夢破れ、花は咲き

逢坂 小太郎

夢破れ、花は咲き

「はじめまして、山田花梨です」

 そう言って目の前の美女は笑った。切れ長の目、控えめな鼻梁、少し薄い唇、いまどき珍しいロングヘア、美しい。大人数で利用する居酒屋の座敷の一角で美女は笑った。それはまるで真っ暗闇の世界に柔らかく咲く花のようで、オレの感情は心を置き去りに昂った。

 野暮な質問であるとは承知の上だが、ここで一つ伺いたい。何かに酷く落ち込んだどこかからの帰り道、アスファルトを突き破って咲く道端の花に心を打たれた経験をあなたはお持ちだろうか? 真っ暗闇の世界の中で、その逆境をむしろあざ笑うかのように美しく咲く花は壮観である。暗闇が濃ければ濃いほど、その美しさはより際立つと言うものである。

 さて、かく言うオレ、在沢智も野に咲く花でなく、そのアスファルトに咲く花に心救われた男である。だが、アスファルトに咲く花と言ってもこれは比喩である。実際にはアスファルトはオレの暗い気持ちを、そしてそこに咲く花はこの美女を表している。

 なぜ人は桜やひまわりなどと言った主張の強い花にほど引き付けられるのだろうか? その季節特有の期間限定商品だからだろうか? M字の大型ハンバーガーチェーンもシアトル発のオシャレコーヒーチェーンもきっとそれでぼろ儲けしているのだろう。だが何かに酷く落ち込み、鬱々とした気持ちを抱え、うなだれた時にその視界の隅に健気に咲く名もなき花ほど愛しい物はない。そう、オレはこの美女に恋をしたのだ。

 美女との出会いに際して語らなければならないのはオレの境遇だろう。オレは現在大学一年生である。そして無論、この美女も大学生である。何年生かは不明だ。どこにでもある話である。高校卒業後、浪人生と相成り、必死で早稲田大学を目指すも夢破れ、とは言え二浪する覚悟もなく東京都内の早稲田よりはネームバリューも偏差値も劣る大学へと進学した。まずは打ちひしがれていたあの頃から振り返ろうと思う。


 参った。なぜあの有名私大のキャンパスがこんなところにある? オレは途方もなく自分を恨んだ。なぜあの時もっと勉強しなかった? なぜこんなど田舎の大学にしか受からなかった? 恨めしや恨めしや、オレは自分を呪った。

そう自分に恨み言を連ねてしまうのも、無理はないだろう。オレは頑なに早稲田以外の大学のオープンキャンパスなどには行かず、あくまで早稲田一本で通した。故に初めてこの駅に降り立った。こんなところに大学があるのか?

 まず駅のホーム。これはのちに分かることだが大学に通う学生と通勤のサラリーマン程度しかこの駅を利用しない。故に三月の午後のそこは無人。平坦な土地に駅舎があるのだが、フラットなホームの空間が無駄にただっ広い。そんな寂れた駅だが、西東京随一の都市に繋がる駅であるから十両編成、八両編成の電車が流れ込む。オレが東京駅でなく新横浜駅から揺られてきた電車もそれである。

 次に駅舎。駅のホームから階段を上がる。エスカレーターもエレベーターもない。階段でもって寂れた廃校のような屋根の改札口へ上がるしかない。だが改札は最新鋭である。自動改札機も新しく、しっかりとSUICAも使える。東西に出入り口は分かれており、大学は西側にあるらしい。東側には美大だのなんだのがあるらしい。これものちに分かることだが、この路線の行き着く先は日本有数の学園都市なのである。だがそんなことを知らなかったオレにはこの駅は最果ての地にしか思えなかった。

 事実改札をくぐり、駅員に西側に大学があること確認をした後、バス停を探すが見つからない。ちゃちなタクシー乗り場にタクシーの姿はなく、一車線のみの少し幅広の道路が線路沿いを新横浜方面へ続いていく。その先には幹線道路。容赦ないスピードで乗用車だのトラックだのが行き交う。踏切までたどり着き、駅員の言うことを信じるのであれば西側、右手側にバス停があるのだろうとヨタヨタと歩く。やはり寂れた風のスーパーを横目にしばらく歩くとオレンジがかったクリーム色のバスがようやっと見つかった。ここまで十五分。直線距離で歩けば五分もかからぬ道のりだが、おっかなびっくり歩いたものだからそれだけの時間がかかった。

 そこからはバスに揺られながら大学を目指した。バスの走る幹線道路沿いは民家の群れ、時たま定食屋やパン屋、一軒だけコンビニもあるが、それ以外は民家しかない。諦めてバスの進行方向に目をやると連なる山々。ここは東京なのか? スマホを起動して位置情報を取得する。とてもではないがこんなところにあの大学のキャンパスがあるなどとは信じられない。しかし、現在地から北西に向かったところに目指すべき場所が見つかる。

