4. 断罪

 夜……学校の校舎の壁の丸い時計が、深夜近い時刻を差している頃、 校門をよじ登る黒い影があった。小柄な影は校門の上でくるりと身体を回転させると今度はゆっくりと地面に降りる。 慎重に足を下ろし、素早く周囲を見回し、影は近くの桜の木の後ろに隠れた。

 車のヘッドライトの明かりが、校門の鉄の縞模様を夜闇にくっきりと浮かばせる。 車はゆっくりと通り過ぎ、オレンジ色のウインカーと赤いテールランプを光らせながら、 曲がり角を曲がっていった。

 大丈夫、気付かれなかった。

 桜の木の影からさっきの侵入者が現れる。背中のリュックを担ぎ直すと校舎の中庭に向かって走る。 校舎の窓から非常口の緑の淡い明かりが漏れている。その下を素早く影が通った。 ショートカットの短い髪が微かな光に煌く。愛らしい顔立ちの少女だが、顔は恐ろしいほど険しく 固まっていた。

 夜の校舎は、どこからか聞こえる機械の単調な唸り声以外は静まり返っている。校舎の南側の壁に月明かりを避けるように影は張り付いた。

「許さない……」

 闇の中に少女の押えた声が漏れる。

 大人のくせに無理矢理、我が侭を押し通した彼女の母も、理不尽な抗議を受け入れ、嘘をついて自分を補欠から落した顧問も、そんな母をぬけぬけと『許して』なんて言った彼女も。

「許さない、許すわけないじゃない……」

 少女の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。

『解った、あんたも大変だね。許すよ』

 一週間前に言ったとき見せた、後輩の安堵した笑顔に笑みが更に大きくなる。

 あれは嘘。許したふりをして髪を梳かしてあげ、あの子の髪の毛を手に入れる為の。

 だって、良いじゃない。あんたが悪いのだから。私の二年半の頑張りを無にして、 最後のチャンスを潰して、その原因を許してもらおうした厚かましいあんたが。

「許さない……」

 あの子を呪いで潰してやる。そうすれば、あの子の馬鹿な母親も顧問も、少しは私の怒りに気が付くはず。二人を後悔させてやる……絶対に。

 中庭は真っ暗な闇に包まれていた。コの字に囲む校舎のせいで、東と真上からしか光は入らない。 月の光もほんの僅かな空間を青く染めているだけだった。 闇に慣れた目でも真の闇の前では、なんの役にも立たない。校舎から漏れる僅かな明かりを手掛かりに少女はゆっくりと前に進んだ。

 あの椿は南の端。このまま校舎の外壁伝いに歩けば辿り着く。端を歩けば園芸委員の花壇につまずくことも無い。 側溝に足を落とさないように気を付けて、少女が中程まで進んだとき、何かの気配がした。

 ビクリと顔を向けると中庭の空間、空中と思える高さに二人の男が立っている。 闇の中にも関わらず、二人の姿はくっきりと自身が発光しているように見えた。 長いブロンドの髪の男に、短いブロンドの髪の男。冷たい顔立ちは兄弟なのか二人共よく似ている。 そして自分を見詰める瞳は赤。血のような赤い瞳が少女を楽しそうに見ていた。



「……誰……」

 少女が空中を漂う男達に後ずさる。

「素晴らしい……」

 長い髪の男が呟いた。

「素晴らしく強い念だ。呪いの人型が無くても、これだけで十分目的を達成出来る」

 少女は背中のリュックに手を回した。この二人は自分が何をしに来たのか知っている。 リュックには数日前に埋めておいたが、誰かに掘り起こされ持ち去られたモノと同じ、作り直した呪いの人形が入っている。

 男の目が少女の左手を見て微笑む。指に巻かれた絆創膏は、さっきハンカチに血を垂らした傷痕だ。 すすっと空中を滑るようにして、近づいて来た男の手が少女の顎を掴もうと伸びる。指先が触れる瞬間、少女は怯えたように飛び退いた。

