第2章 冒険に必要なものはコミュ力と仲間、そして少々のお金だ③
元の場所にもどると、そこには惨憺たる光景が広がっていた。
ロゼは疲れて岩の上で眠り、イルマは憮然と遠くの空を眺め、ニノは三角座りをして膝に顔をうずめている。
――想像以上にうちひしがれてる……。
なんとも登場しづらい状況だったが、黙ってマニーを置いていくわけにもいかない。クノハは思いきって岩陰から飛び出した。
「ふ、ふはははは! 困っているようだな!」
沈黙。
――ノーリアクション……。
ロゼは目覚めず、ニノは顔を上げない。イルマだけがちらっと顔を振り向けたが、またすぐに空に目をもどしてしまった。
「あの……」
イルマがいらいらしたように返事する。
「なんだよ。いま忙しいんだよ」
――とうていそうは見えないが……。
ともかく話は聞いてくれるらしい。クノハはこほんと咳払いをした。
「ふはは! マニーが集まらず苦労しているようだな! それもそのはず、俺が――」
「うるさいな! ふつうに話せよ!」
「す、すみません……」
――やさぐれすぎだろ……。
「ここら一帯のマニーは俺が狩り尽くしたから、お前らがいくら頑張ったところで無駄だぞ、と」
「あ、そ。で?」
「あの……もうちょっと感情を込めてもらっても……?」
「ああ! そう! でえ!」
「そ、そんなに怒るなよ」
「お前が感情込めろって言ったんじゃんか! なんなんださっきから!」
イルマは激高して猫のように歯をむいた。
――ええ……? こんなに怒鳴られたの生まれてはじめて……。
クノハはおずおずとずだ袋を差しだした。
「俺に勝ったらお前らの総取りでいいよって……」
「はあ!?」
イルマはずんずんと歩み寄ってきてクノハの肩をつかんだ。
「ひ、す、すまん」
「それを早く言いなよ美男子ぃ」
イルマはにんまりと笑った。
「は……?」
あまりの豹変っぷりにクノハは混乱した。イルマはにこにこと上機嫌で尋ねる。
「で、美男子くんの名前はなんていうのかな?」
「クノハ……」
「クノハかー。覚えやすくていい名前じゃん。わたしはイルマ。――それで? どうやって勝負する? じゃんけん? 古今東西?」
「い、いや、バトル……」
イルマはうんうんとうなずく。
「わかる。クノハは男の子だもんねえ。そういうの好きだよねー」
ロゼが急に身体を起こした。「え、クノハ……?」とつぶやき、きょろきょろする。そしてクノハに目をとめると、パッと顔を輝かせた。
「クノハだー!」
岩をぴょんと飛び降り、両手で包むみたいにクノハの手を握った。
「えー! なんで? なんでここにいるの?」
躊躇のないスキンシップと、鼻がくっつかんばかりに近づく顔。クノハはどぎまぎして仰け反った。
「お、お前を出し抜いて名声を得るって言ったろ。行き先が同じになるのは当たり前だ」
「そっかあ!」
なんで、と尋ねたくせに、理由にはあまり興味がないように見えた。『とにかく再会できて嬉しい』という気持ちを身体全体から発散している。
「な、なんか、仲よさそうじゃんか……?」
気がつくと、傍らでイルマが笑顔を浮かべていた。しかしその笑顔は先ほどの上機嫌のそれではなくなっていた。
一触即発。その歪んだ笑顔を表すのに、それ以上、適当な表現はないように思われた。
「ロゼ、この男は?」
「クノハだよ。冒険に出るとき、この剣をプレゼントしてくれたの」
ロゼは腰に釣りさげた剣を愛おしそうになでた。
「下心ありかあああああてめええええええええ!」
イルマは雷鳴のような声をあげた。
「いや待て、誤解――」
と伸ばしかけた手が、ものすごい勢いで払われた。
「しゃああああああああああああ!」
イルマは猫のように威嚇してくる。
――もうこいつ……情緒やばすぎだろ……。
ロゼはイルマを手で示し、紹介する。
「この娘はイルマ。回復術士だよ」
「殺す!」
イルマは回復術士がもっとも吐いてはならないセリフを吐いた。
つぎにロゼはニノを見た。
「あの娘がニノ。侍」
ニノは膝に顔をうずめたままびくりと震えた。
「あれ? ニノ?」
ロゼはニノに歩み寄ると肩を揺すった。
「ねえ、起きて。紹介したいひとがいるんだけど」
ニノは返事をしない。
「ねえ。ねえってば!」
身体を揺らされて、ニノはようやく顔を上げた。
「あのひとはクノハ! わたしがお世話になったひとだよ」
「そ、そうですか……ご、ごごきげんよう……っ」
ニノは明後日の方向を見ている。耳まで真っ赤になっていた。
「どうしたの? ほら、ちゃんと近くで」
ロゼはニノを引っぱり起こし、クノハの前に突きだした。
「あはああああああああああ!?」
ニノは背中を反らせ、叫び声をあげた。
「ちか……近い、殿方が、殿方があああ!?」
ニノは脱兎のごとく逃げ出して岩の後ろに隠れた。そして顔だけ出して、斜め下を見ながらぼそぼそと言う。
「も、申し訳ありません……。す、少し人付き合いが、その……苦手で……」
――……『少し』?
