第4章 ~因果の獣~
35.旅は道連れ
蒼穹の空に浮かびたなびく雲の下、海のようにどこまでも鮮やかな緑が広がる大草原。草原を走る風、その風が吹くたびに草が擦れる音、そして空を舞う鳥の鳴き声の三重奏が心地よい。
ここはウェールラント南大陸、川沿いの町リバーバンクから地方領主が住まう地方都市ウォルフゲートへと続く、人々が行き交う街道沿いに広がる草原地帯。
「はぁっ!!」
「うおらぁっ!!」
そして、その草原に自然からなる音以外の音が響き渡る。木がぶつかり合う乾いた音と同時に轟く気合の声。
平均的な五歳の子供の背丈ほどある草が生い茂る草原の中、草を踏みしめながら粗削りの木剣を振るう二人の男。片や背中にまで流れる長さの黒い髪を靡かせながら片手剣程のサイズの木剣を振るう青年、ルーナス。片やカッターシャツとズボンという身軽な服装で自身の肩ほどある長剣を模した木剣を振るう男性、祐樹。
祐樹が木剣を袈裟懸けに振るい、それをルーナスは一歩下がって回避、草を踏みしめながら祐樹に向かってルーナスが突進すると、祐樹はそれを構えて木剣で防ぐ。風のように素早いルーナスによる怒涛の連撃に対し、岩のように頑強に攻撃を防いで一撃に重きを置いた反撃を繰り出す祐樹。互いに一歩も譲らない一進一退の攻防が続き、木が木ぶつかり合っていくつもの破片が散った。
そんな状況がしばらく続いていたが、遂に軍配が上がる。
「ふっ!」
「うぉっ!?」
祐樹の薙ぎ払いをルーナスが屈んで回避、そして低い姿勢から身を捻っての水面蹴りが、祐樹の右脹脛を襲う。足に走る衝撃により、祐樹の身体が宙を浮く。そしてそのまま、重力に逆らうことなく腰から落下。柔らかい草の上に尻もちをつくこととなった。
「ってて! ……あ」
痛みに顔を顰めつつ、すぐに立ち上がろうとした……が、すぐ眼前に木の剣先が突き出されているのを認識し、動きが止まった。
「俺の勝ち、だな」
静かに言い放つルーナス。しばし無言だったが、祐樹は浮き上がりかけた尻を再び地面に下ろし、悔しそうに叫びながら草の上に身体を投げ出すように倒れ込んで天を仰いだ。
「かぁっ! ここまで実力があるとは思わんかったわ」
「まぁ、こう見えてそれなりの場数は踏んでるからな」
小さく笑うルーナスに、祐樹は右手を差し出した。
「さすがやなぁ。っと、すまんが疲れて立てんのや。手伝(てつど)うてくれ」
「……仕方ないな」
半ば呆れつつも、祐樹の手を取る。そして祐樹の体を引っ張りあげると、
「そぉい!!」
突然、天地がひっくり返った。
「っ!?」
ルーナスは何がなんだかわからず、背中から草の上に叩きつけられてしまう。草がクッションになったおかげで思いのほか衝撃は軽かったが、それでもすぐには起き上がれない。
「ガーッハッハッハァ! いっぽーん!!」
ルーナスの手を掴み、背負い投げをかまして投げ飛ばした張本人である祐樹は、高らかに笑って勝利宣言。混乱していたルーナスはやがて落ち着きを取り戻すと、いまだ掴まれていた手を振りほどいて起き上がる。
「チッ……卑怯な真似を」
「残念、ワシゃまだ降参したとは言うてへんぞー。油断大敵やなぁ坊主!」
舌打ち混じりに呟くルーナスに、どこ吹く風と言わんばかりに反論する祐樹。その姿はどことなく悪戯が成功して喜ぶ子供だった。
「そうか……だったら降参だと言わせてやる!」
「お、やるかやるかぁ? 第二ラウンドの開始や!」
木剣は投げ飛ばされた拍子に手から離れてしまったため、低い姿勢から突進するルーナス。それを迎え撃つ祐樹。
傍から見ればはしゃいでいるとしか思えない男二人。そんな彼らを草原に転がっている大岩に座って遠目から見守っている少女二人は、片方は呆れ、片方は苦笑していた。
