第6話 黒ビール
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませー」
皆の山彦挨拶を聞くと心なしか元気になる。先ほど営業を始めたばかりでまだ客は少ない。僕はカウンターの端に座りカメラを置く。腰を掛けると板場の菊尾さんと目が合った。
「あれ、キャッスル珍しいじゃないか」
「食べに来ました」
「いいのかい? うち高いよ?」
菊尾さんがいたずらに笑う。高いというのにはビビらない。なぜなら日本国持ちだからだ。
「何にする?」
「まずビール、あと赤だしを」
「はい、ビール、赤だし一丁」
菊尾さんはすぐさま味噌を溶き始めた。みそ汁の作り置きというのはやらないと以前言っていた記憶がある。味噌は何度も加熱すると風味が落ちるからだ。みそ汁が出るより早くビールとお通しが出た。数の子ワサビ、ホヤのバター炒め、小松菜のおしらえの3種盛りだ。ビールを掲げカウンターの菊尾さんに向けて「すみません」と言う。菊尾さんはどうぞと笑っている。
やっぱり生は美味い、いつも缶ビールなので心底そう思う。人生で初めてビールを飲んだのは成人式の夜のことだった。大学の同級生たちと近くの居酒屋へと赴いた。将来の自衛隊員が集まり日本の未来について熱く語りながら夜を明かした覚えがある。その仲間も今はチリジリバラバラ。船に乗っているものもいれば戦車に乗っているものもいる。時々、連絡を取り合うのだがふざけて、「了解であります!」とか言うとスルーして「うん、お疲れ。じゃあ」と返ってくる。みんな疲れているのだなぁとか大人になったのかなぁとしみじみと感じ入る。
どうも酒が回ったらしい、昔話を思い出すなんて。ビールに秒殺された僕は菊尾さんから赤だしを受け取った。ずずっと啜り、なめこが好きなんだよなあと大きななめこを箸で掴み口へと運ぶ。モソモソと食べていると菊尾さんがこちらを伺った。
「キャッスル、タダで味見頼まれてくれないか?」
おもむろに出し巻卵を差し出した。卵は少し焦げていて、何というか菊尾さんが作ったわりにクオリティが低い。
「咲夜が作ったんだ」
ああ、それで。なるほど。僕は皿を受け取った。
切り分けられた卵をひと切れ頬張る。これは、中々。味は見た目ほど悪くない。
「美味しいですよ?」
笑顔で言うと咲夜くんが「本当ですか?」と問う。もっと意見が欲しそうなので細かに伝えることにした。
「出汁が少し濃い気がするね。少し辛いよ。あと形は良いけど焦げてるのが気になるね。舌触りが悪くて口の中でざらつく」
そこまで言いうと咲夜くんはガッカリした顔をした。
「でも美味しいよ。うん、美味しい。だって僕はこんな上手に作れないからね」
そう言ってもう一切れ口に運ぶ。咲夜くんは苦笑いしている。
「キャッスル、オレの試作品もあるんだが食ってみないか?」
菊尾さんの試作品? それは興味がある。
「食べる! 食べたいであります!」
手を上げる。やっぱり酔っている。
「おかしな奴だなあ」
そう言って菊尾さんは小さな一人前用の寿司桶を出した。入っていたのはキャラ弁ならぬキャラ寿司であった。
「き、菊尾さん! これは!」
ゆるキャラのアキバッチの顔の巻き寿司。クオリティは高い、確かにクオリティは高いが、こんなものに手を出すとは……。菊尾さんは迷走しているのだろうか?
よくよく聞いていると琴のBGMはアニソンの琴バージョン。うーん。
「菊尾さん、これは止めましょう」
「お、お気に召さなかったかい?」
「いえ、でもこの店の雰囲気にはちょっと」
「子供が喜ぶと思ったんだが」
ああ、子供か。なるほど。それなら喜ぶかもしれない。でも、この店に子供なんて来るのだろうか?
