第5話 お礼

 かずちゃんが抜けて2人になり、正直なところどうしたらいいのか私にはわかりませんでした。同時に、場の雰囲気を盛り上げてくれる彼女の存在がいかに偉大か、失ってやっと理解したのです。


「あっ、えっと、そう、そうだな……」


 焦っているのか顔を赤くする田中君にとっても、それは同じだったのかもしれません。


「か、神崎さんは、どこか行きたいところとか、探したいものとか、ある?」


「行きたいところ?」


「そう。そもそも、俺がちょっとしたお礼をしたいって誘ったよね。せっかく来てもらったわけだし、神崎さんの好みに合わせたいんだ」


 顔を赤くしたまま彼は言いました。

 この状況をやり過ごすには、なるべく気負わずにしておくしかありません。ここは、田中君の言う通りに、ある程度行く場所の目星を付けておくことにしましょう。


「そうだね……」


 うーん。小さくうめきながら顎に手を添えました。

 ここで問題になるのは、行った先でおそらくちょっとしたものを選んで田中君に買ってもらう、ということ。この集まりのそもそもの発端は確かにそうだったのです。

 最初は、いや悪いよと断りそうな気持ちもあったのですが、かずちゃんのスピーディーかつパワフルな押しにより、ついには決行されてしまいました。

 もはや退路は断たれたのです。それを決定的にしたかずちゃんは先ほど離脱してしまいましたけど……。

 まあそれはともかくとして、あまり値の張らないであろうちょっとしたものを考えなくては――


「――決まらないようなら、オススメの場所でも案内しようか?」


「はっ、はい? えっ、何?」


「い、いや、難しそうな顔してたから……」


 田中君の言葉でふと我に返りました。ああ、いけない。私がちょっと考え事をしようものならすぐこれなのです。

 落ち着いて、深呼吸を……。


「……ふう。ごめんなさい。色々と考えすぎていたみたいで」


「あー、難しいよね。自分で決断するのって」


「そうだね。ちゃんとしなきゃって思うほど、頭がいっぱいになっちゃうし」


「わかる。周りのことが入ってこなくなって結果失敗したりとか」


 私はそれを聞いて深く頷きました。ついつい考え込むと、そのせいでより一層悩んでしまいますが、それは案外私だけの話ではないのだなと少しだけ荷が下りたような気持ちになったのです。


「まあでも、ぐだぐだ考えてもどうにもならないし、まず行動を起こすところから始めなきゃ」


 不器用な笑みと共に田中君はこう付け足しました。

 その前向きな一言に、私はかずちゃんならそう言いそうだな、と感じました。

 例え今だけかずちゃんがいなくとも、意外と上手くやっていけるかも。そんな淡い期待が芽生えた気がしたのです。




「――あ、ここの右手の、あのお店だよ。プランターとか置いてあるところ」


 あれから、田中君のオススメのお店だという場所まで案内してもらいました。

 田中君の指差す方を見ると、一見お花屋さんのようなファンシーなお店

がありました。外装はやたら花の咲いたプランターなどで彩られ、いかにも田中君の好みらしい見た目をしていました。


「あんなだけど、別に花屋さんっていうわけじゃないんだ。いや、花系の小物とかもあるけど、雑貨屋さんなんだよ」


「へえ……」


 そういえば、あまり男の子が雑貨屋さんなどに入るイメージが持てませんが、どこか柔和な感じの田中君なら、不思議と納得出来てしまいます。いや、そもそも彼は花が好きなので、可愛らしい趣味の人なんだなあと思わずにはいられないのですが。


 ――カランカラーン――


 重い戸を押し開けると、おしゃれな喫茶店か何かで聞きそうな鈴の音が鳴りました。その先にはアッシュブラウンで統一された、静かな空間が広がっているのです。

 店内はそこまで広くはありませんし、店員の人数も少なめ。会計を済ませる場所であろうカウンターの向こうに1人、陳列棚の整頓をしているのが1人。見える限りではそれだけです。

