教室での桐生君
桐生君のお見舞いに行ったのが先週のこと。あの後桐生君はしばらく学校を休んでいたけど、退院して今日から復帰すると言う連絡を、渚ちゃんから受けていた。
『本人の意思を尊重して、退院が許されたみたいですよ。薬を飲み続ければ、すぐに危なくなるってことはなさそうなんです。勿論絶対って訳じゃないので、油断は禁物ですけど。先輩、何があった時は輝明のこと、お願いしますね』
そんなことを頼まれてしまったけど、桐生君とはクラスも違うし。事情を知っているとはいえ、どれくらい力になれるかわからない。とりあえず、様子だけでも見に行ってみようか。
朝のホームルームが始まる前に、渚ちゃんから聞いた桐生君のクラスに行ってみる。聞いた際に『クラスも知らなかったんですか?』と言われてしまったけど。
学校では緒にいることが多いし、お見舞いにも行った。だからつい桐生君のことを知った気になっていたけど、実はあまり知らないのかも。そう考えると、ちょっと寂しくなってしまう。
けど、ここで気落ちしていても仕方がない。教えてもらった教室に行って、外から中を覗いてみると、そこには席につきながら、クラスメイトと楽しそうに話をしている桐生君の姿があった。
「桐生、くたばったかと思ったぞ。入院したって聞いたけど、変な物でも食ったのか?」
「お前と一緒にするんじゃねーよ。ちょっと頭ぶつけて、検査してただけだって」
「頭ぶつけたって、大丈夫なの?来週からテストでしょ、頭パーになってない?」
「失礼な心配するなー!」
和気あいあいとしているその様子を見ると、とても病室のベッドの上で憂いをおびていたのと同じ人とは思えない。だけど、話している内容がおかしい。どうやら桐生君、入院した本当の理由も、たぶん心臓に病があることも皆には伏せているのだろう。
全部話して気を使われるなんて、嫌がりそうだし。だから私にも言わなかったんだろうけど、もう知っちゃったんだから仕方がない。ちゃんと受け止めた上で、桐生君とは接していくんだ。
自分のクラスでもない教室に足を踏み入れるのは少し緊張するけど、ここで躊躇う訳にはいかない。意を決して中へと入り、人の輪へと近づいていく。そして。
「桐生君!」
彼の名を呼ぶと、集まっていた人達は一斉にこっちを見る。大抵の人がいきなり現れた他クラスの生徒を怪訝な目で見ていたけど、当然桐生君は違った。
「おお、龍宮。どうした?」
さっきまでと同じ、軽い調子で答える桐生君。前に会った時の神妙な空気が嘘のようだけど、こっちの方が話しやすくて助かる。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「今からか?もうすぐホームルームが始まるけど……」
「だったら、休み時間でも昼休みでも、放課後でもいい。あんまり時間はとらせないから、ね?」
「……わかった。そんな言うなら、今聞くよ」
何かを察したように、椅子から立ち上がる桐生君。一方一部始終を見ていた他の人は、不思議そうに私を見ている。
「誰あれ?桐生君、また新しい彼女作ったのか?」
「龍宮……ああ、知ってる。確か1組にいるって言う、コールドスリーパーの奴だ」
「え、あの三十路で高校通ってるって子?桐生君、中学生みたいな一年と仲がいいって思ってたら、今度はえらい年上を。守備範囲広すぎだろ」
どうやら面識の無いこの人達も、私がコールドスリーパーである事は噂で聞いたことがあるみたい。
しかし彼らの話を聞いた桐生君は、露骨に顔をしかめる。
「お前ら、失礼な事言うなよな。コールドスリープしてたんだから、その間は実質歳とってないってわかるだろ。コイツは俺達と何も変わらない、普通の高2だよ。だろ?」
ポンと肩に手を置かれ、私は黙って頷く。すると騒いでいた皆も分かってくれたようで。
「そうだな。悪い、ついふざけすぎた。ゴメンな」
「コールドスリーパーって言っても、アタシ等と特に変わんないしね。言われなきゃ絶対わかんないし。ねえ、眠る前も、この学校に通ってたの?」
「コールドスリープって、どんな感じだったんだ?夢とか見るのか?」
さっきと一転して、次々と質問が飛んでくる。
今まで遠巻きに見られる事はあったけど、こんな風に正面から色々聞かれたことは無かったから、ちょっとびっくり。けど、本当は全部に答えてあげたいのに、そうしていると時間がかかってしまう。それよりも今は。
「ゴメン、質問に答えるのは、また今度でいい?ちょっと、桐生君を借りていって大丈夫かな?」
早くしないと、ホームルームが始まってしまうのだ。
「ああ、そういえばそんなこと言ってたっけ。桐生、行ってやれよ」
