第10話 パレードとおむつ

 潜入部隊による二回目の会合があった。場所は以前と同じ、メンバー行きつけの和風カラオケ店『炉八』、通称作戦会議室。


 しかし、今日は少し様相が違う。入るなり着席して十五分経ったが、セイバーはまだ喋り出さない。僕は様子を窺いながら恐る恐るストローでミックスジュースを飲む。緊張して味さえしない。セイバー十八番の琴絵ちゃんソングも今日は鳴っていない。重たい沈黙が落ち、ただならぬ雰囲気を察して皆押し黙っている。


 そっとセイバーが目を閉じて、絞り出すように震える声で言った。


「……日本が負けた」


 わっとざわめきが起こった。


「どうしてですか!」

「何があったというのです!」


 皆が縋るように声を上げた。国を思う愛国者ばかりだ、仕方がない。目頭を押さえ俯き泣き出す者さえいた。



 セイバーによると先日、僕らの所属する自衛隊サイバー部隊によりパレードの募集ページを乗っ取る大規模作戦が展開されたという。しかし、サイバー部隊が総力を挙げてアキバの開発した新型セキュリティ『てやんでい』の突破に心血を注いでいた時、報復はすでに始まっていた。


 日本国の内閣府のホームページのあちこちに張り付けられた、首相がおしゃぶりを銜えおむつ姿ではいはいする写真、一緒に写っていたセクシーナース服の女性は首相の不倫相手だった。ネットに拡散する写真、次々に立ち上がる誹謗中傷のスレッド、真剣に報じるニュースと半笑いでこき下ろすワイドショー、首相の不名誉なニュースは日本を超え海外へと広まり、内閣支持率は一機に十二パーセントにまで下落した。


 日本国首相の信頼は地に落ちた。いや、首相の信頼だけではない、日本国のイメージにも関わる由々しき事態だった。眠れる獅子を揺り起こしてはいけなかった。作戦を起こしたこと自体が失敗だった。こうして自衛隊の奮闘空しくホームページの乗っ取り作戦は失敗し、かえって政府に大損害を与える結果となった。


「パレードは……開催される」


 セイバーが沈痛な面持ちで言った。


「おれ達は……アキバ軍としてパレードに参加する。本国からの指示はまだないが、何とか失敗させて一矢報いなければならん……」


 縋る先のない不安、けれど言葉の奥に秘められた日本国への深い忠誠心のようなものも感じた。


 セイバーの言葉で皆、目の輝きを取り戻し活気づく。


「やりましょう! セイバーさん」

「俺たちついて行きます!」

「アキバに一泡吹かせるぞ!」


 声は掛け声になり掛け声は歓声になって空間を揺らした。


「キャッスル、お前はコスプレイヤーとして参加するんだったな。細かな情報収集は任せたぞ」


 猛る皆と対照的に、笑っているがセイバーの声は浮かない。やるせなさが溢れ出していた。


 僕は頷くことが出来なかった。本国の後ろ盾がないという事実に慄いていたからだ。正直怖かった。戦う勇気はこれっぽちも湧いてこなかった。セイバーは僕の目をじっと見たかと思うとふっと笑って「もう出よう」と呟いた。もしかしたら僕の自信の無さを見抜かれていたのかもしれない。結局僕らは一曲も歌わず炉八をあとにした。外はすでに日が沈みかけていた。



 自宅に帰り着き、暗がりの中ソファに身を投げる。頭を渦巻くのはセイバーの言葉。


――細かな情報収集は任せたぞ


 自分に大層なことが出来るようには思えなかった。自衛隊という大きな組織の後ろ盾があってこそ戦うことが出来ていたのだと今になって知る。セイバーたちは事を起こすとのことだが本当にやるつもりだろうか? もし失敗したら? 嫌なことばかりが頭の中を駆け巡る。想いはぐるぐる渦巻いて僕を苦しく締め付ける。不安を払拭するように僕はテレビをつけた。


 声優だらけのバラエティ番組、変えても変えてもアニメ、声優、オタクだらけ。泣きたくなってきた。好き好んだはずのアキバの空気を今は思い切り吸えなくなっていた。僕はテレビを消すと夜気を吸いに夜の街へと繰り出した。


