第4話 高級割烹『菊尾』

「いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませー」


 琴の音のBGMが流れる落ち着いた店内に澄んだ山彦挨拶が響く。客は店主菊尾さんの作り上げたほとんど芸術品の優美な料理に舌鼓している。刺身に天ぷら、椀物、酢もの、から揚げ、漬け物に至るまでどれをとっても一級品、思わず緊張して皿を持つ指が震えそうになるくらいだ。


 今の時間帯はホールスタッフが二人、一緒に入っているのは高田さんという年下の先輩で、派手な紫頭で彼も僕と同じくテクノカットだ。パッと見、高田さんはオシャレでオタクには見えない。でも、アキバにいるのだからそれなりのものがあるのだろうとは思う。寡黙で真面目な人で、僕がハツセットと松セットを聞き間違えた時には怒らず代わりにお客さんに謝ってくれた。お客さんが帰ったあとの片付けなども率先してこなしてくれ、スマートな動きの中には無駄がない。


 そして、調理をしているのは勿論菊尾さんだが、洗い場に他に一人いて彼は咲夜くんという菊尾さんのお孫さんだそうだ。何とまだ十六歳で、中学卒業と同時に入店して1年。黙々と洗い場の修行を続けているらしい。まだ、包丁を触らせないというあたりに菊尾さんの職人気質が窺える。


 店の雰囲気は思っていた以上に良かった。値段も良いが味も良い。来るのは富裕層で皆それなりに余裕のある人が多かった。高級感を醸しだす飾られた生け花、壺、絵、五円玉アート。どれをとっても趣味が良い。花は菊尾さんの奥さんが毎日営業前に生けに来ているらしいのだが、豪勢で立体感がありとても素人が生けた物とは思えなかった。


 七時になりスタッフが二人来たので僕と高田さんは入れ替わりで休憩を取った。ずっと店に立ちっぱなしの菊尾さんたちには申し訳ないが、注文を取ったりするのはやっぱり集中力がいるのでそれなりに休憩は必要だなと感じた。初めての仕事に僕はくたくただった。


「島崎さんさぁ、声でかいよね」


 高田さんがスマホを見ながら話しかけてくる。


「ああ、訓練で慣れてますから」


 思わず漏らしてしまうが、言った後でハッとする。


「何の訓練?」

「えっと、あー、ミリオタなんすよ」

「ああ、ね」


 信じてもらえたのだろうか? 特に疑っているそぶりはない。というよりは、こっちを見ないそぶりからしてどうでもいいんだろうか。


「僕、実は最近アキバに来たばかりなんすよ」

「へえ」

「アキバって良いところすよね。難しいこと言う人なんていないし、嫌な大人がいないというか、みんなそれぞれに理解があるというか」

「まあね、皆ある意味子供だから」


「ところで高田さんはどうしてアキバに? どう見てもオタクには見えないんすけど」

「ああ、前に付き合ってた彼女がオタクだったんだよ。日本にいる時から付き合って、一緒にアキバに住もうってことになって来たは良いけど、彼女がコスプレホスト狂いになって借金作って。別れて結局彼女だけ日本の実家に戻ったんだ。オレはまた日本に引っ越しするのがめんどいからそのまま居座っているだけ」

「何かすんません」


 いらないことを聞いてしまったなと思った。


「いいよ、別に。もうかなり前の話だから」

「オタクじゃないのにアキバって暮らしにくくないすか? 物価は高いしテレビなんてオタク番組だらけだし……」

「慣れるとそうでもないよ」


 その時、高田さんのスマホが鳴った。着信音はオルティンの騎士のテーマ曲『騎士よ進め』だった。高田さんもそれなりにこの国を楽しんでいるのだろうと思った。


「はい、もしもし……」


 電話に出ながら高田さんが店の裏へと出ていく。休憩室を出たのを確認して僕はそっとスマホを確認した。待ち受けはアキバの明子さん、顔が緩んでしまう。心を躍らせ待っているのはアキバの明子さんとお化け屋敷のコラボ企画『お化けの明子さん』というイベントの招待状。昨年、催したときにあまりに入場者が多くて混雑したので今年は整理券をネットで配布して入場者制限したとのことだった。だが、通知はまだない。外れてしまったのだろうか? 沈んでいると高田さんが電話を終えて帰ってきた。