「大丈夫だ……オレ達はお前の仲間だ」

 髪の長い男が口元を歪める。

「お前の望みを……憎い相手を破滅させてやろう」

 髪の短い男が歌うように口ずさんだ。

「さあ、契約だ。オレの目を見ろ」

 少女が反射的に顔を反らす。だが、少しためらい考えた後、ゴクリと喉を鳴らして男の目を見据える。

「本当にあの子を潰してくれるのね」

 おぞましい確認の声に、二人の男が声を立てずに笑う。

「ああ、お前の怒りどおりにな……」

 少女が髪の長い男の赤い瞳を睨み付けた。男はそれに視線を合わせてゆっくりと瞳に力を込める。 こうして心に自分達が忍び込む手掛かりをつける。相手を『破壊』した後、ゆっくりと手掛かりを伝って、 この娘の心も『破壊』する。 少女の心を満たす怒りに、男の口元に喜悦が浮かぶ。これなら……二人共完全に『破壊』することも可能だ。

 少女の瞳がゆらりと揺れた。 もう一人の男が口ずさむ。

「さあ……お前の望みを叶えてやる。だが代償としてお前の心も頂くぞ……」

 うつろな目になった少女がコクリと頷く。「よし、契約成立だ」男が更に瞳に力を込めたとき、黒いものが自分と少女の間を遮った。



「そこまでだ」

 野太い低い声は間近から聞こえた。少女から視線を反らすと、黒い牡牛頭の男が彼女を庇うように立っている。 左胸に銀の文様の縫い取りがある黒い軍服を身につけ、黒いマントを羽織った筋肉質の男だ。 さっき少女と自分を隔てたものは男が広げたマントだった。

「玄庵、後は頼む」

「御意」

 マントの向こうから年老いた男の声が聞こえる。男がマントを掴んでいた手を離すと、そこにはさっきの少女の肩を抱いた深緑のローブ姿の亀魔人の老爺が佇んでいた。

「いつの間に……」

 全く気配を感じさせず、いつから自分達の側に佇んでいたのか……。戸惑う男に背後にいた弟の声が聞こえた。

「兄さん……」

 気がつくと回りにも影がいる。三つの影が自分達を囲むように立っている。

 一人は白い軍服に白いマントをつけた赤い肌のトカゲ男、もう一人は妖艶な紫のセパレートタイプのレオタードを身につけた美女、最後の一人は鮮やかなマリンブルーの軍服を着た巨大なザリガニ。彼らもまた気配を全く感じさせず、湧き出たように自分達の周りに現れていた。

「お前達は……」

 男達の問いに牡牛頭の男……モウンが空に手を翳す。黒い二つ折りの革の手帳が現れ、それがパクリと開いた。 中から魔王のシンボルである蝙蝠の羽を広げた瞳の紋章が現れる。

「魔王軍特別部隊破壊活動防止班だ」

 夜闇にうっすらと光る紋章に、二人の男が息を飲む。

「この世界は魔王陛下による『破壊』認定を受けてはいない。 にも関わらず、この世界の者、三人の心身を『破壊』したお前達を 魔憲章第九十九条異界における破壊活動防止条例違反の現行犯で捕縛する」

 鋭い目が二人を見据える。

「尚、我々は魔王陛下より個人の裁量で犯人に制裁を加えることが許されている。無駄な抵抗は無意味に自身を傷つけることになるぞ」

 それぞれの服の左胸の描かれた銀色の文様、先程の手帳の紋章と同じそれは魔王より罪を犯した犯人が抵抗した場合、己の判断で相手を裁いても良いとされる許可証だ。

 モウンの声に小さな舌打ちの音が返ると、兄弟の姿が闇に消える。破防班の班長は小さく肩を竦め、手帳を消した。

「玄庵、首尾は?」

「とっくに。この学校の敷地、上空を既に囲っております。奴等がここから逃れる術はございません」

「よし」

 三人の部下に命令する。

「行け」

「はっ」

 三人が消える。

「よくやったな」

 モウンは玄庵の抱えた少女……優香を労った。

「うん」

 玄庵に掛けられそうになった暗示を解いて貰った優香が微笑む。

 先程からの校舎への侵入者は優香だった。これ以上大人の身勝手さに翻弄されている二人を傷つけたくなかった彼女が、加害者の少女が再び行動を起こす前に、自分からおとりを願い出たのだ。リュックに自分が掘り出した呪いの人形を入れ、魔族を誤魔化す為に玄庵とエルゼの力を借りて、再び少女の怒りの念に心を同調させ、夜の学校に忍び込んだのである。