 思えば日本にいたころはムシャクシャするとよく走っていたと思う。いや、訂正する。ここも日本だ。様変わりした国土、でも紛うこと無き日本の領土。我々はこの地を取り戻すためにやって来た。信号で立ち止まるとふと懐かしい言葉が頭をよぎる。


――ヒーローの人生とは常に戦いだ。


 皮肉だがこんな時でも浮かんでくるのはアクセスマンの言葉だった。アキバを日本に取り戻す。倒すのではない、取り戻すのだ。日本国アキバ、秋葉原。これは日本国の威信をかけた戦いなのだ。

 


 一晩眠りもう迷いはなかった。心の赴くままに僕はアキバと戦う、正義のために戦う。その一心だった。そして後日、セイバーのタレコミによりアキバ公国皇帝がパレードにサプライズで参加するという極めて重要な情報を得た。さらに幸運なことに僕のパレードでの位置は皇帝の乗るフロート車のすぐ隣だった。パレードをつぶすには皇帝を襲うほかないだろう。


 決意を定め、


<殺ります>


とだけセイバーにメールをして来たる当日を待った。



 十月某日、建国三周年のパレードの日を迎えた。パレードは一時から。まだ開始まで三十分ある。僕はアクセススーツを着込みチャンスに備えた。ルートは中央広場を通って皇帝の公邸前を通過し、西へと抜けるコース。皇帝を襲うなら派手に目立つ中通りが良いだろう。テレビ中継があるので僕の蛮行は全国放送されるはずだ。アキバの体制に不満を持った反乱分子がいるという事だけでも見せつけたい。足首に隠した折り畳みナイフで皇帝を刺せば民衆は混乱し、パレードは失敗に終わる。


 セイバーたちがどんな作戦を立てているかは僕も知らない。でも彼らは彼らなりのやり方で、僕は僕なりのやり方で正義を示す。殺すことが正しいとは限らない。もしかしたら帰るべき場所を無くすかもしれない。それでも日本国のために戦う。それが僕なりの自衛隊員としての矜持だ。



 とうとうパレードが始まった。前から順にゆっくり動いているようだ。けれど参加しているコスプレイヤーは一万人。僕の周囲は中々動き出さない。こうして見てみると皆、実にユニークな思い思いの格好をしている。明子さん、ゆるキャラ、メイド、ゾンビ、魔法使いに王様。……王様? 僕は目を剥いた。


 お付きのものに囲まれ、待機していたイモムシを模した黄緑のフロート車に乗り込む王様の姿があった。よくできた冠にフェイクの宝玉の付いた杖、裾にファーの付いた赤いマント、何とも大それたコスプレ。そうか、あいつが皇帝か。ぐっとこぶしを握り締め我慢する。まだ、今じゃない。必ず好機がやってくる。逸る心を抑え僕は歩き出した。



 沿道に手を振って進みながら、使命さえなければホントに楽しいのだろうなとふと思う。何重にも並んだ観光客、結構外人の姿も目立ってみんな楽しんでいる。これぞお祭りだな、と思った。


 不意に一番前にいた小さな子供と目が合った。右手を父親と繋ぎ指を指して「あー、アクセスマン!」と言っている。そうか、少年よアクセスマンを知っているのか。そしてふと、気づく。アクセスマンが王様をしいするのかと。一瞬思考が停止した。その停止が僕の反応を一瞬遅らせた。


 沿道を警備していたアキバ軍の中から飛び出した数人の兵士、セイバーたちだった。彼らは数人でフロートを取り囲み、軍服を脱ぎ捨てると全員おむつ姿になった。日本国首相へのオマージュらしい。セイバーが瞬く間にフロート車に駆け上がり皇帝の喉元にナイフを突きつけた。


「フロート車を郊外へ向けろ、後は追うな! 従わなければ皇帝の命はないものと思え!」


 セイバーが声高らかに叫ぶ。そして、その後フロート車はおむつ姿の自衛隊員達に囲まれて隊列を離れゆっくり郊外へと消えていった。



 結局狙い通りパレードはその後中止になり、おむつ姿から事を起こしたのは日本人であることがテレビで報じられた。パレードは失敗、皇帝は消息不明、日本の反抗の意思は大々的に伝えられ作戦は成功したかに思われた。しかし、三日後事態は暗転する。皇帝が無事保護され犯人が全員逮捕されたとのニュースが飛び込んできたからだ。そして、さらに一週間後僕は愕然とする。


――セイバーたちの公開処刑が決定した。


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