 そう、やはりここが目的地なのだ。オレの地元よりもど田舎ではないか。一体なんだってこんな町にオレはやって来たのだ? 不本意だが、進学することはもう決まっている。この日はアパートを決めにやって来た。嫌がるオレを尻目に母親が隣で一緒にバスに揺られている。えらい田舎やなあ、などと牧歌的なことを言っている。やんごとなくムカつく。

その後バスの走る間、なんとか二軒のコンビニと一軒のスーパーを発見した。しかし、そのスーパーの看板によると営業は二十一時まで。これが学生街の現実か? どんなバイトをするかは分からないが、バイト終わりにスーパーに寄る、なんてことは出来そうにもない。これは困った、非常に困った。

バスは大学構内のバスロータリーへと滑り込む。大学は春休み期間中、バスから降りる人もまばらだ。ロータリーの真上には楕円状のなんちゃって東京ドームみたいな建物が建っている。

バス停で降りると案内員だろうか、若い女性が「賃貸相談会」と言うプラカードを持っている。どうやらこのなんちゃって東京ドームの中に目指すべき場所があるらしい。左手のキャンパスのメインストリートに目をやる。車道を挟んで両側にオレンジのレンガ敷き。建物は少し柔らかめのベージュ系の、オフィスビル的な造りの外観である。

こうしてみると大学だ。ちょっと覗いた奥の方にトンネルがあるけど、大学だ。しかしここ、完全に山を切り開いた場所に無理やり作ったキャンパスではないか。緑に囲まれ、それは良いことかも知れないが、周囲も学生街と言う様相ではない。

落胆を隠し切れぬままになんちゃって東京ドームの階段を上る。自動ドアをくぐってエレベーターに辿り着く。

エレベーターの横に「賃貸相談会3F」となっている。その日はそこで物件を決めて来る日に備えた。そう、入学式だ。

入学式は日本武道館で行われた。少し都会気分が味わえて嬉しかった半面、早稲田への未練が強くなったのであまり振り返りたくない。しかし一年浪人していても、スーツ姿は新入生でしかないと分かるらしい。ビラ配り攻めに会うこととなったことだけは記しておこう。これは重要なことだ。

なぜならその後オレは入学式で受け取ったビラを頼りに、数々の新入生歓迎会に向かったのだから。大学で少しつるむ友達なんかも出来たりして、興味もないのにバスケサークルだの、野球サークルだのの歓迎会にお邪魔した。

新入生歓迎会の何がありがたいかと言えば、まだバイトもしておらず、初めての一人暮らしで何かと物入りの時期に、食費を浮かせられてタダ酒まで飲めると言うことである。こんなにウマいことはそうはない。

だから今日もそんななんでもない日のひとつだった。

「智さあ、よっちゃんがボランティアサークル見たいつってるよ」

 友人アキヨシがもう一人の友人よっちゃんの希望をオレに伝えたことがキッカケである。

よっちゃんのよ、は吉田のよ、なのだが高校の同級生に既によっしーがいたらしい。被りを防ぐために元よっしーからよっちゃんに格下げされたのだと、よっちゃんは生まれて初めて酒を飲んだ夜オレたちに話してくれた。

 アキヨシはオレと同じく浪人生、しかし二浪と来た。大人びてカッコいい雰囲気だなと第一印象を持ったのも無理はない。だが、オレたちはイケイケのグループではなく、割と静かに大人しく、そんな派手に同じ学部の女子と馴れ馴れしく話せるようなグループではなかった。

 だから外部での女性との接点を期待するしかあるまい。学部外である。それもあってオレたちは数々のサークルの新歓コンパに顔を出していたのである。

「よっちゃん、なんでボランティアなん?」

 オレは心底不思議だった。せっかく大学にまで来てなぜボランティアなどしたいのか。物好きな友人に出会ったものだ。

 オレたちは学部棟を左手に緩やかな傾斜をバスのロータリーに向かって下っていく。講義が終わったあと、生協でだべってあの子がかわいいだの、あっちの方がオレはタイプだだのとモテないヤツ全開の会話をオレたちは繰り広げた。今日の新歓はどうだろうななどとも話をした。

 だが、この頃になるとオレたちはあまり新歓に期待をしなくなっていた。大学生と言うのは男も女も妙に擦れていて、おバカなオレたちの求める清純派女性は全くいなかった。何かどこか、かわいいの意味を履き違えた女ばかりだった。

 件の学園都市へ向かうバスに乗り込むと、よっちゃんが口を開く。

「いや、高校の時ボランティアしてて、だから大学でも」

「よっちゃんは真面目だね~」

 アキヨシの言葉はどこかカラリとして軽い。この男だけはオレたちの内で唯一彼女がいた。彼女は高校時代の同級生、二浪しようとも我慢強く付き合い続けてくれたらしい、女神だ。

