2. 不可解な事件

 空調が小さな唸り声を立てて、冷気を周囲に撒き散らせている。耳につくのは夏らしいBGM。そんな市の外れの最近出来たショッピングモールのファンシーグッズショップで皐月さつき優香ゆうかは目の前のストラップをいじりながら周囲を慎重に伺っていた。モールの二階の一角にあるショップには、優香と同じ中学二年生の少女達が十名ほど二人、三人一組でたむろしている。

「すごいなぁ……」

 思わず漏れた小さな声に隣で、ゆるキャラのついた防犯グッズを見ていた、古風な顔立ちの可愛らしい少女が肩を竦めた。

玉置たまきさん、隣のクラスで一番大きい女子のグループのリーダーだから……」

 視線の先には背の高い、気の強そうな顔をした少女がいる。

 夏休みに入ってから、このモールのファンシーグッズショップでは万引きが多発していた。こういうコーナーで万引きが起こるのは、ある意味日常茶判事のことなのだが、夏休みに入ってからの事件は普段のものとは規模が違う。棚のぬいぐるみがごっそり無くなる、並べられていたノートが何十冊も一度に消える、シャープペンやボールペン、鉛筆がそれを立てていた容器ごと無くなる等、手口も大胆で被害金額も大きいものばかりだった。

 モールでは防犯カメラをつけて警戒に当たらせているが、未だ犯人は見つからない。これにファンシーショップ主任の父親が困っているのを見て、娘の美咲みさが探偵気取りで夏休みのクラスの女子に声を掛け、半ば無理矢理に皆を引き込んで犯人探しをさせているのだ。

 今日、午前中の補習授業の後、お昼ご飯を平らげて『ちゃんと宿題をしろ!!』という父親代りの大声を背中に、優香が家を飛び出てきたのは、その美咲に強引に引っ張り出された友人の真奈まなを助ける為だった。美咲が二人の女子と共に、ずんずんと大股でやってくる。

太田おおたさん、何か感じた?」

 横柄な口調で問う彼女に

「ううん、今のところは何も」

 真奈が答えると、美咲は彼女を睨んで、また向こうのキャラグッズのコーナーに行ってしまった。

「どうも玉置さん、噂を真に受けて、私に予知能力があると勘違いしているみたい」

「真奈ちゃんのアレは危険察知能力なのにね」

 優香はヤレヤレと息をついた。

 真奈……太田真奈は優香と優香の家に同居している魔界の兵士、魔王軍特別部隊破壊活動防止班のメンバーの仕事仲間である会社員の魔術師、太田おおた賢一けんいちの娘だ。優香とは幼稚園の時からの友達同士。小学生の時は一番の仲良しで、中学校で校区が変わり学校が別れてしまったが、今でも親友と呼べる存在。父親が魔術師なのもあって、同じ魔女の優香が何も隠さなくても付き合える数少ない友達だった。

 そんな真奈と真奈の兄は、父親の影響か不思議な力を持っている。真奈は自分や親しい人の身に何か危険なことがあると事前に察知することが出来、兄は犬や猫等、動物の表情から気持ちを読み取ることが出来る。

 これは幼い頃から太田夫妻に頼まれて二人の子供を定期的に見ている破防班の術士、玄庵げんあんによると

『不思議な力というよりは人間本来が持つ能力が、父親の血の影響で先祖返りとして現れたものだの』

 というモノだった。

 真奈の力は動物が地震を察知したり、沈みそうな船から逃げ出したりするのと同じ危険察知能力、兄はまだ草原で獲物を追い掛け、捕食者から逃げ回っていた人間が、動物の行動を知る為の観察能力で

『まあ、どちらも持っていて困るようなものではないからの。もしこの先、日常生活に支障が出るようだったら儂のところにおいで。この位の力、消すのも簡単なことじゃからの』

 にこにこと笑っていた。

 魔術師がギルドに所属するのは力の悪用を防ぐ義務、だけでなくこういう普通の人間には話すことも出来ない、自分達の不思議な力の相談やケアをして貰う為でもあるのだ。

 とはいえ、魔族から見れば軽い力の持ち主でも、なんの力も無い人間からすれば二人は不思議な子供達。真奈は妙に察知の良い子、兄は妙に動物に好かれる子として近所では有名だった。それを勘違いした美咲が隣のクラスの真奈を無理矢理呼び出し、犯人探しの一員に加え、困った真奈が優香に相談したのだ。

