第23話 もやし
「もやしは生で食べると美味しいんだ」
もやっしーが沈みこんだ声で言う。
「腹をこわすことはないのか?」
「……僕は平気だけど」
「そうか」
僕は再びコミケにやってきた。アクセススーツでもやっしーの作品販売を手伝っている。僕の提案で同人誌にもやしを一袋おまけして売るという極めてシュールな販促を展開している。
もやしは今朝アキバマートでオコジョと仕入れてきた。聞いて驚け、黒豆もやしだ。始めもやしを見た時もやっしーはあっけにとられた顔をしていたが事態が飲みこめたようで「いい作戦かもしれないね」と呟いた。
しかし、もやしは一向に捌けない。すなわち同人誌は売れない。どうしてだろう?
「この間貰った本面白かったよ」
「ホントに?」
もやっしのー顔にわずかに朱が指す。
「オコジョもすごく喜んでた」
「そうなんだ」
「コンセプトがいいよね。宇宙の果てからもやしが1本で来るってのが。最後間違って野菜炒めにされちゃうってオチがあるでしょ? それも堪らないね」
「良かった~、面白くないって言われたらどうしようかと……」
「面白いよ、これは売れるべき作品だよ」
「ありがとう」
もやっしーを励ましていると一人の客がやってきた。普通の格好の女性客だ。見本を開いてじっと見ている。期待の眼差しを送っていたが彼女は「すみません」と言って去ってしまった。
「売れないね……」
もやっしーの声が再び沈む。折角元気が出てたのに、また萎れてしまった。
「何がいけないんだろうね?」
「うーむ」
その時アクセススーツのオコジョが数人のコスプレイヤーを従えてやってきた。
「こちらです」
オコジョは片手に先月僕が買って与えたもやしまんの本を握りしめている。サインを貰うために持ってきていたのだが、どうやらそれを見本にして客を獲得してきてくれたらしい。客はさっそくもやしまんに飛びついた。第一巻とその続編合わせて十冊売れた。おまけのもやしをつけることを忘れない。もやしを見せるとコスプレイヤーたちは「マジでもやし?」とウケてくれた。
客が去り、僕らは再びぽつんとブースに佇む。
「たくさん売れて良かったですね」
オコジョが言うともやっしーの顔に微かな笑みが広がる。
「オコジョ君のおかげだよ」
「違いますよ~、もやしまんが面白いからですよ~」
ほんわかした空気だった。しかし、もやっしーの言葉で事態は一転する。
「今日打ち上げに行かない? 二人にお礼がしたいし僕がおごるよ」
危惧していた事態に凍りつく。
「もやっしーそれは……それは出来ない」
顔をそっと背ける。
「どうして?」
もやっしーが不思議そうに見て来る。「マスクを取ることが出来ないからだ!」とは言えず、言葉に詰まった僕を援護するようにオコジョが口を開く。
「キャッスルさんは、……キャッスルさんは酒乱なんです!」
「え?」
「以前お酒で酔って全裸で街中を走り回ったことがありまして」
「そうなの?」
「実はそうなんだ」
もちろん嘘である。キャバクラで叫んで交番に連れていかれたことはあるがそこまでじゃない。
「じゃあ、ファミレスでご飯だけでも食べようよ」
折角仲良くなりかけたのにこんなことで仲たがいをするわけにもいかない。結局、断り切れず二人でごちそうになることになった。
「どうしましょう、キャッスルさん」
近くのファミレスに後に集合することにしてもやっしーとはいったん別れた。コミケ会場を出て僕らは街をさまよう。あと二時間で対策を立てなければいけないが妙案が浮かばない。
僕らは縋る藁を求めて百円ショップへとやってきた。
「顔を塗るってのはどうでしょうね?」
オコジョがラッカースプレーを手にとり呟く。思わず青塗りを思い出す。
「……それは止めよう」
「そうですか……」
ペンキ売り場を離れ雑貨コーナーへ。パーティー用のお面などが多数あった。これを口の部分だけ切り抜いてつけるという手もあるが。
「そうまでして素顔を曝さないってなると余計怪しいですよね」
「だよなー」
雑貨コーナーを離れ文具売り場へと行き、使えそうなものを物色する。
「やっぱりこれですかね」
「それしかないなあ」
結局僕らはいくつかの商品を購入してファミレスへと向かった。
◇
「おまたせー」
僕とオコジョが着くともやっしーが席について待っていた。
「……好きなもの食べてね」
もやっしーが大人しいのは相変わらずだがコミケ会場にいた時よりほんの少しだけ態度が砕けている気がする。
「じゃあ、僕和風ハンバーグ定食!」
