家族 前編
カラオケ店から出て、それから列車で移動して。家に帰りついた時には、午後六時を少し回っていた。
家は門限は無いけれど、何度も着信があったのにこんな時間まで連絡もしなかったのだから、お父さんは怒っているに違いない。玄関のドアの前に立ったまま、扉を開くのを躊躇してしまう。
帰りたくないなあ。そんな風に思う私の肩を、桐生君がポンと叩いた。
「帰り難い気持ちはわかるけどよ、いつまでもこうしてるわけにもいかないんじゃないか?」
「わかってるよ。でもこういう時って、結構躊躇ったりするものなの。そりゃあ桐生君は平気かもしれないけどさ」
「それ本気で言ってるのか?俺だってそこまで図太くできてる訳じゃないからな」
そう言った桐生君の表情は微妙に険しい気がする。ちょっと意外だった。どうやら桐生君でも緊張することくらいあるらしい。
私はため息をつきながら、玄関のドアをガチャリと開け、中にいる人には絶対に聞こえないくらいの小さな声で「ただいま」を言う。
「桐生君も上がって。それとも、やっぱり帰る?」
「ここまで来て帰れるかよ?お邪魔します」
やはり小声で、まるで忍び込むかのように足音を殺して中へと入る。そうして靴を脱いでいると、廊下の先から物音が聞こえてきた。
「棘ちゃん!」
「……幸恵さん」
奥から現れたのは、お父さんじゃなくて幸恵さんだった。
幸恵さんは私の姿を見るなり、足早に近づいてくる。
「どこへ行ってたの?心配したのよ、何度電話を掛けてもでないし」
「幸恵さんには関係ないでしょ。別にいいじゃないですか。まだそんな遅い時間じゃないんですから」
「棘ちゃん……」
途端に悲しそうになる幸恵さんを見て、少しだけ罪悪感を覚える。
幸恵さんは意地悪をした訳でもないのだし、言い過ぎだという自覚はある。だけどこの人を前にすると、どうしても考えるよりも先に拒絶してしまうのだ。
目が醒めて、再婚したと言う話をお父さんから聞いて、この人がお母さんの居場所を奪ったんだと腹を立てた。
だけどお母さんと会って、今度は私が拒絶されて。もしかしたら思い違いをしていたのかもと言う気持ちが、無いわけじゃない。
だけどそれでも尚、お母さんのポジションに居座っている幸恵さんを未だ受け入れられずにいる。
「龍宮、ちょっと落ち着けよ。すみません、龍宮を連れ回していたのは俺です」
「アナタ、この間の?」
「こんな時間まで連絡もしなくて、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる桐生君を見て、今度は私が慌てる。
「ちょっと、桐生君が謝ること無いでしょ。だいたい、桐生君の方が私に付き合ってくれたんじゃない」
「けど今日のことは、元々俺が言い出したんだし」
「それにしたって私が色々喋ったのが原因じゃない。さっきから思ってたけど、桐生君責任負いすぎ」
両者一歩も引こうとしなくて、話は平行線。しかしそれを見かねたのか、幸恵さんが声をかけてくる。
「何があったかは知らないけど、玄関で話すようなことじゃないでしょ。とりあえず上がってもらって。棘ちゃん、晩御飯まだよね。それからアナタ……ええと、桐生君だっけ?」
「桐生輝明って言います。龍宮とは同じ学校で……同級生です」
一瞬言葉に詰まっていたのを見ると、何と言って自己紹介するか考えていなかったようだ。家に来るまで時間はあったのに、どうやら緊張していたのは本当だったらしい。
「アナタも、晩御飯食べていくでしょ?」
「いえ、俺は……ああ、お願いできますか?」
一瞬断ろうとした桐生君だったけど、すぐに言い直した。どうせ家に上がるつもりだったのだから、開き直ったようだ。
家の中へを進んで行って、リビングのドアを開ける。さあ、問題なのはこれからだ。
部屋の真ん中にあったソファーには案の定お父さんが腰かけていて、案の定た私に鋭い視線を向けてきた。
「どこへ行っていたんだ?」
いきなり怒気を含んだ声で尋ねられ、思わず圧倒される。そりゃ怒るよね、着信を無視し続けていたんだし。
「別にどこでもいいじゃない」
さっき幸恵さんに言ったこととほぼ同じ言葉をぶつける。だけどお父さんは、幸恵さんと違ってこれくらいで引いたりはしない。