「今度、昼に子供のお誕生日会の予約が入って、そのためのメニューを考えてたんだがそうかダメか……」
「いやっ、それならオッケーです。ぜんぜんアリです!」
「ホントにそう思うかい?」
「はい!」
そう言い切って寿司を一つ掴む。うん、やっぱり美味しい。でも、高級割烹で子供のお誕生日会何て、今時の母親は何を考えているのだろう? うーん、わからん!
でもあまりに可愛いので寿司の写真は一枚だけ撮った。その後、お誕生会メニューの試作品をいくつか味見した。子供が好みやすいように味付けは気持ち甘め、でも高級割烹というスタイルは崩さず出汁はちゃんと効かせてある。腹一杯の僕は赤だしとお通し、ビール1杯の代金だけ支払って店を出た。申し訳ないからもう少し払いたいと言ったが「味見を頼んだんだからいいよ」と愛想よく断られた。
ネオンが輝く街をゆっくり歩く。バイト帰りにさんざん見慣れている光景のはずだが、街は美しく少し艶っぽかった。酔っているせいかもしれない。
懐の余裕があった僕はその足でコスプレキャバクラへと向かった。
◇
「すみません、初めて来たんですけど」
「お好きなアニメとかあります? キャラとかでもいいんですけど?」
チャラいボーイさんが不愉快に語尾を上げて聞いてくる。アクセントが少し変だ。若者言葉というのだろうか? と年寄りじみた感想を持つ。
「特撮はアクセスマンが好きでして、アニメは魔法少女LiLiCaとか詳しいです。でも今はアキバの明子さんに興味があります」
そう言うとボーイさんは受付表に何やら書き込む。多分客の趣向を記録するのだろう。
「えっとお、今ご用意できるのが明子さんだけなんすよ。それでいいです?」
ボーイが首を傾げて聞いてくる。
「はい、構いません」
「ご案内いたしまーす」と言うので後に付き従う。すれ違うスタッフが皆、「いらっしゃいませ」と言うので「ども」と小さく言いながら頭をそのたびに少し傾けた。
豪華なシャンデリア、つるりと磨き上げられた床、ガラス張りの壁、豪華なソファ、こんなものばかり見ていると気分が高揚してくる。席に着いたが落ち着かない。「明子さん連れてきますねー」といってボーイは下がってしまった。手持無沙汰から思わず貧乏ゆすりをする。しばらくして、うつむいていると声がした。
「明子でーす。よろしくお願いしまーす」
顔を上げるとそこにいたのはアキバマートのサービスカウンターのコスプレ明子さんだった。
驚きのあまり、「あ、……どうも」と言い僕は黙ってしまった。明子さんもこちらに気づいた様子で黙り込む。あまりに黙っていると彼女が「何か飲み物頼みます?」と聞くので「コーラを」と頼む。キャバクラに来てソフトドリンクなんて景気の悪い客と思われたかもしれない。でも、今夜はすでに菊尾さんの所で一杯飲んでいる。それ以上は理性が保てない自身があった。
二人で黙っていても意味がないと思ったのか、明子さんが少しずつおしゃべりを始めた。商売だとでも割り切っているのだろう。それに明子さん目当てにくるオタクもたくさんいるはずだ。中にはアキバマートの常連客も来るかもしれない。こういう鉢合わせは今日だけじゃないはずだ。
一頻り喋り終えた明子さんが「私もドリンク良いですかあ?」と言うのでどうぞと勧める。
「カクテルにしようかなあ」
可愛らしく女性っぽいものをと思ったのだろう。だが、ここである疑問が浮かぶ。
――明子さんは十七歳じゃないのか?
