File.2 寂しさの代償
1. 裏切りの記憶
「お兄ちゃん……」
ねっとりとした暑い空気が汗ばんだ肌に纏わりつく夜更け、ジュニア用の狭いベッドで 兄と一緒に寝ていた
「お兄ちゃん……トイレ……」
隣で眠っている兄の
凛は仕方なく一人でベッドから出た。部屋のドアを開けると階段を降り、廊下の奥のトイレへと向かう。途中、光がこぼれるリビングの隣を通り掛かる。ドアの奥から母親の
……お母さん……。
五歳の凛にも今、自分の家に漂っている不穏な空気は解っている。父、
『凛、もしかしたらお父さんとお母さん、別れるかもしれない』
休みの度に話し合う両親に頼まれて、母方の祖父の家にバスを乗り継いで凛を連れて行く道の途中、琢磨は強張った顔で彼女に話していた。
別れるって何?
幼い凛には父と母が離れ離れになるということ自体が解らない。そそくさとトイレを済ませ凛は廊下を駆け出した。今一番自分の事を気にしてくれている兄のところに早く戻りたい。
カチャリ……。玄関の鍵の開く音がする。 ドアが開き、入ってきた黒い大きな影に凛の足が止まる。耳に当てた携帯電話のバックライトに照らされた顔は間違い無く父、啓太の顔だった。
……お父さん……。
どこか楽しそうに笑っている父の顔に、凛はぎゅっと胸を掴まれる感じがして慌てて廊下の暗がりに隠れる。
「……ああ、うまくいっている。バレてはないさ。アレはとろい女だからな」
低い笑い声が小さな耳に届く。
「
啓太が携帯電話の通信を切る。消えたバックライトに最後に映し出されたのは、今まで見たこともない嬉しそうな、それでいて恐ろしい父の笑顔だった。
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