婚約とは︰結婚の約束をすること。


 修羅場の新年を迎えてから数日後、短い冬休みが終わりを告げて新学期を迎えた。

 婚約発表の場が二階堂家のお家騒動に変わったけども、私と慎悟が婚約したということは本決まりだ。

 そう、とうとう私達は将来を約束された婚約者同士になったのだ。


 だから何か変わるのかと言われたら急には変わらないだろう。お付き合いしていたときと違って家同士の約束に変わって、責任が伴うようになったということくらいか。

 まさか高校在学中に婚約するとは思わなかった。未だに婚約という単語が私の中でふわふわ浮いていて、自覚が生まれていなかったりする。




「おはよう、君達とうとう婚約したんだってね」

「そうだよ。私と慎悟は正式に婚約しました。祝ってくれるの? ありがとう」


 始業式の朝、登校して教室に入った私に奴が声を掛けてきた。お正月に身内の集まりの場で発表されたばかりだというのに……セレブネットワークで聞きつけたのだろうか。

 新学期早々から上杉の顔を見た私はうんざりしそうだったが、婚約したという事で対抗心が生まれていた。


 フフン、これでこのサイコパスも手出しできんだろう! 私はもう慎悟の婚約者なのだよ!

 私が自信満々にフンッと鼻を鳴らすと、上杉はニッコリと微笑んだ。…その笑みがとても不気味である。奴は目をスゥッと細めると、獲物を見つめるようなあの嫌な視線を送ってきた。


「……また更に婚約破棄となったら、2回目の婚約破棄……君は難あり物件ということで貰い手がいなくなるね? ……そしたら身一つで僕のところへお嫁においで」

「新年早々不吉なことを言うな!」


 おい、何とんでもない発言ぶっ放してんだ変態。婚約したてほやほやの人間の前で言う言葉か!?

 とんでもない侮辱である。私は怒りに震え、拳を握った。


「……ほら、あんたがいちいち相手にするから上杉が面白がるんだ。いい加減に無視することを覚えろよ」

「だって慎悟! こいつ不吉なこと言ってくるんだもん!」


 登校してきた慎悟が私の肩を抑えて制止してきた。

 上杉の今の発言聞いただろう? 侮辱だよ侮辱! 過去の自分の罪をなかったことのように振る舞ってるけど、こいつも大概なんだよ!? エリカちゃんの婚約破棄はこいつも原因のひとつじゃないの!

 私はまだこいつを許さない。ていうか死んでも許さないぞ。言われっぱなしは腹が立つじゃないか!

 まるで私とエリカちゃんが難有りみたいな……いや、私は難ありすぎかもしれないけどさ、婚約したてほやほやの人間に面と向かって言う言葉じゃなくない!?


 私はそう訴えたかったけど、ここは教室の中。下手な発言は控えておいたほうが良いと理性が訴えていたので、私は我慢した。だけど怒りは収まらずに、ふんすふんすと鼻息が荒くなってしまった。 

 そんな私を落ち着かせようと慎悟が髪を梳くようにして頭を撫でてきた。その優しい手に撫でられていると私の荒れた心が徐々に沈静化していく。


「俺とあんたの関係はそんな薄っぺらいものじゃないだろ? …いつもの調子でどんと構えていろよ」


 やけに自信満々だな。

 西園寺さんの存在や、お祖父さんが私達の婚約を渋っていたことを慎悟は不安がっていたが、公私ともに公認の仲となったことで慎悟の自信につながったらしい。


「……慎悟、私のこと好きすぎじゃない?」


 私がそう問いかけると、慎悟の肩が揺れた。図星か? 私のことを好きだってのは知ってたけどね。いやぁ、私って愛されてるなぁ。

 慎悟の腰に両手を回して引き寄せると、彼は少し驚いた様子でこちらを見てきた。私も慎悟のことが大好きだよ。

 ……人って変わるよね。ビターでクールだった慎悟はかなり変わった。自分の恋人のことだけど感心するわ。…だけど私もこんな風に恋人にベタベタする女だとは思っていなかった。仕方ないじゃないの、好きなんだもの。

 

