5. 誇り
『兄さん……もう駄目だ……』
弟の弱々しい諦めの思念を受け取り、兄は息を飲んだ。
弟が捕まった……何故!?
自分達兄弟は爵位こそは子爵ながらも、魔王軍の花形、魔族本来の役目を担う破壊部隊に所属していたエリート軍人だ。五十年前、今の穏健派の筆頭、軍師ユルグによる魔王軍の大粛正が行われるまでは、いくつもの世界を壊してきた。
その自分達がどうして……。
ふらりと身体が揺れる。その瞬間、固い拳が脇を掠める。慌てて飛び退く兄にさっきからピタリとつけてきている破防班の班長が低い声で唸った。
「弟が捕まったな。お前もいい加減観念したらどうだ?」
「うるさい!!」
兄が飛び退く。さっきからこの男は掠める程度の攻撃しかしてこない。だが、これが何を意味しているか、それは十分に解かっていた。彼は兄に無傷での降伏を促す為、ワザと手加減しているのだ。
様々な術を放つが、それはすべて弾かれている。それでいて尚且つ、十分の手加減を施した素手での攻撃しかしてこない。彼の腰に佩かれた剣はその柄に指すら掛けられていない。男と自分の余りの力量の差に背筋が凍る。
空を切るように迫る拳を次々とよける。最後の一つをよけそこね、軽く地面に足を着いたとき、土が盛り上がり右足に絡みついた。軽い土系の足止めの術だ。 足を引くがピクリともしない。慌てて大地に働きかけ、同じ土系の術で対抗し外そうとするが、大地は彼の呼び掛けに答えようとしない。
「無駄だ。既にこの辺りの地精は俺の支配下にある。お前の命令は届きはしない」
モウンが赤い瞳を煌かせ、静かな声で告げる。
「まさか……ハーモン侯爵家の……」
「そうだ。俺はミノタウロス族の総統ハーモン侯爵家の元当主だ。お前では我が力には対抗出来ない」
ハーモン侯爵家は魔界の北を治める名門、 大地の力を操る魔族としては最高位のベヒモス族に継ぐ力を持つ土の魔族。多くの名将を輩出してきた武闘派の名家でもある。そこの元当主という言葉に兄の頬がピクリと跳ねる。
「……モウン・ハーモン大尉……」
「ほお、破壊部隊での俺を知っているのか?」
モウンが昔所属していた破壊部隊での階級に赤い瞳を細める。
「そうだ、破壊部隊第一隊の元隊長だ。お前の弟を捕まえたのは同じ第一隊、火竜サラマンドラの直系ブランデル公爵家の三男、アッシュ准尉。この学校を囲む結界を張っているのは破壊部隊の元魔術師長、
淡々と自分達の元の身分を明かすモウンに、兄が瞳を見開く。
「何故……それが破防班に……」
「お前と同じユルグ軍師の大粛正で部下共々飛ばされた。そういうことだ」
どこか楽しそうに答えてモウンが兄の襟元を掴む。ゆっくりと腕に力を込めて持ち上げると、どうしても取れなかった右足の戒めがポロリと外れた。
「このまま拘束する。お前の弟のあがきも、うちの班の術士によって終わったようだしな」
先程から遠くで蠢いていた邪悪な生物の波動が消え、モウンは安堵の笑みを浮かべる。
「何故だ!!」
兄の叫びが夜闇を裂いた。
「何故、その貴殿がこんなことをしている!! あの頃の破壊部隊に従軍していたのなら、 魔族の本質のなんたるかを知っているはず!!」
「知っているからだ、あの歪みきった本質をな」
モウンの低い声が静かに夜風に流れた。
幼い子供が乾ききった大地を細い足で蹴っていく。
青く澄み切った空からは致死量に近い有害な光線が降り注ぎ、流れる風には一呼吸で小さい身体など、十分汚染する量の毒物が含まれている。防護服を着ていたとしても地上での活動は僅かに限られている。もはや生き残った生物は人工的に作られた地下深くに点在するシェルターのみにしか存在せず、緩やかに、しかし確かに、この世界は終末を迎えていた。
砂に足を取られて子供が転ぶ。汚染され傷ついた喉から鮮血が大地を染める。その様にあざけ笑う男達の声が響く。地下のシェルターで、ただゆっくりと絶滅への時間を生きてきた子供が防護服も無く、死が約束された世界に出てきた理由が、彼を追う異形の男達にあった。
