協力する。対して、破防班は瑞穂のような人間を保護したり、死神が魂を冥界に連れて行くときに、その道中の警護することがある。そのせいか、この世界でも破防班の兵士と死神は非常に仲が良かった。

 瑞穂がコップにミニマグの中身を注ぐ。ふわりと辺りに桜の香が漂う。

「おばあちゃんが持たせてくれた、桜の葛湯です」

 コップを受け取って死神はすっかり娘らしくなった瑞穂に目を細めた。

「もう、高校生なんだね。早いなぁ」

 無事、高校受験に合格した瑞穂は新学期から隣の山根市の県立 佐伯さえき高校に通う。

 魂の奥底から冥界の浄化地の力がこんこんと湧き出す瑞穂は、冥界の力を持つ者の中でもトップレベルの力の持ち主だ。その為、死神の長は、彼女の様子を聞く為、麿様と、事情を知る瑞穂の祖父母、破防班の面々に季節ごとの挨拶を欠かさない。今も麿様の前には死神が持って来たと思われる、大粒の苺が汁を吸われ、干からびていた。

 それでも寿命の長い冥界の者にとって、この世界の者の……特に娘の変化は目まぐるしいらしい。死神は一口葛湯を啜ると、もう一度彼女を見て、ほうと息をついた。

「すっかりお年頃らしくなったけど、そちらの方はどうだい?」

 そちらの方……つまり恋愛の方はどうかと突然訊かれ、瑞穂は慌ててぶんぶんと首を振る。

「そちらはまだまだ硬い蕾でおじゃる」

 甘露、甘露、と葛湯に針のような口を突っ込んで飲みながら、麿様が鎌のような前足を振った。

「……麿様~」

 情けない声を出す瑞穂に死神が楽しげに笑う。

「昨日、皐月家に行ってね、班長と話しているうちに話題になったんだ」

 破防班の班長も亡き想い人から託された娘、今学期から中学三年生になる少女の父親代わりをしている。互いに少女達の成長ぶりを話しているうちに、そういう流れになったらしい。

「力がある者にとっては、恋愛も普通の人には無い苦労があるからね」

 心配そうに見る死神に瑞穂は「私はまだまだです」と再度首を横に振った。

「そうかい。でも、もし臆病になり過ぎて恋愛が出来なくても心配することはないよ。私の方から既に魔術師ギルドに瑞穂のことを宜しく頼んであるから」

 魔術師はこの世界の力のある者が魔族にその使い方を教わった者達。彼等を管理するギルドでは普通の人には言えない力のせいで、どうしても恋愛事が難しい彼等をサポートする為、 結婚相談所のようなこともやっていた。

「そんなぁ~!! 勝手に頼まないで下さい!!」

 顔を赤くして瑞穂が抗議する。

「先走り過ぎたかな?」

 心配性の父親のような死神が頭を掻き、麿様が楽しげな笑い声を上げた。



 これから仕事だという死神を見送り、境内の掃除が終えると麿様が瑞穂を呼ぶ。いつものように膝の上に乗せ、体の奥底から湧き出る冥界の清い力を注ぎ込んでいると、ジャリジャリと玉砂利を踏む音が聞こえてきた。

富田とみた、ここにいたのか」

 顔を上げると薄手のパーカーを羽織った、黒縁メガネの大人しそうな少年が微笑んでいる。

柴田しばた先輩!」

 久し振りに会う先輩に立ち上がろうとして、瑞穂は膝の上の麿様が健やかな寝息を立てていることに 気付いた。

 ……麿様は普通の人には見えないけど……。

 どうしょうか迷っていると柴田が瑞穂から少し離れたところに腰掛ける。

「高校合格おめでとう」

「ありがとうございます」

 柴田は瑞穂の中学時代の部活の先輩。今度、瑞穂が通う佐伯高校の二年生になる。 瑞穂は去年、彼にこれから受ける高校のことを教えて貰っていた。

「家に行ったら、おじいさんに神社の掃除に行ったと聞いて来たんだ。いつも偉いなぁ~」

 柴田は瑞穂がただ単に祖父母のボランティアの手伝いをしていると思っている。彼の感心の眼差しに照れながら、瑞穂は小さく首を傾げた。

「わざわざ合格祝いを言いに、ここまで私を尋ねに来たのですか?」

 柴田とは彼が高校に上がってから、そう会うこともなくなっている。瑞穂の疑問に「実は高校の部活の勧誘に来たんだ」彼はバツが悪そうに笑んだ。

「富田はもう部活は決めたのか?」

「いいえ」

 夏休みの高校見学会や秋の高校説明会で部活動の話も聞いたが、どうしても入りたい という部活は無かった。

「文芸部に入るつもり?」

 柴田が自分と瑞穂が入っていた中学校の部活の名を出す。

「いいえ。文芸部は柴田先輩達が来なくなってから、やめちゃいました」

 二人は中学校の文芸部で知り合った。瑞穂が文芸部に入ったのは新一年生の部活動紹介で見学に行ったとき、部誌で柴田の書いた戦国武将の話を読んだのが切っ掛けだ。柴田は歴史に詳しく、麿様の巫女として、神社や地域の歴史を知りたい瑞穂に様々なことを教えてくれた。瑞穂も彼に感化されて地域の昔話を元にした童話を書いていたのだが、三年生の受験で柴田達がいなくなってから文芸部はアニメや漫画の二次創作の場になり、そちらに興味の無かった瑞穂はやめてしまっていたのだ。

