第3話 セイバー&キャッスル

 風呂から出るとスマホにメールが届いていた。すぐに確認する。


――コンタクト求む。とある。


 一瞬考える。誰だろう? 自分のアドレスを知っているのは日本国の自衛隊だけ。したがってメールの主は潜入中の自衛隊員の可能性がある。


<市ヶ谷さんですか?>と返す


――そうだ。


<何処で?>


――琴絵ちゃんのコンサートにて。と返ってきた。


 どうやらその自衛隊員はアイドルオタクらしい。僕らは二日後、結城琴絵ちゃんのコンサートで落ち合うことになった。



 僕は約束通り赤いTシャツで会場を訪れた。そうすれば向こうがこちらを見つけてくれる手はずになっている。会場には男臭が充満していた。皆、琴絵ちゃんが出てくるのを今か今かと待っている。

 時間になりステージにライトが灯った。すると、美人でもブスでもない女の子が出て来てお辞儀をした。そうか、これが琴絵ちゃんか。その自衛隊員は中々、コアなアイドルファンだなと感心した。


 コンサートが始まると同時に会場が爆発したように揺れた。オタ芸が始まったのだ。ステージを取り囲む様に集ったファンが「ハイ! ハイハイハイ!」と掛け声をしながら赤、青、緑などのペンライトを両手に持って激しく踊っている。何という熱量、僕はこの手のアイドルのコンサートに来るのは実は初めてで、完全にその場の空気に飲まれていた。琴絵ちゃんはステージ上で輝いていた。美人かブスかじゃない。大事なのは彼女の作り出す空気! 


 僕の右手が勝手にリズムを刻み始めた。違う、違うんだ、僕はオタクじゃない。だが動きは止まらない。無心で頭を振り始めて勝手に手拍子を始めた時、タンッと肩を叩かれ心臓が止まりそうになった。動きを止めると先ほどまで激しい動きをしていた隣のペンライトを持っていた青年も動きを止めてこちらを見ていた。


「北本二等陸曹だな」

「!」

「外で話そう。ついてこい」



 コンサートを抜け出し、僕らはライブ会場の近くのメイド喫茶に入った。彼の行きつけとの事だった。そのメイド喫茶は中世のヨーロッパをオマージュした造りで、青いとんがり屋根に高いくて白いレンガの壁、蔦がするりと這い、まるで古城だった。


 茶色い立て看板が店の前に置かれていて『メイド喫茶 フルール』とある。フルールはフランス語で「花」を意味する。その店名にそぐって、店内はとにかく花満開。サーモンピンクのテーブルクロスがかかったずらりと並んだテーブル席には全て、色鮮やかな緑とピンクのスイートピーの花がこんもりと飾られていた。なんだかにおいまで良い気がする。


 通路にずらりと並んだ従業員が「おかえりなさいませご主人様」と挨拶する。まあこれは平均的なメイド喫茶の挨拶だなと知識を総動員して頷く。勿論メイド喫茶に来たのは初めてだ。


 従業員の服は古風な黒のワンピースに白のフリルのエプロン、髪は皆、長い黒髪を二つに分けており薔薇付きの華奢なカチューシャをつけていた。まあ、王道だなと。勿論メイド喫茶に来たのは初めてだ。


 彼が「静かな席を」と案内していたメイドに頼む。通されたのは角席だった。周りには誰にもいない。ここなら内密な話も出来る。


 二人でポットの紅茶を注文して来るのを静かに待った。手持無沙汰で琴絵ちゃんのことを話そうと思ったが彼の顔は深刻でとてもじゃないが聞ける雰囲気ではなかった。


 メイドは茶器を持ってくると目の前で「お待たせいたしました、ご主人様。お好きな量でストップとお声がけくださいね」と言って紅茶を注ぎ始めた。僕と彼のカップに一通り注ぎ終えるとメイドはポットを置いて「ごゆっくりどうぞ」と言って下がっていった。


 メイドが十分離れたあたりで見計らったように彼が話し始めた。


「俺のコードネームは望月剣、セイバーと呼んでくれ」


 ……いきなり来たなと思った。アキバに毒されている、そう思った。


「階級は三等陸尉だが今はそんな物関係ない。見てのとおり、ただのオタクだ」

 

