第9話 琴絵ちゃんはブスではない(セイバー談)
朝、僕はセイバーを待っていた。待ち合わせはアキバセンター書店の入り口。何しろ今日はセイバー待望の琴絵ちゃんファースト写真集出版記念サイン会の日なのだ。え? 琴絵ちゃん? ぜんぜんファンじゃありません。じゃあ、何で来たのかって?
一人じゃ来られないとセイバーに泣きつかれたのだ。ごついガタイをしていい年したおっさんのくせにセイバーは恥ずかしがりなのだ。というか、大事なアキバ建国パレードが控えているというのに何という気持ちのゆるみ、そんなので本国で待つ仲間たちに顔向けできるのかと言いたくなってくる、(おっと明子さんのことは突っこまないでおくれよ)。
サイン会の整理券は写真集を購入すると貰えるので一刻も早く写真集を手に入れる必要がある。書店の開店は十時から、そろそろ時間なのだがセイバーはまだ来ない。人も集まり始めた。早くしないと整理券が貰えなくなってしまう。焦れた僕はセイバーに電話をした。
『もしもし! キャッスルか!』
飛びかかってくるような勢いでセイバーが電話に出た。
「はい、セイバーさんそろそろ時間になりますよ」
『すまん! 警察に捕まった!』
「えっ?」
『バイクが整備不良だったんだ』
僕はほっと胸をなでおろす。てっきり変質者で捕まったのかと思った。
『手続きが終わり次第向かうが配布開始時間にはおそらく遅れる! キャッスル今生の頼みだ! 聞いてくれ』
僕は思わず顔をしかめる。大体想像はつく。
『オレの代わりに整理券を手に入れてくれ! キャッスルの分が無くなってしまうのが申し訳ないがオレは琴絵ちゃんのかねてからのファンだということは知っているだろう。どうか堪えて譲ってほしい』
「いいですよ、別に」
並ぶのは面倒だと感じたが日頃の恩もある。ただ、僕の分が~というくだりにはウザささえ感じたがまあ反論しないでおく。
「じゃあ、頼んだぞ」
そう言って電話は切れた。仕方がないのでセイバーのかわりに本を購入することにする。皆どうして琴絵ちゃんにハマるのだろう。と店頭のサイン会告知ポスターを見る。顔は小さくて目は大きいし、スタイル抜群で足は長いしものすごく可愛い気がする。修正してあるなとすぐ気づいたがこれにやられるファンも多いのだろう。恋は盲目、仕方がない。
十時になり店が開店、琴絵ちゃんファンがなだれ込む。僕はロケットダッシュで写真集コーナーまで向かい、本をひっつかむとレジまで走った。並びながら、普段大人しいオタクがアクティブになるのはライブとこういう時だけだよなとしみじみ思う。前から三番目、まあ整理券は安泰だろう。というよりも自衛官より先にレジまで走ってこれた二人はオタクながら一体どんな人物だ、と顔を見る。
前二人も自衛官だった。どちらも作戦会議で見知った顔だった。目が合うと二人は口元に笑みを浮かべながら親指をそっと立てた。一人が「グッジョブ」と囁く。もう1人は納得の表情で頷いている。どいつもこいつも気が緩み過ぎじゃねーか! と思ったが険が立ってもあれなので「ども」と会釈した。
会計を済ませ店を出て彼らと別れる。「お疲れ!」と爽やかに挨拶を交わして2人は小走りで別々の方向に消えていった。さっそく報告の電話をするとセイバーは「ありがとおおおおお!」と電話の向こうで泣いていた。サイン会は午後一時からだ。セイバーもそれまでには来られるだろう。僕は近くのファミレスで待ち時間をつぶすことにした。
入国して以降もっぱら喫茶店通いだったのでファミレスに来たのはこれが三度目だった。まあ、普通だよなと派手なコスプレ店員を見ながら思う。どうやら僕の感覚はマヒしてきているらしい。メニューを広げ一通り眺めたあと昼食まではドリンクバーでつなごうか、とメニューを閉じる。ドリンクを取りに行きアールグレイを飲んで一息つくとカバンからいつも持ち歩いている一冊の辞典を取り出した。
『国語辞典』、名こそ国語辞典だが出版元はアキバ書房、そうこれはアキバ用語が掲載されたアキバの国語辞典なのだ。いつも持ち歩きたいので少し迷ってハンディサイズを購入した。始めは困ったとき用のつもりだったのだがこれが中々面白く、今では小説代わりに電車やバスの中で読んでいる。折角なのでいくつかネットスラングをご紹介しよう。
『アキバに没す』:アキバに溺れすでに現実に戻るのは不可能な状態。基本的には完治が難しく投薬治療を経て社会復帰することもあるが再発率は非常に高く三大成人病の一つとされる。
『お疲れサンクトペテルブルグ』:要はただのお疲れさん
『札束置いてけ』:ホストクラブでカモられたオタクが脅されたことをネットにさらして誕生した言葉。基本的には脅しの意味があるので使用には注意が必要。
