(17)手をつないで
十二月二十四日。
予定どおり、私は鎌倉駅で青井と落ち合った。
「よし、今日はペアリングを作ろう!」
青井は力強く宣言すると、小町通りの果てにあるアクセサリー屋まで私を引きずっていった。「その場で職人さんが指輪を加工してくれること」が売りの、有名なお店らしかった。
幅広い年代のカップルや女子グループだらけの列に加わって、入店の時を待つ。
青井は「整理券があるから」と得意げな顔をしているけれど、この寒いなか、いったいどれくらい待てばいいのだろうか。
正直、過酷な環境に耐えてまでアクセサリーがほしいとは思えない。けれど、「俺にプランを考えさせて!」という青井の申し出を断らなかった以上、拒否権はなかった。
私はコートのポケットに両手をつっこんで、青井のほくほくとした顔を見上げる。
「なんで指輪なの?」
「俺とおそろいの指輪、魚住さんにつけてほしいんだよ。薬指は俺もハードル高いから……中指用の指輪とかどうだろ?」
「魔除け?」
「なんでそうなるの!? 文脈! 読んで!」
いつもどおりの会話を繰り広げているあいだに、列はどんどん進んでゆく。
結局、一時間もたたないうちに、お店で指輪を作ってもらえた。
槌目加工してもらった指輪を磨いてもらっているあいだに、麻婆豆腐を食べたり甘味処に入ったり雑貨屋さんを冷やかしたりした。
楽しかった。
でも、友だちと遊びに来ているのとほとんど変わらなくて、ますますデートというものがわからなくなってくる。
「青井、楽しい?」
アクセサリー屋へ戻る途中、私は青井に訊いてみた。
紙コップに注がれた甘酒の湯気で眼鏡をくもらせた青井は、大げさなまでに深くうなずいた。
「魚住さんといっしょにいられるだけで幸せだから」
屈託のない物言いに、息が詰まった。
どうして、青井はこんなにもまっすぐに想いを向けてこれるのだろうか。私の反応の乏しさに、なにもかも嫌になってしまったりしないのか。
歯がゆかった。
私だって、青井の恋心にちゃんと応えたいのに。
「……私は楽しいよ」
微妙に噛み合っていない返事だと自覚しながら、私は甘酒をすする。
甘くて熱くてどろっとした液体が、冷え切った胃の底に落ちていった。
「魚住さん、左手を出して」
アクセサリー屋の前で、青井がうやうやしく語りかけてきた。
私は素直に手袋をはずして、青井に左手を差し出す。
青井はガラス細工でも扱うかのような手つきで私のてのひらを支えると、銀の指輪を中指にはめた。
「うん、いい感じだね」
青井に促されて、私は手の甲側から指輪を見た。私の中指に合わせて加工してもらった指輪は、たしかに、見た目も着け心地もしっくりくる。
青井が私の左手の隣に自分の左手を並べてきた。それぞれの中指にはまった指輪が、西に傾きだしたぬるい陽光を反射する。
「最高じゃん……」
青井が恍惚とささやいた。
「これで合法的に魚住さんとおそろいの指輪を手に入れたぞ! この感動を記録しておかないと……!」
慌ただしくスマホを取り出した青井から視線をそらして、私は周囲を観察してみる。
青井と同じように、指輪をつけた手の写真を撮っているカップルがあちこちにいた。
「ねえ、なんでみんなペアリングが好きなの?」
「『この子は俺のものです』っていう首輪みたいなもんだからだよ」
にこにことしながら言い放った青井に、私は中指にはまった指輪を反対側の手でつまんだ。
青井が「ぎゃー」と叫び声を上げる。
「いやいやごめん冗談だから指輪はずさないで! ちゃんと真面目に答えるってばー!」
青井がうるさいから、指輪をいじるのをやめる。
たったそれだけで落ち着きを取り戻した青井は、「みんな証拠がほしいんじゃないかな」と賢しげに語り出した。
「『自分と相手は結ばれています』って。ほら、人間同士のつながりって目には見えないでしょ? だから、指輪みたいに形あるものがほしくなるんだよ」
私は青井の中指に光る指輪を一瞥した。次いで、自分の指輪を確認する。
嫌みのないシンプルなデザインの指輪。それでいて、特別な間柄にあることをにおわせる程度の主張はある。
「……わかりやすくていいね」
私が正直な感想を口にすると、青井は意外そうな顔をした。
「指輪をしてると、恋がここにあるような気がしてくる」
それは、「そうであってほしい」という私の切実な願いだった。せめて、青井とおそろいの指輪をつけている間だけは、恋がわかる人間になりたかった。
私は祈るように両手を合わせ、指先に白い息を吐いて――ふと、思い出した。