「良いかどうかは話を聞いてから決める。それで、どこに行っていた?」
「それは……そもそも何でそんなこと聞くのよ?」
今日みたいに日曜日にどこかに出掛けることなんて、そう珍しくない。疑われるような行動もしてなかったと思うし、いったい何をそんなに怒っているのかがわからずに混乱する。
そうしているとお父さんは次に、私の後ろに立つ桐生君に目を向けた。
「そいつは誰だ?」
「俺は龍宮の同級生で……」
「お前が娘をたぶらかしたのか⁉」
ソファーから立ち上がり、今にも殴りかかりそうな勢いのお父さん。すると幸恵さんが慌てたように間に入ってくる。
「アナタ、落ち着いて。ごめんなさいね桐生君、主人はちょっと混乱してて。別にアナタのことを怒っているわけじゃないのよ」
いや、お父さんは完全に怒っていると思うけど。しかし次に幸恵さんの口から出てきたのは、信じられない言葉だった。
「棘ちゃん、お父さんはアナタのことを心配していたのよ。様子がおかしかったって連絡をもらってから、ずっと」
「えっ?」
心配していたって、嘘でしょ。コールドスリープする前も後も私に怒ってばかりだったお父さんが?
それに様子がおかしいって、いったい誰が言い出したの?
「連絡があったって、誰からですか?」
「病院の石塚先生よ。検査が終わった後、話をしたんでしょ?その時、何だかいつもと様子が違うって、わざわざ電話をくれたのよ」
石塚先生が?
確かに診察は受けたし、あの時はこれからお母さんに会いに行くんだって思って気がはやっていたのかもしれないけど、よく気がついたものだ。
「ああ、あの先生らしいや。カウンセラーとしても優秀らしいから、察したんだろうな」
納得したように桐生君が頷く。そういえば石塚先生のこと知ってるって言ってたっけ。
けど先生には悪いけど、なんて余計なことをしてくれたのだと、思わざるを得ない。だって……
「それで棘、いったいどこに行っていたんだ!」
このお父さんの剣幕を見ると、ねえ。何を勘違いしているのか、桐生君のことを思いっきり睨んでいるし。
どうやら桐生君を連れてきたのは逆効果だったみたい。
「龍宮を連れ回した事は謝ります。だけど……」
「待って桐生君、私から話すから。お父さん……私今日、お母さんと会ってきたの」
「なっ⁉棘、お前会ったのか?」
「……うん」
正直に答えて、反応を窺う。
私が何度聞いても、お母さんのことは教えてはくれなかった。なのに勝手に会いに行ったりして、きっと怒っているだろう。すると案の定、肩を震わせて声をあげた。
「棘、何を勝手なことを……」
「アナタ止めて。棘ちゃん、それでお母さんに会って、どうだったの?」
「私のせいでたくさん迷惑してきたって……もう来ないでって言われました」
「――――ッ!」
部屋の中を、重く冷たい空気が支配していく。しかしその沈黙を破ったのは、以外にも桐生君だった。
「俺が何か言えた立場じゃ無いですけど。今まで黙ってたのって、龍宮のためですよね?せっかく眠りから醒めたのに、本当のことを言って傷つけたくなかったから」
桐生君はそう言ったけど、私はそれを受け止められずにいる。
ううん、きっとそうじゃない。お父さんが私のことを想って内緒にしていたなんて、そんなの信じたくなかった。
今まで私の苦しみをわかってくれないお父さんに、散々怒りをぶつけてきた。なのに今更違うだなんて言われても、そう簡単に納得できないよ。
「違う、お父さんは私のことなんて考えては……」
「龍宮!」
感情のまま喋ろうとする私を、桐生君が制する。そして訴えかけるような目を、こっちに向けてきた。
「ちゃんと話を聞いてやれよ」
「でも……」
「つまらない意地を張ってどうするんだよ?混乱するのは仕方ないかも知れねーけど、ちゃんと向き合ってやれ。家族なんだから」
「――――ッ!」
家族……そうだ、桐生君の家族って……
昼間のお母さんのことといい、家族なのにケンカして拒絶し会う姿は、桐生君にとっても見ていて気持ちのいいものでは無かっただろう。
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