「私も好きだぞ、慎悟」


 慎悟の目をじっと見つめてはっきり告げると、慎悟は照れくさそうに、しかし嬉しそうに笑っていた。

 そうだ、どんと構えていよう。私達の絆は薄っぺらいものじゃない。上杉は人形化計画が続行できないことが気に入らないだけ。ただの脅しだ。こいつのペースに巻き込まれたら私がバカを見るだけなんだ。気にするな。

 

「ホント仲いいよね、あんたらって。朝から何イチャついてるのよ…」

「あらあら、相変わらず仲睦まじいですわね」

「おはようございます皆さん」


 慎悟とイチャつく姿を上杉に見せつけていると、友人たちから冷やかされた。

 

「おはよう皆!」


 私が笑顔で友人たちに朝の挨拶をすると、3人とも笑顔で返してくれた。

 彼女たちは挨拶の他に言いたいことがあったようで、なんだかやけにソワソワしていた。


「二階堂様、加納様、ご婚約おめでとうございます」

「良かったねぇエリカ」

「お2人はとてもお似合いのカップルなので、絶対にお幸せになってください」


 結婚を祝われるテンションでおめでとうを言われている気がするが、気分は悪くない。

 彼女たちには私達が交際するまでの間に影でジレジレさせていたこともあるので、そのお祝いの言葉が特別なものに聞こえた。


「ありがとう」

「ご婚約のお披露目パーティの開催ご予定はございますの?」

「うーん? パパたちに任せているからなぁ。エリ…私は一度婚約破棄になっているし…パーティはどうなんだろう」


 結納の儀式をして終わりになるかもしれないし、ビジネスパートナーたちを集めてのお披露目パーティをするかもしれないし。どうなんだろう?

 その辺は周りに任せる。2度目の婚約なので、どうすべきなのか私も判断つかない。エリカちゃんが5歳で宝生氏と婚約したときは主役が幼すぎたから、大人になったら改めてってことで取り決めだけで済ませたらしいんだよね。他の人はどうしているんだろ。

 それに二階堂家は今現在お家騒動の後始末に忙しい。パーティどころじゃないと思うんだな。私はあの騒動を思い出して微妙な顔を浮かべた。そのうち噂になって、セレブ出身の阿南さんの耳にも入るかもしれないんだろうなぁ。自分のことじゃないけど、身内の恥を友達に知られるとちょっと恥ずかしいぞ。


「お披露目することで牽制にもなりますから、行ったほうが良いと思いますわ」

「そのうちな」


 阿南さんの提案に慎悟が曖昧な返事を返していた。

 初めて参加した社交パーティがアレだったので、パーティそのものには夢を持っていないのだが……会社同士の縁を深めたり、つながりを作る上で必要なことだとは理解しているけどね。

 でも彼女たち…出張版加納ガールズがパーティに来たらめちゃくちゃになるかもしれないじゃない……それをお披露目することになるやもしれないし…

 

「二階堂様が以前の婚約破棄のことをお気になさっているのなら、それは間違いですわ。あなたには何の非もございません。加納様とのご婚約を堂々と世間へお披露目することで、煩わしいアレコレが減ると思うのです」


 確かに宝生氏との婚約破棄のネタをだいぶ引っ張られてうんざりはしていた。家公認で将来を約束した婚約者ですとお披露目されたら、婚約破棄をした過去は残っても、同情は減るのかな。

