桐生君の抱えるもの
お母さんに会いに行ってから……桐生君が家に来てお父さんと幸恵さんとちゃんと話をしてから、一週間が経った雨の日。私は久しぶりに登校していた。
実はあの日の夜から熱が出て、ずっと寝込んでいたんだよね。
元々季節の変わり目には体調を崩しやすかったけど、きっと色んな事が一度にありすぎて疲れたのだろう。
そのせいでずっとベッドの上。だけどそのお陰で、駿君や幸恵さんと、ちょっとは打ち解けることができた気がする。何せ起きている間はずっと、代わる代わる様子を見に来てくれたのだ。
幸恵さんは着替えを用意してくれたり、お粥を作ってくれたりと、とても甲斐甲斐しく看病してくれた。
桐生君を交えて晩御飯を食べた時も思ったけど、幸恵さんは料理が上手で、あまり好きではないお粥も、なぜか美味しく食べることができた。
この人が毎日作ってくれたお弁当や料理を、今まで食べもせずにいた事がとても勿体無く、同時に申し訳なく思う。
まだぎこちなさが無くなった訳じゃないけど、せめて作ってくれたご飯くらいはちゃんと食べようと反省した。
駿君は駿君で、小学校が終わると毎日私の部屋に来て、その日何があったかを楽しそうに話してくれた。
あの日桐生君と会わせたのがよかったのだろう。桐生君は意外と子供の扱いが上手く、やってきたお兄ちゃんに駿君はすぐ懐いてくれた。私は最初どう接して良いかわからなかったけど、間に桐生君が入ってくれたお陰で打ち解けることができ、ようやく少し、この子は私の弟なんだって思うことができた。
お父さんも事ある毎に私の様子を見に来てくれて。お父さんに対しては、自分でもまだ素直になりきれていないとは思うけど、それでも前と比べたら話し易くはなっている。出来るなら、このままコールドスリープする前みたいに、普通に接することが出来るようになりたい。だってやっぱり、お父さんなんだもの。
そんなこんながあったこの一週間、家族の距離を縮めることができたのは良かった。
休んでいる間、桐生君から何度かお見舞いと、あれからどうなったか心配するメールが届いたけど、良い返事をすることができたわけだ。
というわけでたっぷり休んで、今日からまた学校なんだけど、相変わらず教室では喋る相手はいない。
いつの間にか衣替えが始まっていて、生徒の大半が夏服に変わっている中私だけ冬服のままだったこともあって、クラスでは浮いた存在だった。
「今度はクラスに馴染むことが課題だな」
お昼休み、私は桐生君や渚ちゃんと一緒に、学食室の片隅でお昼をとっている。学食と言っても、私が食べているのは幸恵さんお手製のお弁当。せっかく作ってもらったのだから、今日からちゃんと持って来ることにしたのだ。まあそれはさておき、今の話題は桐生君が言っていたクラスに馴染むということ。とはいえもう六月だし、今更どこかのグループに入るというのは、ちょっと難しいんだよね。
「あー、わかります。完成しちゃってる輪の中に入るのって、ハードル高いですよね。無理に加わっても話についていけなくて、結局空気みたいになっちゃいますし」
パンをかじりながら話を聞いた渚ちゃんが、ウンウンと頷いている。
「無理に何とかしようとも思わないんだけどね。家の事が落ち着いただけで、もう十分って思うし。あ、でもノートを、見せてもらう人がいないのは大変かな。休んでた時のノート、どうしようか?」
「確かにそれは問題ですねえ。そうだ輝明、龍宮先輩に見せてあげたら?」
「いや、無理だろ。クラスが違うんだから、当てになんねーよ」
ダメかあ。桐生君が同じクラスだったら、見せてもらえたのに。と思いきや。
「そもそもサボり魔の俺が、まともにノートをとってると思うか?」
「いや、ちゃんととろうよ!期末試験どうするのさ⁉」
「まあなんとかなるんじゃねーの?」
こんな調子で、いったい今までどうやってテストを切り抜けてきたのだろう?全く悪びれる様子を見せないまま食事を終えた桐生君は、いつかと同じ花粉症の薬を水で流し込んでいる。もう梅雨だと言うのに、まだ症状が出ているようだ。
「じゃあ、コレ片付けてくるから」
食器の乗ったトレイを抱え、学食のカウンターへと向かう桐生君。残された私と渚ちゃんは、そんな彼の様子を見ながら苦笑する。
「輝明にも困ったものですよ。勉強だって本当は苦手じゃないのに、やろうとしないんですもの。あーあ、私が一年早く生まれていたら、ノートを貸してあげられたのに」
「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくよ」
「それより先輩、結局のところ、輝明とはどうなってるんですか?」
「どうって、何が?」
「それはもちろん……付き合ってるかって事ですよ」
「ごふっ⁉」
予期せぬ渚ちゃんの攻撃に、思わずむせ返す。
ご飯を食べ終えた後で良かった。渚ちゃん、何を勘違いしてるのさ?
