アメリカ留学編
溺愛【三人称視点】
ピンクのグラデーションで彩られた爪が、青年のジャケット越しの腕をなぞった。その触り方はどこか官能的に映った。
『ねぇ、シンゴ…この後2人でどこかに消えない?』
音楽が鳴り響く一室。ソファに座ってグラスを傾けていた青年の耳元で内緒話をするかのように女は囁いた。
艷やかな黒髪が女の肩を流れ落ちる。切れ長の瞳を細め、蠱惑的に微笑むその女は自分の魅力を知っていた。こうして耳元で囁やけば男をカンタンに転がせるということを。
薄暗い部屋の中央ではカラフルなライトが煌めいている。ここはクラブなのだが、高い会費が必要になる会員制のクラブであった。留学先の大学で知り合った友人に誘われて出向いてみたら、知らない女たちがいて……いわゆるアメリカ流の出会いの場へ連れてこられたのだと気づいた青年…慎悟は心底ゲンナリしていた。
友人からしてみたら夜の世界でちょっと火遊びしようぜというお誘いだったようだが、硬派な慎悟には余計なお世話だったのようである。それで彼はずっと壁の花として静かに酒をちびちび舐めていたのである。
そこにすり寄ってきた女は東アジア系の女に見えたが、日本人ではない。恐らく中華系である。西洋人受けしそうな顔立ちの彼女は火遊びのお誘いをしてきたのであろう。
だが慎悟はそれに鼻を伸ばすことなく、冷静に返した。
『…悪いけど、俺には心に決めた人がいるから』
そう言って女の手をあしらうと、彼はソファをゆっくりと立ち上がった。
フロアを見ると、男女が入り乱れて踊っていた。人工的な香水、女の化粧品、酒、人々が密集して作り上げられた匂いに酔いそうになっていた。
ここは空気が悪い。
そもそも慎悟はやかましい場所があまり好きではなかった。適当に話をつけてここを出ようと決めた。
一緒に異国の地へ留学してきた彼女は今頃勉強でもしているのであろうか。アメリカの語学学校でできた友人とボイスチャットでもして英語の特訓でもしているのかもしれない。
こちらでは安全面を考えて、セキュリティ万全のマンションを借りて住んでいる。学生の身分で婚約者同士ということで部屋は別だけど、隣の部屋同士。お互いの家を行き来して、夜は同じベットで休むのでほぼ半同棲状態とも言える。
もう夜も遅いから彼女は寝てしまってるかもしれないけど、寝顔でもいいから彼女の顔がみたいと思った慎悟は、女の腰に腕を回して鼻を伸ばしている友人に「帰宅する」と伝えるとすぐに車を呼び、そのまま真っすぐ帰宅していった。
──慎悟に素気なくあしらわれた女はじとっと彼の後姿を見つめ続けていた。
その表情は屈辱と不満でいっぱいになっていたのである。
■■■■■
「…部屋にいないと思ったら」
合鍵で彼女の部屋に入ると、そこは真っ暗でもぬけの殻だった。まさか外泊でもしているのか? と首を傾げながら自分の部屋に帰ると……いた。
彼女は慎悟が使っているベッドの真ん中ですやすやと眠っていたのだ。完全に熟睡しているようで、扉を開けた音には全く反応していないようだ。
慎悟は音を立てないようにベッドの端に座ると、彼女の寝顔をじっと見つめた。ベッドの傍らには語学学校のテキストが投げ出されており、途中まで頑張っていた痕跡が残されていた。それを見て慎悟は小さく笑った。
見知らぬ土地に一緒に来たはいいが、自分とは違う学校にいる彼女は大丈夫かと心配であった慎悟であったが、それは全くの杞憂であった。
ある日突然、“エリカ”に憑依して見知らぬ環境に自力で馴染んだ彼女のことだ。多少言語に困っても、持ち前のポジティブさですぐに友人を作った。日本語以外の母国語を操る人間たちに囲まれて過ごせば、水を得た魚のように彼女はドンドン吸収していった。当初の拙い英会話能力が嘘のように、意思疎通出来るようになったのだ。
