2. 異形の家族
「うわぁ~!!」
台所の隣の居間の座卓の上に並べられた料理の数々に優香が声を上げる。
一ヶ月ぶりの皆そろっての夕飯。早速自分の赤い箸と花柄の湯呑が置かれた席につくと、目の前に朱色の縞模様のお茶碗に盛られたほかほかの御飯が置かれた。
「いただきまぁ~す!」
茶碗を手に取って箸で白い炊き立ての御飯を運ぶ。嬉しそうに目の前のジャガイモが たっぷり盛られた肉じゃがの小鉢に箸を伸ばすと、脇にもう一回り小さな小鉢が置かれた。
「はい、優香ちゃん。お留守番の御褒美だよ」
小鉢の中には優香の好物の醤油餡の掛かった半熟卵が入っている。
「ありがとう、アッシュ」
お礼を言う優香に、アッシュが微笑んで席につく。
「玄さん、エルゼ姉さん、あの包みどうだった?」
自分同様器用に箸を使い、食事を始めた鑑識官の二人に声を掛けると「優香、食事中は事件の話はするな」 ネギたっぷりの香味ソースを掛けた蒸し鳥を口に運んでいたモウンの注意が飛んだ。
食事中は事件や仕事の話はしない。 それがこの
「うん」
頷いて半熟卵を御飯に乗せると箸で割る。とろとろの黄身と餡が御飯に絡まって、いつもながら絶品だ。 確かにこんな美味しい食事を前に事件の話はもったいない気がする。
「玄さん、七味取ってくれますか?」
「ほいな」
「シオン、蒸し鳥に七味掛けるの?」
「ああ、優香ちゃん向けに辛くないように作ってあるから、好みで掛けて」
「じゃあ、私も少し」
「次は俺にも回してくれ」
声だけ聞いていれば、本当に普通の家族のようだ。昨日、泊まった太田の家と全く変わらない会話を交わす自分の異形の家族に笑みが零れる。最も、彼女はもう五歳のときからこの家で彼等と暮らしているのだが。
優香は魔女、正確には普通の人には無い力を持ち、その使い方を知っている魔術師である。 一年前に死んだ彼女の祖母も、日本ギルドきっての魔女と呼ばれた凄腕の魔術師、 優香は祖母の力を受け継いでいるのだ。
世界は多い。そして、世界を『破壊』しようと狙う魔族もまた多い。魔界といえども、とても全ての世界に十分な数の破防班を置くことは出来ない。そこで、その世界における破防班のサポートをするのが優香達、その世界に住む普通の者ではない力を持ち、魔族に力の使い方を教育された魔術師達なのだ。
彼等は全て力の悪用を防ぐ為、ギルドと呼ばれる組織に所属し、その代わりに事件解決の度に協力金と呼ばれる報酬を受け取っている。
和也や太田もその魔術師。彼等は日常に潜む魔族絡みの事件を見つけ、破防班の調査に協力し、事件解決をサポートする。他にも優香の祖母、遥香のように破防班に住居を貸して生活を援助したり、新しい破防班のメンバーに、その世界の常識やルールを教える教育係もいる。
ふと、昨日太田の家で見た家族団欒の風景の友人の
お母さんがいて、お父さんがいて、お兄ちゃんがいて……。
優香も戸籍上は五人家族の二番目の子供だ。だが、彼女の両親は不可思議な力を持つ娘を疎み、同じ力を持つ祖母に五歳のとき彼女を預けた。以来、学校の入学手続き等、どうしても両親の手続きが必要なときだけ上京してくるが、手続きが終わるとさっさと逃げるように帰ってしまう。
良いな~。真奈ちゃんはお父さんが魔術師だから、いっしょに暮らせて……。
真奈の明るい笑顔を思い浮かべて小さく息を吐くと、モウンがピクリと太い眉を動かす。
「そういえば優香、留守中はどうしていたんだ?」
「んと、普段は家でアッシュが作り置きして冷凍してくれていた御飯を食べて、週末は和也さんのお家の人や太田さんが泊めてくれたの」
「そうか……。一週間も帰るのが遅れて悪かったな」
「ううん」
モウンの声が耳に優しい。太田の真奈に対する声と一つも変わらない声を聞いて、優香はにっこりと笑みを返した。
食事が終わり、綺麗に片付けられた座卓の上に、エルゼと玄庵の手で十分に封印の施されたハンカチの包みが乗る。
「これは……姐さん、もしかして血?」
ハンカチに散った茶色の染みをハサミで差してのシオンの問いに、エルゼが頷くと桜色の爪のついた細い指が結び目を開く。 中央に置かれたモノを再び見て、優香は隣のモウンの腕をギュッと握った。
「げっ!」
「これは……」
シオンとアッシュが小さく呻く。
そこには肌色のフェルト人形が置かれていた。大雑把に人の形に切られたフェルトを真っ赤な糸でかがってある。それに意味があるのか、もともとあまり縫い物はやらない人が作ったのか、 粗い不揃いの糸目が気味の悪さを煽っていた。 そして、人形の腹部にはハサミかカッターのようなもので縦に穴が開けられ、はみ出した綿の中に何本もの黒い細い糸のようなものが突っ込まれている。
