4. 二人の少女

 夏をイメージしたカモメやキラキラ光るボードの魚やイルカが天井からぶら下がる。『夏の大バーゲン』の垂れ幕が下がる、ホールの長いエスカレーターで凛は兄と真琴とショッピングモールを登っていた。

「綺麗ね~」

 このモールは初めてなのか、周囲をきょろきょろ見回して歓声を上げる真琴に「出来たばかりだからな」琢磨が答えている。凛は既に見慣れたショップには目を向けず、真っ直ぐに前を睨んでいた。二階で降りる。あのファンシーショップが凛の視界の隅に入った。

 次に不思議な女が探し出してきたのは彼の職場だった。隣の山根市の郊外に出来た新しいショッピングモールのファンシーグッズショップ。そこで彼は主任をしているという。

 男はショップのレジカウンターの中で似合わないエプロンを着けて立っていた。その男に凛より少し年下の少女がカウンター越しに呼び掛ける。

『お父さん!!』

 少女に向けた彼の笑顔に頭の中が真っ白になった凛の中で

『少し、思い知らせてやりましょう……』

 女が囁き、凛は思わず頷いていた。その時だ、ショップから『商品が消えた!!』と 慌てた声が響いたのは。

 いい気味だった……。

 慌てふためく男と少女の姿を思い出し、口端を冷たく歪める凛の前で、モールの案内図を見ていた琢磨と真琴がファンシーショップとは反対の方角に歩き出す。ショップの棚の向こうに見えた男の後姿を睨んで、凛は二人を追い掛けた。通りを真琴が楽しげに琢磨と話しながら歩いていく。

「あった!」

 看板におしゃれな飾り文字が描かれたティーンズ向けのファッションショップが 見えてくる。見事に女性しかいない店内に意気揚揚と凛を連れて入る真琴の後ろで、琢磨がバツ悪げに立ち止まった。

「オレ、向こうのベンチにいるから……」

「え~、琢磨くんも選んでよ~」

 振り返った真琴の声に琢磨が困ったように肩を竦める。

「いや、女の子の服なんて解らないから」

「琢磨くんも選ぶの!」

「はい……」

 真琴の鶴の一声に琢磨が渋々頷く。惚れた弱みもあって琢磨は年上の婚約者には逆らえない。今から真琴の尻にしっかりと敷かれている兄の様子に凛は思わず吹き出した。



 モールを流れる穏やかな音楽を聞きながら、昼休みを終えたエルゼは職場のファンシーショップへと向かっていた。混雑した店内の通路の客達を避けて、キビキビとした足取りで歩いていく。 夏そのものが歩き出したような爽やかな美女にモールの客からチラチラと視線が集まっていた。

「エルゼ姉さん」

 ふいに名前を呼ばれ振り向くと、ふわりとしたチュニックにデニムのパンツ、肩にショルダーバッグを掛けた優香が立っている。

「優香、どうしてここに?」

「お手伝いしようと思って」

 上目使いにすまなそうに自分を見る少女に、エルゼは困った笑みを浮かべた。

「優香は班長から担当を外されているでしょ」

「でも、補習授業も終わったし、そろそろ良いかな~って」

 優香が真剣な声で訴える。

「真奈ちゃんがあれから家に篭りきりなんだ。折角の夏休みなのに、万引き犯に間違えられて、なじられたのがショックで家から出て来ないの。だから早く犯人を見つけたくて」

 優香はさっきまで真奈の家に遊びに行っていた。真奈はあの事件以来、家からほとんど出ていない。

『玉置さんが私が犯人だって言いふらしているみたい』

 暗い顔で話す真奈に『私が犯人を捕まてくるから!』と飛び出してきたのだ。

 優香らしい……。

 エルゼが小さく微笑む。家族の縁の薄い少女は友人を本当に大切にする。

 それに……寂しいのね。

 今は夏休みの真っ最中。事件の捜査に異形の家族達が家にいないことが、休みだけに堪えるのだろう。

 仕方が無いわね。確かに今日は仕事が忙しすぎて捜査まで手が回らないし。

 事件の経緯は話さず、見張りだけ頼むなら班長も許してくれるだろう。そう踏んでエルゼは優香に答えた。

「良いわ。ちゃんと力の封印もして来ているみたいだし」

「うん、それはバッチリしてきたよ」

 優香が胸に下げている捜査用にギルドから支給されている力封じの六芒星のモチーフを指す。

 魔族より圧倒的に力の弱い魔術師には捜査の際、魔族に気付かれないよう、それぞれのレベルにあった力封じのヘキサグラムが渡されている。優香のものはエルゼが綺麗な天然石と共に革紐に通して、可愛らしいペンダントに仕立てていた。

「じゃあ、優香にはフードコーナーを見張って貰おうかな」

「はい」

 優香が嬉しそうに頷く。二人が並んで歩き出したとき

「琢磨くん、凛ちゃんはどっちが似合うかな?」

 仲間の報告にあった名前が二つ聞こえてきて、エルゼは思わず足を止めた。

 首を巡らすと通路の向かいのティーンズ向けのファッションショップに凛々しい顔立ちの少女と若い女性、少女に良く似た顔立ちの青年の三人が立っている。

「あの子……!」

 優香が自分の記憶にある姿そっくりの少女に気が付く。とっさに力を使って彼女を探りそうになった優香を、エルゼは慌てて止めた。今、凛についている魔族は行動を控えているらしく、魔気はほとんど漂っていない。エルゼも魔族だということがバレないように厳重に魔気を封じている。

