第2話 アキバの明子さん

 僕はアキバの都市部に近いアパートの一室を借りた。勿論日本国もちだ。そこを借りたのは他の潜伏員とコンタクトが取りやすいから。それに有事の際に動きやすく、いざとなれば現場に駆け付けることだって出来る。


 というのは、表向きの理由で本当はアキバの生暖かい風を肌で感じたかったからだ。コンサート、アニメショップ、電機屋、コスプレ、見て感じたいものはたくさんあった。取り巻くすべてがエンターテイメント、巨大経済を生み出すオタクの街。新居を据えた僕は敵情視察も兼ねて生活用品を揃えるため近所のスーパーへと向かった。



 アキバマートは全国(アキバ国内)に三店舗を構える大手のスーパーマーケット。生鮮食料品は勿論のこと中には百円均一、雑貨、アニメグッズも置かれていてアキバ国民に愛される生活の拠点らしい。午前十時という事もあり少し空いていた。派手な虹色のカートを押しながら順に店内を巡っていく。


 あか抜けたテーマパークのような店内、ただ日本から来たばかりなせいかもしれないが物価は少し高いように感じた。キュウリ一本百円……、高くない? キャベツは一玉三百円、小松菜も春菊も四百円……違う。よくよく見ると『四百秋葉円』と書いてある。秋葉円? 初めて聞く単位だ。日本国内だからと侮っていた。すぐに店員につかまえて聞く。


「すみません、秋葉円って何ですか?」

「お客様、日本から来られたばかりですか?」

「ええ、実は。円しか持ってなくて」

「秋葉円とはこの国の通貨です。サービスカウンターで通貨交換をしておりますのでそちらで両替をお願いします」


 サービスカウンターに着くとそこにはなぜかインコがいた。他に誰もいないので仕方なくインコに話しかける。


「すみません、両替してほしいんですけど」

「ドノクライダー?」

「三万円を……」

「サンマンエン! サンマンエン!」


 インコが三万円を連呼しバサバサと羽ばたく。財布から取り出すと「お願いします」とインコのかごの前へ置いた。が、インコは首を傾げて何もしゃべらない。


「あのー……」


 急に話しかけられてドキリとした。インコが喋ったかと思った。何時の間にやらカウンターに店員が戻ってきていた。


「すみませんお待たせしました」


 色白で目が大きく化粧映えする顔、彼女はアキバマートのオリジナルキャラ『アキバの明子さん』のコスプレ姿だった。


「円を秋葉円に換えて欲しいんですけど」

「かしこまりました。こちらにお願いします」


 トレーを差し出すのでインコの前の三万円を取って置く。彼女がレジで処理を済ませるとチーンと鳴って秋葉円が出てきた。三万円は三万秋葉円、等価らしい。手数料を取られ返ってきたのは二万九千秋葉円とすこし目減りしていた。


 秋葉円というものを初めてみたのだが秋葉円には偉い人の代わりに知らないおじさんが印刷されていた。もしかしたら偉い人なのかもしれないがあいにく僕は存じ上げなかった。


 それよりも金と一緒に渡されたレシートを見て目を剥いた。モノクロの明子さんが潤んだ瞳でこちらを見あげているのだ。この瞬間、僕は心を明子さんに鷲掴みにされた。コスプレした店員ではなくレシートの明子さんに。

 へええ、可愛いなあ、可愛いなあ。このレシートは捨てずに大切にとっておこう。大事に財布にしまうと食器売り場を目指した。


 食器売り場にはアニメキャラの印刷された食器がたくさんあり、なんと冷えると明子さんが浮かび上がるビールコップまで売られていた。アキバマートのPB商品らしい。迷うことなくかごにそっと入れて他に茶碗やら箸やらもかごに次々と入れた。


 カートを押しながら、かごいっぱいの生活用品を見ていると僕は一体いつまでアキバにいるつもりなのだろうと疑問になってくる。半年? 一年? それとも二年だろうか? 

 会計しながら自分の立場を振り返る。自分はあくまで自衛隊員としてここにいる。しかし、鈴村陸尉は言ったではないか、自衛隊員であることは忘れろと。身も心もオタクに浸りアキバ生活を満喫せよとのことだろうか? 


 否。彼が求めているのはあくまで完璧なオタクとして日本国のために役に立つこと。そう思うとビールコップをかごに入れたのを少し後悔した。戻そうとしたが会計が終わり、「七千二百四十五秋葉円です」と告げられ支払う。


 おつりと共に渡されたのはさっきとは違うバージョンの目を閉じたモノクロ明子さんのレシートだった。可愛いなあ、やっぱり可愛い。いけない感情がふつふつと湧いてくる。やっぱり大事にしまう。これも残しておこう。


 帰宅し、さっそく買ってきたビールを明子さんにトクトクと注いだ。玉虫色の明子さんがパアッと浮かびあがる。昼間からビール、今はあくまで職務中。という事などすっかり忘れていた。喉を鳴らせながら一気に飲み干す。


「ぷはああ」


 中身が無くなると暫くして明子さんは姿を消す。もう一度見たくなり、ビールを注ぐ。するとまた姿を現す。姿が消えるのがもったいないので飲まずにテーブルに置き、酒の肴に財布を取り出した。


