第28話 スシくいね
もやっしーの部下になって三カ月が過ぎようとしていた。始めの一カ月は付き人のようなことをして買い出しや食事の予約をしながら簡単にアキバの歴史のようなものを勉強して、その後、僕とオコジョに用意されていたのは宇宙開発大臣と副大臣のポストであった。
「では、打ち上げにはあとひと月ほどかかるという事だね?」
「はい、予定より作業工程が遅れておりまして……」
「いつでも構わないよ。宇宙は逃げたりしないんだから」
もやっしーは不敵に笑う。報告を終えて映像通信を終えようとして「待って」と止められる。
「もやしまんの新作今度読んでよ」
「もやっしー、今は職務中だろ?」
「構わないよ、皇帝は僕なんだから。法律も規則も全部僕が決める、僕の国なんだから」
「そうか」
遠慮気味に笑う僕にもやっしーは「じゃあね」と告げて通信を切った。
通信が切れると僕は人払いをして内線でオコジョを部屋に呼んだ。早速本国と通信をする。宇宙開発省の機密性は高く、まさかここで敵国との通信が堂々と行われているとは誰も思いもしないだろう。
鈴村陸尉が映った。僕とオコジョが自衛隊員であることを知る数少ない人物だ。
「『スシくいね壱号』の打ち上げは来月にずれ込む予定です」
「そうか、上手くいっていないと思っていたがまさか現実味を帯びて来るとはな」
「むしろ上手くいっているという印象です」
アキバがついに宇宙開発に乗り出した。ロケット『スシくいね壱号』はそのまさに象徴であった。
「米国があまりいい顔をしていないがな」
「ミサイルの開発にも転用が可能ですからね」
「まあ、アキバにそんな心づもりはないと思うが万が一という事もある。日本からは圧力をかけるという方向で一致しそうだ」
「僕らの方でも出来ることがないか画策してみます」
「頼む」
通信を終わり豪奢なイスに身をもたす。オコジョはソファに座り手元の資料を眺めている。
「視察だって言って現地に行ってウイルスばらまいてきましょうか?」
「お付きの者が付いてくるからそれは無理だろう」
高い天井を見つめながら今後のことを考える。大臣になって僕らはもやっしーの片棒を担いでいる。潜伏していると言えば聞こえはいいが果たしてこのままでいいのか?
部下にならないかと言われた時はひどく驚いた。テロリストである僕らをあえて仲間に取り込むという考えは何晩寝ても理解出来なかった。それは一種の揺さぶりである可能性があったからだ。僕たちに判断不可の要件を突き付けて背後の組織を引きずり出そうという目論見のもと計画されたことのように思えてならなかった。
盗聴や尾行を警戒し、何とかコンタクトをとった上層部が出した結論は敵陣に飛び込むことであった。こうしてここに僕らはいる。ついでに言っておくと盗聴や尾行と言うものは一切なかった。
これはもやっしーが僕たちのことを真の友人と認めてくれたことの証。その証拠に配下になった日、もやっしーは笑顔で「ありがとう、僕には今少しでも信頼できる多くの仲間が必要なんだ」と言って固く握手をした。
もやっしーの指示で配下になると決めた翌日には警察のホームぺージから僕らの手配写真が消えて街から手配ポスターが無くなった。皇帝の意のままに。何という恐ろしい独裁国家だとも思った。
内線をかけて秘書に連絡する。
「今日はかつ丼にするよ」
『畏まりました』
「オコジョの分はつゆだくにしてくれ」
『はい』
内線を切り、店屋物のメニューを閉じると机に立てていたアキバ史の本を手にした。以前もやっしーにプレゼントで貰ったものだ。
分厚い三センチほどある赤い表紙の本で中にはぎっしりとオタクについて記述されている。随分読んだがその全てを理解できたわけじゃない。アキバがアキバのことを身勝手に書いた自己満足のような本だったし、日本人に見せると何様だと思う箇所も少なくないだろう。
例えば、アキバが国として独立した背景には日本からの搾取が原因だったという記述がある。オタク文化を羨んだ日本政府がオタク税なる高い税をかけ各分野からの徴収を始めたと。そんな事実はないし、これからも起こりえないだろう。
その本は日本国の秋葉原の存在をこれでもかと否定するものだった。そんな本信じ込む大人は少ないだろう。けれどこれは現在アキバで国定教科書として使われている。日本を知らない日本人が育っていく、このことに物恐ろしさを覚える。
僕はある1つの策を講じた。もやしまんの本を日本へと送る。送り先はセイバー、彼ならきっと上手く立ち回ってくれる。今の自分に出来ることは少ない、でも無じゃない。解決の糸口は自分で見つけなければならない。それが友人として僕にできること。
◇
ロケット開発は順調に進みいよいよ発射日が訪れた。雲一つない晴天、風もなく好適。もやっしーは期待の眼差しを向けている。いつだったか目を輝かせて言っていた。これはアキバの希望になると。
もやっしーは小さなころから宇宙アニメに心頭していて自ら宇宙へ行くのが夢だったそうだ。立場上行くわけにもいかなくなったが今でもその夢は捨てていないと。
ロケットには手作りのもやしまん人形を乗せている。僕の代わりに宇宙に行ってもらうとのことだ。
宇宙開発省の担当者が大勢集まる中、発射シークエンスが開始される。僕もオコジョも緊張していた。これを打てばアキバは自分の首を絞めることになる。成功すれば米国は動く。滅亡へのカウントダウンが始まろうとしていた。
「五」
「四」
皆の横顔に期待が満ちている。
「三」
オコジョが瞬きをせずじっと見つめている。
「二」
「一」
「リフトオフ」
その声と同時に見たこともないような熱量の炎が立ちのぼり轟音を立ててロケットが空へと垂直上昇していった。重力に逆らいながらスシくいねは強引に宇宙を目指す。発射してしばしは順調な様子だった。見ていた誰もが喚起に沸き手を打ち合わせて喜んでいた。
しかし、先端より少し下方で一瞬炎が見えた。直後、スシくいねは大爆発、夢は空へと消えた。到達地点は上空二十キロ、スシくいねは地球から出ることすら出来なかった。
誰も彼も言葉を失っていた。ただ、僕はほっとしていた。これでもう少しこの国に居られる、僕には戦わなくてもいい理由が必要だった。
後日、僕の所にとあるところから通信が入った。そう、それは僕が本を送った人物、送った本は『もやしまん』。受け取ったのはセイバーじゃない。セイバーには受け渡しを頼んだだけ。
通信の相手は日本国、総理大臣だった。
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