襲撃
『ねぇ、慎悟の友達にブルース・リーみたいな素敵な人っていない?』
『…ブルース・リー……ちょっといないかなぁ…』
笙鈴の理想の人を聞いた慎悟が苦笑いしていた。彼氏募集中の笙鈴はあわよくば紹介してもらおうと思ったのだろうが、残念ながらいないらしい。
香港スターのブルース・リー。亡くなって数十年経過しても尚、知名度のある武闘家みたいな人間がその辺にいるはずがない。いたら有名になっているはずである。
絶賛彼氏募集中の笙鈴は『強い男に守られたいなぁ。どこかにいい人いないかなぁ』とため息を吐いていた。
彼女は別の方向で理想が高すぎるのだ。それならばプロレスラーとかボクサーとかのほうがハードルが低い気がするのだが……ブルース・リーのような人ときた。カンフーの達人じゃなきゃダメなんでしょ?
彼女は自分よりもか弱い男はお気に召さないようだ。
『ジャッ○ー・チェンじゃだめなの?』
『ジャッ○ーはお笑い担当と言うか…彼もすごいけれど、なんというか見ていてときめかないのよ』
『そっかー』
私から見たら両方とも達人レベルにすごいと思うんだけど、笙鈴から見たらまったく違うらしい。
『笙鈴…あぁエイミー、この間ぶりだね!』
『こんばんは浩然さん』
笙鈴のお兄さんである
アメリカンな挨拶を交わしていると、横から刺さるような視線を感じた。
慎悟である。
おい、なんだその浮気者を咎めるかのような視線。ここはアメリカだぞ。受け入れなきゃ失礼ってものだろうが。
私をハグしたままの浩然さんも慎悟のツンドラな視線に気づいたようで、首を傾げていた。
『あれ…エイミーの彼氏?……残念だなぁ。エイミーのこと狙ってたのに』
にっこり笑って浩然さんは冗談を言っていた。
まーたそんな冗談言って。私が笑い飛ばそうとしたら、強めに身体を引っ張られた。
『婚約者ですけど何か? …彼女にベタベタ触らないでもらえませんかね…』
『冗談だって、そんな怖い顔しないでよ』
ヤキモチ焼きの慎悟は我慢できなかったようで、私と浩然さんを引き剥がしていた。私は慎悟の腕に拘束される。慎悟の顔を見上げようとしたけど、背後からキツく抱きしめられているので首が動かせない。
恐らくひどく不機嫌な顔をしているんだろうなと想像できた。浩然さんてば初対面の慎悟をからかっておちょくるとは…大人げない人だな。
『仲いいねぇ、エイミー可愛いから心配が絶えないでしょ?』
『お陰様で』
からかわれているとわかった慎悟であるが、浩然さんへの警戒心を露わにしている。
「ヤキモチやくなよ……グェッ」
お腹の前に回っている慎悟の腕をポンポンと叩いて安心させようとすると、その腕に力が込められた。
おい、何をするんだ。まだお腹に何も入れてないからいいものの、食べ物が入っていたらマーライオンになっていたかもしれないよ!
慎悟の腕をほどいて振り返ると、慎悟は不貞腐れたような顔をしていた。
「なんだよもー、そんな顔しないの。ハグは挨拶代わりなんだから仕方ないでしょー?」
「それでも嫌だ」
「慎悟だってハグするでしょうが」
「親しい友人としかしない。笑さんとは違う」
「こら、人を尻軽扱いするんじゃないよ」
全くもう、大人が拗ねるな。慎悟くんはいくつなんだ? ん?
