9. 側にいる人

「だから、あの娘は自分の万引きを誤魔化す為にわざと倒れてみせたに違いありません!!」

 バン!! と従業員の休憩室の扉が開き、こめかみに青筋を立てた啓太とうんざりした顔のフロア主任が入ってくる。二人が奥の座敷になっている畳敷きの一角に目を向けると、そこには膝に毛布を掛けた状態で起き上がり疲れた顔でペットボトルのお茶を飲んでいる凜と側に座った琢磨、エルゼと優香、そして単衣の着物を着た好々爺がちょこんと正座していた。

「なんだ、こいつは?」

 啓太の声にエルゼが答える。

「私の知り合いの診療所の先生です。丁度、モールにいらしたところを見掛けて、お客様を診て頂きました」

 玄庵が二人に軽く会釈する。品のある穏やかな顔の老爺にフロア主任が尋ねた。

「お客様の具合は……」

「何、夏の疲れが出ただけですな。最近少し根を詰めて勉強をしていたらしい。 二、三日、静養していれば大丈夫でしょう」

 もっともらしく嘘ぶく玄庵に優香がこっそり肩を竦めた。魔族を捕らえてすぐ、玄庵は取り憑いていた魔族の魔気を凜から取り除く為、人間に姿を変えて休憩室にやってきた。

 邪悪な魔気は根源である魔族と離れても、取り憑いていた人間の活力を削ぎ、精神を暗黒面へと誘う。しかも完全に消しておかないと次の魔族に目を付けられる危険もある。凛から魔気を消した後、凜と琢磨の事件の記憶を消し、凜を診察するふりをして彼女に回復術を掛けていたのだ。

「それは良かった」

 こちらのお客様もお元気になったようですし。二人の少女を交互に見て、ほっと安堵するフロア主任に啓太が噛み付く。

「こいつは万引き犯ですよ!!」

 事件の記憶を消された凜が目を丸くする。琢磨が妹を庇うように間に入る。

「猫の人形が可愛くて触っていたのは確かですけど……」

 戸惑う凜の言葉に、啓太の顔がみるみる赤く染まる。

「嘘をつけ!! 今、お前の家で妻と美咲が今まで万引きした品を見つけているはずだ!!」

 啓太に言い付けられ篠山家に向かっていた二人は、途中で山根市のアイドル『紫苑様』に声を掛けられ、今頃三人でカラオケに行っている。ついさっき『お昼はこっちでおごって貰うからいりませ~ん』と絵文字入りのシオンのメッセージが全員のスマホに届いている。

 知らずに喚く啓太に、エルゼがそっと遠慮がちに声を掛けた。

「あの……主任、そのことなんですけど……」



 暗い倉庫の片隅、メーカーに返す返品の中に盗まれたはずのものがダンボール箱に入って積み重ねられていた。

「……これはどういうことかね? 玉置君」

 今度はフロア主任の額に青筋が立つ。その前で啓太はただひたすらおろおろと「そんなはずはない」を繰り返す。

「お客様に不快な思いをさせてしまってすみません」

 ファンシーショップの会計でエルゼは謝りながら、さっき凜が手にしていた陶器の猫の人形を包んでいた。

「これはお詫びとして差し上げます」

 緩衝材で包まれた人形の入った小さな紙袋を凜に差し出す。凜はそれを見てバッグから財布を出した。

「お金、払います」

 値段を聞く妹の肩に琢磨が優しく手を置く。きちんと代金を払い、仲良く去っていく二人の後ろ姿を優香は笑顔で見送った。

「もう、大丈夫だな」

 背後で低い声がする。

「うん」

 振り向くと人型をとったモウンとアッシュが立っていた。凜と琢磨を見送る二人の隣で玄庵も笑みを浮かべている。優香はそっと尋ねた。

「玄さん、あのお父さん達の方はいつまで記憶をそのままにしておくの?」

「まあ、もう少し反省するまでじゃな」

 玄庵がにんまりと笑う。

「玄さん……結構意地悪……」

「儂も魔族じゃからの」

 楽しげに玄庵が肩を揺らす。モウンがやれやれと大きく伸びをした。

「俺達は帰るか。昼飯をすませたら捕まえた魔族を魔界に連行しなければならん」

 歩き出した班長にエルゼが困った顔で断る。

「私はこのままバイトしてます。今日は主任、店に出られそうにないし」

「解った。遅くなるようだったら連絡して。迎えにいくから」

 アッシュがエルゼに声を掛けた後、優香に訊いた。

「じゃあ、お昼は優香ちゃんへのご褒美に好きなものを作るよ。何が良いかな?」

「私は……」

 優香はちょっと考え込んだ。いたずらっぽい笑みを浮かべるとモウンの太い腕に抱きつく。

「モウンの塩おむすびが良い!」

 モウンが驚いて優香の見下ろす。その顔に優香が楽し気に笑う。

「班長のって、あの小さい頃、優香がよくねだっていた、あれ?」

「あの大きい不格好なおむすびかいの?」

「それは……御飯をすぐ炊き足さないといけないな」

 唖然とする一同に優香が微笑む。「良いだろう。ご褒美だ作ってやる」 モウンが眉を顰めつつも頷いた。

 凜さんには彼女を一番大切に思うお兄さんがいる。そして、私には……。

「……ずっといてくれるんだよね……」

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、何にも!」

 優香はモールの通路を駆け出した。

「早く帰ろう! 私、お腹すいた!」

「そう大声で喚くな!」

 モウンが自分の方が大きい声を出しながら少女を追い掛ける。

「じゃあエルゼ。晩御飯はエルゼの好きなものを作っておくよ」

「ありがとう」

「さて、帰って一息つくかの」

 アッシュと玄庵が歩き出し、四人をエルゼが見送った。

 混雑してきたモールを優香は人込みを抜けるように早足で歩く。息をついて振り返るとやっぱりモウンの目は自分を見ている。それに優香は弾んだ足取りで、彼の元へと駆け出した。



寂しさの代償 END

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