(4)形見分け

 葬儀から一週間後の日曜日。

 昼前まで二度寝を繰り返してから居間へ行くと、うちのお母さんと伶子さん――菜々子のお母さんが、床に香典と芳名帳を広げて香典帳を作っていた。


 伶子さんは血のつながりはないものの、親戚のなかでも特に身近な存在だった。

 お母さんとは古い友だち同士で、同じ町内に住んでいることもあって互いの家を頻繁に行き来している。

 私が菜々子と親しくなったのも、伯父さんが亡くなったばかりの小二のころ、お母さんにお菓子を持たされ菜々子の家に上がりこんでいたからだ。

 もっとも、当時の私はお母さんの目が届かない場所でのびのびと携帯ゲームをしたかっただけで、同い年のいとこに特別関心があるわけではなかった。おかげで、塞ぎこんでいたはずの菜々子に「なにしに来てんの!?」とキレながらクッションを投げつけられたりした。


「聖良、青井くんって知ってる?」


 私が冷蔵庫から牛乳パックを取り出していると、お母さんが空の香典袋をゴミ袋に入れながら訊いてきた。

 私は「青井?」と問い返した。


「なんで?」


 ――三原じゃなくて?

 そう口走りそうになって、咳きこんだふりをしてごまかす。

 親たちは菜々子が三原と恋人同士だったことを知らないはずだ。三原の名前は出さないほうがいいに違いない。特に、伶子さんに知られるのはまずい気がした。


「青井くんね、連名でもないのにお香典を二万円も包んでくれたの」


 お母さんはやけに立派な香典袋を床から拾い上げると、「だから気になっちゃって」と私に向かってひらひらと振ってくる。


「親が持たせてくれたんじゃないの? 学校のそばに住んでるらしいし、お金持ちなんでしょ」


 私は牛乳をグラスに注ぎながら答えた。

 お母さんは芳名帳をめくり、「あら、ほんと」と手を止めた。


「住所が葉山町だわ。字もきれいだし……育ちがいいんでしょうねぇ」


 うっとりとうなずくお母さんに、私はなんて言えばいいのかわからなかった。


「聖良は青井くんと仲いいの?」


 お母さんがきらきらとした目で問いかけてくる。

 私は「どうだなんだろ」と首をひねった。


「会ったら挨拶はするけど……。青井はわりとだれとでも仲いいし」

「どんな子なの?」

「明るいというか、ちょっとうざい」


 青井についてあたりさわりのない評価をしようとしたら、なぜか悪口のようになってしまった。

 かといって、青井が挨拶代わりに求愛してくるような人間で、私はそれを右から左に流しているとは口が裂けても言えない。お母さんに「情緒の発達が遅れてるのかしら……」と心配されかねなかった。

 私は牛乳を一気飲みして、親には伝えづらい情報を胃の底に流しこむ。口周りについた牛乳を手の甲でぬぐっていると、お母さんが「豪快ねぇ」と苦笑した。



「ああ、そうだ」


 今まで無言で作業していた伶子さんが、唐突に声を上げた。

 やつれたせいで鋭さを増した三白眼が、私を射貫く。黒目がちでふっくらとした頬の菜々子とは、まったく似ていない。まっすぐでさらさらとした髪質しか、伶子さんから菜々子に遺伝しなかったようだ。


「聖良ちゃん、あとでうちに来てくれる? 菜々子の部屋を整理する前に、使えそうなものがないか見てほしいの」

「私、ですか?」

「聖良ちゃんの他に、だれに声をかけていいのかわからなくて。菜々子が家に友だちを連れてきても、私は仕事でいなかったし……」


 伶子さんが語尾をにごした。平坦にしゃべるひとだからこそ、感情の乱れがわかりやすい。


 私はすぐには応えずに、伶子さんを見澄ました。

 もしかすると形見分けはただの口実で、実際はなにか私とふたりきりで話したいことがあるのかもしれない。

 伶子さんは実の娘ななこと向き合うのが苦手だったようで――中学のころまでは、菜々子がふだんどう過ごしているのか、学校でなにがあったのかよく訊かれたし、私も答えることができた。

 でも、今はもう無理だ。

 私は菜々子から逃げ出してしまった。高校生の菜々子について、なにも知らないのだ。伶子さんだって、とっくに気づいているはずなのに。


「聖良?」


 お母さんが怪訝そうに口を挟んできた。

 私は詮索されたくなくて、伶子さんに向かって「わかりました、行きます」とうなずいた。




◇◇◇




 昼下がり、私は菜々子の部屋にいた。


「ほしいものがあったら好きに持っていってくれていいからね。といっても、大したものはないと思うけど……」


 伶子さんはそれだけ告げると、あっさりと部屋から出ていった。

 おかげで、私は主を失った部屋にひとりきり――いや、簡易祭壇に置かれた骨壺ななことふたりきりになってしまう。


 実際のところ、骨壺よりも遺影のほうが怖かった。菜々子の顔を見るのが、目を合わせてしまうのが、嫌でしょうがなかったから。

 私は葬儀を通して、菜々子の遺影を絶対に視界へ入れないようにしていた。それどころか、生きている菜々子を――私とおそろいのセーラー服を着て、ポニーテールを揺らしながら颯爽と歩く姿を直視したことさえない。


 私は菜々子の遺影と目を合わせないようにしながら、部屋を見渡した。

 白いカーテンにベージュのラグが敷かれた六畳ほどの室内は、大量の服やら雑貨やらで散らかっていた。たぶん、菜々子が行方不明になった日から、そのままにされているのだろう。

 だからこそ、生花を供えられた祭壇は異様なまでの存在感を放っていた。供花の百合と線香が混じりあったにおいに、ここは死者のための空間なのだと思い知らされる。


 このままじっとしていても、気鬱さは増してゆく一方だ。

 私は本棚代わりのカラーボックスの前に立って、中身を物色してみる。


 ぎっしりと詰めこまれた学校の教科書。

 ぼろぼろになった英単語帳に、使いこんだ形跡のある参考書。

 九月の模試の結果が置いてあったから、なんとなく手に取ってみる。

 第一志望校は私が指定校推薦で合格した大学で、E判定だった。


 見てはいけないものを見てしまったような気がして、隣のカラーボックスに視線を移す。

 上の段には色とりどりの化粧品が放りこまれたケースが納められていて、下の段には漫画の単行本が並んでいた。私が読んだことがある本は、高一のころに友だちから借りた少女漫画だけだった。


 足もとには私服の積み重なったバスケットがあった。洗濯済みなのか清潔感はあるけれど、掘り返す気にはなれない。

 私は菜々子よりも年上に見られることが多いし、身長も高いから、もらい受けたところできっと似合わないだろう。おまけに、色も装飾も私の趣味ではない。


 結局、目につく場所にピンとくるものはひとつもなかった。しょうがないから、机の引き出しを上から順番に開けてみる。


 一段目には筆記用具。

 二段目にはノート。

 そして三段目には、一枚の写真が入っていた。


 私は目には見えない糸に操られているかのように、写真を手に取った。なぜか、そうしなければならない気がしたのだ。


 被写体を確認して――菜々子と目が合ってしまった。

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