第25話 メリークリスマス


 そのケンカは僕の不用意な質問から始まった。


「もやっしー、キミは普段仕事は何をしているんだ?」

「……」


 ねぎを改造したお手製のもやしの着ぐるみの中でもやっしーが黙り込む。


「……バイトとかしてるけど」

「バイトだけで、もやし部屋と生活部屋と二つ借りるのは苦しくないか?」

「まあ、それは……」

「ああ、いや立ち入ったことを聞くつもりはなかったんだけどふと疑問に思ってな。よく金が持つなと……」

「……人のこと聞く前にキャッスルたちこそ不審でしょ? 働いている様子何て無いのに妙に羽振りはいいし」

「ああ、いやそれは……」

「自分たちの方こそ怪しいのに人の経済事情に首突っ込む方がおかしいでしょ?」

「そんな。そんな言い方しなくても僕はただ……」

「逃走資金とかどうしてるの? お金が湯水のようにあるみたいだけど、どっから湧いてくるの?」


 もやっしーが逃走がどうとか口にしたのは初めてだったので聞いて初めて、そうかやっぱり知っているのかと実感してショックだった。


「僕は真面目にやってる。ちゃんと働いているんだ。人に趣味のことがどうとか言われたくない!」


 もやっしーは怒って黙り込んでしまった。すぐに「すまない」と謝罪しようとしたが僕の視線を振り払うように、もやしの着ぐるみはやってきた客の所へスタスタと歩いて行ってしまった。


 完全に謝り時を失したな、と思った。表情こそ見えないがあれは怒っている、完全に怒っているなと。困ってまごまごしているとオコジョがブースに戻ってきた。彼の着ているのは真っ黒なワイルダーのゴムスーツ、新調したものだ。


「あれ、二人ともどうしたんですか?」


 オコジョが顔も見えないのに僕らの間の険悪な空気を察した。


「すまない、僕が悪かったんだ」


 そう言ったが、もやっしーは相当腹を立てていたようでそれをあっさり無視した。


「今日はもう帰って。あとは僕一人で売るから」

「えっ?」


 結局僕らは取り付く島がないままコミケ会場を後にした。


 帰宅しながら僕はオコジョにことの顛末を話した。するとすぐにオコジョが、


「それはキャッスルさん失礼ですよ」


と言った。


「いくら仲良くてもね、お金の事情何て人それぞれです。話して平気な人もいれば嫌がる人もいるんです。大人なんだからそこの所察しないと」


 年下のオコジョに説教されてしまった。


 オコジョの言葉を噛みしめながら歩く。確かに失礼だった、と。どう謝罪をしよう。


「なあ、オコジョよ。どうやって謝ればいいと思う」


 問いかけるとオコジョも一緒に悩んでくれて「そうですねー」と呟く。不意にオコジョが「あっ!」と声を上げてショーウインドウの前で立ち止まる。


 数歩戻り「どうした?」と問いかける。オコジョが見ていたのは……『手作りクリスマスケーキ教室』のチラシだった。



       ◇



「皆さんこんにちは、講師の山野道子と申します。今日のお教室ではクリスマスケーキを作ります。上手く出来たら持って帰ってご家族やお友達とお祝いしてくださいね」

「あの、質問があります。クリスマスを祝うと言うのはあくまでキリスト教徒の風習でありまして、ほとんどが仏教徒であるこの国では祝うではなくご賞味くださいという方が正しいのでは……」


 僕は思った通りの意見を言ったまでだが講師は少し笑顔を引きつらせる。参加女性たちがクスクスと笑っている。参加しているのは僕たち以外は全員女性だし、コスプレしているのも僕たちだけだ。でも気にしない。先生が「ううん!」と咳払いしてにこやかに口を開く。


「えー、各家庭の御事情があるかと思いますが楽しいクリスマスを過ごしてくださいね」


 こうしてケーキ作りがスタートした。僕はオコジョと組んでイチゴの乗ったタイプのデコレーションケーキを作ることにした。


「まず、小麦粉だな」


 秤にボールを乗せて小麦粉を入れる。


「小麦粉ろくまる!」


 声を張り上げて言った瞬間オコジョに頭をしばかれた。そのまま秤の小麦粉へと顔面ダイブする。危うく自衛隊が露呈するところだった。


「えぇ、まずは小麦粉六十グラム」


 小麦粉まみれのゴムスーツをぱしぱしと払いながら慎重に計量する。他、グラニュー糖、バター、牛乳、卵、水を量り終えて講師の指示を待つ。


「皆さん量り終わりましたね。次は卵を泡立てます。グラニュー糖を入れて湯煎をしながら人肌の温かさで泡立ててください」

「先生、大体何度くらいでしょうか」

「そうですね、大体三十八度から四十度くらいですね」

「それは人肌とは言わないのでは。人の体温は通常ですと三十六度から三十七度程度です。その温度だとむしろ高熱状態にあると言えるのでは。どうしても平熱状態のことを指したいのであればそれは犬の平熱なので人肌ではなく犬肌と言い換えるべきかと思います」

