自称ボクサーVS自称守られたい女


『ホーアタァーアチョー!』


  ──鳥?

 暗闇から飛び出してきたそれに私は刮目した。鳥と錯覚したけど、現れたのは人間だ。彼女はどこからともなく現れて、私を殴ろうとしていた男の腕を払い、ボコボコボコと連続攻撃を放った。

 相手に反撃の機会すら与えない攻撃。ドレスにヒールの靴をはいているとは思えないくらい軽々とした身のこなし。まるで、本場のカンフーシーンを見ているようだった。


『な、何だお前!?』

『アタァーッ』

『グアッ』


 続いて慎悟に手を出そうとしていた男に掌底をお見舞いしていた。薙ぎ払いで相手の手を振り払うと、人間の急所を的確に突いてあっという間にダウンさせた。


『口ほどにもないわね!!』

『しょっ、笙鈴!?』


 ペカーッといい笑顔で仁王立ちする彼女を見た私の声は裏返った。

 いつもニコニコ笑顔の笙鈴がまるで、亡き香港スター、ブルース・リーのようであったからだ。


 瞬殺だ。

 先程までの絶体絶命の状況が一瞬で逆転した。

 今の私の身体よりも一回り大きな笙鈴だが、自称ボクサーのアメリカンに比べたら華奢な女性である。それなのに、筋肉ダルマ2体をボコボコにのしてしまったのだ。

 驚かないわけがない。


「笑さん!」


 呆然としていた私にガバァッと慎悟が抱きついてきた。その体は震えており、声にも動揺の色が含まれていた。


「! 慎悟、大丈夫!? 怖かったね!!」


 慎悟の背に腕を回して撫でてやる。

 見ず知らずの男に顔を舐められて怖かったね。まさか男なのにと思ったのだろう。男でもあれは普通に怖いわ。男も女も関係ない。

 ファビュラスでマーベラスな婚約者様の美貌は万国共通。男すら引き寄せる罪な男よ……最悪の事態にならず良かった。

 ぐりぐりと慎悟から首元へ顔を擦り付けられた。くすぐったいが、それほど怖かったのだろう。黙ってそのままにしておいた。


 その間に笙鈴がどこかに電話していた。彼女の足元に転がる男はうめき声を上げている。笙鈴が攻撃したうちの一人は手の指が変な方向に曲がっている。…彼女が罪に問われたりしないであろうか……

 通話を終えた笙鈴が顔を上げてこちらを見ると、いつものニコニコ笑顔を浮かべた。


『ふたりとも無事で良かった!』

『ありがとう。笙鈴、強いね!』

『助かったよ…ありがとう』


 私と慎悟がお礼を言うと、笙鈴は自慢げな笑みを浮かべていた。


『女も強くなくてはと幼少期から中国武術を習わされたの』


 フンッと力こぶを作るかのように筋肉を見せつける笙鈴。

 十分強いのに、守られたいのか笙鈴。これだけ強ければ、男側が自信喪失するのも仕方ない気がするな…


『気になったことがあったから追いかけてきたけど、間に合ってよかったわ』

『気になること?』

『2人を嫌な目で睨みつけている女がいてね、気のせいかなと思っていたんだけど、どうにも嫌な予感がしてね』


 女……?

