(22)届かないメッセージ

 年が明けて最初の登校日。

 冬休み中の無気力さが嘘のように、私はいつもどおりの時間に起きて、いつもどおり学校に行くことができた。


 始業式の前後に青井の姿を探してみたけれど、見つからなかった。

 受験直前の今、三年生はいつもの三分の一程度の人数しか登校していない。青井は背が高いのもあって、いつも以上に目につきやすいはずなのに。

 病欠だろうか。あまり体調を崩すようなタイプには見えないけれど、私に付き合わせてしまったせいで負担をかけてしまったのかもしれない。


 私は体育館から教室に帰る途中、スマホで青井の連絡先を表示した。お見舞いのメッセージでも送ってみようと見慣れたアイコン画像を一瞥し――すぐさま画面を閉じた。

 もし青井が私の顔を見たくなくて、学校に来なかったのだとしたら。私から連絡をとったところで、ますます青井を追い詰めてしまう。

 どのみち、青井はもう他人だ。これといって用事がないのにメッセージを送られても、迷惑なだけだろう。

 そう自分に言い聞かせてはみるけれど、青井のことが頭から離れなかった。




◇◇◇




 冬休みが明けてから一週間たった。


 私は職員室で地学の西藤先生に質問をしていた。週末のセンター試験の対策をしていて、解説を読んでもよくわからなかった箇所があったのだ。

 私はすでに大学に合格しているから、地学で満点をとったとしても意味はない。でも、勉強をせずにはいられなかった。目の前の設問と向かい合っているあいだだけは、青井や菜々子のことを考えずに済んだ。


 西藤先生は嫌な顔ひとつせずに、「これはですね……」と細やかに解説してくれる。


「丸暗記でもクリアできる問題なのに、魚住さんは熱心ですね。だいたいの子は、地学なんて適当に流してしまうのに」

「べつに熱心ってわけでは……。どんな科目でも、理屈がわからないと落ち着かないだけなんで」


 センター試験が終わったら、地学を勉強することは二度とないだろう。それでも、地学を始めとした理系科目はものごとの因果関係が明確だから嫌いではなかった。

 思えば、私は理由のわからないものが苦手だった。

 自分の心も、他者の気持ちも、理不尽な動きばかりで、知らない感情に直面すると途端に怖じ気づいてしまう。

 その筆頭が恋だった。


「あれ? 青井くんじゃないですか」


 私が参考書をリュックしまっていると、先生が声を上げた。


 ――青井。

 名前を聞いただけで、脈が狂ってゆくのがわかった。


 私は先生の視線をたどり、ぎくしゃくとした動作で振り返る。

 日直日誌を抱えた青井が、へらへらとしながら職員室に入ってきたところだった。


「西藤先生じゃないですかー! あとでおくじょ――」


 青井は私に気付いた瞬間、不自然に凍りついてしまう。


「どうしたんですか?」

「い、いやぁ、今日も天気がいいですねぇ!」


 青井はうわずった挨拶をすると、勢いよく顔を背けた。担任の机上に日誌を放り投げ、一目散に去ってゆく。


 ――避けられている。

 青井の人懐っこい笑みが私に向けられることはもうないと思うと、心臓が締めつけられた。血流がおかしくなって、めまいがして、吐き気を覚える。


「……青井くん、変でしたね」


 先生が窓の外の曇り空を眺めながら首をひねった。


「ひさびさに彼の挙動不審なところを見ました」




 職員室から出てたあとも、動悸はおさまらなかった。

 どうして、私はこんなにも不安定になっているのだろうか。青井とは「ただの同級生」という元の間柄に戻っただけなのに。そもそも、たった一ヶ月間しか、青井とは親密な付き合いはしていないのだ。

 ひょっとして、菜々子の死によって生じた欠落を青井で埋めようとしたツケが回ったのだろうか。


 青井が私を見限った正確な原因は、いまもなお不明だった。だからこそ、青井に対する割り切れない想いに悩まされ続けているのかもしれない。

 このままだと、菜々子だけではなく、青井を理解できなかった鬱屈も抱えていくことになってしまう。一度、青井とちゃんと話したほうがいいのだろうか。


 私は昇降口で立ち止まり、肩で息をしながらスマホを取りだして青井宛のメッセージを作成した。


『話したいことがあるんだけど。』


 勢いに任せて送信ボタンを押そうとし――指が勝手に文章を消去していた。


 私はスマホを持ったままうなだれる。

 発作的に青井に連絡を取ろうとしたのは、これが初めてではない。新学期が始まってから、未送信のメッセージを何度となく破棄してきた。


 それは、菜々子の「だれにも届かなかった手紙」によく似ているような気がした。




◇◇◇




 週末、センター試験当日を迎えた。


 神奈川県南部でも夜明け前から湿った雪が降り出して、私が家を出たころにはすでに積もっていた。試験会場として指定された私立大学のキャンパスは白く染まり、長靴を履いていても足裏が滑りそうになる。


 同じ教室に配置された同級生は、みんなピリピリとしていた。

 一方、すでに受験を終えている私は気楽だ。そう思いたいところだけれど、実際は余裕なんていっさいなかった。


 ――青井に会って、話を聞きたい。

 ――恋が冷めてしまった理由を教えてほしい。


 思考回路が壊れてしまったかのように、同じ欲求がぐるぐると回り続けている。

 おかげで、午前中に受けた世界史と現代社会の試験はどんな問題が出て、どんな回答を選択したのか、さっぱり記憶に残らなかった。




 昼休みになって、私は青井に会いに行くことを決意した。


 名前順に割り振られた教室をしらみつぶしにのぞいてゆくことにして、運よく二つ目の教室で青井の後ろ姿を見つけることができた。

 周囲に同級生の姿はない。

 青井はひとりきりだった。


 ――話しかけるなら今だ。

 私は震える息を吐き切ってから、重い足を引きずり青井のもとへと歩み寄る。


「青井」


 私は青井の机の正面に回りこんで、硬い声で名前を呼んだ。

 青井は「ん……?」と顔を上げた。

 次の瞬間、眼球が飛び出しそうなほど目を見開く。しきりに口をぱくぱくとさせているが、声になっていない。


「話したいことがあるんだけど、時間くれる?」


 緊張しているせいか、いつもに増してつっけんどんな口調になってしまった。

 青井は考えあぐねるようにまばたきを繰り返したのちに――青ざめた顔で「……いいよ」とうなずいた。

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