「これは人毛ですね?」
アッシュの確認の問いに玄庵が頷く。「人の……髪?」シオンがヒクリと喉を鳴らす。
「二種類入っておるの」
「自分のモノと呪いを掛ける相手のモノだ……」
優香が和也から聞いた話を呟く。
「どれ、検分は済んだでの。これは上に出す証拠品として保管するかの」
甲羅を揺らして玄庵が立ち上がり、優香の視線を遮るようにハンカチを包み直す。 脇から黒地に金糸で複雑な保管呪文の縫い取りされた風呂敷を出すとそれで包んだ。
「では優香、今回の詳しい話をしてくれ」
モウンに促されて、腕から手を離すと優香は大きく息をついた。
「まず、この噂が流れたのは和也さんの高校なの」
和也の高校……山根市の東にある県立普通科高校の女子生徒の間に奇妙な噂が流れ始めた。人形の呪いと呼ばれたそれは、赤い糸でかがったフェルト人形に自分と呪いを掛けたい相手の髪を入れて、自分の血を垂らした布で包み、学校で一番古い木の根元に埋めると呪った相手に災いが起こるという不気味なものだった。
最も最初から和也がこれを気にしていたわけではない。女子生徒の間には定期的に、こういう都市伝説のような不気味なおまじないや呪いの噂は流行るし、ネットやSNSでどこからか拾ってきたものも多く流れる。 それに、自分の血を使うという点がネックだったのか、試しにと軽い気持ちでこれを実行する者もいなかった。ところが……。
「一ヶ月前、ちょうど五月に入った頃、和也さんの学校のサッカー部の男子学生が二階の窓から落ちて足を骨折したの。 本人は誰かに突き飛ばされたって言っているらしいけど、少し離れたところにいた目撃者の女子生徒の話では、そんな人影は全くなかったって。男子生徒は全治三ヶ月の怪我で初めてレギュラーになった夏の大会に出られなく なってしまって、その後、学校で一番古い銀杏の木の下に、何かが埋められていた跡があった。男子生徒は呪いの人形の呪いを掛けられたんだって噂になったのよ」
「ちょっと待って」
アッシュが優香の話を止める。
「確かに木の根元に何か埋められていた跡があったとしても、その事故がすぐに噂の呪いに繋がるのはおかしいんじゃないかな?」
「それがね……」
優香が顔を顰める。
「その事件があった直後、同じサッカー部でレギュラーから落とされた男子生徒が何故か急に学校に来なくなっちゃったの。家から一歩も出ないで、部屋に閉じこもっているって話で、それで、その男子生徒が呪いを掛けたんだってことになったのよ」
「人を呪わば穴二つ……だな」
モウンが低く唸る。
「もし、そのレギュラーから外された男の子が呪いを掛けたとしても、余りに呪いどおりにうまく行き過ぎて怖くなってしまったのかしら?」
ダークレッドの瞳を潜ませたエルゼの声に、玄庵がゆっくりと短い首を振る。
「他人を自分が原因かも知れんことで大きく傷つけて、そうそう知らん顔しておることは出来んかったということじゃろうの」
「他に事件はあったのかい?」
アッシュの質問に優香は頷いた。
「うん、同じ和也さんの学校で、今度はバスケットボール部のレギュラーに大抜擢された女子生徒が帰宅途中、突然かまいたちにあって腕を切られて、何針も縫う大怪我をして大会に出られなくなったって。 後、真奈ちゃんの学校で合唱部でコンクールにソロを歌う子が、急に熱を出して喉が枯れてしまったらしいの」
「で、その子達のライバルのような関係にあった子がおかしくなってるの?」
「そう、バスケットボールの子は、その子の大抜擢で補欠になった子が休んでいるし、合唱部の子は、やっぱり少し前までソロを歌うことに決まっていた子が休んで……休学して今は遠い親類の家で休養しているって」
「三件の事件に六人の犠牲者か……」
モウンが腕を組んだ。
「魔族だとしたら一件につき、二人を『破壊』出来る。おいしいことこの上ないな」
「もしかしたら、呪いを掛けた者にも何か働きかけをしているのやも知れませぬぞ」
玄庵が柔和な目を光らせる。
「呪い掛けた相手が苦しむ様や、自分を責め立てている悪夢を見せたりしましての」
「でしょうね」
アッシュが同意した。
「そういう手間隙を掛けてでも狙った犠牲者を壊すのは魔族の得意とするところです」
その様子を想像して、優香がぶるりと身震いする。
「今の時期っていうのもミソかも。調度、夏の大会のレギュラーや夏休みを利用したコンクールの選抜が行われるから妬みや恨みの元が出来やすいし。これから、この事件増えるかもしれませんね」
自分もまだ少年というのもあって、普段から少年少女の間に混じって遊んで……もとい調査しているシオンの意見に優香もこくりと頷いた。 現に、その後和也の学校では二つ、真奈の学校でも一つ、呪いの包みが埋められているのが見つかっている。 そして、今日優香の学校でも。魔術師がいない学校でも、まだ表立っていないだけで同様のことが起きているのかも知れない。