「龍宮さんだっけ?今度、話聞かせてね」
皆の反応は概ね良好で、文句の一つも言われなくて。ありがとうってお礼を言って、私達は教室を出た。
「悪いな、アイツ等がおかしなこと言って。気を悪くしないでくれよ。冗談は言うけど、悪い奴等じゃないんだ」
「大丈夫だよ。最近はちょっと何か言われたくらいじゃ、へこたれなくなってるから」
「へえ、成長したじゃないか。最初に会った時なんて、ヒステリック起こして叫んでたのに」
恥ずかしいことをよく覚えているものだ。無理もないけど。
あの時は変わってしまった回りの様子についていけなくて、どこにいても自分は場違いな気がしていたけど、今ならこれが私なんだってちゃんと思える。
「そういえば、ちゃんと否定しなくてよかったの?」
「何を?」
「さっきクラスの子達が私のこと言ってたじゃない。桐生君の……彼女だって……」
口にしたとたん、顔が燃えるようなほど熱くなっていく。
あれはただの勘違いだから、深く考えなくてもいい!そう思ってはいるんだけど、傍らに立つ桐生君の事を妙に意識してしまう。
「俺は別に構わないけど……龍宮は、嫌だったか?」
「えっ?ううん、そういう訳じゃないけど……って、私の事はいいの。桐生君が構わないのなら、この話はもういいよ。ところで、さあ……」
照れを隠して平静を装いながら、本題を切り出す。
「今度の日曜、どこかに行かない?二人で」
「…………は?」
私の言った事が信じられないといった様子で、ポカンとする桐生君。
「何でまたいきなり?」
「いきなりじゃないよ。この前、お母さんに会いに行った日に言ってたじゃない。今度二人で、どこかに遊びに行かないかって」
「そりゃ言ったけど、日曜って。来週からテストだろ。お前、勉強の方は大丈夫なのか?」
それは私も、正直気にしてはいた。学校も空気を読んで、こんな時にテストなんてしないでほしい。
まさか桐生君から、テストの心配をされる日が来るとは思わなかったけど、できることならやっぱり急ぎたい。
「ダメかな?どうしても無理なら、別の機会でもいいんだけど」
桐生君はしばらく何も答えずに、じっと私を見る。
何も、考え無しにただ遊びたいって思ってる訳じゃない。そして桐生君はそんな私の心の内を読んだみたいにふうっと息をついて、笑顔を作る。
「そうだな。息抜きも必要だし、行くか」
「本当?」
「元々勉強なんてあんまりやらねーし。で、どこに行くんだ?映画か、それともどこか遠出でもするか?」
そう聞かれて、答えに困ってしまう。だって誘うことで頭が一杯で、具体的な事は何も考えていなかったから。
「……まさかとは思うけど、何も当てが無いとか言うんじゃ?」
「ゴメン、実はそのまさかなの」
「はあ?それじゃあ何でまた出掛けようなんて……いや、まあいいけどよ」
とは言うものの、どこも行く当てがなければ出掛けようがない。無難に映画にでも行こうか?だけど、今見たい映画なんて無いし、桐生君の好みも分からないしなあ。それとも、美術館にでも行こうか?
「なあ、行く所が決まって無いなら、俺に任せてもらっていいか?」
「え、いいの?でも私から誘ったのに丸投げするのは……」
「いいって。ていうか龍宮に任せたら、つまらない所に行きそう。骨董品の並ぶ美術館とか、近所のファミレスに延々居座るとか」
「さ、流石にそんなことはしないよ」
いくら遊び慣れてない私でも、何もせずにファミレスで時間を浪費する気は無い。でも、美術館をちょっとだけ考えてた事は秘密にしておこう。
そう思ったところでチャイムが鳴る。もう教室に戻らないと、先生が来てしまう。
「引き受けてくれてありがとう。詳しい話は、また後でいい?」
「ああ……なあ龍宮、話って、本当にこれだけなのか?」
「うん、今伝えたいのはこれだけだよ」
今は、ね。
桐生君は何か引っ掛かっている様子。ついこの前、心臓の病気のことやコールドスリープの話をしたのに、それらを一切無視して遊びに行く話をしたのだから当然だろう。
もちろん私は、あの日の事を忘れたりはしていない。本当なら今すぐにでも、話の続きをしたいって思う。だけど、闇雲に進めても意味がない。このお出掛けは、もっと桐生君の事を理解するために必要なのだ。
「それじゃあ、ホームルームが始まるから、もう行くね。日曜日、楽しみにしてるよ」
手をふり、踵を返して自分の教室へと向かって歩き始める私。
日曜日に二人でお出かけ。よく考えたら、これってデートなんじゃないだろうか?その事に気がついたのは、教室に戻ってホームルームが始まったころだった。
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