突然、この世界にやってきた人外の力を持った者達。この世界で細々と生きている人々達の最後の場所に次々と侵入し、そこに残る命を散らしていった者達を、彼等はミュータントとも『悪魔』とも呼んでいた。そして、子供の住んでいたシェルターにも『悪魔』がついにやってきた。母と自分を守ろうとした父は殴り殺され、母は引き裂かれた。そして今、子供は血に飢えた者達の格好のおもちゃにされている。
「どうした、もう逃げないのか?」
近づいてきた男の笑みを含んだ声が響く。
だが、もう声を上げることも泣くことすら出来ない。爛れた喉と肺は機能を果たしておらず、顔はチアノーゼに紫に染まり、小さな手足がひくひくと蠢くだけだ。
「ちっ、面白くも無い。ひと思いに始末してやるか」
追い掛けてきた男の一人が大きく足を上げる。その時、乾ききった風に乗って男達目掛けて火球が走った。
凄まじい高温の火球を受けて、男達が爆風に軽い火傷を負った顔を抑えて呻く。瞼をこじ開けて見ると、真っ白な軍服に身を包んだ、まだあどけなさの残る赤いトカゲ少年の兵士が、さっきの追い回していた子供を両手に抱えて立っていた。
「もう良いでしょう。このまま、この大地で安らかに終わらせてあげて下さい」
口調は穏やかだが、男達を見詰める赤金色の瞳は真っ直ぐな憤りで染まっている。軍服の肩章は准尉。幼さの割にはこの兵士は高位の階級章をつけていた。かなりの良家の出なのだろう、入隊と同時に尉官を授けられた少年兵に男達が怒りの視線を向ける。
「味方にいきなり攻撃をするとは何事ですかな?」
「反逆のおつもりか!?」
口調こそは丁寧ながらも口々に喚く先輩兵に少年兵が腕の中の子供を抱き締める。
「抵抗の出来ない幼きものをここまで弄ることは無いと申し上げているのです」
まだ入隊したばかりの若い兵の非難を彼等は鼻で笑った。
「我々は破壊部隊ですぞ。その役目を果たしているだけです」
「ですが、これほど痛めつけなくても……」
「魔族がそんなことを言ってどうします」
甘いが純粋な少年兵の思いをあざけるような笑い声が包む。
「その子供を『破壊』します。こちらに渡しなさい」
「嫌です」
少年兵は子供を抱いたまま、彼を庇うように後ろに下がる。
「そこに置きなさい」
「お断りします」
精一杯の抵抗で先輩兵を睨み付ける。先輩兵がニヤリと残忍な笑みを浮かべた。
「なら、命令違反として制裁を加えることになりますが?」
言葉こそ筋が通っているように聞こえるが、要は子供の代わりに嬲られろというのだ。しばしためらった後、腕の中の弱々しい呼吸を繰り返す子供を見下ろして、少年兵が彼をそっと傍らの大地に寝かす。 そこから十分距離を取って、腰の剣を外すと両手を下に下げた。
「……良い度胸ですな」
命令違反という名目で自分達より高階級の兵士をいたぶれる喜びに男達の顔に笑みが浮かぶ。男の一人が技を発動させようと力を溜めたとき「いい加減にしておけ」太い男の声が響いた。
「ハーモン隊長……」
突然現れた黒い牡牛頭の第一隊の隊長に男達が引き、直立する。
「そいつはブランデル公爵閣下の三番目の愛息子だ。閣下を怒らせたくないのならやめておけ」
魔界の名門中の名門、しかも家族と家庭をこよなく愛しているということで有名な公爵の名に男達の顔が引きつる。
「お前達、第八隊の隊長からの命令だ。ここから西にある街を『破壊』しろと」
「はっ」
欲望を満たす新たな目標を与えられ、男達が次々と空に飛び立つ。
「隊長……ありがとうございます」
まだ幼い部下の感謝の声に隊長は無言で小さく頷いた。 少年兵が後ろを振り向く。自分が寝かせた子供に視線を向けると、その前に深緑色のローブを着た、亀魔人の老爺が屈んでいる。
「魔術師長殿!」
『術』の一族、玄武一族の長老である魔術師長に駆け寄る。長は幼い子供の瞼を閉じさせ、小さく息を吐いた。
「もう死んでおるの」
少年兵が顔を顰め唇を噛む。そんな彼を痛ましげに見、長はそっと子供の遺体に手を翳した。
「父と母の元に送ってやるかの」
くちばしに似た口元がつむぎ出される呪に小さく震える。子供の遺体はゆっくりと宙に浮き、少しずつ黒い塵に変わり空に消えていく。
「……隊長、これが魔王軍の誉と言われる破壊部隊なのですか!?」
少年の叫びが乾いた大地に響く。
「これでは『破壊』ではなく『虐殺』です。正に『悪魔』の部隊に過ぎない……」