 誰だそれ。

 私と慎悟は顔を見合わせたが、思い当たるフシがなくて、お互いに首を傾げるだけで終わった。


 その後騒ぎを聞きつけた笙鈴の兄・浩然さんが現場にやって来て、それと同じくらいのタイミングでポリスメンも到着した。赤と青のパトランプが暗闇に輝いていた。


『兄さんはポリスに知り合いがいるの。後のことは任せて!』


 劉兄妹のおかげで簡単な事情聴取だけで済んだ。慎悟が消沈していたので私が代わりに被害を訴えていると、ポリスメンが慎悟を見て「あぁ…」と妙に納得していた。

 おまわりさんにもわかるか、この罪な美貌を。慎悟はポリスメンからの同情の眼差しを受けて死んだ目をしていた。


 襲撃者たちはお縄につき、後のことは劉兄妹が片付けてくれるという。犯人は誰かに頼まれたとか言っていたが、その辺は今から詳しく洗い出すのであろう。

 慎悟のメンタルも心配なので、私達はお言葉に甘えて車に乗って帰宅した。




 車の中で慎悟はうなだれていた。

 ひどく落ち込んでいる様子だったのでワシワシ頭を撫でてあげたら、慎悟がぽつりと「守れず不甲斐ない」とつぶやいた。


「何いってんの、あんなの普通の一般人はかなわないよ。ましてや私達は格闘技経験もないんだし」


 別に私は守って欲しいわけじゃないし、慎悟のことを責めたりしてない。

 運が悪かったと思うしかない。

 大体笙鈴が気になっていた女ってのは誰なんだ一体……


「中国人が強いってのは都市伝説のようなものだと思っていたのに」

「笙鈴は香港人だよ。中国人と一緒にされると怒っちゃうよ」


 その辺プライドがあるみたい。

 人種は同じでも、国は違うみたいなプライドがね。中国なのは変わらないけど、自治区だし、イギリスに統治されていたこともあって…まぁなんか色々あるんだろう。

 いやでも私も驚いたよ。彼女がブルース・リーファンなのは知っていたけど、あそこまで強いとは思わなかった。今度お礼しなきゃ。


「……武術とか習おうかな…」


 慎悟の血迷った発言に、私は彼を二度見した。

 武術。

 この美青年が?

 スポーツ系の部活もしたことのない慎悟が??


「武術は一日二日じゃ身につかないよ。頑張れるなら応援するけど、道のりは長いよ?」


 スポーツ習うのとは訳が違うからね。

 武術は人を傷つける可能性のあるものだ。取り扱いに気をつけないといけないし、心構えも全く変わる。

 慎悟が本気ならこれ以上何も言わないが、勉強と掛け持ちしていたらそのうち体壊すぞ。慎悟の場合勉強量がものすごいんだから。そもそも一日二日じゃ強くなれんぞ。

 私に言われずともわかっていたのか、慎悟がため息を吐く音が聞こえた。


「…彼女と笑さんが親しくなった理由がわかった。脳筋だからだ」


 貞操の恩人に向かって何を言ってるんだ。笙鈴が強くなかったら、今頃慎悟は薔薇の世界を味わっていたんだぞ。もっと感謝しなさい。


「こら、悪口はダメだぞ悪口は。笙鈴カッコよかったじゃないの」

「…自分が情けない…」


 ずりずりと私の肩に頭を預けた慎悟は沈んだ声を出していた。

 男なら彼女を守るべきって固定観念に囚われているのか? もしそうならそれはとんだ自意識過剰だ。私は守られるために慎悟と一緒にいるんじゃないんだぞ。


「私は守られるだけの女じゃないってわかってるでしょ? そんなに落ち込まないで…」


 運転手さんの目を盗んで、軽くキスして慰めてあげた。車内は暗いから見えないだろう。

 慎悟が守ろうとした心意気はわかっているよ。撃退は出来なくとも、その気持だけで十分伝わった。

 慎悟だってスーパーマンじゃないんだから時には負けることくらいあるでしょ。今回は笙鈴に助けられて無事だった、運が良かった。それでいいじゃないか。

 もう怖いことはないんだぞ。


 私からキスをされるがままだった慎悟の腕が私の身体に回された。彼の身体はもう震えていなかった。


「…家に帰ったら、沢山甘やかしてあげる」


 お互いの息が届く距離で慎悟の瞳を見つめて言うと、慎悟の瞳が揺れた気がした。

 私は彼の背中を撫でてあげながら彼の唇にキスを贈った。


 慎悟が心折れたときは私が支柱になる。そういったでしょ。

 沢山沢山甘やかしてあげるから早く元気になりなさい。

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