第29話 秋葉原独立戦線

 もやっしーはかつて就職活動が上手くいかず日本社会に馴染めなかったニートであった。世間の荒波にもまれ、次第に立ち上がることを諦めた一人の青年。

 青年は皇帝でも国家元首でもなくただのオタクだった。だから、時折口にする彼の言葉の節々には日本に対する強い恨みが含まれていた。


「僕みたいなオタクは要らないんだってさ、日本は」

「オタクが要らないって言うから丸ごと独立してやったんだよ」

「これで日本も少し反省したでしょ」


 攻撃的なその言葉の裏には日本社会に対する「必要としてほしい」という恋慕のような情が含まれている、少なくとも僕はそう思った。



       ◇



「兵糧攻めを提案するであります」


 モニターの向こうの総理は驚きを隠せなかった。今年発足したばかりの政権でアキバ問題を最重要課題として取り上げるという旗印のもと見事当選を果たした総理だ。この出来事からも日本世論の一番の関心事はアキバ問題であると捉えてもよい。


「飢えたアキバ国民は自然と国を捨てて日本に帰りたがるでしょう」

「秋葉原は日本です。戦争などするつもりは毛頭ありませんよ」

「もやしまんはお読みいただけましたか?」

「ええ、すべて読みました。面白かったです」

「ありがとうございます」

「それで?」

「総理にお願いがあります。オタクを……オタクを必要だと言ってやってください」

「……その言葉に意味はありますか?」

「それだけでいいんです。本当にたったそれだけで救われる人たちがいるんです。ご検討下さい」

「分かりました。兵糧攻めについても上手く転ぶように少し考えてみましょう」





 力強い総理の言葉から数日後、日本の兵糧攻めは始まった。僕の進言をどう捉えたかは抜きにして、こうした少々強引とも思える態度の裏には国際社会に対する対面があると思う。国内問題を解決できないままいつまでも放置していると日本の国の治世能力自体を疑問視されかねない。政権の威信にかかわる重大な案件であるからだ。


 日本国政府は陸路でのアキバへの物流を完全に遮断し、これに対しアキバは徹底抗戦を構えた。始めは際どいサイバー戦のようなこともやっていたが、やがて陸の孤島であるアキバ国内の物価は高騰し、じきに在庫が底をつくと臨時休業をする店が増え、次第に店舗は閉店し多くの失業者が出た。失業をした者は当然のことのように国を去った。観光客は激減し、コミケは鳴りを潜めやがて街中から声が消えた。



「くっそおお、畜生!」


 もやっしーは悔し紛れに机に飾っていた写真立てを投げた。大事だったはずのおじいさんと一緒に撮った写真だ。僕はそれを拾い机に置いた。


「もう止めないか、もやっしー」

「もやっしーなんて呼ぶな! 皇帝と呼べ!」

「もやっしーオレたちの負けだ。日本に投降することこそ国民を守る唯一の道だ」

「国民を守るだと! 守るべき国民がどこにいると言うんだ!」


 もやっしーは手を広げ大仰に問うた。その時ノックもせずオコジョが顔面蒼白で駆け込んできた。


「大変です! もやっしーさん」

「どうした!」

「アキバ軍が、アキバ軍が……動き出しました」



 恐れていた最悪の事態が起こった。怒り猛った軍部が暴走して日本への進軍を開始したのである。これに応じて日本はすぐさま陸上自衛隊が部隊を展開、攻撃に備えた。


「どうしてそうなった!」


 映像通信で軍幹部に糾弾するもやっしー、これは決して彼の意図するところでも、まして僕の望んでいたことでもなかった。


『我々に残された道はこれしかありません。戦わせてください皇帝陛下』

「戦って負けることが分からないのか!」

『重要なのは勝つことではありません。オタクの存在意義を示すことです』

「オタクの存在意義……」


 こんな、こんなはずじゃなかった。僕はいてもたってもいられなくなった。さっと立ちあがると駆けだした。


「どこ行くんですか! キャッスルさん」


 オコジョのとめる声が聞こえたが立ち止まることは出来なかった。





 僕は全力で駆けた。息を切らしながらひたすら走り続け国境付近にまでやってきた。互いに戦車を構え凍った空気の中睨み合うアキバ軍と自衛隊、アキバ軍は今にも先制攻撃を仕掛けようとしている。一方自衛隊は冷静沈着で事態を見極めようとしているかに見える。まず自衛隊から発砲することはない。僕はアキバ軍の壁をすり抜けて両軍の中央へと歩み出る。


「戦うなーーーーーー!」


 僕が両手を広げて声を張り上げると同時に「打てーーーー!」と声が聞こえた。後方のアキバ軍の戦車から地を揺らす発射音がして目前の地面が吹き飛ぶ。僕は吹き飛ばされて激しく体を打ち付けた。


 額を擦りむき血がにじむ。体がバラバラに引き裂かれそうな痛みだ。こんなところで倒れるわけにはいかないと軋む体に喝を入れ、もがくように立ち上がったところで爆風が再び起こる。第二射があった。


 膝をつき、抉れた地面を呆然と眺めた。二発とも自衛隊には幸い当たらず、両軍の間の地面を無造作に抉っただけ。威嚇射撃のつもりだろうが二射は全く違う位置に着弾しており練度の低さが窺えた。こんな者たちが武器を振り回しているのかと恐怖さえ感じた。


 愚かな威嚇に応じるように自衛隊が少し角度をずらして主砲を打った。アキバ軍の丁度一メートル前の地面を抉る。威嚇射撃というものはこういう物だと示す。実力の差は歴然だ。


「こんなことが許されていいのか……」


 僕の呟きは誰にも聞こえていない。この戦場にいる誰にも。


 僕たちはどうして戦わなくてはならない。壊れていく国土を見て手の震えが止まらない。心の中から湧き上がるのは怒りではなく悲しみ。


「止めてくれ!」


 精一杯叫んだ声は戦場の藻屑になる。


「止めてくれーーー!」


 こぼれる涙を止めることは出来なかった。


「僕は、僕らは日本人なんだーーーーーー!」

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