「ここで下手に力を使って破防班の影をちらつかせるのはマズイわ。もし追い詰めて、自暴自棄になった魔族にあの子を『破壊』されては大変だから」

 エルゼの注意に優香がぎゅっと胸のモチーフを握った。

 女性は凛の服を選んでいるらしく、ハンガーに掛かったチュニックを見ながら気に入った物を彼女の胸に当てている。それに楽しげに答える凛の顔を見て、優香は顔を顰めた。

「ここは自分が事件を起こしているモールなのに……」

「仕方ないわ」

 エルゼが強張った優香の肩を手を置く。

「『悪魔憑き』になった人間は魔族によって憎しみや悲しみの負の感情を高められて、良心等、自分を律する正の感情を弱められているの。でも……本当は悪い子じゃないわね」

 凛の表情を見ながらエルゼは小さく頷いた。シオンの報告にあったように凛は真面目なしっかりした良い顔をしている。

「あの子なら『悪魔憑き』を解消すれば、すぐに元に戻れる」

 明るい顔の女性と兄、二人の凛に向ける笑顔に破防班の術士がそう確信する。

「……そうかな?」

 エルゼの言葉に優香は首を傾げた。

 それにしても、本当に楽しそう……。

 優香の目が買い物姿の三人に釘付けになる。

 女性がやっと選んだ二つの服を前に悩んでいる。ハンガー掛けから取り出した服を交互に眺めて首を捻っている彼女に、兄妹が顔を見合わせてこっそりと笑い合っていた。

「優香、行くわよ」

 三人を食い入るように見ている優香を促し、歩き出したエルゼの背後から突然、男の声が掛かった。

「火野くん、仕事に戻ってくれないか?」

 偽名を呼ばれ振り向く。そこにはファンシーショップの主任、玉置が立っていた。

「すみません、今すぐ戻ります」

 慌ててエルゼが玉置に謝る。前に優香と真奈を犯人扱いして責めていたこの男は、モールの中でも従業員達に嫌われている。従業員同士の付き合いをほとんどせず、有能だが他人の失敗は絶対に許さない。しかも些細な失敗でもネチネチとした口調で、いつまでもしつこく責めるのだ。

「全く、これだから若い女性は」

 特に相手が女だと、玉置はなじるのが楽しいらしく、セクハラまがいの嫌味たらたらの口調で叱る。

「しかし、火野くんならこんなモールでアルバイトしなくても、もっと稼げるところがあるだろうに」

 自分の身体を舐めるように見る玉置の視線に鳥肌が立ちそうになり、エルゼは玉置に背を向け、優香を連れてこの場を去ろうとする。その横をようやく買い物が終わった凛達三人が通り過ぎた。琢磨が何気なくエルゼを見、その後ろの玉置を見て顔色を変える。

「どうしたの?」

 突然強張った顔に真琴が尋ねる。だが琢磨は何も答えず凛の肩を抱くと、妹を身体で隠すように足早に去っていく。人込みに消えた姿に、エルゼは引っかかるものを感じつつ見送った。

「優香、もう仕事だから行くわよ」

 ふと目を隣に移すと、さっきまでそこにいた少女がいない。

「優香!?」

 周りを見回し少女の姿を探すエルゼに「火野くん!!」と玉置の高い声が飛ぶ。モールの客が数人、何事かと二人を振り返る。玉置の顔が不機嫌そうに歪んでいる。

 ……仕方無い、後で皆にメールして探して貰おう。

 周りの視線と玉置の視線に身を竦め、エルゼは慌てて職場へと向かった。



 蝉時雨が鳴り響く、薄汚れた古い住宅街を三人の人影が歩いていく。男性の手には大きな紙袋、女性の手には洋菓子店のロゴが入った袋、その少し後ろを手ぶらの少女が楽しげについていく。三人が家々の間を通る曲がりくねった路地を抜ける。その後ろを優香は、そっと気付かれないように足音を忍ばせて追い掛けた。

 古い瓦屋根の住宅が見えてくる。家の門に足を向けた三人に、塀沿いの道を歩いていた 買い物袋を持った穏やかな顔の老夫婦が声を掛けた。

「お帰り」

「ただいま、おじいちゃん、おばあちゃん」

 老夫婦に凛が駆け寄る。

「楽しかったかい?」

「うん、お土産にゼリーを買ってきたよ」

 凛の声に女性が手にした袋を掲げる。

「すごく美味しいって評判の店のゼリー、おじいちゃんとおばあちゃんも一緒に食べよう」

 凛が弾んだ足取りで家に入っていく。その後ろを四人が追う。

 夏の昼下がりのなんでもない、穏やかな家族の光景。

 優香は一人唇を噛んでそれを見送っていた。

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