 彼は琴絵ファンクラブ会員五十六号の会員証を見せた。


「僕は……私はコードネームは島崎城です。一週間ほど前にアキバにやって来ました」

「そうか、ならあだ名はキャッスルで良いな?」

「いや、あの望月さん……」

「セイバーでいい」

「……」


「キャッスル、アキバはどうだ?」

「活気が有ります。日本に無い活気と言ってもいい。若者が活き活きとしている。そう思いました」


 言って僕はガラス越しに見える通りの向かいのシアターの入り口を見た。様々な国籍の人がお化けファッションに身を包んで嬉々として並んでいる。今日は映画『秋葉の七不思議』の公開日だ。お化けファッションで行けば入場料が三割引きという特典付きだ。なぜ知っているかって? 今日コンサートに来る前に朝一で見てきたからだ。


「俺も同意見だ。日本はアキバの存在を認めようとしないだろうがここは百歩譲っても良い国だ」

「世界中がアキバの存在に苦慮しています。我々はこれを解体する、そのためにやって来た」


 僕が言うと彼は小さく頷いた。


「キャッスル、……俺は今アキバ軍に潜入している」

「!」


 突然の告白に言葉を失った。彼はオタクとして振る舞う一方ですでに成果を着実に上げていた。彼の方が先人であったとは言え自分はテレビにハマるこのていたらく、一週間を無駄にした。情けなくて視線を合わせることが出来なかった。


「自分は、自分は……アキバに飲まれるところでした」

「そう気にするな。誰でも通る道だ」


 そう言ってセイバーも外を見た。悲しく笑っている。


「まあ、何とかして皇帝のお近づきになれないかと画策している所だ」

「危なくはないのですか?」


 思わず声を張り上げてしまい、ハッとする。だが、誰も気にした様子はない。


「入国手続きで分かったろ。帰化申請でさえあのざまだ。軍人になるなど造作もない。軍人が不足してその大半をミリオタで賄っているのが現状だ。この国じゃ軍人に採用されるのはバイトの面接に受かるより容易い」

「軍の大半がオタクですか」

「その証拠に既に十四人の自衛隊員が潜入している。皆生粋のオタクだ」

「では、自分も軍に……」

「いや、キャッスル。お前は別のルートを探してくれ。軍の内情は他の者と探ってみる事にする」

「しかし、いったいどうすれば……」


 セイバーは口元に笑みを浮かべ小さなメモ書きを渡した。


「アキバの高官が通っている高級割烹だ。潜入して機会を待ってくれ」



 翌日、僕はメモ書きに書かれていた高級割烹に面接を受けに行った。店は高級飲み屋街の地下にあって純日本風の上品な店構えだった。まるでそこだけ日本に戻ったよう、アキバじゃこういう店は少ない。店には準備中の札が掛っていた。カラカラと引き戸を開けて暖簾をくぐると古風な店内が覗いた。


「あの面接の約束してました島崎です」

「ああ、そこに掛けて待っててくれ。仕込みがじきに終わる」

 

 店主らしき男性の老人がカウンターの奥から顔を出した。白髪交じりで色が焦げ少しやせていて威厳がある、一見しただけでは気難しい人物のようにも思えた。


 座敷で十分程待っていると男性がやって来て僕の前に腰掛けた。男性はかぶっていた和帽子を脱いで机に置き、ふうとため息を吐いてコップ1杯の水を飲んだ。


「店主の菊尾です。君は島崎城くんと言ったかな? あだ名はキャッスルでいいかい?」

「いえ、あの……」

「この店で働きたい理由は何だい?」

「自宅から近いので、あとお店の雰囲気なんかも良くて働きたいなと思いまして」

「うちの営業時間は夕方の五時から十二時までだ。うち五時間週休二日制で出勤してもらってる。時給は左程高くないがそれでも良かったらうちで働いてもらう」

「はい! それで構いません」


 うむと返事をして店主は続けた。


「ところでその頭何とかならんかね?」


 僕の髪はボサボサの伸びざらしで浮浪者の様であった。


「後ろで一つにまとめるなり切るなり出来るだろ? うちは飲食店だ。小奇麗にしてないと客も寄り付かんよ」


 そうして僕は半年ぶりに髪を切った。髪を切ってもオタクに見えるだろうかとの一抹の不安があった僕は美容室で「小奇麗だけれどオタクっぽくしてください」とお願いした。アキバでは貴重な人種であるオシャレな美容師さんは「お客さん面白いですね」と笑った。

 やがて考えた風な美容師さんは無心にチョキチョキと切り始めた。もみあげが無くなった時、どっと不安がこみあげてきた。


 出来あがりを鏡で見るとそこには涙目のテクノカットの僕が映っていた。

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