おそらく彼女とは『少し』の概念に隔たりがあるのだろうとクノハは自分を納得させた。
「よ、よし。じゃあ気を取り直してバトルだ。俺にダメージを与えられたら、このマニーはお前らの総取りな。――はい、じゃあバトルスタート!」
クノハはパンと手を叩き、腰を落として身構えた。
しかし。
戦闘がはじまったというのにロゼはクノハの隣でにこにこと微笑んで突っ立っている。
前衛職であるニノは誰よりも後方に位置して出てこようとしない。
回復術士のイルマだけがいまにもクノハに飛びかからんとしている。
クノハは天を仰いだ。
――なにこのイカれたメンバー……。
すべての個性がものの見事に噛み合っていない。
クノハはパンパンと手を叩いた。
「うん、違うんだ。俺は戦いたいんだ」
「こっちのセリフじゃあああああああ!」
イルマがいきり立つ。
「だから違う! ベストなお前らと戦わせてほしいんだよ。じゃないと、俺が勝ったところで『卑怯な手で勝った』と言われかねない」
ロゼはピンと来ておらず、イルマはそもそも話を聞く気がない。
助け船はニノから出された。
「そ、そうですね。手合わせを希望されているというのにこれではあまりに礼節を欠くというもの」
ニノは胸を押さえ、大きく深呼吸した。そしてうつむいたまま、恐る恐るといった風情で前へ進み出る。
そして刀の鯉口を切った。
「いざ」
「っ!」
刀の切っ先がクノハの鼻先をかすめた。
――速い……!
居合い抜き。しかもクノハに当たる手前で刀を返し、峰打ちにしていた。
クノハは驚きをもってまじまじとニノを見た。刀を正眼に構えていたニノは、目が合うとかあっと顔を赤くして、
「……っ! っ! っ!」
と、無茶苦茶に刀を振り回してきた。
無茶苦茶だが、速い。
――やば……!
かわすタイミングを誤り、刀の峰がクノハの肩に振りおろされる。
クノハは拳を握った。
「きゃ……!?」
ニノの身体が高々と宙に浮いた。峰が肩に当たる直前、圧縮した風の魔法を腹にぶつけたのだ。
クノハは慌てて着地点まで駆けると、ニノの身体を横抱きに受けとめた。
「すまん、力が入った。大丈夫か?」
ニノはぽかんとした。状況を把握できていないようだった。頭を振ってあちこちに目をやり、ようやく自分がクノハに抱きあげられていることを理解したらしい。顔が急速に赤くなったかと思うと、目が限界まで見開かれ――。
ぐるんと白目になり、かくんと頭が落ちた。
「気絶!?」
イルマが「だ、大丈夫か!」と駆け寄ってきた。
「いつまで抱いてんだ! 下ろせ、早く下ろせ!」
ぴょんぴょん跳ねてクノハに抗議する。クノハは言われたとおりニノの身体を地面に横たえた。
「いま治してやるからな」
イルマはニノのかたわらにしゃがみこみ、袴の腰紐をほどきはじめた。
目が充血している。息が荒い。震える手で帯を解き、着物の前を開く。
「こ、これは医療行為だから。これは医療行為だから」
誰もとがめていないのに言い訳をつぶやきながら襦袢をはだけた。
「うおおおお……!」
イルマが歓喜の声をあげた。
大きく実った白磁色のふくらみは質素なブラジャーに包まれ、呼吸するたび小さく上下している。
「ニノ……わたし、さっきはお前にひどいこと言ったけど……いまならお前のこと……」
イルマはふたつのふくらみのあいだに顔からダイブした。
「好きになれそうじゃーい!」
頬ずりしたり、顔をはさみこんだり好き放題している。ニノは青い顔で「うう……」とうめいていた。悪夢を見ているのかもしれない。
――当面はロゼしか狙わないとか言っといてこれかよ……!
