(16)好きになれない

 私は三原より一足先に駅前のコンビニの裏へと移動した。「ちょっと買いもの」と姿を消した三原を、ぼんやりと待つ。


 数分後、三原がコンビニのビニール袋をさげてやって来た。


「魚住さん、ココアとミルクティー、どっちがいい?」


 私は相手の意図がつかめないまま「ココア」と返した。


「熱いから気をつけて」


 三原がココアの缶を渡してくれる。

 私は缶で両手を温めながら、三原の顔を見返した。


「いくら?」

「おごり。寒いところで話すんだから、あったかい飲みものがあったほうがいいと思って」


 なにか思惑があるのか、それとも純粋な気配りなのか。

 私はあえて三原には確認せずに、「ありがと」と返しながらプルタブを引いた。ココアを口に含むと舌がとろけそうな甘さが広がって、肩の力が抜けてゆく。ぼろぼろになっていた心が、急速に回復してゆくのがわかった。


「魚住さん。連絡先、交換しない?」


 私がココアをちびちびと飲んでいると、三原が訊いてきた。


「スマホでやりとりすれば、人目を気にしなくていいし……」


 私は「わかった」と即答し、コートのポケットからスマホを取り出す。


「でも、なんで私が三原と話してるところを見られたらまずいの?」


 連絡先追加用の画面を呼び出しながら、念のため三原に確認してみた。

 正しい恋愛関係、ひいては正しい人間関係を構築する上で三原が不適切な人物だと見なされているのは、私だって知っている。けれど、「正しい恋愛関係」がよくわからないから、どうも釈然としなかった。