 カウンターにいる1人の店員がこちらに気が付いたのか、軽く会釈しました。


「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」


 それ以上は何も言いません。ここにはしつこく干渉してくるような店員はいないようでした。


「いつもこんな感じ?」


 手のひらを口元に添えて田中君に聞くと、「そうだよ。静かでいいところだと思わない?」と少し得意げに答えました。

 静かで、内装のセンスがよくて、過干渉な店員もいない。田中君から見れば、外装も高得点なのでしょうか。オススメするのも納得です。

 こんな素敵なところには、どんな品物が置いてあるんだろう。どれどれ、と私は木目調の陳列棚に目を向けました。


 雑貨の定義は私にはよくわかりませんが、そこにある雑貨と呼ばれる品々は、見ていて心が癒されるものばかりでした。

 いわゆるハンドメイド雑貨であったり、独自の商品であったり、ここでしか出会えないようなものがたくさんあるのです。

 キーホルダー、ブローチ、ネックレス等のアクセサリー。ブックマーカ

ー、ペンケース、手帳などのステーショナリー…………ついつい目移りしてしまいます。

 というのも、そもそも私はこういったこまごまとしたものに弱いのです。机の端なんかに並べたりして、しみじみ眺めると幸せ――というと少し大げさですが、とにかくぽかぽかとした気持ちになれるのです。


「何かいいものはあった?」


「ううん。ごめんね、気になるものが多くって……」


 雑貨屋さんというのは不思議な場所で、入って体感的には数分しか絶っていないようでも、案外20分ほど経っていたりするのです。現に今がそう。

 時間がいとも簡単に食われていくこの空間の魔力を知ると、なおのこと焦って厳選に立ち向かうことになりました。


「早く決めないと……」


 ああ、手頃なものはないかしら。そう思った時、不意に何かを思い付きました。

 私は買ってもらうんだからとばかり考えて、多少の値段にもうんうん悩んでしまっていました。逆なのです。逆に、私が――



「お買い上げ、ありがとうございましたー」


 アッシュブラウンの魔窟に別れを告げ、カランカランと鈴が私たちを送り出します。

 田中君の手には小さな紙袋がありました。


「時間掛かっちゃって、ごめんね」


「いいんだ。あそこはゆっくりと時間が流れる場所だから」


 そして田中君は、手に持った紙袋を私に差し出します。少し恥ずかしそうに笑いながら。


「ありがとう。これ使うの楽しみ」


 その紙袋の中には、スティック状のブックマーカーが入っています。黄緑の本体に、小さな深緑のチャームが添えられたものです。


「それなら何よりだよ」


 私が紙袋を受け取ったのを見届けた田中君の顔色は明るんで見えました。

 ここで私は懐から何かを取り出します。あの紙袋と同じ柄の小さな封筒です。


「私からはこれを。気に入ってくれるといいのだけど……」


「……え?」


 田中君は口を半開きにして、差し出した封筒をしばらく見つめました。そして、気を持ち直したのか私の顔を見て「これは?」と聞きました。


「お礼の、お礼」


「お礼の……お礼……?」


 まだ理解が追い付いていないのでしょう。ぼんやりとしたまま私の言葉を反芻しています。

 お礼のお礼。こうすることで、少しは自分の気分を楽にしようと思ったのです。

 大したものではないにせよ、精一杯田中君の好きそうなものを選んだつもりです。――正直、選ぶことより田中君に察されずに購入する方が大変でしたが……。


「……? ありがとう……?」


 とりあえず思考に決着がついたのかついてないのか、田中君は首を傾げながら封筒を受け取りました。

 私が「開けてみて」と促すと、田中君はこくこくと頷き、おぼつかない手付きで封を切りました。


「あ」


 2本の指でつまみ上げるようにして取り出されたそれは、表面にメタリック加工を施された長方形のブックマーカー。それも、細やかなガーベラの模様状に切れ込みが入っています。

 もっと田中君の趣味を知っていれば別のものになっていたかもしれませんが、あの押し花のしおりの印象が強すぎてこれを選ぶに至りました。

 喜んでもらえるか自信が無くって、まさかいらないと言われるようなことは無いとは思いますが、いらないと思われたりしたらやだな、とも思っています。


「……や、なんというか、突然のことでちょっと驚いてて、その……俺としては、めちゃくちゃ嬉しい」


 心配していた私が聞き取った田中君の呟きは、お礼のお礼作戦は成功だったよと告げられたようなものでした。それを聞いて胸の奥は安堵の泉で溢れ返るのです。


「大事にする。大事にするよ」


 ほくほくした顔で田中君は繰り返し言いました。見るからに嬉しそうな田中君の様子に、こちらまで嬉しくなってきます。


「私も、もらったの大切に使うね」


 いつの間にか、私も笑っているようでした。

 ああ、かずちゃんや家族の前以外で、自然に笑えたのはいつ以来でしょうか。ただの微笑みでも私にとってはイレギュラーな微笑みなのです。素直な田中君に感化されたのでしょうか。感情を押し殺したりしない彼の姿勢に、どこか懐かしいものを感じました。