創造神と呼ばれる全ての世界を造った大神より、魔族が与えられた役割は修復不可能とされた世界の 『破壊』。だが、彼が見てきたものは、それを名目に弱き者の命を無意味に踏みにじり、弄ぶ、『悪魔』の所業に過ぎない。
「以前はちゃんと規律があったのじゃよ。百七十余年以上も前、穏健派の軍師デュオス様が魔王軍を掌握されていた頃は」
「デュオス様が実の兄に妻子を殺されて魔界を追われ、過激派が軍の実権を握るまでは 軍規の整った厳格な軍隊だったという」
隊長が低く唸る。
穏健派に過激派。身のうちに『破壊』への欲望を強く持つ魔族の軍は常にどちらかに揺れる。 穏健派であった軍師デュオスが謂れの無い逆賊の汚名を着せられ『三界不干渉の掟』を名目に冥界に亡命してからは、軍は勢いを増した過激派の支配下に置かれ、平然と『破壊』の名目の下、魔族の破壊願望を満たす烏合の衆の部隊へと変貌していた。
まだ修復の可能性が残っている世界を繰り上げて『破壊』する……抵抗する力を持つ者達を圧倒的な力の差で嘲笑いながら壊していく死と暴力の支配する軍隊へと。
「では……もう魔王軍はこのまま……」
少年兵の悲痛な声に隊長が首を横に振る。
「いや、魔王陛下と穏健派の貴族の方々がデュオス様が置いていかれた、弟子のユルグ様を育てておられる。過激派に潰されてしまわないように慎重にな」
「いずれ、ユルグ様の手によって軍は再び規律を取り戻す。そう願うしかないじゃろうの」
長がそっと皺の浮かんだ手を振った。黒い塵と化した子供の体が乾いた風に乗り、散っていく。
「アッシュ准尉、ここから北に小さな群島がある。そこにはまだ少数の生存者が残っているようだ。行って来い」
隊長は深く息をつくと少年兵の肩を叩いた。
「他の兵に見つからないうちに、お前の力で一瞬で消してやってくれ」
「……はい」
少年兵が剣を刷き、北へと青い空に飛び立つ。
「玄庵殿、兵士に大隊長の名で退避命令を出して貰えませんか? 自分が大地を沈めます。その後、魔術師部隊でこの世界を無に返して貰いたいのですが」
「よろしいですがの、大尉」
長が丸い肩を竦める。「また、勝手に命を下して大隊長殿の叱責を受けますぞ」
「叱責や懲罰の一つや二つ構いませんな」
隊長が小さく苦笑を浮かべる。
「もう十分過ぎるくらい兵達も『壊した』でしょう。だったら、後は早く終わらせてやらなければ」
「そういうことをしているから、大尉は大尉のままなのですぞ」
言葉とは裏腹に穏やかな声で忠告を述べると、長が大隊長の名で各部隊に命を伝える。
「仕方が無い……とは言わん。せめて少しでも……」
青い空から眩しいまでの光が注ぐ。腐った空気はそれでも風となり大地を撫でる。 長が引いたのを確かめて、隊長は持てる力の全てを乾いた大地にぶつけた。
「何故だ!! 我々は『破壊』の為の種族だ!! その本能に従って何が悪い!!」
「本能に従うだけなら、獣にも出来る」
モウンが掴み上げた腕を横に振る。兄の身体が空を飛び、校舎の壁に背中から激突する。
「ぐふっ!!」
背中に走る激痛に兄が血の匂いのする息を吐いた。
「何故だ……この世界の者を壊すなど、虫を殺すも同然なのに……」
「その台詞、俺の前でも言えるのか?」
ゆっくりと歩いてきた男が兄の目の前に立つ。その赤い瞳の無機質な光に全身に震えが走る。
「俺を前に『自分は虫ですから御自由に殺して下さい』と身を投げ出せるのか?」
崩れ落ちそうになる身体を、黒い大きな手が掴み壁に押し付けた。
「魔族は『破壊』を司る者。それを支配する者であって、それに溺れる者ではない」
モウンの口から遠い昔、自分直属の特別部隊を造った魔王の言葉が零れる。
ゴリ……壁に押し付けられた後頭部が鈍い音を立てる。恐怖に唇を震えさせることしか出来ない彼を凍りついた瞳が睨む。
「本能のままに己を抑えられぬのなら……!!」
握った拳が兄の頭の脇、紙一重残して壁に打ち付けられる。コンクリートの壁が崩れ、衝撃とヒビが校舎に走る。 くたりと頭が落ちる。完全に気を失った男にモウンは肩を落として魔王の嘆きを紡いだ。
「もはや、我等魔族は野の獣にすら劣る」
