コールドスリープ

 ニコリともせずに頷くその姿にかつての自分を重ねる。

 私も長い間闘病生活を続けていたから分かる。これは全てを受け入れている顔だ。一度受け入れてしまうと、緊張したり重苦しい空気を作ることもない。

 こんな顔を見る側に回ったことはなかったけれど、傍から見れば随分とあっさりしている風に思える。


「……どうして教えてくれなかったの?」

「わざわざ言うほどのことでもないだろ。言ったからって治るわけでもないんだし、薬を飲めば発作も押さえられるんだしさ」

「薬……ああっ、もしかしてあの花粉症の⁉」

「なんだ、バレたのか。悪い、あれ嘘なんだ。お前、信じきってるみたいだったから、もうちょっと騙せると思ったんだけどな」


 悪びれる様子もなく言ってのける。私もね、ちょっとは変だと思ってたよ。花粉症の季節はとっくに終わってるのに、まだ飲んでたし。鼻水やクシャミに悩まされた様子もなかったし。

 だけど桐生君の話を全て鵜呑みにできるほど、私は単純じゃない。本当に薬を飲みさえすれば大丈夫だというのなら、こんな風に入院するはずがないじゃない。しかもこんな個室を用意されてるし、通常の患者さんに対する扱いじゃないよ。


「お願い桐生君、正直に言って。体は本当に大丈夫なの?」


 室内に重い沈黙が流れる。しばらく見つめあっていたけど、やがて桐生君は観念したのか、諦めたように息をついた。


「薬で症状が抑えられるのは本当だよ。現にここ最近は、大きな発作は無かった。ただ……」

「ただ?」

「医者からは、これではいずれ限界が来るって言われてる。今すぐどうこうってわけじゃねーけどな」

「そんな……治療は?手術して、なんとかなったりはしないの?」


 桐生君に何かあったらなんて、そんなの考えたくない。だけど彼は、首を横に振る。


「無理だって言ってた。少なくとも現存の方法じゃ、どうしよもねえよ」


 怒るわけでも、悲観するわけでもなく、淡々と語る桐生君。そんな諦めたような遠い目をしないでよ。

 限界が来るって、いつ?せっかく仲良くなったのに、こんなのって無いよ。何も打つ手が無いだなんて……いや、まてよ?


 ふと頭にある考えが浮かんだ。いや、正確には浮かんだのではなく、ピースがはまったと言うべきだろうか?

 この病院は、県内屈指の大型病院。そこに勤めているお医者さん達が、何もできずに手をこまねいているはずがない。

 私は頭に浮かんだそれを、そっと言葉に変える。


「桐生君、もしかして……」

「コールドスリープするの?」


 今のままでは治らないという心臓。さっきまでこの部屋にいた、専門医の石塚先生。そこから導き出された答えはコールドスリープ。

 去年までの私がそうだったように冬眠状態になって病気の進行をストップさせ、その間に治療法を確立させる。そうすれば、桐生君の心臓は治るかもしれない。だけど、返ってきた答えは。


「しねーよ」

「……え?」

「コールドスリープなんてしない。このまま薬で抑えていくよ」


 そう言った桐生君の目は、なぜかとても切な気だった。

 コールドスリープしないって……

 それじゃあ、全部私の勘違い?でもそれじゃあ、根本的な解決は出来ないし、石塚先生のことだってあるしで、どうにも腑に落ちない。


「よくわかってないって顔だな。一から説明するとお前の言う通り、コールドスリープの話はあったんだよ。けど、断った」

「どうして?だって、このままじゃ治らないんでしょ」

「だからって、必ずヤバイことになるとは限らないだろ。今までだってやってこれたんだし、これからだって何とかなるだろう」


 違う。今までが大丈夫だったからといって、この先もそうとは限らない。そんなこと、桐生君だってわかっているでしょう?

 放っておいて、もし何か起きたらどうするのさ?やだよそんなの!


「そんな楽観視できることなの?それとも、コールドスリープしたくない理由でもあるの?」

「理由ねえ……龍宮、コールドスリープって、いくらくらいかかるか知ってるか?」

「えっ、ええと……」


 知らない。少し前までコールドスリープしていたけど、そこにどれだけのお金が必要だったかは聞かされていなかった。

 私も眠る前に、お母さんに聞きはしたよ。コールドスリープなんかして、費用は大丈夫なのかって。その時はそう高いものじゃないって言われたけど、さすがにそれは鵜呑みにできなかった。私が余計なことを気にしないよう伏せているのではと思ったけど、それ以上は何も聞けずに、そのまま眠りについたのだ。それじゃあ桐生君がコールドスリープしないのは、経済的な理由からなの?だけど……


「でも桐生君の家ってお金持ちなんだよね。いつも羽振りいいじゃん」

「まあな。けど遊びで金を使うのと、今回のは違うんだよ。命がかかってるから助けてくれって、親父に頭下げたくねーよ」


 そんな理由で?

 私は桐生君のお父さんと会ったことはないけど、そんなにも確執があるのだろうか?

 いや、でも実の親子だからと言って、仲良くできるとは限らないと言うのは、身をもって知っている。桐生君にとってこんな大事な時にお父さんを頼ると言うのは、この上無い屈辱なのかもしれない。だけど……


「ねえ、本当にそれでいいの?私は詳しい事情は知らないけど、命を張ってまで意地を通さなきゃいけない事なの?」


 私は必死に訴えたけど、桐生君は黙ったまま、何も答えてはくれない。ただただ時間だけが無駄に過ぎていく。

 そうしているうちに部屋の戸がノックされて、渚ちゃんが顔を出した。


「飲み物買って来ましたけど……話終わりました?」


 重苦しい空気を察したのか、中に入ってくるのを躊躇している様子。

 そうだ、渚ちゃんからも何か言ってやってよ。


「ねえ渚ちゃん……」

「渚、今日はもう、龍宮を連れて帰ってくれ」

「はあっ?ちょっと⁉」


 まだ話は終わってないのに、何を言い出すんだ?


「悪いな、今日はちょっと疲れてるんだ。話ならまた今度聞いてやるから、今は一人にさせてくれ」

「でも……」

「頼む……」


 言いたい事はまだたくさんある。でもこんな風に悲しそうな顔で懇願されたら、嫌だとは言えない。


「先輩、今日はもう……」

「……わかった。でも桐生君、一つだけ教えて」


 渚ちゃんから桐生君に視線を移す。


「何だ?」

「桐生君は、私がコールドスリーパーだから近づいたの?コールドスリープがどんなものか、知っておきたかったから」

「…………」


 返事は無い。だけどその沈黙こそが肯定の証だった。

 そうだよね。私がコールドスリーパーじゃなかったら、気にかけたりはしなかったよね。

 私がコールドスリーパーだと言うことは、学校ではまあまあ有名な話。実際にコールドスリープした人がどんなものか気になって声をかけた、ただそれだけのこと。所詮私は、桐生君にとってその程度の存在なのだろう。


 ズキンと胸が痛む。だけど同時に、ある事を思っていた。

 気になったってことは、コールドスリープしようとする意思が、全く無い訳じゃ無いのかもしれない、と。


「行こう、渚ちゃん」

「は、はい。輝明、ジュース置いとくから」


 部屋を出る私の後を、渚ちゃんが慌てて追いかけてくる。

 桐生君が私の事をどう思っていようと、私はちゃんと桐生君に治療を受けてほしいって思う。

 だけど頑なな桐生君をどう説得するか。そもそも他人が口を挟んでいいことなのか?

 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、私達は病院を後にした。

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