離れていまうのが怖いから
イルカショーを見て、館内のレストランで食事をした私達は、十分に水族館を堪能することができた。こんなに楽しめるスポットができたのなら、もっと早くに調べておけば良かったと思う。
不思議だ。ちょっと前までは世の中についていけず……いや、ついていこうとしなかったのに、今は結構、悪くないって思えるようになっている。
水族館を出て、駅のホームで帰りの列車を待ちながら、私はそんなことを考えていた。
ベンチに腰かけてからふと、コールドスリープする前の事と、目が覚めてから起きた事を思い出してみる。
眠っていなければ、今頃私はどうしてただろう?一番可能性が高いのが、病状が悪化してこの世を去っていること。コールドスリープしなければならないと言うことは、それだけ切羽詰まった状態なのだ。
眠りにつく前、私は凄く不安だった。何かの事故で、二度と目が醒めない可能性も無いわけじゃなかったし、無事に目が醒めたとしても、そこには私の知らない世界が広がっているのではと、怖かった。
事実目を醒ましてからは、回りの様変わりについていけなくて、まるで夢でも見ているかのよう。
これなら眠らない方が良かった。例え死んだとしても、こんな訳のわからない現実で生きていくよりはマシだって、本気で思ったこともあった。
だけど今日みたいに少しでも楽しいと感じることがあるなら、やっぱり生きてる方が良いって思えてくる。
桐生君だって、本当はわかっているんじゃないの?
「悪い、近くの自販機売り切れてて、遠くまで行ってた」
缶コーヒーを買いに行ってた桐生君が戻ってきて、そのうちの一本を差し出してくる。
「ありがとう」
受け取ると、桐生君はすぐ隣に腰を下ろす。一方私は、手にしたコーヒーに口をつけようともしなくて、じっと俯いていた。
「……どうした?」
様子が変だと思ったのか、桐生君が顔を覗き込んできて、私もそんな彼に視線を送る。
「ねえ。ちょっとだけ、面倒くさい話をしてもいい?」
そう告げたとたん、桐生君の表情が強張った。
桐生君はきっと、これから私がなんの話をするか見当がついている。いや、もしかしたら今日のことを誘った時から、薄々感づいていたのかもしれない。
桐生君はそっと私から目をそらして、疲れたようなため息をつく。
「話ってのは、コールドスリープのことか?」
「……うん。やっぱり、分かってた?」
「そりゃな。真面目なお前が、テスト前にどこでもいいから出掛けたいなんて言い出すんだもんな。何かあるって、気づかない方がおかしいだろ」
別に言うほど真面目って訳じゃないんだけどな。たしかにらしくない事をしたとは思っているけど。だけどこれにも、私なりの理由があるのだ。
「渚ちゃんから聞いたよ。お父さんのお世話になりたくないからコールドスリープしないって言ってたけど、あれって嘘なんだよね」
「はあ?そんなの、アイツが勝手に言ってるだけだろ」
そう言って目を反らされたけど、いったいどれだけ嘘をつかれてきたと思っているんだ。お父さんのことも全くの嘘と言う訳じゃ無いかもしれないけど、もっと大事な話をしていないってことくらいわかるよ。
「今日桐生君を誘ったのは、桐生君のことをもっと知りたかったからなんだよ。私は渚ちゃんみたいに付き合い長くないし、知らないことばかり。一緒にいれば、少しは桐生君の気持ちがわかるかなって思ったの」
「ふーん。で、結果はどうだったんだ?」
一見無関心を装っているようで、チラチラと私の様子を窺ってくる。その姿がちょっと可愛くて、思わずクスリと笑ってしまう。
「それがね、あんまりよく分からなかったの。強いて言うなら、嘘つきで、冗談ばかり言って、でも意外と、優しい所もあるってことかな」
「意外とは余計だ。けどそんなもんだろ。たった一日一緒にいたくらいで見抜かれるほど、単純な奴じゃねーよ」