 三原は困ったように眉尻を下げる。


「魚住さんがおれに引っかかったって誤解されちゃったら、申し訳ないし……」

「『引っかかる』ってどういう意味?」

「恋愛絡みで悪い男に騙されてるって意味……かなぁ」


 迂遠な言い回しを許さなかった私に、三原は弱々しく小首をかしげた。

 私は三原の顔をまじまじと見つめる。

 いつだって泣いているような目もとは、底知れない妖しさを帯びていた。たしかに、よからぬ欲求をくすぶらせていそうな印象はある。


「三原は悪い男なの?」

「……自分ではそういうつもりはないんだけど」


 三原はうつむいて、指先でくちびるをいじった。媚びているともとれる態度だけれど、『悪い男』にしては覇気がないような気がした。

 私は「そう」とつぶやき、自分の連絡先を送信するためにスマホを操作する。


「三原が悪い男だろうがなんだろうが、私はどうでもいい」

「でも、気分悪くない? 『だらしない男に騙されてかわいそう』とか『わかりやすい地雷に引っかかる馬鹿』とか思われたりするのって」


 三原の口から飛び出してきた辛辣な言葉に、私は顔を上げた。悪口の部分だけ発声がぎこちなくて、三原本人の語彙ではないような気がした。


「三原こそ、そんなふうに言われるのは嫌なんじゃないの?」

「うん」


 三原は思いのほか力強くうなずいた。


「でも、卒業まで我慢すればいいだけだから」


 強がるように、口の端をつり上げる。

 私は「ふぅん」と生返事をしてから、「登録できたよ」とスマホのディスプレイを見せた。

 ストラップ代わりの薄汚いぬいぐるみポーチが盛大に揺れる。

 三原の視線はぬいぐるみポーチに釘づけになっていた。


「……それ、菜々ちゃんの?」

「そう、遺品」


 三原は黙りこんでしまった。くちびるをむずむずと動かし、なにかを言おうとしてはやめる動作を繰り返した。

 私はココアをすすりながら、三原が再び口を開くのを待つ。


「……あの、菜々ちゃんとの最後の会話について話すつもりなんだけど、大丈夫?」


 おどおどと訊ねてきた三原に、私は「聞きたい」と返した。


「よかった」


 三原はうなずき、視線を手元のミルクティーに落とした。

 たっぷり三十秒近く経過してから、覚悟を決めたかのように私を正視する。


「おれ、菜々ちゃんに振られたんだ。菜々ちゃんが行方不明になる直前に」


 憂鬱げな態度とは裏腹に、やけにはっきりとした語り口だった。

 私は目を見開く。てっきり、三原が菜々子を振ったのだと思っていた。


「なんで振られたの?」


 親しくもない間柄で追及してはいけないとわかっていたけれど、三原に嫌われてでも知りたいことだった。


「それは……」と三原の表情がくもる。


「……『私のことを好きになってくれないひとと付き合うのは、もう無理』って、菜々ちゃんに言われた」


 三原は片手で前髪を掻き上げ、くしゃっと握りしめる。

 痛みをこらえるような顔でもしているのかと思いきや、不自然なまでの無表情だった。まるで、押し寄せてくる感情の波を押し殺しているかのように。


「三原は菜々子のことが好きで付き合ったんじゃないの?」


 私は躊躇なく、さらなる深みへと踏みこんだ。

 三原に拒絶されたところで、どうってことない。

 親しくないということは、相手からどんな反応が返ってきても傷つかないということでもあった。


 三原は「違うよ」と首をゆっくり横に振った。


「『付き合おう』って持ちかけてきたのも、菜々ちゃんのほうからだった」

「互いに好きだから、恋人になるんじゃないの?」

「最初から両想いのケースって、あんまりないと思う。付き合ってる内に好きになるんじゃないかなぁって期待して、相手を大切にして、喜んでもらったりして。でも、結局好きになれなくて……。おれ、いつもそうなんだ」


 三原は惜しみなく弱さをさらけ出してきた。

 もしかすると、親しくない間柄だからこそ言えることがあるのかもしれない。


「……おれは菜々ちゃんに恋してなかった。できなかったんだ」


 それとも、私も菜々子に「恋」という爪痕を刻まれた人間だと察して、彼女にまつわる心情を吐露しているのだろうか。


「菜々ちゃんはおれが恋心を返すことができない人間だって気づいて、おれのこと見限ったんだ」


 ――いずれにせよ、このひとは私と同質の存在だ。

 それは、直感だった。




◇◇◇




 三原と別れ、家に帰って、セーラー服を脱ぎ捨てた。

 勉強を放棄して、ベッドにあおむけになる。

 なにげなくスマホを見ると、三原からメッセージが届いていた。


『今日はありがとう。

 ずっとだれにも言えなかったことだから、魚住さんに聞いてもらえてよかった。』


 語尾に絵文字が付けられた、愛想のいい文章。

 私は『こちらこそ。参考になった。』と簡素なメッセージを返してから、思いつきでもう一文送ってみる。


『どうして菜々子は恋心の返ってこない状況が嫌だったのかな?』


 我ながら面倒な質問だな、と思ってしまう。

 でも、訊かずにはいられなかった。菜々子の恋の片鱗に触れたことのある三原なら、答えを知っているかもしれないから。


『菜々ちゃんの話ではないけど……。

 相手と気持ちが通じ合っていないと、いっしょにいてもさみしくなるんだって。』


 一分もしないうちに、三原から返事がきた。


『ひとりでいたほうがマシとか、付き合ってる時間がもったいないって理由で振られたこともあるよ。』

『付き合ってる状態での片思いは、付き合う前の片思いよりもつらいみたい。』


 ていねいな文章が連続して届き、私は「へぇ……」と声を漏らした。

 たとえ失恋しなくても、恋はつらいものなのか。感心すると同時に、疑問がわき上がってくる。


 ――青井はいったいどんな気持ちで、私に付き合っているのだろうか。

 胸の片隅に芽生えた不安が、爆発的な勢いで膨らんでゆく。次のデートで、青井に恋心を抱けるようにならなければ、愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 ……でも、どうやって青井に恋をすればいいのだろう?


 寝転がったまま悶々としていると、青井からメッセージが来た。


『二十四日の十一時に鎌倉駅東口集合。よろしく!』


 朗らかな一文を目にした途端、スマホを持つ手が震えた。

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