「そうか。いや今、僕は高校の郷土史資料研究部にいるんだ」

 柴田の言葉に思わず笑む。いかにも柴田らしい部だ。

「まあ、中学の文芸部と同じような弱小部でね。それで今年の新入部員に富田を誘いに 来たわけなんだ」

 佐伯高校の郷土史資料研究部は代々活動に熱心で地域の郷土史愛好家とも交流があるという。部員も濃い歴史好きが多く、柴田のような戦国武将マニアから古地図マニア、神社仏閣マニア等、様々なマニアが集まっているらしい。

「入学後に部活体験があるから、そのとき見学してくれないか?」

 入るかどうかは後で決めればいいから、今は一人でも多くの後輩に見学して欲しいらしい。

「はい」

 瑞穂は柴田の誘いに素直に乗った。

「助かるよ」

 郷土史資料研究部かぁ~。そういうところなら、この小さな神社に興味を持ってくれる人がいるかもしれない。瑞穂は膝で眠る本当は寂しがりやの小さな神様の背をそっと撫でた。



「じゃあ、頼むよ」

 瑞穂の返事にほっとしたように笑って、柴田が立つ。

「見学よろしく」

 念を押して二、三歩、境内を歩き出した彼の足が止まった。

「……どうしてなんだろう……」

 聞こえた呟き声に瑞穂が顔を上げる。柴田の顔が今まで見たことがないほど険しく固まっている。視線の先をたどるとブロック塀の向こうに一組の高校生とおぼしき男女が消えて行った。

「……なあ、富田。女の子って自分に全く振り返ってくれない男でも好きでいつづけられるのか?」

「ふえっ!?」

 いきなりの質問に戸惑いつつも「そんな殊勝な女の子、今時いないと思いますよ」と答える。

「……もしかして、柴田先輩の知っている人でそういう人がいるんですか?」

 伺うような瑞穂の質問に柴田が頷く。同じ郷土史資料研究部の同学年の女子部員にその今時珍しい殊勝な女子がいるらしい。

 その子は幼稚園時代からの幼馴染で同学年で同部の男子が好きなのだが、その男子は小学校の終わり頃から変わってしまった。以前は本当に仲が良かったのに、彼女にも余所余所しくなり、それを寂しく感じた彼女が何度好きだと告白しても、曖昧な感じではぐらかされているのだという。

「その度に辛そうにしている彼女を見るのが辛くてね……」

 柴田が暗い顔で重い息をつく。

 ……柴田先輩、もしかしてその女の子のことが好きなのかな……。

 彼の女の子に対する真剣な顔に瑞穂は思わず声を上げた。

「だったら、先輩、その子に告白したらどうですか!?」

 次第に告白されてもはぐらかしているという、まだ見ぬ男にむかむかと腹が立ってくる。

「へ?」

 柴田の顔がみるみる赤くなる。

「そんな人より、彼女を心配している先輩の方が彼女に相応しいと思います!」

 ぷりぷりと怒りながら、告白を勧める瑞穂に柴田は何か吹っ切れたように笑い出した。

「……そうだな。今度、当たって砕けて見るか。ありがとう。富田」

 軽く彼女に手を振ると、パーカーの後ろ姿が鳥居の下を潜って帰っていく。

「……春でおじゃるのぉ……」

 膝の上で麿様が触覚を震わせて眠そうに呟いた。



「麿様、では私は帰ります」

 日が傾き、薄暗くなった神社の境内で瑞穂は荷物をまとめ始めた。余りに気持ち良さそうに眠っている麿様を膝に乗せているうちに、つい自分も居眠りしてしまったのだ。まだ浅い春のせいで、辺りは夕方になるとすぐに冷気が漂い始める。その寒さに目が覚めたときには、木立に覆われた小さな神社は薄闇が覆っていた。

 ジャリ……ジャリ……ジャリ……ジャリ……。 玉砂利を踏む音が響いてくる。

「おじいちゃんが迎えに来たのかな?」

 力を持つ切っ掛けになった交通事故以来、祖父も祖母も孫には心配症だ。荷物を持って振り返ると、とても祖父ではありえない大柄な男の影が目に映った。思わず立ちすくむ。この神社には街灯等の明りはない。固まった瑞穂に麿様は小さく触覚を振ると前足を上げた。

「おう、牛の大将ではないでおじゃるか!」

「麿様、ご無沙汰しております」

 聞き慣れた太い声が影から返り、瑞穂はほっと体の力を抜いた。薄闇の中、浅黒い顔の鼻の大きな中年男性の姿が見えてくる。魔王軍特別部隊破壊活動防止班の班長、モウン・ハーモンの人型を取った姿だ。