全くもってその通り。生憎渚ちゃんみたいに、何でもわかるようになる日は程遠いようだ。ただ……
「だけどね、桐生君がなぜコールドスリープをしたくないかは、少しわかると思う。だって私も、コールドスリープをしてたんだから」
本当は最初に話を聞いた時に、ここまで察してあげるべきだった。桐生君の様子をうかがいながら、私は思っていることを口にする。
「ちゃんと起きることができるか、凄く不安になるよね。だけど桐生君が心配しているのは、そこじゃないでしょ。目が醒めた時、周りが変わっているのが怖いんでしょ?」
「……なぜそう思うんだ?」
明らかに動揺が見てとれる。だけどそんなのお構い無しに、私は思っていた事をぶちまけた。
「桐生君最初、私がコールドスリーパーだから声をかけたんでしょ。その時は、コールドスリープするかどうか迷ってたんだよね。だってしないってハッキリ決めていたら、わざわざ近づこうなんてしないもん」
迷っていたから、実際にコールドスリープをした私を見て、どんなものなのか確かめてみようと思ったのだろう。だけど結果は。
「コールドスリープの悪い所、たくさん見せちゃったよね。私はみっともなく喚いてたし、お母さんのことだって……」
お母さんに縁を切られてたのは、桐生君にとっても思う事があったかもしれない。過去に似たような経験をしているなら、きっとその事を思い出したはず。
時の流れは残酷で、それまで培ってきた関係だって、簡単に崩してしまう。私はそれを、桐生君に目の当たりにさせてしまったのだ。
「……俺には、元々壊れるような家族なんていないぞ。親も兄弟も、仲は冷めきってる」
「だけど、友達はいるよね。渚ちゃんとか、クラスの皆とか。そんな人達が、桐生君の心の拠り所なんじゃないの?」
桐生君と過ごした時間は、まだそう長い訳じゃない。けどそれでも、優しい所も世話焼きな所もちゃんと知っている。複雑な家庭環境かもしれないけどそれでも真っ直ぐでいられるのは、きっと他に支えてくれるもの、大切なものがあるから。けど、だからこそ不安なのだろう。それらがどう変わってしまうのか。
「ごめんね。コールドスリープの悪い所ばかり見せちゃった。これじゃあ印象悪くなっても仕方が無いよね」
「別にお前が悪い訳じゃないだろ。つーか俺の方こそ、謝んねーといけねーよ」
「謝るって、何を?」
「心臓の事や、コールドスリープを黙ってた事。同じ学年にコールドスリーパーがいるって話は、噂で聞いてたんだ。で、あの夜お前を見かけて、声をかけた。お前からなら、いい話が聞けるって思って」
それに関しては前にもちょっと話だけど、やはりショックが無いと言えば嘘になる。
「けどよ、今更言っても信用ならねーかもしれねーけどさ、お前がコールドスリーパーだからってだけで、一緒にいたわけじゃないからな。そりゃ最初はそれが目的だったけど、話してるうちに、だんだんと楽しいって思ってきて。だからだろうな、起きた時お前が離れちまってたらって考えると、凄く怖いんだ」
「………えっ?」
一瞬耳を疑った。それって……
「龍宮、俺はお前がのこと、結構……」
「ちょ、ちょっと待って。もうそれ以上は言わなくていいから」
「龍宮……」
一瞬で憂いを帯びた表情へと変わる桐生君。だけど。
「勘違いしないでね。別に裏があって近付いたことに怒ってるわけじゃないから。ただね……」
コールドスリーパーだから声をかけたことは構わない。貴重な話を聞きたいと言う気持ちはわかるもの。だけどそれとは別に、どうしても言っておかなきゃ気がすまないことがある。それは……
「どうして私が離れるの前提で、話を進めてるのよ?」
ジトッとした怒りのこもった目で、桐生君を見据えた。
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