 といっても、私も予知魔法なんて使えないけど……。

 胸の中で呟いて苦笑する。優香が得意とするのは感知魔法と修繕魔法。予知魔法は生まれ持った予知能力が無いと使えない魔法なのだ。仕方なく優香は真奈に目配せをすると 口の中でもう何度目かの感知魔法の呪文を唱えた。軽く感覚を広げ、周りの人間の気を調べる。隣の真奈の困りきった気や美咲のイラついた気、連れて来られた少女達がイヤイヤやっているのが解る、だらけた気や、買い物に来た小さな女の子の楽しそうな気、その母親の優しい気を感じる。

「う~ん、特に悪意を持った人はいないなぁ~」

 そう呟くと隣で真奈がほっと息をついた。 そのとき、突然、体がビクリと震えた。

「優ちゃん……」

 真奈の緊張した声に危険を察知したのだと解る。同時に優香の首筋をゾクリとした嫌な感覚が走った。

「……魔族……」

 同居人達とは違う、破壊を楽しむ魔族のねっとりとした気だ。

「真奈ちゃん、ここでじっとしていて!」

 真奈が頷くのを確認して、優香はショップを飛び出た。もう一度感覚を広げ、魔族のいる方向を調べる。ファンシーショップから離れたフードコーナーのテーブル、観葉植物のレプリカに隠れた席に一人の少女が座っていた。

 紺色の見たことの無い制服、優香より二、三歳年上だろうか、その少女がファンシーショップを睨んでいる。と、彼女の背中の辺りの空間がパクリと開いた。普通の人間には見えない空間の裂け目から白い腕が出てくる。 指先がひらひらと蠢く。瞬間、何か強い力が真奈のいた場所を襲ったのを感じて、優香は慌ててショップに戻った。

「優ちゃん!!」

 真奈の叫び声が聞こえる。駆け戻った優香は目を大きく見開いた。真奈が青い顔をして立ち竦んでいる。その前の空間がぽっかりと空いて、向こうにモールの壁が見えていた。

「優ちゃん、ここ……ここにあった商品が今、全部消えちゃったの……」

 真奈が震える声で壁を指して告げる。そこにはさっきまで優香や真奈が見ていたストラップやグッズが、まるで初めから何も無かったように、ごっそりと全て無くなっていた。



 首都圏のベッドタウンが連なる山根やまね市の中心地近くの、住宅街の一角には近所の小中学生から、オバケ屋敷と呼ばれている築五十年の古い日本家屋がある。部屋数は多く、渡り廊下と繋がった離れさえあり、庭も広く様々な庭木が植えられているが、経済的な理由でエアコンは居間に一つしかない。そのエアコンが回る居間で夕食を終えた五人の破壊防止班……破防班のメンバーが座卓を前に思い思いの格好で座り、少女の話を聞いていた。

「……しかし、大変だったな」

 今日の昼間にショッピングモールであった出来事を語り終えた優香をどっしりと座った黒い牡牛頭の筋肉質の男、ミノタウロスの班長モウン・ハーモンが労う。優香の前の空になった麦茶のグラスにお代わりを注ぐ、赤い肌のトカゲ男、サラマンドラの副長アッシュ・ブランデルの横で、形の良い尻に黒い尻尾を生したサキュバスの美女、術士エルゼ・レイヤードが怒りを込めた声で班長に訴えた。

「本当に大変だったんですよ。あのショップ主任の玉置という店員ときたら、証拠も目撃者もいないし、盗った商品だって持ってないのに、いつまでも優香と真奈を犯人扱いして」

 アッシュが疲れ切った顔の優香にチョコレートを盛った皿を差し出す。すかさず伸ばした巨大ザリガニ、レッドグローブの捜査官シオン・ウォルトンの手を払いのけると「まずは優香ちゃんから」彼を軽く睨んで恋人の話を補足した。

「優香ちゃんから連絡を受けて、オレとエルゼがモールに着いたときには、二人はその玉置という店員に連れられて、警備員室で女性警備員のボディチェックを受けていました。 商品は二人の服からも荷物からも出てこなかったし、丁度現場にいた親子連れの母親が二人が盗ったところは見ていないと証言したのに、なかなか信じて貰えなくて……」