『八割ブス』:国民的アイドル佐藤ヒロカのコンサートでの発言「私を見た人の八割は私のことをブスって言うだろうけど、残りの二割の人にとっては可愛いアイドル! 今日も全力で歌います!」との発言を受けてそれが歪曲され顔面の八割はブスという意味で誤用されるようになった言葉。主に不美人に向けて使われる
『陽子さんお早いお帰りで』:大女優畑野陽子がイケメン俳優と結婚後、3週間でスピード離婚してアナウンサーに言われた言葉(失言)。出戻りの人に向けて使われる。
とまあ、こんな感じだ。何となく知っていたものや初めて聞いた言葉まで色々載っているがすごく勉強になるので「なるほど~」と頷きながら読むことも多い。気になったところにはマーカーを引いて忘れないよう努力もする。これも任務、自衛官なら当然の務めだ。
それにしても遅い、時間はとっくに十二時を回っていた。仕方がないので先に昼食を取ることにする。ナポリタンを注文してドリンクを取りに行く。さすがに食事にアールグレイは合わないのでコーラに切り替える。それにしてもセイバーは何をやっているのだろう? 席に着きやってきたナポリタンを一口食べた時丁度電話が鳴った。
『もしもしキャッスルか!』
相変わらず飛びかかってくるような電話口の声。
「何やってんですか、もうお昼食べちゃってますよ?」
『すまん! 捕まった!』
「え?」
『現在変質者と間違われて取り調べを受けているところだ』
「ぶっ!」
思わずナポリタンを噴き出す。
『職質を受けたのだが、琴絵ちゃんが待ってるから時間がないんだと説明したんだ。でも聞いてくれないから警官をぶん投げたらこうなった』
「……」
『行きたいのだけど時間にはもう間に合わん! キャッスル今生の頼みがある、聞いて欲しい!』
今生の頼みが多いなおい……。
『百均でゴム手袋とビニール袋を買ってくれ!』
「はい?」
『そのゴム手袋を付けて琴絵ちゃんのサイン会にオレの代わりに行って欲しい。そして琴絵ちゃんと握手をして彼女に好きだと伝えてくれ! 握手した手袋はビニール袋に入れて後日オレに渡して欲しい』
ややこしいなおい。電話の向こうで「まだか?」と不機嫌な声が聞こえる。警官の声だろう。どうしても電話をしなくちゃいけないんだとでも言い訳したのだろうか? その後、電話は切れて僕は立ち尽くした。……帰ってしまおうか?
悩んで結局セイバーの頼みを聞くことにした。僕もまあ鬼じゃない。というか、頼まれると断り切れない性分をどうにかしたい。ナポリタンを食べながら百均で買い揃えるのだるいなあと心中で愚痴る。ナポリタンが美味しかったのが唯一の救いだった。
百均で言われたものを揃えいざサイン会へ。ついてびっくり、すでに五十人くらいはいて、朝の荘厳な雰囲気から一転、書店は活気に満ちていた。
少し探したが朝会った二人の自衛官を見つけることは出来なかった。まあ、会ったところで琴絵ちゃんのコアな話などついて行けないので一人の方がかえってマシかもしれない。写真集をレジ袋から取り出し仕方がないので外装のビニールを破く。多分、セイバーが自分で開けたかったのだろうなと思いながら。
でもサインをして貰わなければいけないのでこれはまあ仕方がない。折角なのでセイバーには悪いが少しページを捲る。見開きで琴絵ちゃんがパジャマ姿で潤んだ瞳でこちらを見ている。こうしてみるとまあ可愛いかな? とまあまあの評価を付ける。
結論からいうと実際の琴絵ちゃんを近くで初めて見たがブスだった。『八割ブス』だった。やっぱり写真は加工だった。しかし、セイバーの頼みなので言われた通りゴム手袋を付けて不審がる琴絵ちゃんと握手する。
「応援してねー」というので言われた通り「好きです」と伝える。説明はしなかったが好きなのは僕じゃないと心の中で付け加えながら。
「ありがとお!」と上目遣いで笑うがぜんぜん可愛くない。琴絵ちゃんは首から下げたカメラを見ると親切に「一緒に撮りますぅ?」と聞いてきた。いいえ、結構です。これはあくまでセイバーの晴れ姿を撮るために持ってきたものだ。自分を写すための物じゃない。
しかし、上手く断る術を持たなかったので結局取るはめになり引きつり笑顔でツーショット。こんなものを見せてセイバーは喜んでくれるのだろうか?
サインを無事貰い書店から出ると電話が鳴った。セイバーからだった。
『キャッスル今生の頼みだ聞いてくれ!』
「なんです、もう最後ですよ?」
思わず声が低くなる。
『身元引受人で迎えに来てくれ!』
セイバーとは二度と出かけない。心にそう固く誓った。
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