秋葉原独立戦線~僕がオタクになった理由~

奥森 蛍

秋葉原独立戦線

第1話 アクセスマン再び

 秋葉原が日本国より独立して二年の時が過ぎようとしていた。オタクによるオタクの為の国づくりを謳ったその執政は世界中のオタクたちの人心を集め、これの集結に寄与した。

 中でも二〇二〇年、アキバ帝国で発布されたアキバ帰化政策は世界中の国々から優秀なオタクたちを集める事に成功し、これは各国の貴重なIT関連、アニメーション関連での人材の流出につながった。事態を重く見たG7は日本にアキバ帝国の解体を要請、これを受けた日本政府は秘密裏に動き出していた。


「これよりお前はただのオタクだ。己の出自、自衛隊員である事は全て忘れろ」

「ハッ」

「連絡は定時に秘密回線で行う。追跡防止の処理を忘れるな」

「了解」

「コードネームはそうだな、島崎城とでも名乗れ」

「島崎城……でありますか?」

「私の尊敬する叔父の名だ。作戦が上手くいく事を祈っている」


 そう言うと鈴村一等陸尉は敬礼をした。僕は敬礼を仕返した。これで最後の敬礼になるかもしれない、そう思うと心の中からスッと重たい何かが消えていく気がした。それは自衛隊員としての矜持だったかもしれない。



       ◇



 僕は埼玉県の田舎町に生まれた。小さな頃からよく外で遊ぶ子でオタクなんてものとは無縁だったといえる。

 小学校の時、唯一ハマっていたものといえばアクセスマンという戦隊ヒーローものの特撮で、ネットにアクセスしては悪を見つけて成敗するという何の変哲もない子供番組だった。そのアクセスマンの使うアクセスキックという実際はただの飛び蹴りの必殺技に憧れて何度も練習していた記憶がある。


 中学になると持ち前のスプリント力を生かし陸上部で数々の県体へと出場した。高校では彼女も出来たし、そこそこイケてる方だったと思う。その後防衛大に進学したのは父も自衛隊員だったからで特にミリオタ(ミリタリーオタク)というわけでは無い。


 防衛大では理工学を学び卒業後は東京都の市ヶ谷駐屯基地に配属された。そこで自衛隊指揮通信システム隊いわゆるサイバー部隊に配属された。

 今回のアキバ潜入作戦を言いつかったのは半年程前の事で寝耳に水の出来事だった。上層部がアキバ帝国にやきもきして解体作戦を水面下で遂行している事は知っていた。何人かの自衛隊員が選ばれて既にアキバ帝国に潜入しているとの噂があったからだ。

 しかし、自分が選ばれるとは思いもよらなかった。自分はオタクじゃない。少なくともそう認識していた。しかし、上官に呼ばれた密室で――


「北本、お前は国の為にプライドを捨てる覚悟はあるか?」

「プライド……ですか?」

「そう、プライドだ」

「無論であります!」

「良い答えだ」


 そう言って渡されたものはDVDボックスだった。僕は目を丸くした。


「魔法少女……LiLiCa《リリカ》……」

「全43話を収めたスペシャルDVDだ。時間の限り視聴しろ」


 僕は生唾を飲みこんだ。こうして半年間にわたるオタク養成訓練が始まった。


 訓練は私生活にまで及んだ。短髪だった髪を伸ばしコンタクトをやめ銀縁メガネをかけた。平常時は洋服はネルシャツを買いそろえ、ギャルゲーの紙袋を収集しウエストポーチをつけた。

 アニメの視聴は一日十時間に及び、精神を破壊されそうになりながらも耐えた。やつれて職場でアニメを見ていると上司から「良い顔になったな」と褒められた。


 神経そのものがだんだん巷からかけ離れていき、心は荒んでいく一方。やがてとち狂った僕は自費でアクセスマンの放送全集を購入した。懐かしい映像に心を躍らせ、徹夜で夢中になってアクセスマンの全話を視聴した。

 心が躍り、童心に返った気分だった。ミュージックプレイヤーの中はアニメソングが大半を占め、やがて半年かけてオタクの中のオタクが生まれた。美しきオタクの僕を上層部はエースと呼んだ。



       ◇



 アキバ帝国(以降アキバ)は旧東京都千代田区にある。旧と明記するのはアキバのいい分で日本国からすると秋葉原の独立を認めておらず今でも東京都千代田区外神田という立派な地名がある。


 アキバは日本国が承認しないまま勝手に独立を宣誓しアキバと日本の国境をコンクリートの障壁で隔て人々の往来を制限した。アキバは国境に市役所の支所を設けアキバ国民になりたい者を募っている。

 従って本潜入作戦ではまず支所に行く必要性がある。支所で自分をオタクの中のオタクと認めさせ魂ごとアキバ国民になる必要性があった。僕は目一杯のおしゃれをしてアキバ市役所支所に向かった。


 支所と言えど華美なところ。ゆるキャラのアキバッチを模した外観、色鮮やかなエントランス、行きかうコスプレーヤーたち(たぶん職員)、まるでゲームの中のようで思わず目を奪われて立ち止まりそうになる。

 景色につられるように歩きながらやっとのこと帰化申請科にたどり着いた。窓口には猫耳のおばさん職員がいて申請書を提出すると代わりに番号札を渡された。


「奥の部屋で面接が有ります。そちらの番号札を持って扉の前のパイプ椅子にお掛けになってお待ちください」


 扉の前には先客がいてその男性はゴスパン(ゴシック+パンク)の出で立ちだった。顔中にピアスをつけており手にはチェーンが巻いていて彼が手を動かす度にジャラジャラと金属の音が鳴る。

