世界で一番好きな人


 ユキ兄ちゃんと彼女さんの結婚は小規模な家族婚だった。お互いの身内と、特別親しい人たちを呼んだ小さな結婚式。小さな教会で式を上げた後は、小さなお店を貸し切って気楽な食事会を行う、こじんまりとした式。

 本当はふたりともウェディングフォトを撮影して、入籍だけで済ませようと思ったそうなのだが、お互いの両親に小さくてもいいから式を上げてくれと言われ、入籍予定日に合わせてドタバタで準備を行ったそうな。彼女さんの誕生日に入籍すると前々から決めていたそうなので、式も急遽である。私達が式に呼ばれたのも結構急なことだった。


 私と慎悟は友人枠で招待されたので、教会の後ろの目立たない隅の方で式を鑑賞していた。

 少人数の式だが、本日の主役の一人であるユキ兄ちゃんは皆に注目されてカチコチになっており、神父さんらしきおじいさんに声を掛けられていた。

 頼りになる従兄のお兄さん。ユキ兄ちゃんはすっかり大人の男性になった。結婚してしまうのか。……あれから何年もの月日が流れたんだなぁと私はしみじみしていた。


 結婚式には大人しく参加してくれた慎悟だが、私とは相変わらずギクシャクしたままである。無視しなくはなったけど、お互い口数少なく距離が出来てしまったまま。

 あれから1ヶ月弱。今更どう仲直りして良いのかわからず、ズルズル伸びている感じである。


『汝は、この女性を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?』


 神父さんが壇上でユキ兄ちゃんに問いかけている。それに迷わず「誓います」と宣言するユキ兄ちゃんの声は迷いがなかった。

 キリスト式の結婚式の誓いの言葉って結構重いよね。がんじがらめな契約にも聞こえるが、そんな風に配偶者を死ぬまで愛せるのは素敵なことだよなとじんわりする。


 誓いのキスを交わす二人を見ていると、あの日のことを思い出した。ユキ兄ちゃんのお嫁さんはあの運命の日に彼とキスしていた小柄な女性だ。

 初恋に気づいた私がその瞬間に失恋した。自分とは正反対の女性を好きになったユキ兄ちゃん。あの頃の私は確かに、彼に恋をしていた。

 私は自分の中に芽生えた恋心を封印して、そのままこの世からいなくなるはずだったのになと感傷的な気分に陥った。


 なんだろうな、おめでたいことなのに視界がゆがむ。本当なら彼の晴れ姿を見ることなくこの世を去っていたはずだ。こうしてお祝いできるのは嬉しいことなのに、寂しく感じるんだ。

 化粧が崩れないようにハンカチで涙を拭った。


 教会から出てきた新郎新婦へ、招待客がライスシャワーで出迎える。彼らはこのままオープンカーに乗って移動する流れのようだ。

 私は式のスタッフに渡された花びらを彼らに向かって降らせた。ライスシャワーの下で幸せそうに笑うユキ兄ちゃん達。彼らはもう大学生ではなく、社会人だ。そして高校生だった私は今や大学生。昔とは違う。あの事件のときから時間が流れたことを実感した。

 家族以外の男性で一番そばにいたはずのユキ兄ちゃん。私の初恋の人。私の死を自分のせいにして責めていた優しい従兄。幸せになってほしいな。


 私の前を通り過ぎようとしていたユキ兄ちゃんと彼女さん…花嫁さんに「お幸せに」とお祝いの言葉を投げかけると、綺麗な花嫁さんが私に向かって花束…ブーケを差し出してきた。


「…?」

「笑ちゃんの分まで幸せになってね」


 その言葉に私は目を見開く。

 “笑”よりも小さかった彼女は、今のこの身体と同じくらいの目線だ。私はあの日まで彼女の存在を知らなかった。だけど彼女は私の存在を知っているのだ。

 今の私の事情を何も知らない彼女は、私がブーケを受け取るのを笑顔で待っている。私は差し出されたブーケを恐る恐る受け取ると、無言でお辞儀をした。なんと言えばいいのか…言葉が出なかったのだ。


 きっとこの新郎新婦はこの瞬間、世界で一番幸せなカップルだろう。キラキラ輝いてとても幸せそうであった。

 歓声に送られて、オープンカーで去っていく姿は外国の結婚式みたいで素敵だった。


 私はそれを見送りながら、涙をこぼしていたらしい。隣にいた慎悟が黙ってハンカチ差し出してきたので気づいた。

 それをありがたく受け取ると涙を拭う。この後食事会にも招待されているので、化粧直しをしたほうが良いかもしれない。

 