 彼は同じ土の力を持ち、この辺り一体を治める麿様を崇め、ことあるごとに麿様のご機嫌を伺いに来ている。麿様も自分に花の巫女を与えてくれた、武骨で律儀な魔界の兵士を 『麿の一の子分』『牛の大将』と呼んで愛でていた。モウンは麿様に一礼した後、瑞穂を見て太い眉を顰めた。

「少し帰るのが遅いのではないか?」

 父親代わりをしている男らしく、少し厳しい声で注意してくる。

「すまぬ。麿がつい瑞穂の膝の上で眠りこけてしまってな。目が覚めたらこんな時間になっておった」

 ふりふりと前足を振りながら彼女を庇う麿様にモウンは武骨な口元に笑みを浮かべた。

 宙を見上げると「シオン」と部下の名を呼ぶ。しばし時を置いて「はい、は~い」明るい声と共に空中からサラサラの茶髪に大きな瞳の美少年が湧き出るように現れる。

 破防班の捜査官、シオン・ウォルトン。実力者揃いの班では一番下っ端だが、少年ながらも、かなりの腕を持つ兵士だ。生来の姿は巨大なザリガニのくせに、人間型をとるとどうしてこんな美少年になるのかと皆が首を傾げる少年兵は地面に降り立つと「なんですか? 班長」と尋ねた。

「すまんが瑞穂を家まで送ってやってくれ」

「はい」

 頷いて、瑞穂に近寄り、手からまとめた荷物を受け取る。

「いいよ、悪いよ。まだ街の方は明るいし」

 日は沈んだとはいえ、まだ明るい市街地に、瑞穂が断るとシオンは細い眉を潜めた。

「ダメだよ、瑞ちゃん。瑞ちゃんは知らないかも知れないけど、昨日優ちゃんの学校の連絡メールで不審者情報が送られてきたんだ。三十代の小太りの男が帰宅途中の女子生徒の後を追い回す事件が起きているって」

 思わずその光景をリアルに想像してしまい、瑞穂の身が総毛立つ。

「……解った。じゃあ、お願いします。シオン」

 瑞穂は改めて彼に頼むとカバンを肩に掛け、麿様に振り返った。

「麿様、また……明日は入学説明会があるので明後日に来ます」

 ぺこりと頭を下げる。

「うむ。海老えびの将。麿の花の巫女をしかと頼むでおじゃる」

「はい。承知しました」

 シオンも麿様に頭を下げる。二人は鳥居を潜ると夕なずむ街へと帰って行った。



 二人の姿が街並みに消えたのを確認して麿様はモウンを見上げた。

「で、牛の大将は麿に何の用でおじゃる」

「例の瑞穂の情報が冥界から漏れた話は御耳にされましたか?」

 モウンの問いに「昼時に死神の長が麿に告げに来たでおじゃる」麿様は前足を組んだ。

 去年、冥界では浄化地『思慕の花園』を治める国の国軍の将校が魔族と組んで、花園を守る姫君を襲うという事件があった。それは既に冥界側で解決したのだが、その将校の取調べで彼が魔族との取り引きの報酬の一つとして『思慕の花園』の力が湧き出す人間の娘がいることを話したのが解ったのだ。

「長の話によると、この世界にいるということ、まだ年端もいかぬ娘だということが漏れたようです」

 このことを知った冥界の智将デュオスから、破防班の上層組織である他世界監視室に情報が送られ、死神の長がお詫びと詳しい話を伝えにモウン達と麿様の元を訪れた。

「瑞穂は麿の巫女、魔族とはいえ現世の者が手を出すとは思えんでおじゃるが……」

 魔族は力を持ち、この世界の人間より遥かに長寿だが、同じ生死の理の中で生きる現世の者。神である常世の存在の麿様には敵うはずもない。

「私もそう思います。しかし、だからこそ手を出すという奇妙な連中がいるのも事実です」

 何か瑞穂の周りに異変がありましたらお知らせ下さい。頭を下げる破防班の班長に麿様はうむと頷いた。

「頼むぞ」

「はい」

 それでは。モウンが玉砂利を踏んで帰り始める。その背中を麿様が「牛の大将……」と呼び止めた。

「はい」

「お前は気付いておじゃるか? 近頃……」

「なにをですか?」

 問い返すモウンに麿様は触覚をヒクヒクと動かし、前足を振る。

「いや、なんでもないでおじゃる。瑞穂のことくれぐれも頼むぞ」

「はい」

 大きな人影が街へと消える。

「……まあ、まだ邪気は無いでおじゃるし、遊興に来ただけ……ということもあるでおじゃるからな」

 ぽつぽつの明かりの付き始めた街に麿様が呟く。

 忙しなく触覚を動かすとその小柄な影が社の中へと消えていった。


小さな土地神様と花の巫女 END

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