 勿論、店やその周辺からも商品は見つかっておらず、前後に二人に接触した仲間らしき人物もいない。それでも主任はネチネチと二人を犯人と決め付けた質問を繰り返し、見かねた警備員が呼んできたフロア主任が彼を説得してようやく解放して貰えたのだ。

「真奈には兄と母親が迎えに来ていたが、可哀想なくらい泣いておったの……」

 亀魔人の術士、流水るすい玄庵が温和な顔を顰める。

「真奈ちゃんはその前に万引き犯を捕まえるって借り出された子に『役立たず!!』とか 『お前が犯人だろう!!』とか散々罵られていたから……」

「うへぇ~、その子、感じ悪~」

 シオンが不快なときの癖で、大きなハサミで長い第二触覚をしごく。

「で、現場はどうだった?」

 話が事件そのものに移り、破防班の面々が居住まいを正した。

「アッシュとエルゼが二人に掛かり切りになりましたのでな、儂とシオンが現場検証を しましたがの……」

「魔族に間違いないです。強い魔気がフードコーナーの少女が座っていたという席の辺りに漂っていましたし、空間の裂けた跡も確認しました」

「盗られたものがあった場所には物質移送術の名残がありましたしの」

 二人の報告を受け、モウンが唸る。「しかし、魔族が万引きの補助か……」 次に班長の口から出た声に居間に沈黙が落ちる。

「万引き……じゃ、やっぱり動機として薄いよね……」

 二つ目のチョコを頬張り、物欲しそうに赤紫の瞳をキョロキョロさせているシオンに 皿を回しながら優香がボソリと呟く。

「まあ、魔族の目的は『破壊』そのものだからね」

 アッシュが口元に苦笑を浮かべた。

 各界に違法に入り込み、自分達の歪んだ欲望を満たす魔族の目的は、そのほとんどが何かを『破壊』することだ。だが、この世界のように優秀な破防班がいる世界で、大きな破壊活動を行えば、すぐに捕まり魔界へ強制送還、処罰を受けることになる。それを防ぐにはなるべく狭い範囲で隠れて行動することになるのだが、それでは中々欲望を満たすことは出来ない。故に魔族は『破壊』するモノをより深く『破滅』させようとすることで満足を得ようとすることが多いのだが……。

「万引き……ではねぇ」

 エルゼが形の良い眉を潜める。万引きも、もちろん窃盗罪。立派な犯罪だ。だが、他の窃盗罪と比べると余りに軽く扱われやすく、 『破滅』させたい人間の人生や生活にそう大きなダメージを与えることは出来そうにない。

「目的はその魔族が憑いている少女を調べれば解るだろう」

 モウンが部下達を見回した。

「少女は『悪魔憑き』か?」

「優香の話からして間違い無いでしょうな」

 玄庵が頷く。

 『悪魔憑き』とは魔族が異世界に潜み、その相手を『破壊』する手段の一つ。被害者の心の隙をつき、精神世界に潜むことで、破防班に気付かれることのない居場所と移動手段を手に入れる。しかも、より深く被害者を『破壊』することが出来る。『悪魔憑き』の場合、心の深いところで救うべき人と捕獲すべき魔族が結びついていることがあるので注意が必要だ。下手をすれば、引き離すときに被害者の心に修復不可能な傷をつけてしまうことがある。

「『悪魔憑き』を解除する為に、今回はその少女を詳しく調べる必要があるな」

 モウンが優香を伺うように見た。

「落ち着いたか?」

「うん」

 麦茶を飲み干して笑ってみせる。異形の家族達に優しくされたことで、気持ちが随分落ち着いた。逆に犯人扱いされたことと、真奈の涙に真犯人への怒りが湧いてくる。

「もう大丈夫だよ、玄さん」

「ほい、解った」

 安堵の笑みを浮かべるモウンの前で玄庵が薄茶色の手を優香の額に当てる。もう片手を座卓の上にエルゼが出した白い紙に当てた。

「少し気分が悪くなるかもしれんが、我慢じゃぞ」

「はい」

 エルゼが優香の肩に手を置く。自分を護るように暖かい力が注ぎ込まれるのを感じると 同時に、玄庵が小さく呪を唱えた。軽く頭の中を撫でまわされるような感覚が起こるが、エルゼのおかげで気持ち悪くはならない。第一、ベテランの術士である玄庵の処方は、いつも手早く、相手の負担を押えてくれる。