グリグリと慎悟のほっぺたを両手で挟んで捏ねてやると、慎悟に両手を掴まれて阻止された。
『あーあ、いいなぁー私も素敵な人と出会いたーい。ブルース・リーみたいな人がいいなぁ』
『お前の場合はもうちょっと条件を下げなきゃな』
『うるさいわよ、兄さん』
笙鈴に冷やかされてしまった。
だけど笙鈴、お兄さんの言っていることは間違ってないよ。ブルース・リーのような人間って今の時代存在するかも不明だしさ……
『…? 笙鈴、どうした?』
浩然さんが妹の異変に気づいたようで声を掛けていた。私が笙鈴を見ると、彼女はどこかを見つめていた。
彼女の視線を追ってみたけど、そこはパーティ会場の裏口に繋がる扉があるだけ。人らしい人はいなかった。
『…うぅん、なんでもない』
笙鈴はなにもないと言っていたが、彼女の表情はなんだかスッキリしない顔で、その後しばらく警戒した様子で周りを監視していたのである。
■□■
『本日は有意義な時間をありがとうございました』
『こちらこそ来てくれてありがとう。是非ともお父上によろしくお伝えを。機会があればうちの商品を紹介させていただきたい』
パーティは終盤を迎えた。
夜も遅い。車を呼んで家に帰ることにした私と慎悟は、パーティの主催者に挨拶して帰宅することにした。ご両親らしき主催者に慎悟がお礼を言っていたので、合わせて笑顔で会釈する。中華系の顔立ちをしているが、彼らは中国系アメリカ人なのだそうだ。
今までずっと日本にいたから意識してなかったけど、世界って広いね。セレブはセレブでも雰囲気が違うもの。主催者夫妻はすっごいごっつい指輪つけてて、殴られたら痛そうだ。
『…ステファニーさんはどちらに? ずっと姿が見えないのですが…』
『あら…そうねぇ、あなたご存知?』
『また抜け出してるんじゃないのか? 全く、ステフはいつまで経っても子ども気分で…』
招待してくれた相手だから挨拶がしたかったと言う慎悟の言葉で気づいたとばかりに、夫妻は首を動かして娘の姿を探していた。そういえば、主催者の娘だとはじめに紹介されたあの女の人を見かけないな。自分の家のパーティなのにな……アメリカはその辺自由なのかな。
まぁ、慎悟と同じ大学だって言うからまたどこかで会えるだろう。
特に深く考えることもなく、私達はパーティ会場を後にした。
この辺は道が狭く外灯もないが、どこからか漏れる灯りで道が照らされていた。会場付近は駐車スペースがなかったので、呼んでいた車は大通りで待機しているらしい。そこまでは徒歩で歩く。
アメリカに行くに当たって移動手段の問題にぶつかったが、慎悟は国際免許を取得したので基本的に車移動、私に至っては学校に近い場所(一駅先)に部屋を借りたので地下鉄通学である。
夜に一人で人気のない場所を歩かなければ、そうそう危険な目には遭わない。
──その、はずだった。
『おい、待ちな』
『ちっこい女。ガキみてぇだな』
『金もらってんだ。サッサと済ませるぞ』
ザッとどこからともなく現れたガラの悪い男ども。アメリカの典型的なギャング気取りの若者って感じである。奴らはニヤニヤ笑いながら私達に近寄ってきた。
慎悟ははっとして私を後ろに隠したが、相手はそれを嘲笑するように笑っていた。
『おいおいナイト気取りかぁ? そんな細腕で守れるのか?』
『…何が目的だ。金か?』
挑発をされた慎悟は声を押し殺すようにして問いかけた。
日本と比較するとアメリカは治安が悪い。それはわかっていた。特に身体の小さな日本人は格好のカモになること間違いなしだ。
身ぐるみ剥がされてしまうのかと震えた私は慎悟の腕を掴んだ。
『いいや? …そこの女を置いていってくれたらお前には何もしない』
『断る』
即答である。こころなしか慎悟の雰囲気が重くなったように感じる。
なるほど強姦目的…って私が狙われてるのかよ! 恐ろしいな! エリカちゃんの美貌はアメリカでも光り輝いているのか。美しいって罪である。
『彼女には手を出させない』