「――!?」


 暖かい気持ちに浸っていたその時、ポケットの中のスマフォが震えました。不意でのことだったので変にびくついてしまいましたが、携帯を取り出して確認すると、どうやらかずちゃんから電話が掛かってきたようなのです。


「あ、ごめんね。かずちゃ――いや、数野さんから電話みたい」


 一言、田中君に断ってから電話に出ました。


「もしもし? 終わっ」


『終わった! ところでそっちはどう? 仲良くなった?』


「ちょっと、そんな急に聞かれたって……」


『わかったわかった。直接話そうよじゃあ。田中君を置いて私と別れたとこまで来てみな』


「何よ突然」


『大丈夫。かずちゃん連れてくるからちょっと待っててって言えばいいんだからさ』


「と、とにかく行けばいいのね?」


『そゆこと。じゃ、あとでね!』


 そこでブツリと通話が切れました。後にツー、ツーと鳴るのに不安を煽られつつ、私はスマフォを持った手を下ろしました。


「あ……、数野さん用事が終わったって」


「そうなんだ。迎えに行くの?」


「そう。その、連れてくるから待っててもらえるかな」


「……? 俺も付いていっちゃダメかな?」


「ええと、何か話があるみたいで。田中君を待たせるのはちょっと悪いな、とは思うのだけど……」


 納得してもらえるか不安になりましたが、心配するほど田中君には疑問に思う様子は見られません。ただ、「そっか。いや、俺の方こそ間に入るのも悪いし」と言って快く送り出してくれました。


 さて、田中君には適当なベンチで待ってもらうことにして、私は来た道を遡りました。

 確かかずちゃんと別れたところといえば、あの昼食を取ったカフェの近く。そういえば、ウェイトレスさんに急かされて、みんなAランチを頼んだのだっけ。少し苦笑いを浮かべて細い道を歩きました。

 最初は田中君がいたのでさほど感じることはなかったことですが、

この道、よくよく見回してみるとあまり人の気配がありません。知る人ぞ知る近道というものだったのでしょうか。

 そこに気が付くと、急に心がざわつき始めました。――目の奥がじんわりと熱くなってきたのです。大変! ここにきて泣いてしまいそうになるなんて……!


 ――パキッ――


 決壊寸前だったその瞬間、背後から小枝が折れたような音がしました。誰だかわかりませんが、何者かによって私の意識は別の方へ向いたのです。


 いや、誰……?


 恐る恐る振り返ると、そこには誰もいません。気配もありません。

あるのは電柱やら壁やらの無機物だけです。

 ドキドキと胸が早鐘を打ち始めます。こうなるとむしろ不気味です。今の時刻は午後3時頃。もし夜中ならお化けかと思ってしまうでしょうが、今はまだ明るい時間です。


「だ、誰かいる……?」


 感じたままを口に出してみましたが、それは虚空に響くのみ。身体の中を波打つように流れる脈が、いやに強く感覚に訴えるだけなのです。

 ――無害ならそのまま行ってもいいんじゃないか。そう思い直して再び足を動かします。

 数歩歩きました。そして念のためまた振り返ります。誰もいない。ホントに? 泣かなくて済むのはありがたいのですが、ここを通り抜けるだけなのに心労が絶えません。

 すぅ、はぁ……と深く一呼吸置いて、しっかりと次の一歩を踏み出そうとする――


「と見せかけて背後確認……!」


 小声で呟きながら思い切り振り返りました。口に出さないと不安でどうにかなりそうでした。


「……」


 やっぱり誰もいません。ここまで何もないと、呟いたのが恥ずかしくなってきました。でも、もう安心していいのでしょうか。だって、何もなさそうなんだから。


「はぁ……」


 安心というか、自分に対する呆れというか、そんな意味合いのため息をいて進行方向に向き直りました。


「――そんなに私に会いたい?」


「ギャー!」


 向き直った先には、私より10センチは高い背の人影が、立ちはだかっていたのです。


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