「ったく、何やってんのかしらあの二人」
「アハハ……でも楽しそうですね、お二人とも」
革袋に入っている水を木製ゴブレットに注ぎ入れて一気に呷るサニアと、祐樹から預かったコートと上着を畳んだ状態で膝に置いて座るエリスは、上段回し蹴りを繰り出すルーナスと、それを危なげなく受け流す祐樹を眺めていた。
町を出る時、祐樹はルーナスに旅の道中に訓練をして欲しいと申し出た。祐樹が持つ剣は、祐樹が以前から握って来た武器とはまた違った毛色の物であって、いまだ不慣れなまま。このままではさすがに問題があると思った祐樹は、剣の扱いに長けているルーナスに特訓してもらえないかと相談した。
断る理由もなかったため、ルーナスも二つ返事で了承。そうして長剣による戦い方の基礎から始まり、そのまま各々の得物を模したルーナス手製の木剣を使っての模擬戦へと移った……のだが、現在はいつの間にやら格闘戦の訓練のようになってしまっている。
最初、二人が訓練用の木剣とはいえ武器を使っての戦いにハラハラしていたエリスは、いつでも大怪我した時用の貴重な傷薬を取り出せるようにと準備していたのだが、それもどうやら杞憂で終わりそうであると確信し、それでも軽い切り傷を治癒するための準備だけは勧めていた。
「ま、二人揃って大怪我さえしなきゃ、何しようとどうだっていんだけどね」
「……けど、意外です。ルーナスさんって、負けず嫌いなんですね」
口元を拭うサニアに、エリスは訓練を続ける二人を眺めながら言う。エリスとしては、ルーナスは悪い人間ではないが、感情の読み取れない冷たい人間という印象を覚えていた。実際、最初に会った時からクールな性格は変わらず、それでいてエリスが町の中で男たちに襲われた時に助けてくれた。その時は彼に感謝はしたが、躊躇なく剣を抜き放って彼らを切りつけたのを見た時は、感謝や安堵以前に僅かな恐怖を抱いた物だ。
しかし、今こうして祐樹と訓練……いつの間にか取っ組み合いみたくなっているのを見るに、そんな最初の印象とは違った部分が見えて、意外な一面が垣間見れたことに驚きを感じている。
「ああ、あいつね。実を言うと前に住んでた村でもあんな感じだったわよ。大体の人からすれば感情なんてないって感じな奴だけど、実は誰にも負けたくないっていう面もあるのよ」
「へぇ……」
かくいうサニアも同じような性格なんじゃないかと思ったが口には出さない。とはいえ、いつも冷静に、そしてどこか冷徹なまでに物事を見る彼にもそういった一面があることを知って、エリスは安堵した。
「いやぁ、いっつも私のことを子供扱いするんだけど、こうやって見るとホントあいつの方が子供っぽいわよねぇ? そう思わない?」
「え、えっと……」
そう笑いながら言うサニアに、エリスは何と答えればいいかわからず口ごもる。まぁ、見ている分には確かに今のルーナスはどこか年相応とも言えるかもしれないが……。
「大体私の方が一つ上だってのに、あいつったら全然私を年上に見ないし! もうホント、いつも子供扱いする癖してあいつの方が子供っぽグファッ!」
エリスに向かって相棒の愚痴を吐き出していたサニアの横っ面にブーツが文字通り飛んできてクリティカルヒット、大ダメージを受けて吹っ飛ぶサニアとその横で驚いて僅かに仰け反るエリス。
「……俺が年上と認める人間は、少なくとも俺を巻き込んで町中走り回ったりしねぇよバカ」
綺麗なフォームで履いていた右ブーツを投げた張本人のルーナスはそう吐き捨てる。割と距離が離れているにも関わらずに、吸い込まれるように飛んでいって見事命中させたルーナスの技術に感嘆すべきところだが、それよりもそんな距離からでも聞こえる鈍い音に思わず祐樹も「おぉう……」と引きつった顔を見せた。サニアのすぐ横にいたエリスも同様。
