(3)いつもどおり
『学校の近くの芝崎埋立地護岸で、台風の高波にさらわれて死亡』
菜々子の遺体発見から十日後、警察はそう発表した。
堤防の上に立つ菜々子らしき人物の目撃証言があったこと、そして遺書等は見つからなかったことから、警察は事故と判断したようだった。
なぜ、菜々子は芝崎の堤防にいたのか。
理由はわからないままだった。
捜査が終わってから、菜々子は無事に……といっていいのか判然としないけれど、とりあえず家に帰された。
菜々子の死に顔は見ていない。
一ヶ月以上海中を漂浪した遺体は修復が難しかったらしく、結局、袋に詰められた上で納棺された。
故人が顔を失ったままでもつつがなく葬儀の準備は進み、今しがた通夜が終わった。
手伝いのために一足早く受付へ戻った私は、五十人用の式場から喪服の大人や制服姿の少年少女がぞろぞろと出てくるのを眺めていた。
泣いている人間もちらほらいて、菜々子はそれなりに好かれていたんだな、と他人事のように思う。
実際、私と菜々子は血が繋がっているものの他人だった。少なくとも、高校ではそう見えるように振る舞っていた。
私は受付のテーブルの隣に立って、弔問客に返礼品の入った紙袋を押しつけてゆく。
高齢者だらけの親族の相手は大人たちがしているから、私が対応するのは主に若者――中高の同級生だ。素っ気ない態度でも支障はないだろう。むしろ、にこやかに振る舞うほうが、周りからしたら怖い気がする。
同じ高校の学ランを着た男子に、紙袋を差し出したときだった。
相手が「あっ」と声をあげた。
知り合いだろうか、と私は相手の顔を見やる。
私の真正面で立ち尽くしているのは、やけにきれいな人間だった。
やわらかそうな栗色の髪に、太陽光をほとんど浴びていないかのように白い肌。赤みを帯びた下まぶたが、白ウサギめいた風貌の完成度を高めている。私とあまり身長差がない上にほっそりとしているからか、まったく威圧感はない。
――三原。
女たらしだとか遊び人だとかささやかれている、まったく親しくない同級生。あるいは、菜々子の恋人と噂されていた人物。
三原の透明なまなざしからは、意図を読み取れなくて――ひょっとしたらなにも考えてないのかもしれないけれど――私は負けじと潤んだ瞳をのぞきこんだ。
「なに?」
鋭く問いかけると、三原は小さく跳び上がった。「ご、ごめんなさい!」と私の手から紙袋を受け取り、肩を縮こまらせてしまう。白いセーターの袖からちょんと飛び出した指先は存外筋張っていて、ふわふわしているようでも男子なのだと妙に実感してしまった。
「ええっと……あの……」
三原は視線を泳がせてから、恥じらうようにうつむいた。
「よく見たら、菜々ちゃんにちょっと似てるなぁって……」
菜々ちゃん。
やけに親しげな呼称。やっぱり、三原は菜々子と特別な関係だったのだろうか。
私は「ふぅん」と首をかしげ、片目にかかった前髪をかき分ける。
「今日、同じこと言ってきたのは、三原が四人目だよ」
「……おれのこと知ってるんだ?」
三原が目をぱちぱちさせながら私を見返してきた。あっさりとした顔立ちだけれど、やたらとまつげが長い。
「だって、顔がいいから」
感じたまま適当に答えると、三原は「おれ、悪目立ちしてるのかなぁ……」と気落ちしたようにつぶやいた。
さすがに「そう思う」とは言えなかった。
私は三原を放置して、他の客に紙袋を渡しにいった。
三原がいなくなったころ、今度は青井が姿を現した。切迫した顔つきで「大丈夫?」と話しかけてくる。
私は「なにが?」と、青井に返礼品を渡した。
「三原くんに口説かれたりしてない?」
「は?」
私が目を細めると、青井は「に、にらまないでよ」と露骨にすくみ上がる。
「にらんでない。反応に困っただけ」
「俺、魚住さんを困らせるようなこと言ったっけ?」
私は「言った」と深々とうなずいた。
青井は「ええー……」と不服そうにぼやいて、広い肩をがっくりと落とす。
「三原くんと見つめ合っていたから、なにか芽生えるものがあったのかなって……」
「芽生えるもの? なにそれ?」
青井は「いや、あの」と顔を赤くした。
「三原くんのこと、好きになっちゃったら困るなーって……」
「なに言ってんの?」
「うん、魚住さんはいつもどおりだね」
苦笑を浮かべる青井に、私は「そうかな」と硬い声で返した。
青井に他意はないのだろうが、菜々子の死を悲しんでいないことを責められたような気がした。
お母さんは「気持ちが追いついていないんでしょ」と、妹は「感情が顔に出ないタイプだから」と解釈してくれたけれど……青井の言うとおり、私は“いつもどおり”だ。
菜々子がいようといまいと、私の人生はなにひとつ変わりようがない。とっくの昔に、私の人生から菜々子は失われてしまった。
それはきっと菜々子にとっても同じで、なのに最後に私に電話をしてきて――。
……なぜ?
どうして?
今さらなんの用?
台風の日から、ずっと繰り返してきた疑問が浮かんでくる。同時に、ぐっしょりと濡れた綿を頭蓋に詰めこまれたかのような憂鬱感に襲われた。
この得体の知れない感覚が晴れるのなら、悪魔に魂を売ってもいい。
そう思ってしまうほどに、私は菜々子の遺した言葉に苛まされ、理解できないがゆえに未消化の感情を抱えていた。
私が正体不明のわだかまりと戦っていると、青井が耳もとに顔を寄せてきた。
「……あのさ、知ってる?」
人目を憚るような低い声は、完全に不意打ちだった。
私は反応することもできずに、ただ息をのむ。
「鵜飼ちゃんが最後に会ったのって、三原くんだったらしいよ」
耳介に注ぎ込まれたのは、私の知らない情報。
横面を力いっぱい叩かれたような衝撃に襲われる。
同時に、菜々子の『失恋した』というふるえ声が耳の奥で再生された。
つまり、菜々子が失恋した相手は――。
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