今では仲のいい友人とカレーパーティを開いて楽しそうに過ごしているくらいである。
慎悟は穏やかな笑みを浮かべて、寝入っている彼女の白い頬を指で撫でた。それに反応したのか、半開きになっている口がピクリと動き、モゴモゴ動きはじめる。
「ん゛……」
寝ぼけ半分で薄っすらと目を開けると、しばらく視線が定まらないようにボーッとしていた彼女は、目の前にいるのが誰か気づくと眉をひそめて慎悟を睨みつけていた。
「…あ…不良め、やっと帰ってきたのかー」
「ただいま。…部屋にいないからどこかに行ってるのかと思ったぞ」
「めっ」
寝起きで不機嫌な笑にキスをしようと身を屈めた慎悟であったが、手のひらで口元をペンッと叩かれて拒否された。
笑はむぅっと不満そうに唇を尖らせていた。
「不良な慎悟くんとはキスしてあげません……タバコ臭いお酒臭い」
「少しだけ酒は飲んだけどさ……そんな事言うなよ」
慎悟から香る酒の匂いに顔を歪めた笑に苦笑いしつつ、その手をやんわりとほどくと彼女の唇に軽いキスを落とす。
キスをしてしまえば笑はもう抵抗しない。おとなしくそれを受け入れていた。何度か軽いキスを重ねていると徐々に気分が乗り始めた慎悟は彼女の唇の間に舌をねじ込んだ。
「んむ…んんぅっ」
彼女の舌を追いかけながら、慎悟の手は彼女の身体を撫で擦った。直接肌に触れると彼女がビクリと震えた。
首筋に顔をうずめると、香水の匂いなんかしない。ボディソープと彼女の香りがする。本人には言ったことがないが、慎悟は彼女の香りが好きだった。甘くて柔らかなこの香りを嗅ぐとたまらなくなるらしい。
本当の身体の持ち主にはそんな事思ったこともないのに、不思議なものだと慎悟は苦笑いする。首筋に唇をなぞらせて時折吸い付くと、それがくすぐったいのか彼女が笑い声を漏らす。
慎悟は笑の笑った顔が一番好きだ。怒った顔も泣いた顔も全て笑の表情だけど笑顔だけは特別だ。彼女が笑えば周りを照らす太陽のように明るくなるのだ。
柔らかい双丘に胸を埋めながら、臀部付近を撫でさすっていると、慎悟の手のひらに結び目の感触が伝わったので、紐を引っ張って解く。
「あっ! だっだめ! こらっ脱げるでしょうが!」
さすがにそれには笑が声を上げた。笑は今まで眠っていたのだ。そういう事をする気は一切なかったのだ。
だけど慎悟は止まらない。なぜかと言えば、笑が本気で嫌がっているわけじゃないとわかっていたからだ。彼女の寝込みを襲うつもりはなかったのだが、酒のせいなのかどうにも理性が抑えられない。
慎悟にとって笑は特別なのだ。
どんなに美しくて魅力的な女でも、笑を目の前にしたら霞んでしまう。
彼女に恋をしたと気づいた日から年月が経ったが、それだけは変わらない。不思議なことに、彼女を知れば知るほど深みにハマっていく。
「もうむりぃ…!」
耐えきれずに泣きじゃくる笑の乱れる姿がもっと見たくなった慎悟は、彼女を更に泣かせた。
笑は受け止めきれない快感に頭をブンブン振って髪を振り乱していた。慎悟の背中に爪を立て、甲高い喘ぎ声を上げる。
とうとう力尽きると、笑は気絶するように寝てしまった。慎悟は彼女を起こさないようにゆっくり隣に寝転がった。ぐったり寝入っている彼女の寝顔を眺め、涙の跡を指で撫でる。明日の朝は口を利いてくれないかもしれないなと思いながらも彼は満足していた。
学友に誘われたパーティのことなんて頭の片隅に追いやって、彼女の可愛い姿を思い出しながら、伸びた彼女の髪をサラサラ撫でていた。
すると笑がスリッと慎悟の胸元にすり寄ってきた。
宝物を抱えるかのように腕の中に彼女を閉じ込めると、彼も深い夢の中へと旅立ったのである。
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