 これからいよいよアキバに潜入する、そう思うと体が熱くなった。番号札を持つ手に力が入る。五分程して中で面接を受けていた少女が出て来て入れ違いにゴスパンの男性が入って行った。


 少女は魔女っ子キャロルに出て来る敵でわき役のカロリーヌという魔女のコスプレ姿だった。少女は厚底シューズを鳴らしながら軽快に僕の前を通過した。ピンクと白を交互に切り替えたパラソル型のスカートは実に派手でクオリティも極めて高い。

 市役所の中はコスプレだらけで通常の服を着た者は皆無、ゆえに地味な出で立ちできたことを早くも後悔した。もしかしたら面接で落とされるかもしれない。


 ヤキモキしていると中から先ほどのゴスパンの男性が出てきた。出てくると男性は1人で「よっし!」と拳を突き上げていた。何たる自信。続いて番号札が呼ばれ、僕は中に入った。


「どうぞおかけください」


 中には面接官が七人いた。異常な数だと思った。まして異常だったのは彼等のファッションだ。全員チェックのネルシャツを着ていた。その瞬間に悟った。彼等は全てオタクなのだと。


「君、良いネルシャツ着てるね。でも着こなしがちょっと……」


と言って右から三番目の面接官が口元に手を当ててクスリと笑う。


「ネルシャツはズボンに出来るだけインするように」


 そう注意を受けた。「しまった!」そう思い、頭の中が真っ白になる。僕は慌てて立ちあがりシャツの裾をズボンに押しこめた。立ちあがった反動で椅子の横に置いていたギャルゲーの紙袋が倒れる。慌てて震えながら紙袋を起こすと面接官達が笑った。


「君君、そんなに緊張しなくても大丈夫でござるよ。落ち着いて」


 ネルシャツを着たオタクが笑う。彼の髪はボサボサだ。これが本物のオタクか、覇気が違う。そう思った。僕が椅子に掛けるとすぐさま面接が始まった。


「島崎くんは見た所古典派のオタクでござるね。申請書にはアニメオタとの記載があるけれど好きな作品でもあるでござるか?」

「かねてより魔法少女LiLiCaのファンであります」


 特にファンでは無かったがそれを挙げた理由は二つある。一つは訓練で山ほど繰り返し見ていて最も詳しい作品の一つであるからという事と、もう一つはメジャーなアニメでファンも多いから挙げても不自然じゃないという事だ。


「あー、そっちねそっち系。それなら坂本氏が詳しいでござるな」

「いえいえ、僕なんかも詳しいと言うほどでは」


と、左から二番目のテーブルに腕組みした面接官が話し出す。


「僕の好きなシーンはね、試練を与えられたLiLiCaが未来から現代へ再び帰ってくるシーンなんだけど、戻って来たLiLiCaが開口一番に仲間のシャンティに告げる印象的なセリフが有るよね? はい、クイズ。なーんて言った?」

「……」


 僕の頭の中を猛スピードで魔法少女LiLiCaのアニメが駆け抜ける。頭の中でファンシーな声がする。「先生! 私魔法少女になりたい!」「キャシーちゃんと押えてて」「明日はきっと訪れる、誰の前にも」……


 しばらく考えた末、恐る恐る口を開いた。


「未来からただいま……で、ありますか?」

「ブラボー! 素晴らしいよ! エクセレントだ」


 ホッとため息を吐く。面接官はご満悦の様子で頭をぐるぐる回しながら手を叩いている。喜びを表現したものかと安堵する。が。


「ところで島崎くん、話し方が少し変わっているけどそれは自衛隊の影響かい?」


 一人の面接官がペン回しをしながら問いかける。肝が凍りついた。早くも自衛隊という事が露呈してしまったという事か。僕は怖々と口を開く。


「自衛隊の影響……と言いますと?」

「アニメオタと言いつつもミリオタの気も有るという事かい?」

「ハッ、そうです。そうであります」

「なるほど。とすると一点集中型というよりは広く浅くと言った感じかな」

「はい、どちらかというとそっちの気が……」

「おや、好きな特撮はアクセスマン?」

「ハッ、丁度その世代でして……」

「いいよね、九十年代! 特撮の黄金期だよ、なかでもアクセスマンは名作だよね!」


 急に一回り高いテンションで面接官が話し出す。僕のテンションも上がる。身の回りにアクセスマンのファンなどこれまで一人もいなかった。いたかもしれないが堂々と議論する事など皆無だった。オタクと見られることを何より恐れていたのだ。


「小さい頃自分はアクセスキックのマスターに夢中でありました。大人になってDVDボックスを揃え、毎日視聴しております」

「アクセスキックか、私はどちらかと言うとアクセスアタックの方が好きだけれどね」


 面接官達から笑いがこぼれる。手を叩いて笑っている者もいる。一頻笑い終えた頃おもむろに真ん中に居た面接官が話し始めた。


「話しに花が咲いた所で宴もたけなわだけれど最後に聞くよ。君がアキバ国民になる事は我々にとってどんな得が有ると思うかい?」

「必ずや立派なアキバ国民になって見せます。アキバの国の為に出来る事を全力で全うしてまいりたい所存です!」


 自衛隊の用意してくれた偽の住所にアキバから帰化申請の許可が来たのはそれから約一カ月後の事だった。


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