第8話 朝から曇天
月曜日の朝7時半頃。いつものように教室の鍵を開け、自分の席に荷物を置いてから、私は隣の教室に向かいました――手には小さな紙袋を持って。
「かずちゃん、おはよう」
「おはよ」
まだ朝早いというのに、ハリのある声の挨拶が返ってきました。
「それで? 昨日メッセージで言ってた忘れ物ってのは持ってきたの?」
「もちろん。かずちゃんの方は?」
「持ってきたけど、かさばるよ?」
「ロッカーにでも入れておくから大丈夫」
かずちゃんは少し大きめの紙袋を抱えていました。
「で、これを届けてくれたウェイトレスさんってのは、あの背の高い人なの?」
お互いの忘れ物を交換した後、かずちゃんは言いました。
「そう。届けてくれた時は背後から突然現れてびっくりしたけど」
「怖かった?」
「怖かった」
私がこくりと
「なぎちゃんってば可愛いなあ」
「やめてよ、もう」
朝早くの誰もいない教室でかずちゃんと話していると、安心できる空気感というか、居心地のいい雰囲気が感じられるのです。だからこそ私はかずちゃんという人と友達になっているのですが。
何気ない話をしながら、顔を見て笑いあう。そういう当たり前を現実にしてくれる彼女の存在は、大きいのです。
そんな貴重な朝の時間の
「おー、来たか」
かずちゃんが片腕を上げながらそう言います。その視線の先を
「おはよう、神崎さん」
「ああ……おはよう、田中君」
そこには、はにかんだような笑い方をした田中君が立っていました。どうしてかこっちに来たのです。
「私には?」
「あ、おはよう」
「……まあよし。おはよう」
「ええと、どうしてここに……?」
かずちゃんと言葉を交わしているところおずおずと聞いてみると、田中君はこちらに顔を向けました。
「あー、えっと、ダメだった?」
「まず理由言いな理由を」
「え、そ、そうだな……」
かずちゃんに指摘されて困ったように首をかしげると、しばらくして咳払いをひとつ、それをきっかけに田中君はもごもご言いました。
「は、話したかったから……?」
そう言ってから、じわじわとその顔が赤くなっていきます。
「や、ごめん、な、なに言ってるんだろうな俺……」
「――だってさ! 親睦を深めるための交流会! と題して3人で雑談、しよっか」
「ああ……うん……」
強引にも話を進めていくその様子に、つい言葉に詰まってしまいます。
雑談しようと言われて雑談しようとすると、話すことが急に無くなるような気がするんだけど……。そう思いましたが別に口には出しません。というか、かずちゃんがいればなんてことはないのです。
「ところでなぎちゃん最近読んでる本ってどんな本?」
まさかそんなにも何事もなかったように話題転換をされるとは思ってませんでしたが。半ば引き気味になりつつも私は答えます。
「え……ええと、数学好きの女の子がヒッチハイクして旅する本だよ。……田中君は?」
話を振らないと悪いな、と思って田中君に投げ掛けると、予想外だったらしくビクッと肩を震わせて驚かれました。
「あッ、俺? えっと、最近読んだのは……あー、野草図鑑とか漫画とかそんなのしか……なんか、子供っぽいな……」
「シロツメクサとか?」
「そ、そう。シロツメクサ。名前の由来は運ばれてきたガラス製品を壊さないための詰め物として使われたからっていう、そういう感じに色々な雑学も書かれてる本だったなぁ……」
「そうなんだ。シロツメクサといえば、小さい頃に葉っぱ付きの茎を取っ
てきて……押し花……押し葉? にしたことがあるよ」
「あー、押し葉。いいね。野草って結構身近にあるし、勝手に取っても大丈夫なのが大体だし、そういう工作に利用しやすくて最近いいと思ってるんだ」
「ああ確かに。押し花系以外にはどういうのがあるかちょっとイメージ付かないけど、どういうのがあるの?」
「そうだね。例えば――」
話が流れに乗ったその時、荒々しく戸を開ける音と共に、ゼイゼイと苦しそうに息をするのが聞こえました。
「……お、お前ら……朝早くから井戸端会議が何かか……?」
「だーッ! 佐野かよ空気読め! 今イイ感じだったのに!」