「どうだ?」

 モウンの少し心配げな声に玄庵が柔らかな笑みを浮かべる。

「あやつらの術は完全に解きました。心の同調も外してあります」

「よし、俺は奴等を追う。玄庵、優香を頼む」

「御意」

 モウンの姿が闇の中に溶け込むように消えた。



「破防班……」

 それは『破壊』が許されていない世界へ忍び込み、己の『破壊』への欲望を満たす魔族を『落伍者』とし、 魔族、ひいては魔界全体の誇りを守る為に魔王により直接作られた組織。 彼等は魔族の『恥さらし』を自らの判断で始末することすら許されている。

 弟は空を飛びながら逃げ場を探した。

 学内はすでに囲われている。不可視の障壁が学校の敷地と上空を覆っている。いつ張ったのか、術を掛けた力のゆらぎすら感じさせなかった術者に、背中に冷たいものが流れる。

 とにかく、どこかにあるかもしれない術の綻びを見つけて逃げ出すしかない。

 同じように周囲を探っている兄と、互いに頭の中だけで言葉を交わし、夜闇を飛び続ける。

 ふわり……目の前で風が舞った。

 蝙蝠のような伸びやかな翼の音すら優雅に、さっき自分達兄弟を囲んでいた破防班の一人が目の前に現れた。柔らかな夜風に黒髪が流れる。ダークレッドの瞳が妖しい色香を乗せて男を見る。その眼差しと姿に思わず唾を飲む。

 恐ろしく蠱惑的な女だ。男が思い描く理想の女、そのものが具現化したとしか言い様が無い。黄金率と呼んでもおかしくない肢体を紫のセパレートタイプのレオタードに包んでいる。谷間を強調したブラトップは申し訳程度に胸を覆い、下半身のハイヒールと一体化した タイツも臍の下、ギリギリのところまで腰周りが大胆にカットされている。太ももにも大きくスリットが入り、夜闇に浮かぶそれは裸体そのものより遥かに淫猥だった。 晒された小麦色の女の肌は、月の光の中、艶めくレオタードの生地よりもしっとりと滑らかな光を弾いている。引き締まった尻から生えた黒い尻尾がゆらゆらと揺らめき男を誘い、ふっくらと膨らんだ唇は濡れたように男を引き寄せる。

 淫魔の名に相応しい匂い立つような女に弟がふらふらと近づく。ダークレッドの瞳が妖しく笑んだ。

「貰ったぁ!!」

 突然、鋭い少年の声が響く。夜気を切り裂いて二枚の氷の刃が弟を目掛けて飛ぶ。だが、それは大きく反れて弟の前後を通り過ぎた。弟が我に返る。掛けられていた女の魅了の術から抜け出すと、慌てて空を飛び逃げる。

「ノーコン!!」

 エルゼの叱責の声が響いた。「折角動きを止めてるのに何やってんのよ、あんたは!!」

「すみません!! 姐さん!!」

 後方から飛んできたマリンブルーの軍服のザリガニが謝る。

「ったく、追うわよ!!」

 キッと逃げる犯人を睨む。先程までの淫魔の妖女姿より、この引き締まった表情と後輩を叱責している姐御としての姿の方が何倍も生き生きと美しいのが、いかにもエルゼらしい。

 弟を追って翼をはためかすエルゼの後を、頭を大きなハサミで掻きながらシオン が追う。夜の学校を三人の異形者達の追走劇が始まる。グングンと校舎が近づく。上空から校舎の影に入り、逃げる影は壁に沿って飛ぶ。

「いくわよ!!」

 追いつくとバサリと翼をはためかし、エルゼは上空の位置を取った。 細い指が振り下ろされ、校舎と弟の間に風の壁が張られる。

 シオンがハサミを開く。氷の粒がハサミの間に現れ、次々と打ち出される。弟がそれを慌てて避けようとするが……ボールほどもある氷のつぶては避けるまでもなく全部外れて、エルゼの張った風の結界にぶつかり四散した。

「あんたね~!!」

 闇の中にエルゼの怒り心頭に達した声が響く。

「下手な鉄砲数打ちゃ当たるって言葉があるでしょ!! それでも全弾外れるなんて最早奇跡よ!!」

「すみません!! すみません!!」

 シオンがオロオロと謝る。その様子に弟がニヤリと笑った。

 破防班は退役間近の老兵か軍に入ったばかりの新兵が多いと聞くが、どうやら彼は経験不足の新兵らしい。女の方は使えるが防御専門のようだし、男はノーコン。だったら彼等を倒して活路を開くという道もある。腰の剣を抜く。空中でくるりと体を変え、ノーコンのザリガニに向かって切り掛かる。

 ギン!!