「付き合うって、別に桐生君とはそういう訳じゃ……」
無いよ。そう言おうとして、思い止まる。そういえばこの前カラオケ店で、キス寸前までいったっけ。いや、だからといって桐生君の事を好きかどうかは……まてよ、好きでもない男の子とキスしそうになったって、それはそれで問題じゃないかな?
一人で悶々と考えていると、渚ちゃんがクスリと笑う。
「ふふふ、先輩、さっきから百面相してますよ。いったい何を考えてるんですか?というか、輝明といったい何をしたんですか?」
「してない!まだなにもしてないから!」
「『まだ』、ということは、これからは分からないって事ですよね。しかもその様子だと、『何か』の手前まではもう行ってるんじゃないのですか?」
渚ちゃん鋭すぎ。どうしてこういう事に嗅覚がきくかなこの子は?
「わ、私のことは良いじゃない。それより渚ちゃんは?桐生君の事どう思ってるの?」
勢いで聞いたけど、これは前々から気になっていたこと。渚ちゃん、桐生君に相当なついているしわけだし、やっぱり好きなのかな?
だけど質問された渚ちゃんはキョトンとした表情。そして何が可笑しいのか、突然笑い出した。
「はははっ、違いますよ。私は別に輝明が好きって訳じゃありませんから」
「えっ、そうなの?」
「はい。輝明とは昔から一緒にいる、兄妹みたいなものですから。でもよく勘違いされるんですよね。何でだろう?」
首をかしげているけど、そりゃあれだけ仲が良けりゃ無理もないって。見ていて羨ましいって思ったし。
「それじゃあ渚ちゃん的にはどうなの?桐生君が誰かと付き合うってなったら。あ、私が付き合ったらって話じゃなくて、『誰かと』だからね」
「そこは別に念押さなくても。でもそうですねえ。私は別に、輝明が本当に好きで選んだ相手なら文句は言いませんよ」
え、そうなんだ。てっきり『どこの馬の骨かもわからない人には任せられません』くらい言うものかと思ってた。
「……先輩、失礼なこと考えていませんか?」
「そ、そんなことないよー。ちょっぴり意外だって思っただけだよ」
「まあ良いですけどね。ただ輝明、今まではフラフラしてて、いい加減な気持ちで女の子と付き合うこともありましたから。そういう時は反対してましたね」
「そ、そうなんだ?」
なるほど、という事は最初に会った時私に突っかかってきたのは、そんないい加減な気持ちで接しているって思ったからなのだろう。それにしても、桐生君だって渚ちゃんがそんな風にかんがえていることくらい気付いているだろうに。それなのにあの時はわざわざ、誤解されるような言い方をしていたわけか。何を考えているのか?
「そういうの、見てられないんですよ。好きでもない彼女なんて作ったって、いいことなんてないのに。そりゃ体のこともありますから、遊んで気を紛らわせたいって気持ちもわかりますけど」
「うんうん……って、体の事?」
いったい何の話?言ってる事の意味がわからずにキョトンとしていると、渚ちゃんも怪訝な顔をする。
「ええと。先輩前に、知ってるって言ってましたよね?輝明の事情」
「知ってるけど……それってお母さんの事とか、家で居場所が無いとか、そういう話だよね?」
「いえ、それもありますけど……」
渚ちゃんは何か言いかけたけど、丁度タイミング悪く桐生君が戻ってきた。
「どうした、神妙な顔して?」
「輝明……何でもないよ。あんまり長く居座ったら迷惑だから、もう行きましょう」
「ん、何を急いでるんだ?」
「何でもないから」
話はこれで終わりと言わんばかりの態度で、席を立つ渚ちゃん。私は続きが気になるんだけどな。
ひょっとして、桐生君に聞かれたらマズイことなの?
私は気づかれないよう、歩き始めた渚ちゃんにそっと小声で尋ねてみる。
「ねえ渚ちゃん、今の話って?」
「ごめんなさい。輝明が教えていないのなら、私からは言うべきじゃないので」
「そんな、あんな風に言われたら気になるよ」
「それなら……」
渚ちゃんは立ち止まり、いつになく真剣な目をして私を見た。
「直接輝明に聞いてみたらいいですよ。いえ、むしろ聞くべきです。先輩が本気で、輝明と付き合っていきたいのなら」
「それってどういう……」
言わんとしていることが分からない。けど何か、大きなモノを抱えているのではと、思わずにはいられない。
「おいお前ら、行かないのか?」
「ごめん、今行くー」
桐生君に急かされ、再び歩き出す渚ちゃん。私もすぐにその後を追ったけど、胸の中にモヤモヤが広がって行ってる。
桐生君が何かを抱えているのなら、どうして私にそれを言ってくれないのだろう?
私が落ち込んだり迷ったりした時、桐生君は力になってくれたのに、どうして自分の事は教えないの?私って、そんなに信用無いのかなあ?
ズキンと胸の奥が痛む。
いいもん。桐生君が言ってくれないのなら、今度こっちから聞いてみよう。人の事情に首を突っ込むのは良くないことかも知れないけど、私はもっと桐生君の事を知りたいから。
先を歩く桐生君の背中を見ながら、そう決意する。
しかし、そんな私の決意を嘲笑うかのように、事態は急変する。
桐生君が、学校に来なくなったのだ。
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