「これじゃの」

 優香の記憶の中の少女の姿を見つけた玄庵が素早く自分の頭に写し、紙に写す。白い紙に浮かんだ少女の姿を確認して、エルゼが優香の髪を撫でながら回復術を掛けてくれた。

「ありがとう、エルゼ姉さん」

 優香は紙の上の少女の姿を覗き込んだ。 見慣れない紺色の古風なベストとプリーツスカートの制服。紺のリボンタイを締めた優香より二、三歳上の凛々しい顔立ちの少女が写っている。

「うん、間違いないよ」

 少女の姿をしげしげと眺めていたシオンが紙を手に取り、目の前に持って唸る。

「これって隣の市の県立高校の制服だ。イケてない制服で有名な」

「この娘を突き止められるか?」

「はい、女友達に片っ端から当たってみます」

 生来の姿はどう見ても巨大ザリガニだが、シオンは人間の姿を取るときはサラサラの茶髪の瞳の大きな美少年に変身する。この付近の女子生徒にはアイドル並に人気のある彼の、主に女の子中心の広い交友関係はこういうときに役に立つ。

「よし」

 モウンが膝を叩いた。

「シオンはその娘の身元を突き止めてくれ。俺は玄庵ともう一度現場を見に行く。アッシュは太田の家に行って真奈から商品が消えたときの詳しい話を聞いてくれ。まだ真奈が傷いているようなら心のケアも頼む。それと、エルゼ」

「はい」

「犯人の少女がその店を狙っているのだとしたら、再犯の可能性が高い。店に店員として潜り込めるか?」

「夏休み中で忙しい時期でしょうから普通に雇って貰えると思います」

 無理なら術を使う手もありますし……。考え込むエルゼに優香はふと思い出した。

「あの店、アルバイト募集のチラシを張ってたよ」

「それなら手間を掛けずに入り込めそうね」

 エルゼがにっこりと艶やかに笑う。

 ……エルゼ姉さんなら向こうが雇いたいって頼みそうだけど……。

 サキュバスだけあって美人でスタイルが良い、だけでなく姉御肌でさっぱりとした性格のエルゼは健康的な色気で男女の区別無く人を引き寄せる華がある。

「私は? 私は何かしなくて良い?」

 中学生から高校生の女子の事件となると、この辺りでは同世代の魔女は優香だけ。優香の担当となることが多い。真奈の敵を討とうと張り切って意気込むと

「いや、今回は和也かずやに頼む。」

 モウンが同じ山根市県立高校一年生の男子生徒の魔術師、和也の名前を挙げた。

「シオンは和也と連絡を取って少女の身元の捜索に当たってくれ」

「了解~」

 シオンがゆらゆらと第一触覚を揺らす。

「え~、私の担当なのに~」

 頬を膨らます優香をギロリと赤い瞳が睨んだ。

「夏休みに特別補習を受けているのは誰だ?」

 うっと優香がつまる。期末テストこそアッシュのお陰で良い点数が取れたが、その前の中間テストの点数が点数だけに優香は七月いっぱい、特別補習で午前中、学校に通わなければならない。

「そっ、それは……」

 優香の目が泳ぐ。モウンの黒いこめかみが盛り上がった。

「夏休みの宿題もまだ全然手を付けてないだろうが。そういうことは学生の本分をちゃんとやってからにしろ」

 昼間自分の注意を無視して飛び出していった少女に低い怒りの声が響く。少しずつ大きくなっていく声に障子が微かに震えた。

「まあまあ、班長、落ち着いて……」

「班長、今日は優香ちゃんもいろいろあって疲れているのですから、雷は抑えて下さい」

 押えに掛かる玄庵とアッシュに、鬼の班長が荒く鼻息を吐く。シオンがそっと襖を開けた。

「優香、逃げなさい……」

 エルゼが背中を軽く押してくれる。

「わ、私、宿題してくる~」

 優香はチョコが乗った皿を持つと、慌てて居間を飛び出した。

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