オコジョがメニューを見て5秒で注文を決めた。僕は迷いに迷ってナポリタンセットを注文した。
料理が来るまで他愛ない世間話でもするか、と思った時もやっしーが少し笑いながら言った。
「マスク外さずにどうやって食べるの?」
来たか。しかし対策は出来ている。
「こうやって食べる」
僕とオコジョはパックマンのように口をパカパカと開いた。そう僕らはハサミを購入し苦肉の策でアクセススーツの口の部分に切り込みを入れたのだ。
「あはははは」
もやっしーが楽しそうに笑う。初めて聞いた笑い声かもしれない。
僕らは食事をしながらたくさんのことについて話した。もやしのこと、アニメのこと、もやしのこと、コミケのこと、やっぱりもやしのこと。
「もやしは万能の食べ物だと思うんだ」
「一番好きなのは緑豆もやし。みんな大豆もやしに流れがちだけどスタンダードは外せないよね」
「ブラックマッペ(黒豆)と緑豆の見た目の違いはひょろひょろしてるかどうかかな。緑豆は割と細いけど筋が通っててブラックマッペはほんとにひょろ長い」
「根切りもあるけどあれはいただけないね。知ってた? ひげ根の部分に一番栄養があるんだよ。ひげ根も含めてもやしなんだから」
もやっしーはもやしのことについてはとにかく喋った。これほど喋る奴だったのかと感心してしまうくらい。どうしてそんなにもやしが好きなのかと問いかけるとそれは亡くなった祖父の影響だという。
もやっしーは小さいころ病弱であまり外では遊べず、ふさぎ込むもやっしーを元気づけようと祖父がもやしの栽培を教えてくれた。祖父は亡くなり、もやっしーも大人になるにつれて健康になったが今でももやし栽培は一番の趣味だという。スマホにはたくさんのもやし栽培の画像が入っていた。
「こっちが緑豆で、こっちがブラックマッペ、でこれが大豆。みんな元気があって可愛いでしょう? ちゃんという事聞くんだよ」
もやしのことを語るもやっしーは心底幸せそうで、聞いていると何だか幸せを分けて貰えた気になる。語るのに夢中でもやっしーの注文したラーメンはとっくに伸びていた。
◇
夜道を歩いて帰る。何かあるといけないのでもやっしーを二人で送る。「……大丈夫だよ」と言われたが荷物もあるのでそれを3人で分けて持つ。踏切を超えて住宅地に入ったところでもやっしーが「ここでいいよ、……もう近いから」と言った。
「ねえ、キャッスル、オコジョ」
「うん?」
「顔はどうしてもさらせない?」
「!」
「僕たち友達だよね?」
「……それは」
「ずっとマスクは取らないし何か理由があるのかなとは思ったけど……」
「すみませんもやっしーさん、僕たちは……」
「そうか、知りたいか」
言いかけたオコジョを差し置いて僕はスーツの後ろに手を回した。ファスナーを降ろす。
「ちょっとキャッスルさん!」
マスクを剥いで素顔を露わにした。
「ぷ、はははは」
もやっしーが仮面の下の素顔を見て笑った。そう僕は仮面の下にセロテープ芸を施していた。百円ショップで買ったセロテープで二段構えの準備をしていたのだ。
「分かったよ……もういいよ」
もやっしーが笑みを消し諦めたように言う。僕は心が痛かった。僕らとちゃんと向き合ってくれたもやっしーを傷つけてしまった気がした。僕はそっとテープをはがし始めた。
「何やってるんですか、キャッスルさん!」
これは予定外の行動だ。自分でも正直何をしようとしているのか考えられない位頭の中は真っ白だった。もう、この下の仕掛けはない。全てのテープをはがし終えてまっすぐもやっしーに向き合う。
「これが僕だよ」
笑ったがもやっしーは笑わなかった。唖然とした顔をしていた。たぶん警察のホームページ等で僕の顔を見たことがあったのだろう。
「警察に突き出す?」
「……ううん。言わない」
そう言って口をまっすぐ結ぶ。
「誰にも言わないよ……」
もやっしーは自身でも確認するように静かに何度かうなづいた後、「じゃあ、送ってくれてありがとう」と言い残して帰っていった。
これで良かったのかな? うん、大丈夫。きっと大丈夫だ。
「もう、捕まっても知りませんよ!」
オコジョが少し怒っている。
「大丈夫、彼はきっと我々の力になってくれる」
僕は顔をあげてもやっしーの消えていった方をじっと見つめる。
「なってくれるはずだ」
微かな希望のようなものを感じながらぎゅっとこぶしを握りしめた。
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