 レシートが二枚、二つの明子さんを見比べる。潤んだ瞳の明子さんと瞳を閉じた明子さん。他にどんなのがあるのだろうと気になりネットで検索する。明子さんのファンはかなりいて皆、見つけたレア明子さんをネットにアップしている。

 見ていると笑顔の明子さんはやっぱり可愛くて、せめて一枚は欲しいなあと思った。酒に弱い僕はビール一杯で酔っていた。気付けばネットオークションに手を出して、ゴミのはずの明子さんレシートを三枚落札していた。勿論日本国持ちだ。


 何をやってるんだか、と呆れてビールに手を伸ばす。ビールはぬるくなり明子さんは姿を消していた。ふと、思い立つ。つまみを買いに行こう! ほろ酔いの僕は財布を持つと再びアキバマートへと繰り出した。


 柿ピー、ミックスナッツ、イカフライを次々とかごに放り込む。ふと食器売り場が気になった。すぐに向かう。買わないぞ、何も買わない。と、思いながら明子さんのビールコップを手にとる。

 先ほどネットで仕入れた情報なのだがビールコップには柄が五種あって、それぞれ違った明子さんの姿が楽しめるらしい。グラスを斜めから眺め柄を確認する。あ、違う明子さんだ。買うかどうかすごく迷ったが、こう思った。


「お客さんが来るかもしれない」


 僕はさっきとは柄の違う明子さんのビールコップを4個購入した。勿論日本国持ちで。


 少し重たい袋を提げて町を歩く。ふとスピーカーから夕焼け小焼けのロックバージョンが流れてきた。たぶん夕方五時なのだろう。夜の店が商売を始め、街は様変わりを始める。ネオンが灯り、コスプレショーパブやコスプレキャバクラがあったのだと今更ながら気付く。


 少し色めいた街を抜けてアパートへと帰宅した。いの一番にレシートを確認する。明子さんは笑っていた。にんまりと上機嫌で机に置く。さてと、と息を吐き五個のビールコップに、さすがにビールはきついので冷水を注いだ。喜怒哀楽の明子さんが並ぶ。いいなあ、いいなあと呟きながら気が付くと眠っていた。



       ◇



 アキバに入国して一週間が経った。この一週間に気づいたことを列挙しよう。まず、アキバの朝はアニソンパラパラから始まる。朝六時すぎにテレビを点けると国営放送ではラジオ体操の代わりにそれがやっていて、踊っているのはいわゆる萌え~な美少女たちだ。

 「今日も元気に行っくよ~」という掛け声が朝のアキバに響く。ちなみにアキバには一つの国営放送と四つの民間放送のチャンネルがあってその他数多のケーブルチャンネルが存在する。ケーブルチャンネルにはアニマルチャンネルに釣りチャンネル、将棋囲碁チャンネル、アキバならではのゲームチャンネルなどもあり一日中見ていても飽きることはなかった。


 ミリタリーチャンネルも一つあり、部隊長と隊員が会話をしながらサバイバルを繰り広げる『冒険隊長』シリーズが放送されていてそれなりに面白かったが本職の僕からすると少し素人的で、違和感を感じ視聴を直ぐに止めた。


 沢山番組は見たが一番のお気に入りは朝のニュースだ。お天気お姉さんが可愛いというのは世の常。少し変わってると言えば、アキバのお姉さんはナッツというロボットで人間ではない。

 しかし、彼女のファンは多く、毎日『今日のナッツ』という動画をネットに投稿している熱心なファンがいるくらいだ。天気予報が外れるとナッツを叩く人もいて侵害派と擁護派が日夜論争を繰り広げている。どこの世でもいがみ合う人たちはいるものだ。


 朝のニュースの次にイチオシなのは深夜番組だ。売り出し中のアイドル声優が惜しげもなくバンバン出ていてそれは見ものだ。皆、制作裏話をぶちまけたり(時にはピーも入る)日本国への特攻ロケ企画『日本万歳!』も組まれていて日本をろくに知らずにアキバに来た外国人層に人気があるらしい。


 だが、僕がアイドル以上に食いついたものがある。それは『ゆるキャラプロレス』だ。ゆるキャラがただプロレスするだけなのだが動きが可笑しくてハマってしまった。飛び蹴り、アームロック、かかと落とし何でもありだ。

 時々、頭部がポロリすることもあり、その際はモザイクが入って頭部が取れた方は負けになる。ゆるキャラが互いの頭部を引っ張り合う姿はシュールで目を見張るものがあった。毎晩何かしらの番組を録画し、それを翌朝、朝食を食べながら見るというのが習慣になった。以上が一週間で得たアキバの情報だ。



 生活には慣れた。日本が恋しいことはもうない。色鮮やかな街並みは僕を丸ごとすっぽり覆いつくす、何のために来ているのかを忘れそうなほどに。実際僕は忘れていた、自分が自衛隊員であること、潜入のためにここにいること、そしてオタクではないことを。


 そんな僕の心を見透かしたかのようなタイミングである一通のメールが届いた。


 

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