 剣の打ち合う音が聞こえた。

「残念」

 シオンが赤紫の瞳に楽しそうな笑みを浮かべる。大きなハサミの下に生えた細い対の手の両方に、緩く刀身がカーブした刃が握られ弟の剣を受け止めていた。素早く突き出された巨大なハサミが襲ってくる。「ぐっ!!」慌てて剣を引き、ハサミを弾いた。

「ボク、術は苦手だけど、剣術は大得意なんだよね」

 両手に握られた二本の青竜刀が舞う。必死に剣戟を受ける隙をみて、巨大なハサミが襲い掛かる。四本の攻撃に翻弄される。

「……これでコイツは片付くわね。アッシュの出番は無いみたい」

 エルゼはクスリと笑みを漏らした。ノーコンで術は苦手なシオンにワザと術を使わせ、大声で罵倒したのだ。結果、シオンを侮った犯人は、自らシオンに接近戦を仕掛ける。巨大なハサミと二本の青竜刀を自在に使いこなすシオンに敵う剣士は、そうは居ない……アレさえ出なければ。

 エルゼが瞳を細めて、戦況を見守る。弟が捨て身の攻撃に出ている。身体が傷つくのも構わず、シオンの関節に切り込もうとしている。しかし四本の攻撃を操るシオンは決して懐には入らせない。むしろ隙に乗じて追い詰める。弟が剣を大きく振り被った。「貰った~!!」シオンが嬉々として、その腕を肘から切り落とす。

「あの馬鹿!!」

 エルゼの声が闇に響いた。



 弟が大きく剣を振り被る。一か八かの大振りだ。シオンはその剣を軽く左の青竜刀で受け止めた。そのまま右の刀で剣を握った腕を肘から切り落とす。

「貰った~!!」

 勝利の声に先輩の「あの馬鹿!!」という罵倒が重なる。

 腕は鮮血を噴出しながらグルグルと回る。夜闇に散る大量の血が霧のように視界を遮る。赤一色に染まった視界にシオンは慌てた。

 自分の血液を使う捨て身の防御技だ。己の一部を代償に使っているだけに、その威力は大きい。完全に赤い霧に視界を奪われたシオンに、何かが空を切る音が聞こえる。

「シオン!!」

 エルゼの声が響く。その何かは彼女の張った風の壁に遮られ、鋭い音を立てて弾かれた。

「姐さん!!」

 ようやく赤い霧が晴れ、視界を取り戻したシオンが見たのは醜い触手を生やした肉塊だった。 元はシオンの切り離した腕。それは術が掛けられていたのだろう。生き物のように蠢き、 触手を伸ばし周囲を攻撃している。

 シオンはギリ……と口を鳴らした。あの大振りの剣はおとりだったのだ。腕を切り落とさせるための捨て身のおとり。それにより自分の血をもって姿を隠し、自分の肉を持って追撃者を始末する為の。

「姐さん!!」

 腕から生えた触手がエルゼにも向かっている。自分を守ったせいで彼女は無防備だ。 打たれる覚悟で、せめてもと腕で、頭と胸を覆ってガードする。慌てて剣を構え飛び出すが、弾かれた触手がシオンを再び襲う。今度は余裕を持って切り伏せるが、助けには間に合わない。

「姐さん!!」

 シオンの叫びが闇に響いた。



 ぐっと腕で、頭と胸を庇うエルゼをムチのようにしなった触手が襲う。衝撃に耐えようと身を硬くする。だが触手はエルゼに触れる前に霧散した。

「消えた……?」

 いや違う。白い灰が夜風に舞う。圧倒的な熱で一瞬にして触手は焼き尽くされたのだ。しかも、側に居た半裸に近い格好のエルゼには微塵とも熱を感じさせていない。ピンポイントで、これだけの攻撃が出来るのは魔王軍といえども限られている。

「シオン! 戦いの最中は調子に乗るなと何度も言っているだろう!」

 いつもは穏やかな副長の滅多に発しない鋭い声にシオンが身を竦める。

「ありがとう、アッシュ」

 白いマントをなびかせたアッシュがエルゼの隣に現れる。 自分を守ってくれた恋人にエルゼが感謝の笑みを浮かべた。笑みを返すとアッシュは眼差しを鋭くして、大きく増殖を始めた肉塊を見据えた。

