足錠
王子
足錠
天井近くにある採光用の丸窓以外は全て遮光カーテンが引かれていて、私が見ることのできる外の世界は、その丸窓から
この家、この部屋で、私と彼だけが息を
彼とその家族らしき三人の笑顔を閉じ込めたフォトフレームは、私がここに来た日にじっと眺めていたら、すぐに伏せられてしまった。彼らがこの家での暮らしを終えてから、どれほどの月日が経っているのだろうか。
「今日は俺の誕生日だから、ケーキでも買ってくる」
彼が立ち上がろうと体を前に傾けると、うなじに舞う蝶のタトゥーが見えた。
「それと、お前、今日ケーキ食ったら帰っていいよ」
ゆらりと立ち上がる。私を見下ろす彼の吊り上がった細い目は、意思を隠し
「本当に?」
彼がドアを押し、床にうっすらと光の筋が走る。
「俺が嘘ついたことある?」
軽々しい言葉だけを残して、ドアの向こうへ消えた。
彼の「逃げなければ普通に暮らせる」という約束は、確かに嘘偽り無く守られていた。「逃げなければ」の条件としてなのか、右足首と簡易ベッドの脚は足錠でつながれて、ドアには内鍵のダイヤル錠と外鍵のシリンダー錠が取り付けられた。
それでも、食べることも、シャワーを浴びることも、睡眠をとることも、テレビを見て笑うことも許されていた。お手洗いや浴室に行くときは、ベッドの脚から足錠を外して、長い
そして、彼がことあるごとに口にする「今日帰っていい」は未だに実現していなかった。
彼が簡易ベッドの上でうなされ、泣き声でうわ言を口走ったことがあった。
「なんで俺だけ」と消え入るようにうめいたり「ごめん。ごめん」としきりに謝ったり。小さく鼻をすすりながら「俺も乗っていれば、みんなと一緒に」と苦しげに言った途端、飛び跳ねるように体を起こした。
「俺、何か変なこと言ってたか」と訊かれ、私は「何も」と
彼は部屋を出るとき、ダイヤル錠の内鍵を外して、番号をそのままに、私の目の前で引き出しにしまう。足錠の鍵も同じ引き出しにしまう。私に見せつけるように。
こんな足錠、簡易ベッドを軽く持ち上げるだけで抜け出してしまえるし、ドアの一枚くらい蹴破るか、部屋の中にあるもので鍵を壊してしまえばいい。そもそも、あの外鍵は本当に
きっと彼は私を試しているのだ。信仰に近い期待が込められた足錠を、私が捨て去るかどうか。この
ドアが開いて、ケーキの紙袋を
紙袋から取り出された箱は正方形ではなく、細長かった。私の想像と違って、ホールケーキではなくロールケーキ。
二人で下手なハッピーバースデーを歌って、ロウソクが一本も刺さっていない、名前とかおめでとうのメッセージが書かれたチョコのプレートも乗っていない、素のままのロールケーキを切り分ける。
「今日は帰らないよ。多分、明日もね」
「本当か?」
「私が嘘ついたことある?」
私の足錠は、日々その重さを増しているような気がする。
彼の言う「今日帰っていい」は、当分実現しそうにない。
足錠 王子 @affe
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