(11)脱兎のごとく

 三日後。私は校門の前で三原を待ち伏せしていた。

 友だちに三原の選択科目を調べてもらって、私と三原の下校時間がかぶる曜日を割り出したのだ。


 友だちには「三原と話したい? なんで!?」と驚かれた。菜々子について話があると伝えたら、「変な噂が立たないように根回ししとくから!」と親指を立てられたけれど……。

 “変な噂”というと、やっぱり恋愛絡みなのだろうか。その可能性をうっすらと察することはできても、具体的な内容までは想像できなかった。


 使い捨てカイロを揉みながら十五分ほど待っていると、三原が昇降口から出てきた。


 たっぷりとしたマフラーにぶかぶかのコート。

 ズボンを履いていても細いとわかる足。

 海風にさえさらわれてしまいそうな、見ているだけではらはらする歩調。


 三原が充分に近づいてから、私は相手の前に飛び出した。

 通せんぼするように立って、三原を真正面から見据える。


「三原、ちょっといい?」


 私が問いかけると、三原は「ひっ」と声を漏らした。寒さのせいで潤んでいた瞳が、ますます涙の気配を増してゆく。


「菜々子について訊きたいことがあるんだけど。三原だったらわかるかなって」


 なるべくやわらかく聞こえるように、声量を調整してみた。

 三原はゆっくりと顔を上げる。ぱちぱちと効果音のしそうなまばたきを繰り返したかと思うと、なんの前触れもなくにっこりとした。


「菜々ちゃんのことね。いいよ、訊いて」


 甘くとろけ落ちそうな笑顔だった。少女っぽいようで、まったく性のにおいがしない。そのとらえどころのない不可思議さに、顔のつくりをつぶさに観察したくなってしまう。


「でも……」


 私が相手を凝視していると、わたあめのような笑みはまたたく間に消え失せてしまった。

 三原は胸の前で両手を組み、周囲にせわしなく視線を走らせる。まるで、捕食者がいないか警戒しているウサギだ。


「あの、魚住さん」


 やがて、おずおずと私と目を合わせてきた。


「菜々ちゃんのことなら、青井くんに訊いたほうがいいかもしれない」

「青井? なんで?」


 三原はなにも言わずに、背後――三十メートルほど先にある中庭を指さした。

 私は三原の示す方向を見る。思わず「うわ……」と声が漏れてしまった。


 職員室前の桜の木の影に、青井と思しき長身の男子が立っていた。眼鏡のせいで表情はうかがえない。けれど、顔を半分だけ出してこちらを凝視している様は、どす黒い空気をまとっているようで気味が悪かった。


「ごめんね……」


 三原が蚊の鳴くような声でささやいた。


「ここで魚住さんと話してたら、青井くんに刺されそう」

「三原?」


 私が視線を戻すと同時に、三原は身を翻した。


「おれ、こういうの慣れてるから気にしないで!」


 さっきまでの小声が嘘みたいなよく通る声で言い残し、三原は走り去ってしまった。




 三原に逃げられた私は、とりあえず青井のもとへと移動した。なにかしら用事があるから、青井は私をじっと見ていたのだろう。


「魚住さんも、三原くんみたいな中性的なイケメンのほうが好き……?」


 青井は私と対峙するなり、いきなりわけのわからないことを言ってきた。しかも、恨み言めいた語調で。


「は?」

「あ、そうでもなさそう」


 私の正直な反応に、青井は安心したような顔をする。

 ますますわけがわからない。

 私は腕を組んで、青井を見上げた。


「なんの用?」

「特に用事はないけど……。たまたま魚住さんが三原くんに話しかけてる現場を目撃したから、盗み見してただけで」


 青井に悪びれたような色はまったくなかった。ということは、恋愛において相手の監視というのは一般的なことなのだろう。


「魚住さんこそ、俺になにか用事あるの?」

「三原に菜々子について訊いたら、青井に訊けって言われた」


 菜々子の名前を出した途端、青井の表情がくもる。


「三原くん、鵜飼ちゃんのことを話したくなかったから、俺に押しつけたんじゃ……。いや、自発的に身を引いてくれたのはありがたいんだけどさ」

「青井は菜々子とは仲よかったの?」


 一応、青井にも訊いておく。

 菜々子の通夜にも来たくらいだから、きっとそれなりに交流があったのだろう。

 青井は露骨にばつの悪そうな顔をした。


「仲がいいというか……協力者?」


 予想外の返答に、私は「なにそれ?」と青井を直視した。

 青井は目をそらす。


「俺、鵜飼さんに恋愛相談をしていて……。魚住さんのいとこだって聞いたから……」

「菜々子に? 殴られなかった?」


 不用意に私の話なんて持ちかけようものなら、菜々子が激怒してもおかしくない。菜々子はありとあらゆる情動の振れ幅が大きく、嫌いなものを前にすると感情が先走る傾向があった。


「魚住さん、鵜飼ちゃんに殴られたことあるの?」

「菜々子は凶暴だよ」


 殴るといっても、小さな子どもみたいに泣きながら拳でぽかぽかと腕や背中を叩いてくるだけだったけれど。身の回りの小物を投げてくることのほうが多かったかもしれない。

 青井は「仲、よかったんだね」とぽつりとこぼした。


「昔はね」

「そうかな?」


 ぎくりとした。

 青井になにか返そうとして――言葉がうまく出てこなかった。

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