「……こぉぉぉぉんのぉぉぉぉぉぉぉ……」
吹っ飛んで岩から落ちたサニアは、ブーツがぶつかった頬を擦りながらゆっくりと起き上がる。額に青筋をいくつか浮かべながら、ルーナスが投げ飛ばしたブーツを掴んだ。
そしてそのブーツを、
「加虐趣味男ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
力いっぱい投げつけた。
「っと」
「ちょ、おま、バカ、ワシ盾にすぶふぁっ!!」
「逃げるなぁぁぁぁぁ!! 一発殴らせなさいよぉぉぉぉぉぉ!!」
ブチ切れて全力疾走をかますサニアから逃走を図るルーナス。そしてさり気なく盾にされて犠牲となった祐樹。草原には三人による騒音がしばらく響き渡ることとなった。
「あ、あははは……」
騒ぎについて行けず、仕方なく岩の上からギャーギャー騒ぐ三人を見守りつつ苦笑するエリス。いつも静かな森で生活していた身ではあるが、何となくこんな騒がしさが嫌いではなかった。
ふと、一人空を眺める。雲がゆったり流れる青い空と、暖かな光を放つ太陽、そして柔らかく吹く風。
風の音と草の音と鳥の鳴き声、あとついでにサニアの怒りの叫び声をBGMに、エリスはこうして四人で旅をしている理由について、二日前の出来事を思い返した。
「ほんっとぉぉぉに、ごめんなさい!!」
「……は?」
「い?」
宿屋『シルバーフィッシュ』の自室で、祐樹とエリスは町で購入した干し魚や水などが入った麻袋をバックパックに入れるために整理している最中、突如として訪問してきたサニアが二人の前で深く頭を下げてきたことで、その作業の手を中断せざるをえなかった。
何せ、この町の特産品でもある干し魚を、今後旅の間でどう調理していくかで祐樹とエリスは話に花を咲かせていたところを、サニアがノックもなしに部屋に飛び込んできて前振りなく叫びに近い謝罪をするのだから無理もない。二人揃って口を開けて間抜けな顔を晒してしまった。
「いきなりすぎだこのバカ」
「あごふっ!」
そんなサニアの下げられた後頭部を叩く、後から入って来たルーナス。衝撃でサニアは顔面から床に激突し、変な声を上げた。
「ったぁっ! 殴ることないでしょ!?」
「そんなことどうでもいいから、ほら。言うべきことがあるんだろ? 主語が抜けてて何言ってるのかわからないんだからさっさと言い直せ」
「この……いつかぎゃふんと言わせてやる……!」
抗議の声を上げる額を赤くしたサニアに向けて顎をしゃくり、聞く耳持たないとばかりの態度のルーナス。忌々しそうに彼を睨むも、それ以上は反論せずに改めて祐樹とエリスに向き直った。
「えっと……ほら、前にアンタを誘拐犯って決めつけて矢を撃ったでしょ? そのことでまだ謝ってなかったから、さ」
「あぁ、そのことか」
言われて、彼らとの出会いのきっかけが、彼女の勘違いによる暴走であったことを祐樹は思い出した。
「別にもうええんやで? ワシはもう気にしてへんからな」
「私も……ユウキさんを疑ったのはともかく、私のためを思ってくれたのは伝わりましたから」
言って、笑いながら手を軽く振る。今の今まですっかり忘れてしまっていた程だから、すでに彼女がしでかした一件については、今はもう気にも留めていなかった。エリスにしても、彼女が善意でエリスを助けようと思っての行動だとわかっていたから、許すも許さないもなかった。
「いや、でもさ……それだけじゃなくって、今回の事件だって、アンタたちのおかげで解決できたんだし……私とルーだけじゃ、どうしようもなかったから……だから、その……」