注意して煙たがられるのは気が引ける。しかし、明子さんを名乗っている以上はそこに配慮いただきたい。決した僕はこう言った。
「明子さんはまだ、確か十七歳だったんじゃないかなぁ、いや、十八かなあ。お酒ってまだ飲んじゃいけないんじゃないかな?」
「ちっ」
あれ? 今、何か舌打ちが……。
「オレンジジュースで!」不機嫌にそう言うと明子さんはドリンクメニューを机に叩きつけた。
その後、コーラをチビチビと飲んでいると明子さんがオレンジジュースを飲み干して、
「あんたさあ、コーラ1杯でいつまで居座るつもり?」とべらんめえ口調で問うてくる。オレンジジュースで酔ってしまったのだろうか? いや、違う本性が出たのだ。
「じゃあ、お代わりを……」と言いかけると「あんたさあ、店にいっつも来るよね?」とかぶせてくる。
「そりゃあ、買い物しないと僕も人間ですから。生活できませんし」
「毎日、毎日、サービスカウンター来ては、ちまちま通貨交換ばっかりしてくでしょ? あれ、うざいんだよね」
僕の名誉のために言っておくが別にあなた様目当てに通っているわけではない。欲しいのはレシートの明子さん、僕はレアな明子さん集めに余念がないのだ。しかし、まあ彼女を傷つけけてもあれなのでそこは黙る。
「お酒飲もうよ」
「いえ、自分はすでに酔っていますから」
「明子さんの裏設定知ってる?」
「う、裏設定ですか?」
「明子さんは学校に内緒でビール飲んでるんだよ!」
「!」
「黒ビールが好きで好きで堪らないの」
「……」
僕は俯いて黙ってしまった。明子さんがビール、学校に内緒でビール、しかも黒ビール。明子さんは不良なのか、そうなのか……。
「……ビールを」僕は呆然として呟く。
「普通のにする黒にする?」
「……黒で」
ボーイが並々と注がれた黒ビールを運んできた。僕の分と明子さんの分2つ。
「はい、じゃあかんぱーい」
明子さんは笑顔を見せる、先ほどの悪態はどこへ行ったのか。僕は八つ当たりするように黒ビールを一気飲みした。
「ぷはああああ」
明子さんが少し引いている。しかし、そんなことはどうでもいい。なんだろう、むしゃくしゃする、無性にむしゃくしゃする。
「あ~、明子さんもう一杯ビールを」
「え、あ、はい」
お代わりのビールが来た。それをまた一気飲み。
「はああ、やっぱりビールは良いですなあ!」
言う端から景色が回る。ぐるんぐるん回って明子さんの顔を見つけてぴたりと止まる。僕は立ち上がり後ろで手を組んだ。
「あっきこさーーーーん! すきだあああああ」
訓練で身に着けた声量で店中に、下手したら外まで響き渡る声で思いのたけを叫ぶ。
「ちょっと、やめてよ!」
「あっきこさーーーーん! すきだあああああ」
「あっきこ……」
三度目を叫ぼうとしたとき僕は従業員に取り押さえられ頭を机にぶつけて失神した。
気が付くと交番だった。いたのは、昼間出会ったお巡りさん、お巡りさんは心なしかあきれ顔だった。
「気が付いたかい? カメラのあんちゃん。気分はどうだ? 水でも飲むかね?」
カメラ! 店に置いてきたのでは、と思い真っ青になった。だが、カメラは幸い首に掛かったままだった。
「ほら、飲みな」
警察官の出してくれたコップ一杯の水をありがたく飲んだ。でもビールの苦みが残ってアルコールの味しかしなかった。
「一人で帰れるかい?」
「はい……」
心の中に残る違和感、明子さんはビールを飲むという悲しい事実。とぼとぼと泣きながら帰った。すすり泣きが、むせび泣きに変わる。僕はやっぱり酔っていた。
翌日アキバマートに行くと明子さんは辞めていた。辞めて別の明子さんに代わっていた。新しい明子さんに聞く、「明子さんはビール飲みますか?」と。
「明子は十七歳だからまだお酒飲めませ~ん。ソフトドリンクで~す」
ホッとした。ホッとして倒れそうになった。そして、やっぱり通貨交換をしてレシートを受け取る。レシートの中の明子さんは、苦笑いだった。
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