イルマはニノの乳房から顔を離した。ご満悦の表情だった。気のせいか肌がつやつやしている。
そして急に真顔になると、おもむろに革表紙の本を開いた。
「さて、ふつうに回復するか」
――医療行為という建前はどこに行った。
気絶している人間を性欲のはけ口にしただけだった。
イルマはニノの腹に手を置いた。そこは風の魔法を受けたせいで赤くなっている。呪文を唱えると、イルマの手から白く清浄な光が漏れ、みるみるうちに赤みが引いていった。
――ほう……。
個性的なイルマだが、回復術は正統派だった。回復術は人体の構造、病気の原因、怪我の具合などしっかりと把握しなければ効果を出しづらい。単なる内出血とはいえあのスピードで回復するのを見ると、イルマはかなりの医療知識を身につけていると思われる。
「うう……?」
ニノが目を覚まし、身体を起こした。
「あ……わたくしは……?」
「あの男に吹っ飛ばされて気絶したんだよ。でも回復したからもう大丈夫」
「そうでしたか……ありがとうございます、イルマさん」
「いや、こちらこそありがとうございます」
「え?」
ニノの眉がいぶかしげに歪む。そして自分の身体に目を落とした。
はだけられた着物、露わになった素肌。
「!!?!???!!?!!!」
ニノの顔はボンッと爆発するみたいに真っ赤になり、再び気絶してしまった。
「に、ニノ!? 大丈夫かニノー!」
イルマはニノの胸に飛びこんだ。
――あのふたりはもうダメだな。あとは……。
クノハはロゼに向き直った。ロゼは腰の鉄剣を鞘ごとはずして構える。
「行くよ」
「不意打ちでもよかったんだぞ?」
「そんな卑怯なことはしない」
「立派な心がけだな。さすが勇者さま。――来い!」
ロゼは剣を振りあげた。
「えい! えい! えい!」
目をつむって振り回す。
「えい! えい! えい!」
前は剣二本分も距離が開いていたが、今回は一本分になっていた。進歩している、と言っていいのだろうか。
「えい! えい! えい!」
「お前な――」
止めようとした、その瞬間。
鞘がすっぽ抜けてクノハの顔面にヒットした。
「あいだあっ!」
鼻を押さえてうずくまる。ロゼは「え? あれ?」と抜き身になった鉄剣と、地面に落ちた鞘、そしてクノハを見た。
「ああ! ごめん、留め具をかけるの忘れてた!」
「おばえなああああ!」
ロゼは決まり悪げに笑った。
クノハは指で鼻の下を何度も拭い、鼻血が出ていないことを確認してから立ちあがった。
「しょうがないな……。ほら」
ずだ袋を差しだすと、ロゼはきょとんとした。
「え? くれるの?」
「俺にダメージを与えたらくれてやるって言ったろ」
――こんなダメージの食らい方、想定外だったがな。
ロゼはずだ袋を受けとる。
「ありがとう、クノハ」
荒野に花が咲いたような笑顔だった。
「クノハ、やっぱり一緒に冒険しない?」
「……え? あっ」
ロゼの顔を浮かされたように見ていたクノハは、うなずきそうになってびくりとなった。
――あっぶね! こいつの顔、
「だ、だから! しないっつってんだろ!」
「いま少し惜しかったよね。わたし、あきらめないから」
ロゼは眉をきりっと上げて、ふんふんと鼻息を荒くした。
「す、好きにしろ! しかし俺は屈さない!」
クノハは逃げるように背を向けて歩きだした。
――いや待て、これじゃあ宿敵っていうよりただの偏屈じゃないか。
立ち止まり、ロゼを振り返った。
「これで勝ったと思うなよ!」
負け惜しみを叫び、駆けだした。
――わざとらしかったな……。
顔がかあっと熱くなった。
クノハはロゼとの距離感がどうにもうまくつかめなかった。あの無邪気な顔を思い出すと、心が平静を保てなくなってしまう。
また浮かびあがってきた彼女の顔を振り払うために、クノハは先ほどの戦闘のことを思い返した。
――ニノはなかなかやる。イルマの回復術も、魔力が底上げされればさらに伸びるだろう。しかし……。
結局、クノハの頭のなかにはロゼの顔が思い浮かんだ。
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