そう言って、サニアは両手を組んでもじもじする。目も逸らして「えーっと」と少し言いにくそうに口を噤んだ。
しばらくそうしていたかと思うと、おずおずと再び頭を下げる。そして出てきた次の言葉は謝罪ではなく、
「き、協力してくれて……ありがと」
口下手な彼女なりの、精一杯の礼であった。
最初、祐樹とエリスは彼女の赤面しつつの礼にきょとんとするも、少し笑いながら返した。
「なに、困ってる人を助けようとして最初に動いたのはお前さんやろ? ワシらは手伝っただけや」
「そうですよ。サニアさんが動かなかったら、取り返しのつかないことになっていたと思います」
事実、彼女が真っ先に動かなかったら、今回のマットの悪事を暴くことはできなかったかもしれないし、彼が凶行に及んで幼い子供が危険に晒されるかもしれなかった。そう考えれば、やり方はどうであれ、今回の事件はサニアの行動力がもたらした結果とも言える。
「けど、お礼は受け取るで。どういたしまして」
そんな彼女のお礼を、遠慮して受け取らないわけにはいかない。祐樹は笑いながら素直に受け取ることにした。
「うん……本当にありがとう」
祐樹の言葉に、サニアは少し赤面しつつも、嬉しそうにはにかみながら、謝罪と礼を受け取ってくれた二人に再び感謝の念を口にした。それを見て、やはり暴走癖があるものの、根は素直な少女なのだと、改めて祐樹は思う。
横で見ていたルーナスは何も言わなかったが、普段は冷たさを感じる彼の顔もどこか柔らかく見える。しかし、それもすぐに消え、いつもの無表情になると口を開いた。
「さて、と。話は変わるが、いいか?」
「おう、ええで」
サニアの用件は済み、次はルーナスが話を始める。
「事件が解決して、これで俺たちがこの町に留まる理由は無くなった。本来の目的地であるウォルフゲートへ向かうため、明日の朝にはこの町を出るつもりだ」
「お、そうなんか。ワシらも同じく明日には町を出ようと思っておったところや」
元々、休憩ついでに寄った町だったのが、サニアが暴走したために長居することとなった。その原因は無くなり、ルーナスとサニア、そして祐樹とエリスもまた同様、この町にいる理由は最早ない。当初の目的のために、早いうちに出発しようということになった。
ルーナスは話を続ける。
「……それで聞くけど、アンタたちはどこへ向かうつもりなんだ?」
「ワシらか? ワシらは西のアウトムヌーアへ行くために国の最西端の港町へ向かおうとしとるところや」
そう答える祐樹に、サニアが僅かに驚きの表情を見せた。
「アウトムヌーアって言ったら、テラリアでしょ? 何でまたそんなところに」
「えっと……色々用事があるんです」
サニアの質問に、エリスが少し目を泳がせながら説明をぼかす。説明しようにも、経緯がデリケートなために詳細を話すのは躊躇われた。
「すまんな、ちょっと説明しにくいねん。けど、大事な用事なんや」
そしてその経緯を知る祐樹としても、エリス同様に話すのは難しいと判断し、サニアにそう答える。当のサニアは気にはしつつも、それ以上に言及することはなかった。
ルーナスもまた、エリスの様子を見て事情があることを察してくれたのか、深く聞くことはしなかった。
「まぁ、俺たちも似たようなものだ。説明しようにも、色々と複雑でな」
「て言っても、実際は大した話じゃないんだけどねー。単なる届け物だし」
「届け物? 何や、配達でもしてんのかいな」
祐樹はそう疑問を口にしたが、ルーナスは「いや」と一言そう言って否定した。
「個人的に頼まれたものだ。単純に言えば、それを届けに行くのが俺たちの旅の理由だ」