青い空に生徒達の声が響く。雲一つ無い空からは夏めいた日差しが学校内に降り注ぎ、アスファルトの地面に 照り返されグングンと気温を上げていく。
「もう……モウンったら……」
校舎に走ったヒビに指を当てて、力ある言葉を唱えながらそれを埋めていた優香が振り返って口を尖らせた。
「すぐにモノを壊すんだもん」
「すまん」
いつものいかつい中年男性に化けたモウンが頭を掻く。
「まあ、班長もまだまだ若いということですな」
背の低い丸顔の皺の刻まれた好好爺の姿をとっている玄庵が優香の作業を見守りつつ、楽しげに喉を鳴らした。
昨夜捕縛された兄弟は今朝からアッシュとエルゼ、シオンが魔界の本部へと連行している。 優香と玄庵はモウンが壊した校舎の修復に来ていた。昨夜、犯人の拘束が終わった後、玄庵とエルゼでざっと直してはおいたのだが、もう一度今度は明るい中での細かな修復作業を行っているのだ。斜めに走ったヒビを完全に消して優香が振り返る。
「玄さん、こんなものかな? これ以上綺麗にすると返って不自然だし」
周りに合わせて少しヒビを残した壁をさっと手で撫でて、玄庵が微笑む。
「こんなものじゃろうの。しかし、優香、修復術がうまくなったのお」
優香がいたずらっぽい笑みを含んだ目でモウンを見上げる。
「だって、誰かさんがしょっちゅうモノを壊すから」
「すまん」
モウンがもう一度太い眉を下げて謝る。
三人は校舎を後にした。校庭をぐるりと回り、校門へと向かう。 校庭には夏の大会に向けた練習が行われている。様々な部がトラックを走り回っていた。その中、北のコートで黒と白のボールを追いかけている少女達を見て、優香は立ち止まった。
「……あの子達はどうするんだろう……」
呪いの被害者達には、今日の副長の報告で同じ特別部隊の破壊活動修復班が向かうだろう。そして今回の事件で傷ついた被害者を……もちろん加害者の方も身体の回復、記憶の削除等を行って元の状態に戻す。だが、あの二人の少女は、まだ事件にほとんど関与して無かった為そのままだ。小さく息をついた優香に玄庵が囁く。
「儂がの、あの母親と顧問とやらに優香が見た少女の怒りと悲しみを夢で伝えておいたでの」
優しい声に優香が振り向く。 柔らかな笑みを浮かべた玄庵と、どこか照れくさそうなモウンの顔がそこにあった。
「ありがとう」
優香が明るい笑みを二人に向ける。それに二人の大人がどう考えるかは解からないが、少なくとも少女の二年半の頑張りを台無しにされた悲しい思いは通じたはずだ。
モウンが胸のシャツのポケットを叩いた。
「昼飯を食べに行くか。アッシュが帰りは夕方になるからと三人分の昼飯代を置いていった」
「それなら、亀屋がいいですの」
「え~!! また御蕎麦ぁ~!!」
少女の抗議の声が上がる。玄庵の趣味は古書集めと蕎麦。休みのときはいつも古本屋を巡りながら蕎麦屋を回っている。
「あっ、でも亀屋のカレー蕎麦はおいしいかも」
「いいな、アレは汁の絡んだ肉とネギがうまい」
校門を出て蕎麦屋の方角に足を向けた二人を玄庵の声が追う。
「班長、優香、カレー蕎麦は邪道ですぞ!!」
「はいはい、『本当の蕎麦を味わうならざる』でしょ」
「お前はざるにしろ。俺達はカレーだ」
モウンと優香が苦笑を浮かべつつ答える。
「そもそも蕎麦というものはですなぁ~」
「もう!! 玄さんの御蕎麦の話は聞き飽きたよぉ~!!」
得意の蕎麦講釈を始めた玄庵から優香が逃げ出す。健康な少女の足が跳ねるようにアスファルトの道路を踏む。その足元を通り過ぎる爽やかな初夏の風が、濃い緑に変わった木々を揺らし、涼しさを道行く人に運んでくる。
生命溢れる光景に、ふとあの乾ききった大地と腐った風をモウンは思い出した。
ずっと、この世界を守っていけたら良いんだがな……。
この世界もまた破滅への道筋を歩んでいる世界。だが、そこにはまだ修正の余地が残っているはず。
優香の笑顔に自分達が守る世界を『破壊』しなくてすむように祈る。青い空から降り注ぐ日差しに目を細め、モウンは少女の後を追った。
呪いの人形 END
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