「よし」
モウンが膝をポンと叩く。
「優香、和也と太田に連絡を取ってくれ。本当に魔族の仕業か調べる為、詳しい調査をしたいから手伝って欲しいと」
「和也さんは良いけど、太田さんは魔術師じゃない真奈ちゃんが事件に関わるのを嫌がっているからなぁ~」
太田家の二人の子供は、二人とも父の力を受け継いでいない。当然といえば当然の親心にモウンが小さく苦笑する。
「じゃあ、太田には真奈から詳しい話を聞いて寄越すように伝えてくれ」
「了解」
優香は座卓の上に置いていたスマホを取り上げた。開いてメール機能を呼び出す。
「和也のところにはアッシュとエルゼが、太田の娘の学校には玄庵とシオンが向かってくれ。俺は優香と優香の学校を調べる」
「御意」
「了解」
メールを送信するとしばらくして、優香が好きなドラマの主題歌の着信音と共に返事が帰って来る。
「和也さんは夕方五時半頃、校門のところで待っているって、太田さんは今からもう一度詳しい話を真奈ちゃんに聞いてパソコンの方にメールするって」
「解かった。パソコンでメールを受け取ったらプリントして玄庵とシオンに渡してくれ」
「はーい」
スマホを片付け、部屋に向かう優香に、シオンが第一触覚を震わせて声を掛けた。
「じゃあ、優ちゃん、その間ボクにパソコン使わせてよ」
「ヤダ」
シオンの申し出を優香が速攻で断る。「え~!!」と非難する巨大ザリガニをむっと睨みつけた。
「だって、シオン。この前、私のパソコン使って、アダルトサイトを検索したでしょ!! 真奈ちゃんとネットで調べ物したとき、アダルトの広告ばかり出てきて、すっごく恥ずかしい思いしたんだから!!」
優香の悲鳴のような抗議の声に、地獄の底から響くような低い声が重なる。
「シ~オ~ン~」
ビクリとシオンの長い第二触覚が震えた。
「バッカモォ~ン!!」
ビリビリと空気が震え、障子がカタカタと鳴る。慌てて、居間の皆が耳を塞いだ。
「あれほど優香に悪影響を与えることは控えろと言っただろうが!!」
班長の怒りの特大雷にシオンが硬直する。
「そっ、それは……!!」
慌てて副長を見るが彼は「自業自得、しっかり怒られろ」と言わんばかりに涼しい顔をしている。班長の怒りを静める唯一の手段に見放されて、シオンは赤紫の瞳をキョトキョトと回した。
「だって……だって、仕方無いじゃないですか!! いつでも姐さんとヤレるアッシュさんや枯れている班長や玄さんと違って、ボクは健康な青少年な訳だし……」
ビキッ!! 音を立てて鬼の班長の黒いこめかみが盛り上がった。
「表に出ろ!!」
一喝の後、シオンの身体が吹き飛ばされたように夜の庭に放り出される。と同時に怒りの念だけで部下を弾き飛ばしたモウンが、下駄の音を立てて自分も庭に踊り出る。 夜闇に大声が響いた。
「誰が枯れているんだ!! 誰が!!」
「え~!! 怒るのそこですかぁ~!!」
「俺はまだ若い!!」
モウンの怒りの拳から、あたふたと逃げるシオンの足音が聞こえる。
「あ~あ、班長の一番のタブーを……」
「実年齢より年嵩に見えるということを実はかなり気にしておられるからの」
「あの怒りは、オレでも止めるのは無理だぞ……」
破防班の残り三人が庭に視線を送り、大きく溜息をつく。 優香が外を見て、座卓の三人を見てちょこんと首を傾げた。
「枯れているって何が?」
「ほっほっほっ」
亀の甲と年の功、玄庵がうまくとぼけて笑い、アッシュが困ったように優香から視線を反らす。
「優香」
エルゼが妖艶なサキュバスの笑みを口端に浮かべ、歳若い魔女に流し目を送った。
「……うっ……」
少女でも真っ赤になるほど艶やかな魅了の視線だ。
「それは忘れなさい」
「……は、はい」
優香が思わず頷く。
「さて」
エルゼは、いつものさっぱりしたお姉さんに戻ると立ち上がった。
「私、お風呂沸かしてくるわね。優香、後で一緒に入ろう」
「うん」
「優香ちゃん、さっきの中間テストを見せてくれるかな? 教科書と見比べたいし」
「はい。私はもう少し宿題があるからその後お願いします」
「どれ、じゃあパソコンは儂が借りるかのう。囲碁仲間と対戦しても良いかな?」
「良いよ。玄さん」
破防班の面々と小さな魔女がそれぞれの用事に散る。
「俺は落ち着いているだけで、老いてはいない!!」
「ひ~ん!! 誰か助けて~!!」
庭では、いつ果てるとも知れない喧騒が続いていた。
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