「へぇ……」
何を届けるのか、というのは気にはなったが、普通に考えてそれを聞いたところで教えてはくれないだろう。と言っても、そこまで強い関心があるわけではなかったから、それ以上聞くことはなかった。
「すまん、話が逸れた。それで、港町と言えばウェスエラだな。でも船に乗るのならば、まず首都へ行かなければいけない」
「え? 何でですか?」
元より首都へは寄るつもりではいたが、船に乗るのに何故首都へ行かなければいけないのか。エリスが疑問符を浮かべた。
「アンタら、渡航許可証持ってるか?」
「……なるほどな、そういうことか」
言われ、祐樹は合点がいった。
渡航許可証。所謂|査証(ビザ)が必要なのだということだ。これに関しては、元の世界でも通じる話だった。査証が無いまま別の国へ行くと、密入国扱いとなってしまう。そうなっては元も子もない。
「渡航許可証を発行しているのは、首都にある役所だけだ。そこへ行かないと、船にすら乗れないぞ」
「えぇ!? そうだったんですか!?」
「え、そうなの!?」
「いや何でそっちも驚いとんねん」
「すまん、バカだからな」
何も知らなかったエリスはわかる。だが何故ゆえにルーナスと行動を共にしているサニアも一緒に驚いているのか。思わず祐樹はツッコんだ。ルーナスは呆れ半分、諦め半分でため息を一つ。
「……まぁ何にせよ、俺たちの目的地はウォルフゲート。アンタらとは途中まで目的地が一緒というわけだ」
話を戻し、ルーナスは再開する。
「そこで、だ。一つ提案がある。互いに目的地へ着くまでの間、一緒にパーティを組まないか?」
「パ、パーティ、ですか?」
ルーナスの提案、つまり祐樹たちの旅に同行するという唐突の話に、エリスが思わず聞き返した。
「ああ、アンタらと俺たちの行き先は違うが道は同じ。その間、危険がないとも言い切れない。二人よりも四人で行動した方が、安全性はグンと上がるはずだ。それはアンタらだけじゃなくて俺たちに関しても同様だ」
「ま、旅は吐き捨てって奴よ」
「道連れだバカ。口閉じてろ」
「にゃにをぉ!?」
見当はずれなことを言うサニアに毒を吐くことを忘れないルーナス。反論する彼女を放置して、話を進める。
「どうだろう? 無論、断ってくれても構わない。これはあくまでも可能であればの話だからな」
判断は祐樹たちに任せる、ということだろう。無理矢理ついていくということはしないようだった。
祐樹は腕を組んで少し考える。ルーナスの提案は、悪い話ではない、寧ろ渡りに舟とも言える。この先、祐樹とエリスだけで旅をするにしても、わからないことが多々あるし、何より黒装束の男たちの件もある。しかし、旅慣れしている二人が同行してくれることで、そういった脅威から防げる確率はグンと上がるはず。サニアはともかく、ルーナスは博識なところもあるのは大きい。
ただ、懸念すべきは、いまだ二人の素性が明らかになっていない、ということか。ルーナスの冷静にして場慣れした戦い方は、一朝一夕で身に付けられるものではないし、まだ若い筈なのに年齢不相応のあの目つきも少々気にはなる。サニアも同様で、正確は置いといて、弓の技術は確かなものだ。旅の間で鍛えられたとも考えられるが、それも想像の域を出ない。
完全に信用するには、謎なことが多い。しかし、二人の人となりをこの短い期間に見て来た上、エリスを助けてくれた恩も感じている祐樹としては、信じたいと思う自分がいることもまた事実だった。
「……エリス? お前さんはどうや?」
悩む祐樹は、エリスへ話を振る。唐突に聞かれたエリスは「ふぇ?」と素っ頓狂な声を上げた。
