第6話 待ちぼうけてはいられない

――一方その頃――


 くだんの雑貨屋のかたわら、ベンチに腰を下ろし、曲がり角へ消えていく背中を見送る。

 そのゆったりとしたラインのスカートと、まっすぐな長い髪が歩くたびに揺れるのを、見失うまでずっと眺めていた。


 うーん。まさか俺の方がもらってしまうなんて――


 完全に神崎さんの姿が見えなくなったのを確認した後、先ほど受け取った封筒の中身をのぞき見て感慨かんがい深く思った。

 全く想定していなかったばかりに、自分がどんな顔をして受け取ったのか、どんなことを言ったのか、さっぱり覚えていない。

 ただ、この沸き上がる喜びは一片のくもりのない本心だった。


 神崎さんが、俺のために選んでくれたものをもらって、嬉しくないわけがないのだから――!


「ママー! あのお兄ちゃんすっごくニヤニヤしてるー!」


「シッ! 失礼でしょ! なんでも口に出すんじゃありませんッ……!」


 前を通り掛かった親子連れの会話を聞いて、俺は一気に現実へと引き戻された。ああ、またか。嬉しいあまりについ顔に出てしまっていたみたいだ。

 というのも、普段からつるんでいる友達にもよく言われるのだが、どうやら俺は気持ちがわかりやすく顔に出るタイプらしい。こんなんだから、トランプでババ抜きなんかやると、毎回ボロ負けしたりする。

 ――まさか、このしおりをもらった時、嬉しさのあまり気持ち悪い顔をしていたりはしていないだろうか。そのように、自分のさがかえりみていると、今更になって恐ろしいことに気が付いてしまう。

 いやいやいや、一回落ち着こう。確かあの時の神崎さんには、そんな気持ち悪がるような素振そぶりは無かったはず。だとすると大丈夫だったのだろうか。

 いや、でも、俺みたくわかりやすい反応をするわけでもないだろう。ほら、神崎さんって割とクールそうな人だし。内心気持ち悪いとか思っているのかもしれない……。

 ――うーん。悪い方悪い方へと考えるのもよそう。日々の考え方が性格につながるから気を付けた方が良いってこの間言われたばかりじゃないか。もっと前向きに、もっと能動的に過ごしていこうじゃないか。


 背もたれに身体からだの重みを預けて、通りに目をやった。うじうじ悩むのをやめるには、別のことに意識を向けてやるしかない。何かないものか。


「うわぁああん!!」


 その時、小さな女の子の泣きわめく声が耳に突き刺さる。反射的に、その声の方を見た。

 転んだのだろうか、アスファルトの地べたに膝を付き、ぺたりと座り込んでずっと泣いている。

 通りすがりの人々は、一瞥いちべつこそするが迷惑そうな顔をして通り過ぎていくだけだった。

 ……胸が痛い。しばらく見ていたが、あまりにも可哀想でたまらなくなって、俺はついに立ち上がった。


「どうした? 痛いの?」


「ひっ、うぐぇっ」


「何か困ったことがあるなら言ってごらん?」


 その小さな女の子は、らした目で俺を見上げた。ひぃ、ひぃ、と苦しそうに息をしている。


「あのね……、ひぐっ、転んでね、それでね……っ」


 途切れ途切れ話すのを、うんうんと聞いてやる。決して急かしてはいけない。相手の話のテンポを守ることが話を聞き出す上では大切だ。


「転んじゃって、えっとね、キューティーメロディがね……、うぐっ、はんばーきの下にねっ……!」


 はんばーきと言いながら、その子はすぐ近くの自動販売機を指差した。なるほど、のカードが転んだ拍子に自販機の下に滑り込んだのか。

 アスファルトにほほを付けるようにして、自販機と地面の隙間すきまを覗き込んだ。おお、確かに。ピンク色のトレーディングカードらしきものが見える。これくらいなら手を伸ばせば届きそうだ。


「ちょっと待っててね。今取ってあげるからさ」


 半身はんしん寝そべるような姿勢で、狭い隙間に手を伸ばした。あと少し……よし、掴んだぞ。

 そして隙間から手を引き出した。しっかりその手はカードを掴んでいた。

 ――主人公のレアカードじゃないか。大事だっただろうに。


「よーし、取れた。どうぞ」


「わあ! 私のフォルテだ! ありがとう!」


 女の子は、にぱーっと笑った。うーん。いい笑顔だ。

 俺は、「ホントにありがとう!」と手を振る女の子に手を振り返して、「どういたしまして」と見送った。


 あー、気分がいい。人に親切にすると、なんというか自分自身にも優しくなれるというか、暖かい気分になれる。小さな幸福感に弾むような足取りで、俺はまたあのベンチに腰掛けた。


「あー! あの人またニヤニヤしてるー!」


「だからッ! めッ!」


 またあの親子連れだ。そういえば今日は親子連れが多い。日曜日だからだろうか。

 それはそうとして、数野さんは一体何の話をするために神崎さんだけを呼び出したのだろう。何か、俺には知られたくない秘密の話なのだろうか。

 ああでも、そもそも俺はそれを気にするほど親しい仲でもないからなぁ……。



 ――キャー!



「……!」


 唐突に聞こえたのは叫び声だった。俺は衝動的に立ち上がる。

 そう遠くじゃない。でも、あの女の子の鳴き声ほど近くでもない。それに、この声は――!


 俺は走った。叫び声の方へ、神崎さんが向かったあの道の方へ。

 ある角を曲がった。道幅が急に細くなる。コンクリートの壁や電柱なんかで、視界の彩度が一気に下がる。

 神崎さんはこの道を通ったのだろうか。せめて俺が付いていれば……! ああ、一体どこにいるんだろう?


「まあまあ、そんな怖い顔しないで? 別に悪いようにはしないからさ」


 神崎さんの声とは違った、女性の声が聞こえた。

 だが、その声の方には神崎さんがいた。その正面には、そこそこ背の高い、眼鏡を掛けた女性が立っているのだ。

 その女性の手は、神崎さんの肩に置かれていた。


「――神崎さんッ!」


「た、田中君……!?」


 怯えた表情の神崎さんが、こちらに顔を向けた。この時も俺は走っていた。必死に駆け寄った。

 そしてついに、俺は2人の間に割って入ることができた。


「神崎さんに何のご用ですか……!」


 ぜい、ぜい、と息を荒らげつつも、語勢を強めて俺は言った。

 時間が止まったかのような数秒の間が空く。女性は俺の顔を見ると、神崎さんの肩から手を離して、ゆっくりまばたきをした。そして口を開いた。


「あー、残念だな。全然覚えてくれてないみたいだね、君たちは」


 そしておもむろに眼鏡を外して、「これならどうだろう」と言う。

 いや、誰だとかそういうこと以前に何をしに来たのかってことの方が重大で意味のあることだと思うんだけど……。それはどうなんだと思っていたところ、神崎さんが一言呟いた。


「あ、あの時のウェイトレスさん……?」


「ご名答」


――

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