「ヒドイ出迎え方だな……」
かずちゃんが息巻く相手は背の高い男子、佐野君でした。眉間にシワを寄せて何やら嫌そうな顔をしています。
「何で来たワケ?」
「ここのクラスなのに来る理由が無いといけないのはおかしいだろ……いや、まあ、面倒なヤツから逃げて駆け込んだようなモンだが……」
「面倒?」
「ああ。物凄く
唐突に気の抜けた声を発する佐野君。一体どうしたものかと思った矢先に、もうひとりの来訪者の声が聞こえてきました。
「さだよしくん? 探したんだから、ねぇ?」
佐野君の背後に女の子の姿が見えます。ウェーブしたツインテールが印象的な女の子です。
その様子を見たかずちゃんは、意味ありげに呟きました。
「はーん、なるほど。アオエミちゃんか」
「え?」
「うちのクラスじゃ有名な話。別れたはずの彼女が別れた気になってないっていう」
「ええと、つまり……」
「佐野は元カノに追いかけ回されて困ってる。それで、あの子が……別れたつもりのない元カノ、青井愛美ちゃん」
どういう事情なのかなんとなく把握したところであのふたりの方に目をやると、後ずさりしている佐野君に、さっきの話題の青井さんが徐々に距離を詰め、迫っているような状態になっていました。
青井さん自身とはすれ違ったことぐらいはあったのですが、よくよくその顔を見てみるとなかなか可愛らしい顔付きの人で、アイドルになれるんじゃないかと思えるほどです。
「なあ、俺たち別れたんだぞ? 俺はちゃんと伝えたはずなんだが……」
「今日はエイプリルフールじゃないのよ? もうっ、さだよしくんってば、間違えちゃうとこも可愛いんだから」
ああ、これは確かに物凄く面倒そうです。なるべく関わりたくないとも感じました。
かずちゃんの顔に不安な視線を送るも、私の目を見て「ね?」と一言、声を発するだけです。
「今日がエイプリルフールじゃないことぐらいわかってる! わかった上で俺は別れたって言ってるんだ……!」
「ええ? そんなこと言って、私のこと好きなんでしょ? 知ってるのよ?」
「何でお前は平気でそんな恥ずかしいことを……」
「さだよしくんが言ってくれたのよ? 夕日の差し込むふたりきりの教室で、窓の外を眺めながら確かにさだよしくんは言ったのよ。『誰より好きだよ、愛美』って」
「ダァァッ! 人がいるんだぞ!? そんな恥ずかしいこと言うんじゃないッ……!」
「あら、そうだったの?」
地獄絵図。そうとしかこの状況について言及できないぐらいひどい状況だなぁと、半ば他人事のように話を聞くだけして私は黙りこくっていました。
「ああ、ごめんなさい騒がしくって。さだよしくんってば、素直じゃないから……」
そんな時に、こちらに向けて問題の青井さんが声を掛けてきたものですからひるんでしまいました。「えひっ」と妙な声が出てしまい、何か言おうか言わまいか悩んでいたところ、佐野君はつらそうな声を捻り出します。
「もう、もうやめてくれ……俺は……俺は、もうお前が好きなわけじゃないんだ……」
「……だとしたら、誰が好きだって言うのよ」
「……」
重い空気を開いた窓から通り抜ける風が揺すります。程無くして、ついに決心したのか佐野君は再び口を開きました。
「……数野だ!」
「……は?」
かずちゃんは流れ弾を食らって、わけがわからないという意味合いの声を上げました。
「……なるほど。だからここでこういう話をされるのが嫌なのね?」
「ああ、ああそうさ!」
「……そう。わかったわよ」
静かな怒りの
直後かずちゃんは、佐野君に掴み掛からんとするような勢いで問い詰めます。
「アレどういうつもり?! アンタの告白なんてこれっぽっちも受けるつもりないんですけど! 大体私は……!」
そこまで言ってかずちゃんはちらりと私たちの方を見ると、また佐野君の方に向き直って続けました。
「……あー、事情は聞く。どういうワケ?」
「すまない。俺もとっさの判断で……ついお前の名前を上げてしまった」
「嘘つくなら嘘つくなりにあらかじめ打ち合わせしときなさいよ……。あー、焦った」