無論、自分がわからないからと祐樹はエリスに話を振ったわけではない。この旅は、祐樹だけの旅ではない。旅の相棒として、エリスの意見も仰がなければいけないと判断したまでだった。
「え、えっと……私は……」
そんな祐樹の思惑を余所に、エリスは考える。数十秒に満たない間の後、エリスは意を決したかのようにサニアとルーナスを見やる。
「私は……その、お二人と一緒に行っても問題ないと思います」
以前、暗闇で男たちに襲われた際、サニアとルーナスによって窮地を救われた。そういった経緯もあり、エリスの中では彼らに対する疑念はほぼ無いと言ってもいい。それに、この町で行動を共にしたというのもあるが、年が近い人間とこうして接することが今まで無かったために、エリスは二人のことをもっと知りたいと思っていた。故に、ここで別れるというのはあまりにも寂しい。
エリスが考えた末の発言であることを理解した祐樹は、小さく「そうか」と頷き、再びルーナスへ顔を向けた。
「ワシとしても、お前さんらと一緒に行くことに関しては異論はない。ただまぁ、知っての通りワシらは世間知らずな面もある。そこんとこは大いに見てくれんか?」
懸念は、ある。しかし、この世界を旅するには頼れる人間が一人でも多くいた方がいいのは確かなことだった。もしものことがあれば……というのは、今考えたところでどうにもならない。
安直な考えかもしれないが、今は二人を信じることにする。それが祐樹が出した結論だった。
「ああ、心配するな。俺たちも知っている限りのことは教えていくさ」
口の端を吊り上げて、ルーナスはニヒルに笑う。やはり見た目よりも精神が成熟しているとしか思えない笑い方だった。
「ありがとうな。改めて、よろしく頼むで?」
祐樹は右手を差し出し、ルーナスはそれを見て自らも手を出して祐樹の手を握り、硬く握手した。
「こっちこそ、よろしく。アンタの実力は間近で見たから、そっちの方は頼りにしてるぞ?」
「おいおい、おっさんに期待しすぎんなやぁ?」
軽口を言って、祐樹は笑った。
「私もよろしくね、ピエリスティア」
隣では、サニアがエリスに向けて同様に手を差し出していた。その手をエリスはおずおずと掴み、握手する。
「は、はい……よろしくお願いします、サニアさん」
「あぁあぁ、堅っ苦しいのは無し無し。気軽にサニーって呼んでくれていいわよ。寧ろそっちの方がいいわ。そん代わり、私もアンタのことエリスって呼ぶけど、いい?」
「え? あ……は、はい。じゃあ、改めてよろしくお願いします、サニーさん」
「ん、よろしくねエリス」
他者より一歩引くタイプのエリスに対し、サニアはぐいぐいと距離を詰めていくタイプという真逆の性格の二人。エリスはまだ不慣れなようだが、あの様子だと打ち解けるのも時間の問題だと祐樹は思っていた。
「さ! じゃあ新しい仲間もできたことだし!」
話が一段落ついたとばかりに、サニアがぱちりと手を鳴らした。そして笑顔で言う。
「これから酒場でお祝いついでに鋭気を養うわよぉ!」
「おいちょと待てや。酒場ってお前……」
まだ20にもなっていない少女が酒場へ繰り出そうというのを聞き、祐樹は思わず止めようとした……が、ここで一つ気になることが。
「そういやこのせか……国ではいくつから飲酒が許されるんや?」
祐樹がいた世界とは法律が違うこの世界。日本では飲酒が許されるのは20歳からだが、この世界ではどうなのだろうかと、ルーナスに聞いてみた。
「ん? 15歳からに決まってるだろ」
(あかんがな)
日本ならば未成年という年齢から飲酒OKだった。どうもこの世界では飲酒に関する価値観が違うらしい。何を言ってるんだと言いたげなルーナスの目を見て、祐樹は内心で愕然とした。