「まあでも誰かのために頑張るって言うのはええことやな。ほんでそこにかわいい人がおったら最高やなあ」

 終点に着き、電車で一駅走り、オレたちはその日の集合場所に向かった。駅の北口、改札口直結の商業施設をスルーして階段下でボランティアサークルの名前を書いたスケッチブックを持つもっさい男女の元に辿り着いた。

「これは、望みうすやな」

 オレは思わず小声で言った。大学生と言うのはイケイケのグループか、イケてないグループか、二極分化してるのだろう。こっちはイケてないグループだとオレは断じた。

 イケてるイケてないと勝手に二分化して、イケてない方を一方的にあげつらっているように見えるかもしれないが、それは実は違う。イケてる側のサークルがどんなだったかも語っておかなくてはならないだろう。

本音を言えばオレとて、イケてる側のサークルに入りたかった。だが、そのイケてるの度合いが想像の遥か上であったと言えばよいのだろうか? 正確に言い表すならばイッちゃってたとでも言えばよいだろうか? 入学式以後も、実はサークルからの勧誘はあった。キャンパスの窓口、バス停前で待ち受ける上級生に手招きされ、とある野球サークルの勧誘を受けた時のことが一番印象的である。

上級生はサークルの概要について説明するのだが、実際に野球をする部員の人数よりも女子マネージャーの人数の方が僅かに多いことにまず疑問を抱いた。その不可解な数字を口にする上級生の語り口の軽いこと軽いこと。更には説明の最後に放たれたひと言が決定的だった。

「あっ、お触りオッケーだから」

そう言って女子マネージャーを彼が指を差したことから、その場は気まずげに頷くにとどめたが、結局そのコンパをオレたちは中途で脱した。

「そんなこと言わないでよ、まだ分かんないじゃん」

青白いよっちゃんの顔が目に入る。言っていることは最もである。だが、イケてる方の振れ幅も強烈ならイケてない方の振れ幅も強烈だろう。現に集合場所にいる代表の男女の男の方は、似合わない茶髪で目を隠し、チェックシャツをズボンにイン。最近ではオシャレでタックイン、と言ってあえてズボンをインする輩もいるが、彼は明らかにそれではない。そして女の方、ぬめりと言う擬音がピタリとハマる質感の黒髪、あまりにも似合っていない眼鏡に垢抜けないデニム姿が痛々しい。見かねてアキヨシがフォローした。

「人間は自分の思い描くものしか手に出来ない。しかもそれは澄んだ心でないと見つけられない。邪心を捨てろ、智」

 それはお前が彼女がいるから言えることじゃい、と内心ツッコミながらも、無邪気に笑うアキヨシを見ていると毒気を抜かれた。やはり一年の重みは大きい、コイツは既に二十歳、大人なのだ。

 ほどなくしてアキヨシより年下かも知れないイケてないの極地にいる男女の先導に導かれて安い居酒屋に押し込められた。先輩とゆっくり話をしてもらうため、と言う謎ルールの元、オレとよっちゃんとアキヨシはバラバラにされ、別々の席に着かされることになった。不貞腐れてドカッと席に着いた、その次の瞬間の出来事が冒頭のそれである。

「はじめまして、山田花梨です」

 そう言って目の前の美女は笑った。切れ長の目、控えめな鼻梁、少し薄い唇、いまどき珍しいロングヘア、美しい。大人数で利用する居酒屋の座敷の一角で美女は笑った。それはまるで真っ暗闇の世界に柔らかく咲く花のようで、オレの感情は心を置き去りに昂った。

オレはテンパった、それも盛大に。

「いやっ、えっ、あの、在沢智です」

 なんとか自分の名前を名乗った。

「トモね、よろしく」

このやさぐれいてたオレの心に染み入る花梨さんの笑顔、少し幸が薄そうな、でもそれがまさに道端に咲く花のようで。オレは文字通り恋に落ちた。

 野暮な質問であるとは承知の上だが、ここで今一度、伺いたい。何かに酷く落ち込んだどこかからの帰り道、アスファルトを突き破って咲く道端の花に心を打たれた経験をあなたはお持ちだろうか? 真っ暗闇の世界の中で、その逆境をむしろあざ笑うかのように美しく咲く花は壮観である。暗闇が濃ければ濃いほど、その美しさはより際立つと言うものである。だから、オレは恋をした。たとえ夢は破れても、花は咲くのである。そう、オレはあまりにも唐突に見つけてしまったのである。夢が破れても、生きていくに足る理由を。アスファルトに咲く花を。 



         fin


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢破れ、花は咲き 逢坂 小太郎 @kotaro_ohsaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