打ち合わせをしたら嘘をついてもいいのでしょうか? そんな疑問を浮かべても、また別の人たちがこの教室にぞろぞろとやってきて、結局口に出さずにこの貴重な朝の時間は終わってしまうのでした。
そしてあの疑問も忘れてしまった昼休み。昼食を取ろうとカバンから弁当箱を取り出そうとした時、田中君が私の席のところまでやって来て、「ちょっと場所を変えて話さない?」と切り出しました。
どういう話なのかはある程度見当がつきます。私はその提案を受け入れることにしました。
そろそろ梅雨が来るだろう時期、白い曇り空の下、渡り廊下から
「えっと、数野さん心配だね。その、青井さん? って、結構
「曲者って……。うーん、まあ、そうらしいね」
「俺も何か協力できたらいいんだけど……」
私も役に立てるものなら役に立ちたい。そう思いつつも
「青井さんに匹敵する曲者をぶつけたらいいのかなぁ……」
「ええ? それはどうなんだろう。むしろ傷が広がるんじゃない?」
「説得するにはまともに掛かっても仕方がないんじゃないかなって。でもやっぱりダメか」
「やめといたほうがいいよ。きっともっと大変になるだけだから」
「そうだよな。うん」
ここで田中君は手に持った購買パンの封を切りました。サンドウィッチのようです。それを見て私もお弁当に手を付けました。
「……状況を整理すると、元々付き合ってたふたりが、佐野君の方は別れを切り出して別れたつもりになってるけど、青井さんの方はそれをわかっていなかった。そして今日はそれを改めて言って、苦し紛れの理由付けに数野さんが利用された。そういうことだよね」
「そう、だね……」
「となると、別れたものだ、と青井さんにわかってもらう必要があって、これに達するには青井さんに冷静になってもらわなきゃいけない」
「うん」
「でもそこまで考えて行き詰まるんだ。どう冷静にすればいいのか、わからない。それに、冷静になったとしても、どう説得したらいいか……」
そして田中君はため息を
浮かない気持ちで食べる昼食はいつもにも増して冷たくて、喉を通らないように感じられました。
「今青井さんは、多分とってもつらい気持ちなんだと思う。だからきっと、妥協点を探して提案すれば、何か変わるのかもしれない……」
「優しいんだね。田中君って」
「……え? そうかな」
「うん」
人のために悩んでいる田中君の様子を見ていると、私も何かの役に立ちたいという気持ちが大きくなってきました。
だって、私の友達のかずちゃんも関わってることなのですから。
そして、答えが出ないまま昼休みは終わり、放課後になってしまいました。
特に部活には入っていない私は、今日は図書委員の仕事も無いのでまっすぐ帰ることにしました。
階段を降りて下駄箱前へ。下靴に履き替えて、外へ出ました。みんな部活に参加しているのでしょうか。あまり多くは下校している人は見かけません。
今朝のことは色々と大変だったけど、この問題はどうなっていくのでしょうか。
青井さんが落ち着くのは時間の問題のはずなのです。でも、問題を解決しようと思えばそれではいけない。過去のことになってから解決するのは難しいのです。
そう思い悩みながら、うつ向きがちに歩いていました。
「――ねぇ、神崎渚子さん。時間あるかしら」
「……えっ」
噂をすればなんとやら。いや、噂にするというか、考えていただけなのですが。
おそるおそる振り向いてみると、コンクリートの壁にもたれかかったツインテールの女の子がいるのです。
「あ、青井さん……私の名前、呼んだ……?」
「そう。あなたの名前。……ちょっと付き合って欲しいところがあるの。いい?」
じっとりとした目がこちらを見つめていました。その目付きに、ふと私はどこかで見たような感触を覚えました。ジトッとした目付きで、なかなかの曲者なあの人……。
その次に目につくのは、青井さんがなんとなく寂しそうな雰囲気を漂わせていることでした。
「……いいよ。どこまで付いて行けばいいかな?」
「そんなに遠くはないの。案内するわ」
そして私は青井さんに付いて行くことにしました。
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