『強がっていられるのは今のうちだぜ?』
『痛い目見る前に降参しておいたほうがいい』
こっちは2人で、あっちはガタイのいい男が3人だ。走って逃げようかと思ったが、動くのはあっちのほうが早かった。背後に回ってきて慎悟から私を引き離すと羽交い締めにされた。
「あっ!」
ひとりに羽交い締めにされ、もうひとりが私の正面に立ってニヤニヤ下卑た笑みを浮かべていた。
拘束を振りほどこうと暴れてみたが、無理そうである。
「笑さん!」
慎悟が柄になく悲鳴のような声で私の名を呼んだ。慎悟は身体が二回りくらい大きい男に両腕を掴まれて必死に抵抗しているが、力が敵わないみたいだ。ニヤニヤと笑うムキムキマッチョマンに抑え込まれている。腕を握り込まれて、痛みに表情を歪めていた。
『やめろ! 彼女に手を出すな! 金ならいくらでも出す!』
『悪いな、俺らも頼まれてるんだわ。この女をヤッちまえってな……だけど、俺はお前でもいいんだぜ? きれいな顔だな……お前だったら男でもいけそうだぜ…』
そういってマッチョマンは慎悟の頬を鷲掴みにして顔を近づけていた。慎悟の美麗な顔が恐怖に彩られた。
『やめろ…!』
『痛いのは嫌いだろ? …ナメるなよ、俺はボクサーなんだ。お前みたいな華奢な男なんか片手で抑えられるんだ。…痛いのが嫌なら、おとなしくしておいたほうがいい……』
何を思ったのか、男がべろりと慎悟の鼻を舐めた。
そう、舐めたのだ。
慎悟は屈辱に顔を歪めていた。
……なんてことを!
『や、やめ…』
『女を傷つけられたくないんだろ? ならお前が女役をすりゃいいだけの話だ』
慎悟の首元のネクタイを引っ張って脅す襲撃者。慎悟の表情はこわばっており、その目は迷っていた。
慎悟が女役? ……何を馬鹿なことを言っているんだこの筋肉ダルマ。
アメリカでもなるべく短気な私がハローしないように抑え込んできたが、それとこれとは別である。私の目の前が真っ赤になった。目の前の光景に私の感情がドーンと爆発してしまったのだ。
私はカッと目を見開くと、毎日筋トレで鍛えている黄金の右足を振り上げた。
「うらぁぁぁぁっ!!」
『ぐぁぁっ』
ゲシッと蹴り飛ばすと、カエルが潰れたような声を上げて目の前の男が崩れ落ちた。その声が周りの石造りの建物に反響する。
目の前に立っていた別の襲撃者のお股を蹴ってやったのだ。
ハハッ情け容赦なく蹴り飛ばしてやったぜ!
「慎悟に手を出すなァァー!」
ファッ○ュー! と咆哮を上げると、持っていた小さなかばんを振り回した。ガツッと何かにぶつかった。後ろにいた男の顔面にヒットしたみたいだ。
『この女っ暴れるな!』
『ふざけんなアメリカン! 私の婚約者に手を出すなんざ100万光年早い! 私がターゲットなんだろう!』
私は後ろにいる男の拘束から逃れて、慎悟を助けに向かおうと地面を蹴った。
だけど足首をガシッと掴まれ、つんのめる。
お股を抑えてうずくまっていた筋肉ダルマが私の片足首を掴んで妨害したのだ。
『このクソ女ぁぁ…許さねぇぞ…!』
『離せ! マザーファッ○ー!』
ピーと規制音が入りそうなスラングを吐き捨てながら私は抵抗した。動く足を力いっぱい振り上げてゲシゲシと蹴り飛ばす。
ふざけんな、日本人ナメんな! バレーで鍛えた、筋トレで鍛えた足をナメるな!!
慎悟は私のものだし、誰にも手出しさせない、この私が許さないんだからな! もっと蹴り飛ばしてやってもいいんだぞ!!
恐怖を凌駕した怒りをこめて、ボコボコと足での攻撃をお見舞いしてやった。
『この女ぁ…おとなしくしろっ』
そうだ、後ろにもいたんだ。
振り返ると、握られた拳が見えた。
今に振り下ろされる腕。だけど足首を掴まれていて、動けない。避けられない。
──殴られる…!
「笑さん!」
慎悟の悲鳴がやけに遠くに聞こえた気がした。
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