「指輪の代金、まだ渡してなかったよね」
私が店内のあふれる光り物に気を取られているあいだに、青井がさっさと会計を済ませてくれたのだ。
値段はたしか、ひとつ五千円弱。
私が鞄から財布を引っ張り出そうとすると、青井が「いいよいいよ」と制止してきた。
「俺からのプレゼント。明日、誕生日でしょ?」
値段バレちゃってるけどさー、と苦笑する青井を、私は上目づかいで見つめた。
それから、もう一度指輪を見やる。
「……ありがとう」
なんの義務感もなく、自然と言葉がこぼれ落ちた。
恋がわからない私でも、「プレゼント」という言葉の持つ特別な響きは理解できる。相手のことを考えて、迷って、悩みながらも選んだ品物。それを渡すときのうわずった気持ちと、渡されたときの歓喜。どちらも身に覚えがあった。
「プレゼントのお礼に、っていうのもなんだけどさ」
青井が珍しく慎ましやかに切り出してくる。
「……手、つないでくれる?」
消え入りそうな声に、私は無言でうなずいた。
「なんで?」と訊いてはいけない気がした。
右手を差し出すと、青井は指輪のはまった左手で私の指先に触れてきた。空気が乾燥しているせいか、かさついた感触だった。
「なんだろう……。肉があんまりついてないように見えるけど、やわらかくてふわふわしてる……」
青井は神妙な顔つきでぼやきながら、互いの指と指とを絡めてゆく。
てのひらを密着させると、「あー、やばい……これはやばいですね……」と温泉に浸かった中年の芸人のような感想を口にした。
「なにがやばいの?」
「胸のときめきが……」
「脈はどう?」
「今日は測らせてあげないからね!?」
私は少しだけ笑ってしまった。
青井は頭から湯気が出そうなほど真っ赤になる。
「あ、あのさ! これから海に行こっか。夜景という名のイルミネーションを見るために!」
のぼせたような顔の青井は、わけのわからないことを言い出した。脳みそまで煮えてしまったのだろうか。
私は「海?」と首をひねった。
「いいけど、ここから二キロ以上あるよ。あと、鎌倉の夜景って、葉山とあんまり変わら……」
「べっべべべべべべべつにいいじゃん!」
粛々と指摘する私の言葉を、青井が奇声でさえぎる。
「だって、鎌倉の有名どころはだいたい行き尽くしてるじゃん? 小中の遠足とかで!」
「海、うちの学校の四階からも見えるでしょ。沖のほうだけだけど」
「水辺に行けば、なんとなくいい感じの雰囲気になるもんなの!」
「なったことあるの?」
「クリスマスだから奇跡に期待しよう」
「起きるかな、奇跡」
「奇跡は起きるものじゃなくて起こすものだよ!」
たわいのない会話をしている間にも、私たちの足は海へと向かっていた。
手は繋いだままだった。青井が私の手をはなそうとしないのだ。冬風にさらされっぱなしの指先は冷え切っていて、一方でてのひらはほんのりと汗ばんでいるというのに。
私は青井を仰いだ。
青井は私を見下ろして、やさしく目を細める。蜂蜜色の西日を浴びた頬は、うれしそうにほころんでいた。
――青井の気持ちがわからない。
当然だ、と私は頭を垂れる。
私たちは別の人間で、相手に対してまったく違う感情を抱いているのだから。手を繋いだところで、なにひとつ通じ合うものなんてない。
右のてのひらから腕へと、強烈な違和感が伝播していく。違和感はやがて胸に到達して、砂嵐のようなざわめきへと変質していった。
それはときめきではなかった。理解できないものに対する気色悪さと恐怖だ。菜々子からの「失恋した」というメッセージを聞いたときに感じた、ざらついた嫌悪に近い。
てのひらがひりひりとして、今すぐに相手から離れたい衝動に駆られる。
発作的に手を振りほどこうとして――青井の傷ついた顔を見たくない自分に気付いてしまった。
青井が好き。
それは、紛うことなき事実だった。
青井と話していると楽しい。ひとりでいるよりも、青井といっしょにいるほうが充実していると感じる。
でも、私の「好き」はあまりに温度が低い。相手に恋い焦がれるゆえの苦しみどころか、ほのかなときめきさえなかった。
青井は逆だ。ときおり、恋の熱で溶けた心そのもののような愛情を注いでくれる。
うれしかった。感謝だってしている。
けれど、青井の思慕は私には温度が高すぎて、胸がただれてしまいそうになるのだ。
私たちのあいだには、絶望的なまでの温度差がある。
――この温度差を埋めるものが、恋なのだろうか。
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