「捨て身の技だけあって、かなり性質の悪い術が掛けられている」

 低い声にエルゼが頷く。

「解術出来るかい?」

 副長としての問いに彼女は微笑んだ。

「出来るわ。前に玄さんに習った術の応用でいける」

「よし」

 アッシュが肩からマントを外す。

「シオン、エルゼがそれを元の腕に戻す。その間、おとり役を頼む」

「はい!!」

 シオンが今度は油断無く刀とハサミを構え、触手を次々と繰り出す肉塊に向かう。 アッシュがエルゼの剥き出しの肩に、自分のマントを被せた。

「エルゼは術に集中してくれ。これにオレの力を込めておいた。さっき程度の攻撃なら軽く防げる」

「ありがとう」

 込められた力のせいか、ほんのりと暖かいマントを身体に巻きつける。

「オレはヤツを追う。後は頼んだよ」

「はい」

 アッシュの気配が闇へと消える。エルゼが甘く微笑んでマントを指先で撫でる。小さくもう一度感謝の言葉を口の中で呟くと、眼差しを上げ、キッとシオンと戦う肉塊を睨み付けた。



「思ったよりは遥かに使えたが、やはり新兵だな」

 自分の作戦に引っ掛ったザリガニのマヌケ顔を思い浮かべてニヤリと弟は笑った。腕一本など魔族なら魔界に帰れば容易に復活出来る。己の血で張り巡らせた結界の中で弟は安堵の息をついた。このまま奴等に自分の腕の相手をさせ、その隙に兄と合流して逃げればいい。学校内のどこかにいる兄に呼び掛けようとしたとき、突然身体を熱風が襲った。

 バサッ!! 一瞬にして自分を囲んでいた血の霧が乾き、サラサラと赤い粉になって地面へと落ちていく。

「何っ!!」

 自分の居場所を突き止めただけではなく、あっさりと捨て身の術を破った者に声が漏れる。

「うわぁぁぁぁっ!!」

 それは直ぐに苦痛の声に変わった。切り落とされた腕に高熱が走る

「申し訳ありませんが、また消えられるとやっかいなので傷口を焼かせて貰いました」

 冷静な男の声が夜風に乗って聞こえる。焼かれた傷口を押さえ、脂汗を流しながら顔を上げた視線の先には白い軍服姿の赤い肌のトカゲ男がいた。あっさりと血の結界を破り、傷口を焼いたアッシュが赤金色の瞳を向ける。

「これ以上の抵抗は無意味です。大人しく拘束されて下さい」

「うるさい!!」

 弟が喚く。さっきの術からしてこの男が得意とするのは炎、だとしたら……動く左手を揺らめかす。 空間が割れ、現れた大量の水がアッシュを襲う。黒い水の塊が包み押し砕く。 だが、次の瞬間、大量の蒸気と共に膨大な水は瞬時に消え去った。

「……そんな……」

 水の術でも高位の術だ。しかも彼が得意とする術。それをあっさりと破られて絶句する。

「無駄です。クラーケンの直系でも無い限り、オレの力には対抗出来ません」

 クラーケンは水を操る魔族の中でも最高位の一族、その直系にしか押さえられないということは……。

「まさか……火竜の血を引く者か……!?」

「そうです」

 アッシュは赤金色の瞳を細めて、肯定の笑みを浮かべた。

「火竜サラマンドラの子孫、ブランデル公爵家の者です。今は一族から除名された身ですが」

 サラマンドラは炎を操る魔族の中で最高位の一族。その一族の総統であるブランデル公爵家は魔界の西に広大な領地を持つ屈指の名門だ。

「何故、そんな名家の直系が破防班に……!?」

「上司と一緒に飛ばされまして」

 アッシュが楽しそうに笑う。

「最もオレとしては、今の仕事の方が性にあってますが」

 弟を炎が包む。慌てて水を呼ぶが、呼んだ先から水は蒸発していく。

「無駄と言ったはずです。炎そのものの化身であるサラマンドラの力から逃れる術はありません」

 炎の色が変わる。赤からオレンジ……そして黄色から白へ。それと同時に圧倒的な熱が弟を囲む。 もはや湯気すら漂わない。現れると同時に気化していく水は防御をなさない。

「降伏しますか? それとも……」

 アッシュが普段の彼からは想像もつかない、冷たい笑みを口端に乗せる。

「自分が何度で燃え尽きるかを確かめますか?」

 抑揚の無い低い声が流れる。弟はがっくりと膝をついた。

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