(2)あの子はいない
「B組の鵜飼さん、台風の日から行方不明らしいよ」
教室で友だちと三人で昼食をとっていると、菜々子が話題に上がった。
私はお弁当の卵焼きを箸でつかもうとした体勢のまま硬直する。
「台風がきたのって、半月くらい前だよね」
「家出かな?」
「荒んでるタイプには見えなかったけど」
家出であればいいのに、と願う。
台風の翌日、菜々子のスマホが学校の前の海岸に打ち上げられていた。画面は割れ、完膚なきまでに壊れた状態で。
私が折り返し電話をかけたときには、すでにスマホは海の底に沈んでいたのかもしれない。だとしたら、菜々子は――。
いつのまにか、呼吸が浅く速くなっていた。
「三原くん絡みかも。夏ごろから付き合ってたみたいだし」
みはら。
会話に参加しないまま、口のなかでろくに知らない男子の名前を転がしてみる。
友だちのあいだでは「かわいい」「顔がいい」と評されていたけれど、遠目に見るかぎりは「線が細い」という印象しか受けなかった。
「女ぐせ悪いんだっけ、三原くん。鵜飼さんってしっかりしてそうなのに、なんで引っかかっちゃったのかねー……」
菜々子に恋人がいるなんて知らなかった。
「三原くんがいつもひとりだから、鵜飼さんが声をかけてあげたってうわさだけど」
心臓の音がうるさい。
「鵜飼さん、親切っぽかったもんねー」
――これ以上、菜々子の話なんて聞きたくない。
なんでそんな想いがわいてきたのか自分でもわからなくて、そのせいで頭のなかがぐちゃぐちゃになって、衝動のままにお弁箱の蓋を閉じた。
「ど、どうしたの?」
私が席を立つと、ふたりがびっくりしたように私を見上げてくる。
「……トイレ」
私は嘘をついて、教室から飛び出した。
菜々子は私のいとこだと、明かさないまま。
◇◇◇
高校最後の秋は、大学受験の準備であっというまに過ぎてゆく。
気がつけば、時は十一月の半ば、菜々子の消息が途絶えてから一ヶ月半ほど経っていた。
夜、予備校から帰宅するなり、お母さんが玄関に転がり出てきた。
「聖良、あのね……」と涙で言葉を詰まらせながら、私を抱きしめる。
「菜々子ちゃんが海で見つかったって。今、連絡があったの」
私はお母さんのぬくもりに居心地の悪さを覚えながら、「そう」とささやいた。
お母さんが泣いていて、菜々子が海で発見されたということは――きっと、生きてはいないのだろう。
衝撃は受けなかった。
涙も出なかった。
言葉も浮かばなかった。
ただ、予感だけがあった。
菜々子からの電話に出なかったことを一生後悔するのだろう、と。
◇◇◇
“鎌倉署は16日、鎌倉市材木座の海岸で発見された女性の遺体を、葉山学園高等部3年の鵜飼菜々子さん(18)と確認した。遺体は一部白骨化しており、死後1ヶ月は経過しているものとみられる。鵜飼さんは9月28日夕方以降に行方がわからなくなっており、県警などが捜索していた。事件と事故の両面で捜査し、17日に司法解剖して死因を調べる。”
◇◇◇
菜々子の遺体が見つかってから三日後の夜。
家に警察のひとが来た。
両親も妹も外出中で、私はひとりで対応することになる。
「亡くなった鵜飼菜々子さんについて、お訊きしたいことがあって」
靴箱の上に置かれた木彫りのクマやシーサーのせいで混沌とした玄関で、背広を着たおじさんが警察手帳を見せてくれた。もうひとり、若い刑事さんもついてきたけれど、開いたメモ帳を見下ろすばかりで私と言葉を交わすつもりはなさそうだった。
おじさんは私から名前や学校、家族構成を聞き取ってから、おもむろに切り出す。
「菜々子さんが最後に連絡したのは魚住さんだったんですが、なにか心当たりはありますか?」
おじさんの物腰はていねいで、眼光は鋭い。でも、私を疑っているような印象はなかった。
私自身、やましいところはまったくないから、堂々と振る舞うことにする。
「ないです」
いつもどおり、端的に答えた。
おじさんに反応はない。相変わらず私を打ち守るばかりだった。
――もしかして、もっと話せと言いたいのだろうか。
沈黙に負けた私は「留守電で、久しぶりに菜々子の声を聞きました」と付け足してみた。
「菜々子とは疎遠だったんです。学校でもおばあさんの家でも、会話することはありませんでした」
淡々と話しながら、舌の付け根に苦いものを覚えた。
高校に入る少し前から、私は菜々子とは縁が切れたかのように振る舞っていたし、実際、彼女との関係はすでに終わったものだった。あの日、涙目で怒る菜々子を見て、「もういいや」と思ってしまった。はずだったのに。
「以前は菜々子さんと仲がよかったとうかがったんですが……」
おじさんが慎重な口調で菜々子との過去を訊いてきた。
「なにがあったのか、参考までに教えてもらえますか?」
かたくなに見て見ぬ振りをしてきた心の結び目に、容赦なく手を伸ばしてくる。
私はなんとも言いがたい感覚に襲われて、体側で拳を握りしめた。不愉快ではないけれど、釈然としない。
「――中三のときでした」
逡巡しながらも、捜査のためだから……と自分に言い聞かせ、三年間だれにも語らなかったことを舌にのせてみる。
「ささいなことが原因で喧嘩して、菜々子に嫌われたんです」
“ささいなこと。”
臆病風に吹かれて、あの日の出来事を過小に表現してしまった。
菜々子が聞いたらきっと怒るだろう。死者の気持ちを慮ったところで、今さら無意味だけれど。
「菜々子と喧嘩した後、話しかけようにも機会がなくて。高校受験の直前で、ばたばたしてた時期だったんです」
嘘だった。
実際は、意識的に菜々子を避けていた。
「菜々子とは同じ高校に受かったけど、それっきりです。同じクラスにはなることもなかったし、うっかり廊下ですれ違っても目を合わせませんでした。いとこ同士だってこともできるかぎり言わないようにして、赤の他人みたいな顔で過ごし続けてきたんです」
真面目に仕事をしている大人に、私の決して長くない人生の裏側をさらしてしまった。
腹の底で巻き上がる後ろ暗い感情を押し殺しながら、熱心にペンを走らせる若い刑事さんを横目で見やる。
刑事さんたちは、私の下らない話からなにを判断するのだろうか。
菜々子について、いったいなにがわかるというのだろうか。
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