「……俺は嫉妬してるんだ」


 今日一番に聞いた慎悟の言葉である。

 唐突なそれに私は泣くのを忘れて真顔で彼を見上げた。

 慎悟は憮然とした表情で私を見下ろしている。…まるでいじけた子どもみたいな顔をしているではないか。


「笑さんは俺に信じてほしいって言うけど、信じてほしいならそれ相応の態度をとってほしい。あの男が明らかに悪くても、あんたの無防備さが仇になってるんだ」


 対上杉くらいの勢いで逃げてくれ、頼むからと言われる。全人類上杉みたいな感じで生きろというのは流石にハード過ぎるんだが…。


「…乱暴な行動に移したのは悪かった。話を聞かずに無視したのもごめん。……だけど俺だって傷ついたんだからな」

「ふぐっ」


 私の鼻を指でつまむ慎悟。私は間抜けな声を漏らしてしまう。

 ……もうブリザードみたいな冷たい目じゃない。睨んでもない。ちゃんと私と向き合おうとしてくれている。

 久々に慎悟とまともな会話できた気がした私はまた泣いてしまった。


「ごめぇぇん嫌いにならないでぇぇ」


 私はおんおん泣いて慎悟の胸にしがみついた。

 他の招待客が何事かと振り返ってくるが、知ったことではない。


「なるわけ無いだろ。もう泣くな、また縄文土偶になるぞ」


 ポンポンと背中を撫でてくる手は優しい。この手だ、この手が好きなんだ私は。乱暴なのは嫌だ。私は慎悟に優しく撫でてほしい。

 それは他の男では駄目だ。あの男の先輩に抱きつかれても嫌悪感しかわかなかった。慎悟じゃなきゃ駄目なのだ。

 気をつけるから、私を信じて。私は慎悟だけのものだ。それだけは信じて欲しい。


 私も悪かった、慎悟も悪かった。それでこの話はおしまいだ。


「私には慎悟だけなの、慎悟が好きなんだよ。それだけは信じてよぉ」

「なら他の男の結婚式で泣くな、腹立つ」


 小さくつぶやかれた嫉妬の言葉に私はムフッと泣きながら笑ってしまい、慎悟の胸元に顔を埋めてニヤニヤ笑う顔を隠したのである。

 ヤキモチ妬きめ、大切な従兄のお兄ちゃんの結婚式なんだ、大目に見てくれよ。



 式に参列していた両親と弟に「人前でいちゃつくな、恥ずかしい」とあとでこっそり注意された。

 はて、別人の身体に憑依している私は身内でなく他人として参加しているのに、恥ずかしくなるものなのだろうか。



■□■



「仲直り出来たみたいでよかったね」

「…ご迷惑をおかけしました」


 結婚式後の食事会で挨拶回りに来たユキ兄ちゃんが、私達が並んで食事しながらおしゃべりしている姿を見てホッとしたように笑うと、慎悟が気まずそうな顔をしていた。


「今回の喧嘩はあの時と逆だね、あのときは笑ちゃんが慎悟君から逃げていたから」


 そういえば慎悟に無理やりキスされた高2の文化祭でユキ兄ちゃんを間に挟んで喧嘩をしたんだったな。


「慎悟君は色々考え込んで不安に思っているみたいだけど、俺から見たら笑ちゃんは慎悟君のこと大好きなんだなって丸わかりだからね? 考え込みすぎても仕方ないと思うな。もっと自信持ったほうが良いよ」

「……」


 ユキ兄ちゃんの言葉を受け取った慎悟は黙りこくってしまった。その頬はほのかにピンク色に染まっていた。


「いつも慎悟が世界で一番好きだって言ってるのに、慎悟はすぐに不安になっちゃうんだよねー。そんなところも可愛いんだけどー」


 私が隣に座っている慎悟の頬を突いてちょっかいをかけると、ユキ兄ちゃんが「あーはいはい、ごちそうさま」と笑っていた。私はユキ兄ちゃんと会うたびに慎悟の話をしているのだが、そのどれも惚気に聞こえるようで、いつもそんな返しをされるんだ。


「この後ビンゴゲーム大会も行われるから、ふたりとも参加してね。豪華賞品も用意してるよ」

「えぇっ本当!? 楽しみだね慎悟!」


 ビンゴゲームとか懐かしい! 楽しみだなと思って慎悟に声をかけると、慎悟の顔は先程よりも更に真っ赤になっていた。


「…あんたさぁ…ほんと…」

「どうしたの、何今更照れてるの?」


 慎悟は急にピュアになっちゃうよね。

 私達は婚約者で恋人であるのに、未だに慣れないよね。


「あんた達って、似てるよ」

「えっそうかなぁ?」

「血の繋がりはあったから、雰囲気は似ていたかもね」


 ユキ兄ちゃんと私はお互いの顔を見て首を傾げた。慎悟はそういう意味じゃない…と否定すると、赤くなった顔を冷ますために冷たいお茶を一気に呷っていた。

 じゃあどういう意味なのか。


 その後開催されたビンゴゲームで私はうまい棒のバラエティ大袋をゲットした。やったね。

 残念賞の飴を握る哀れな慎悟にチョコ味をあげたら黙って受けとっていたので、喜んでるのだと思う。楽しかったな、ビンゴゲーム。


 なにはともあれ、慎悟と仲直りできたし、大切な従兄の結婚式をお祝いできたし、めでたしめでたしってことで良いじゃないか!


 二度とあんな仲違いはゴメンだ。

 他の男には今まで以上に警戒せねば。ただでさえウルトラスーパーデラックスビュリホー令嬢エリカちゃんは悪い虫に狙われやすいんだ。男全員上杉だと思って警戒していこう。

 ──そう、心に誓った私であった。


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