「ま、安心してくれ。俺が止める。あいつの酒癖の悪さは俺がよく知っているからな」
「……すまん、任せた。というより頼むで。エリスが酒飲まされる前に」
ハイテンションで「飲むわよー!」と叫んでいるサニアと、そんなサニアに肩を組まれてあわあわしているエリスを見ながら、祐樹は世界の文化の違いというものを目の当たりにしてため息をついた。とりあえず世界の文化は違うとわかってはいるが、エリスには酒を飲まないよう注意しておくことにした。
その日の晩は、事件の時に騒がせたお詫び、そして世話になったお礼ということで、マーサが酒場を貸し切ってくれたおかげでどんちゃん騒ぎ……というより、一人騒いでいたサニアをルーナスが思いっきりアイアンクローで黙らせたり、この世界に来て初めて飲んだ酒に祐樹が舌鼓を打ったり、エリスがサニアに酒を勧められそうになったり(直後にルーナスと祐樹の鉄拳が飛んだ)と、なんとも賑やかな物となったのだった。
「……今思えば、あんなに騒いだのって初めてだったなぁ……」
意識を昨日から現在に戻し、再び草原で暴れている三人を見る。サニアがルーナスに掴みかかろうとするも、スルリスルリと身を躱されて怒り狂ったり、その近くで飛んできたブーツを顔面に受けていまだに悶絶している祐樹がいたりと何気に阿鼻叫喚な光景になっている。
元々森で暮らしていたエリスは、どちらかというと静かな方が好きだった……というより、騒がしい事を経験したことが、生まれてこの方片手で数えられる程度しかなかったし、酒場で大騒ぎするということ自体など、初めての経験だった。
正直、物静かなエリスにとって、その場のテンションについていくのもやっとだった。
(けど……)
「おーいエリスー!」
物思いに耽るエリスだったが、それは遠くから呼ぶ声によって中断を余儀なくされる。声の方を見れば、ルーナスとの取っ組み合いをやめたサニアが手を筒にしてエリスを呼んでいた。
「アンタも一緒に特訓するわよー! 私がビシバシ鍛えてあげるからー!」
サニアによる特訓。それは、町を出る前に祐樹がルーナスに頼んだと同様、エリスもまた自らが願い出たことだった。
夜中に追い回され、路地裏で追い詰められた時、エリスは自分がいかに無力かを思い知った。それを少しでも払拭しようと、同性で戦闘経験もあるであろうサニアに、旅の道中で特訓して欲しいと頼み込んだ。最初は少し悩んだサニアだったが、最終的にはOKをもらった。祐樹はというと、それでエリスに降りかかる危険を少しでも払えたらということで賛同してくれた。ルーナスは……ノーコメントだった。
「こんなのに鍛えられるのも遺憾だと思うが、頑張ってくれ」
「おい、今こんなのっつった? 今こんなのっつったかこんにゃろ」
「お前らええ加減に喧嘩やめぃ」
しれっとサニアに毒を吐くルーナスと、その横で鼻を抑えながら呆れ顔で窘める祐樹。ギャーギャー騒がしい三人を見て、エリスはクスリと小さく笑った。
「はい! 今行きます!」
その騒がしい中に、自分も入って行く。何とも不思議な気持ちを味わいながら、エリスは座っていた岩から飛び降り、三人の下へ草を踏みしめながら駆けて行く。今はこの騒がしさについていくのに精一杯。だが、エリスはこの騒がしさが何だか嫌いにはなれなかった。
ここら一帯の地方を治める領主が住まうウォルフゲートを目指して歩く一行を包むように吹く、優しい風。しかしてその風はやがて、町に近づくにつれて不穏な空気を纏い始めることを、この時の彼らには知る由もなかった。
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