「さてと忙しくなるころかな」


 高田さんが背伸びをした。首をコキコキと鳴らしている。僕は少し探りを入れることにした。


「このお店ってお客さん多いすよね」

「そうだね。まあ、店は大繁盛でいいんだろうけど」

「有名なんすか?」

「有名だと思うよ。アキバには貴重な正統派な店だし、お忍びで政府のお偉いさんなんかも来るんだ」


 核心に迫る情報が聞けたと心でガッツポーズする。


「へええ、大体いつ来るんすか?」

「さあ、いつも来るときは金曜日の夜だけど。今週はまだ予約ないね、来るときは店を貸し切りにして大勢で大名行列みたいにして来るんだ」

「大名行列……」


 思わず息を飲む。


「その迫力ったらないよ。庶民のするコスプレとはまるで格が違うんだ」


 翌週の週末、馬に乗った大名行列の一団がやって来た。一番お偉いらしき高官は籠に乗っており、皆、鎧兜を着けて戦国武将さながらの出で立ちであった。





「生ビールお待たせしました」

「おう、こっちだこっち」


 一番のお偉いさんらしき人物がビールを手招きする。恰幅がいい。六十歳前後といったところか。彼らの周囲には鎧兜が丁寧に脱いで置かれており足の踏み場は無い。ビールを置くと「ありがとう」と感慨深い声で彼は言った。


 座卓には菊尾さんが営業前から丹念に削っていた氷彫刻の船が載り、市場から仕入れたばかりだという新鮮な刺身が盛られている。サーモンがつやつやとダイヤのように光って捌かれたばかりのイカがピロピロと動いている。


 ビールの給仕を終えると僕はカウンターの隅に戻った。本当は近くに居て話を盗み聞きしたいのだが不自然な行為をすれば見つかる可能性がある。彼らが酔えば勝機はある。ぐっとこらえて僕はチャンスをうかがった。


「えー、それでは今週もお疲れ様でした。コミケにライブの段取りと皆さん忙しかったと思います。今夜は飲んで騒いで疲れを吹き飛ばしましょう。アキバよ万歳! アキバに乾杯!」

「かんぱーい!」


 飲み会が始まってから小1時間程は注文を取るのや給仕に忙しかった。合間にこっそり盗み聞きなども試みていたのだがアニメやパソコン、コスプレにネットなどオタクな話がほとんどで大した収穫は無かった。しかし、二時間程が過ぎ酒も回って来た頃一人の高官がトイレに立ったと同時位に話題は一変した。


「ところで澤田くん、あの話どうなってるの」

「ああ、パレードの話ですか」


(パレード?)


 僕は空のビールコップをお盆に乗せながら耳を凝らした。


「何の話ですか?」


 まだ二十代らしき若者がテーブルの向かいから問う。ナイスと僕は拳を握った。


「建国三周年のパレードだよ。中通りの二キロをコスプレして練り歩くんだ。一万人のコスプレイヤーを一般人から募る計画なんだがその調整がまだ上手くいっていないんだ」

「お金の匂いがプンプンしますね」

「周辺国からの観光客も望める。経済効果は四百億円以上との試算もある」

「へええ」


「あ、ちょっと君君!」

「あ、はいっ、何ですか?」 


 聞き入っていた僕は驚いて返事をする。


「何ですかじゃないよ。注文してた鱚の骨せんべいはまだかい?」

「すみません、すぐに確認してきます!」


 僕は厨房に慌てて戻った。基地に通信を入れたのは出勤が終わってからの事だった。



「きゃつらは建国三周年に合わせて記念パレードを行うつもりです」


 薄暗いネットカフェでパソコンのモニターに向かって話す。通信の相手は鈴村一等陸尉だ。


「奴ら目、調子づきおって!」


 鈴村は悔しさのあまり肩がワナワナと震えている。


「建国三周年の行事を行うことによって世界にアキバが国として成立しているという既成事実を認めさせる狙いがあるかと思われます」

「パレードはまずい、何としても阻止せよ」

「しかし、どうやって……」

「他の隊員たちと協力して事にあたれ、多少強硬な手段を使っても構わん」

「暴力的な手段も辞さないという事ですか」

「そこは個人の判断に任せる。成果を期待している」


 そこまで言い終えると通信は切れた。モニターの前で腕を組む。少し考えて僕はスマホでセイバーに連絡を取った。彼等と会う事が出来たのはそれから三日後の出来事だった。

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