 どっちにせよ、私はお祖父さんやパパの考えに従うかな。


 ──ドンッ

「わっ」


 何の前触れもなく、後ろから衝突された私は、衝撃を流せずに前方へグラっと倒れ込みそうになったので、たたらを踏むようにして体制を整えた。


「……」


 振り返って犯人を見てみれば、そこには無表情の巻き毛。新年早々の当たり屋行為をしておいて、その目は私を責め立てていた。


「…ま、巻き毛?」


 恐る恐る声をかけると、無表情だった巻き毛の顔が徐々に変化し……般若へと変わった。


「私は認めていませんわよ……慎悟様が正気に戻った時、2度目の婚約破棄を言い渡されるに違いありませんわ…」


 上杉と同じこと言うなよ。不吉なこと言いながら私の首に手を掛けてくるのやめようか。


「やめろ」


 慎悟が巻き毛の手をピシャリと叩き落とすと、私を庇うようにして巻き毛と対峙する。巻き毛は目を丸くして、叩かれた手を抑えていた。

 まさか慎悟に手を叩かれるとは思っていなかったのだろう。軽く叩かれた感じだったけどね。首を絞めようとする人間への対応としては優しい方だと思うのだけど。


「櫻木、おかしな真似をするな」

「慎悟様……この女にあって、私にないものってなんですの?」 


 キッときつい表情で慎悟を見上げた巻き毛は屈辱に表情を歪めていた。

 そんな事言われても…困る。

 私と巻き毛は違う人間なのだ、共通点がなくても問題ない。巻き毛にだって巻き毛の味があるんだからそんな事言わなくても…


「慎悟様は! こんなガサツなアホ女を好きになる殿方ではございませんわ! そう! 賢く美しく、お淑やかな女性が似合うというのに!」


 …あぁひでぇ。傷つくわ。反論できないけど、めっちゃ悲しい。

 これでも私めっちゃ頑張ってんだよ!  そんなボコボコに言わなくてもいいじゃない。お嬢様の中の異物に見えるかもしれないけど、十人十色じゃないの!


「……それは、お前が勝手なイメージを俺に押し付けていることになるんだが、わかっているのか? 俺の心は俺だけのものだ。…決めつけないでくれ」


 肩を抱き寄せられて、私は慎悟の胸元に頬をムギュッと押し付ける形で収まった。巻き毛の息を呑む音が聞こえたが、慎悟の次の発言で私まで息を呑んでしまった。


「誰がなんと言おうと、俺は彼女が好きで、俺にとって最高の女性なんだ」


 とんでもねぇ、愛の告白だった。

 体内の血液の循環が活発化した。「今日も頑張るぞ!」と心臓が元気にフル活動し始める。いいの、今はそんな頑張らなくてもいいのよと言い聞かせても心臓は全身に血液を流そうと頑張っている。顔だけでなく、身体が熱い。

 なんなのこのA5ランク男。恥ずかしげもなく、ペラペラと…… 


「ゔゔゔゔ……」 


 野生動物が威嚇するがごとく、巻き毛は唸り声を上げている。その姿は手負いの狼のようである。涙目になっているところが同情を誘うが、触れば噛みつかれそうだったので、私は沈黙を守っていた。

 羨ま憎たらしいこの女狐と言いたげな目が私を責め立てている。怖い。私は永久に彼女とは親しく出来ないかも知んない。


「そうですわ! 認めませんわ!」

「あなたに選ばれるべく女を磨いて、いつまでもお待ちしておりますからね!」


 火に油を注ぐようにして、違うクラスの能面とロリ巨乳が参入してきて、収拾つかなくなってきた。どこから話を聞いていたのだろうか。2人は巻き毛のサイドを防衛するかのように並んで立つと、拳を握って宣言してきた。

 話は平行線を辿る運命のようだ。

 慎悟は疲れた表情でため息を吐く。彼女たちはやる気に満ちており、これからも徒党を組むらしい。そこまで想われる慎悟はすごいな。


「……頼むから、他の男にも目を向けてくれないか」


 慎悟が私を裏切ることはないと思うんだけど……仮に、他の女性を好きになることがあったとしても、必ずしも加納ガールズを選ぶとは限らないのにな。

 このまま私と慎悟が結婚したら、彼女たちどうするの。どうなっちゃうの? 責任取れって押しかけたりしない? …しないよね?


「もしも手に余るなら、今からでも僕が彼女を引き取るよ?」

「間に合っているから結構だ」

「遠慮しなくてもいいのに」


 ここぞとばかりに上杉が口を挟んできた。今の流れで何故そんな発言するのか。……いや、こいつに常識は通用しないから考えないほうが良い。

 慎悟が奴を警戒するように私のことを隠す。婚約したくらいではこいつは引かないよね、そうだよね。

 上杉、あんたもいい加減に他の女へ目を向けてくれないか。



 婚約しても尚、私達を諦めない人間たちがいるようだ。

 婚約パーティしたら牽制になるのかな、これって。

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