「そうですね、先生が間違ってました。人肌ではなく犬肌です。犬肌に温めてください」


 ずっと泡立てていると生地が白っぽくなってきたので泡だて器を取り出し次の行程を待つ。周囲と比べても僕らは格段に作業が早い。優秀だな、と心で呟く。


「出来たら次は小麦粉をふるい入れてください。入れ終えたらへらでさっくりと混ぜます」


 オコジョが小麦粉を投入して僕がざるをトントンと叩く。粉が生地の上に雪のように舞い落ちる。


「さっくり、さっくり、さっくり、さっくり」


 自分で暗示をかけながらしっかり混ぜ合わす。


「混ざったら型に流し入れて高いところから落としましょう」


 僕は流し入れた型を出来うる限り天高く持ち上げて床へと落とした。


 事故だった。


 型から無残に流れ出た生地、そのほとんどが床にどろりと零れ落ち空しく転がるケーキ型……。途中までは上手く行っていた、完璧だった。なのに。

 呆然としていると先生が驚いてやってきて「どこへ落としてるんですか!」と叫んだ。


 先生の機転で無事だった分の生地を小さな型に入れ替えてミニサイズのケーキを作ることにした。オーブンで焼けるのをじっと待つ。むくむく膨らんでいくスポンジ生地、小さいけれどいいさ、小さいけれどいいさ。


「いい香りがしてきましたねー」


 オコジョがオーブンに顔を寄せ、鼻をひくつかせている。型が小さいので僕たちのは他の人たちより早めにオーブンから取り出した。他の人のが焼けるのを待っている間先生と世間話をすることにした。


「先生は普段ケーキをたくさんお作りになるのですか?」

「ええ、作りますよ。ことあるごとに家族に焼いてます」

「へえ、ご家族が羨ましいですね」

「あなたは今日どうしてお教室に参加されたの?」

「実は、実は謝罪したい人がいまして……」

「そう、それはすごくいいアイデアだと思うわ。真心を伝えると言うのは大事なことね」

「受け取ってもらえるかどうか……」

「きっと喜んでくれるわ! あっ、みんなのもそろそろ焼けた頃かしら」

 そう言って先生は僕たちの調理台を離れて行ってしまった。もう少し話したかったのに。


 生地を半分に切り、生クリームを泡立てる。オコジョはその間にイチゴをカットしている。クリームを生地の断面に薄く塗るとイチゴを散らした。その上からまたクリームを重ねる。

 全部を重ねていよいよ命のデコレーション。クリームを絞り、慎重にイチゴを一粒一粒載せていく。オコジョとの共同作業だった。全部載せ終えて主役のサンタを飾る。プラスティックのツリーを突き刺すと何とかクリスマスケーキになった。

 気を抜いているとオコジョが「キャッスルさんまだ終わってませんよ」と言った。


 チョコレートのプレートにメッセージを書く作業が残っていた。メリークリスマスの綴りを思い出しながら一生懸命書こうと手を震わせる。が、それを書くのは止めた。改めてメッセージを書き終えるとケーキ箱に入れた。





 教室を終えてケーキ箱片手にもやし部屋を目指す。そこにいるかどうかは知らないが毎日来ていると言っていたのでまあ、気づいてくれるだろう。


「許してくれるといいですね」


 オコジョが言った。半日がかりで自分たちが食べないケーキを懸命に作った。オコジョにとっては徒労だっただろう。


「付き合わせてすまないな」

「いえいえ、楽しかったです」


 もやし部屋に到着してそっと箱の中身を確認する。歩いてきたので心配だったが崩れていない。メッセージプレートには下手くそな『ごめんなさい』の文字。もやっしーは食べてくれるだろうか?


 そっとドアの外に置きその場を後にする。


 その晩、もやっしーから「おいしかったよ。ごちそうさま」とメッセージが来た。


 こうして僕らは仲直りをした。


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