(12)いつもどおりじゃない
青井は大きくため息をついて、首を横に振った。
「俺は殴られるほど鵜飼ちゃんとは仲よくなかったというか……利害関係で終わっちゃったから」
視線をつま先に落とす。
「去年、鵜飼ちゃんと同じクラスになったときに、魚住さんの情報を流してもらってたんだよ。ノートを貸したり、宿題を写させてあげたりする代わりに」
笑い話にしてもおかしくない内容なのに、青井の声は沈んでいた。
「どうしてそんなに暗い顔してるの?」
「後悔してるんだ。魚住さんの話はたくさんしたけど、鵜飼ちゃん本人に興味を持ったことなかったなぁって。今になって考えてみると、これ、結構ひどいことだよ」
「でも、菜々子は他人でしょ?」
「他人っていっても、数え切れないくらい会話したことがあって、廊下で会ったら手を振るくらいの付き合いはあったし……。自分と関わりのあった子が死んじゃったら、当然ショックだよ」
青井は迷いなく言い切った。
私は息をのむ。
そうだ。身近な人間が死んでしまうこと自体が衝撃的なのだ。「菜々子は意味深な伝言を遺して海で死んだ」という特異性にばかり思考が引っぱられ、当たり前のことを見落としていた。
菜々子が死んでからも、私は自分の態度を“いつもどおり”だと思っていた。でも、菜々子のことばかり考えてしまうのも、形見のぬいぐるみポーチを貰い受けてしまったのも、まったく“いつもどおり”ではない。
身近すぎる死に、知らず知らずのうちに心が揺れていたのだ。その結果、「菜々子のことを知ろうとしなかった」という負い目が刺激されて、どうにもならなくなってしまって――。
私が呆然としていると、青井の眼鏡のフレームが飴色がかった光を鈍く反射した。校門の向こう側にある芝崎の護岸から、西日が射してきたのだ。
「……鵜飼ちゃん、芝崎から夕焼けを眺めるのが好きって言ってたっけ」
青井は目を細めながら、斜陽を見やる。
「嫌なことがあったら、海と空を眺めながらぼんやりしたりしてやり過ごすんだって。……魚住さんに腹が立ったときの対処法だって、教えてもらったよ」
青井につられるように、私も校門の外へと目を向けた。
あの日、菜々子は失恋で荒れ狂う感情を鎮めるために芝崎へ行って、わけのわからない伝言を私に遺したのだろう。そして、故意か不意かはわからないけれど波にさらわれて、暗い海の底に命と真実を落としてきたのだ。
「……馬鹿なの?」
泣いて怒りながら海に向かって駆けてゆく菜々子が容易に想像できてしまい、悪態が口をついて出てた。
「どうして嵐の前に海へ行ったの? 夕日なんて見えるはずがないのに」
体側で拳を握りしめて、西の空へ問を投げかける。
「失恋したくらいで……なんで死んだの?」
菜々子をなじらずにはいられなかった。
「魚住さん……」
青井が名前を呼んできた。
ばつの悪そうな、私をいたわろうとしているような、低い声だった。
私は我に返る。
拳を握る力が強すぎて、てのひらに爪が食いこんでいたことに気づいた。くちびるを引き結んで、何事もなかったかのように青井に向き直る。
青井は心配そうな顔をしていた。私が恋心を軽視するような発言をしたのに、責めるような色は一切ない。
相手のまなざしのやわらかさに、みじめさがせり上がってきた。今すぐにこの場から逃げ出したい。
「なんで私が三原と話してたとき、じっと見てたの?」
だから、私は強引に話題を変えた。
青井は「えっ」とひっくり返った声を上げた。
「わからなかった……?」
「わからない」
いまだに動揺しているせいで、語調が強くなってしまった。
青井は「そこまでだったとは……」とがっくりと肩を落とす。
「魚住さんが三原くんのこと好きになっちゃうんじゃないか不安で、物陰から見守ってたんだよ。あ、べつに魚住さんのあとをつけてたわけじゃなくて、たまたま通りかかっただけだからね?」
青井の口調が急に言い訳がましくなった。
私は「ふぅん」と首をかしげながら、相手の全身を不躾に見渡した。
青井はコートを着ていない。鞄も持っていない。靴も上履きのままだ。たしかに、私を尾行しようとしていたわけではなさそうだ。
「ちなみに、この場合の『好き』は恋愛感情のことでいいの?」
私は青井にさらに詰め寄った。言葉の上だけではなくて、物理的にも。
「ねえ、どうして私が三原のこと好きになるって思ったの?」
青井が胸の前で両てのひらを広げ、「近い近い顔が近い毛穴見えちゃう!」と悲鳴を上げた。
「だって、三原くんめちゃくちゃモテるじゃん! しょっちゅう彼女が変わってるみたいだけど、それでも相手が途切れたりしないし……。ただ、さすがに鵜飼ちゃんがいなくなってからは、だれとも付き合ってなかったっぽいね」
私は「そうなんだ」と身を退いた。
恋人という邪魔者がいないなら、三原を捕まえるのはたやすいはずだ。今日は青井のせいで逃げられてしまったけれど。
青井はほっとしたように両手を下ろした。ずれた眼鏡を押し上げて、気まずそうに笑う。
「魚住さんと鵜飼ちゃん、雰囲気はともかく顔は似てるから。ひょっとして、魚住さんも三原くんの好みなんじゃないかなーって……」
「恋って、相手の顔が好みだと始まるものなの?」
「そりゃあ、まあ……。少なくとも見た目が好みの相手のほうが、恋愛感情に発展しやすいよ」
「菜々子は三原の顔が好みだったから付き合ってたってこと?」
「そうとはかぎらないんじゃないかな。ひとを好きになる理由って、見た目だけじゃないし」
私が率直な質問をしても、青井はやけにあいまいな返事をしてくる。
青井がはっきりしない性格なのか、それとも恋愛そのものが漠然としたものなのか、私には見当がつかなかった。
「じゃあ、なんで青井は私のこと好きになったの?」
「ぶっ」
青井はなにかを噴き出した。鬼のような形相になったあと、真っ赤な顔で「そ、それは……!」とへたれた声を上げた。
その瞬間。
職員室の戸が静かに開いた。
戸は青井にぶつかり、「ぐわっ」と危機感のない叫びが響き渡った。
「……あのー、青井くん?」
職員室の戸から、硬い印象の男の先生が顔をのぞかせる。地学の西藤先生だ。
「こんなところで女子を口説かないでくれますか? 気になってテストの採点に手がつかないんですけど? そうだ、屋上の鍵、また貸してあげましょうか?」
西藤先生は口調とは反して、青井に対して気安い態度――というよりも青井を煽っている。青井が元地学部で、西藤先生が顧問だったからだろうか。
青井は「余計なお世話ですう!」と絶叫し、勢いよく職員室の戸を閉めた。
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