第12話 十五分前

 失敗は許されない。その感覚が、新堂の気持ちを押さえつけた。これまで、谷川はもちろん、多くの人に助けてもらってきた。そして今から始まるのは、自分が提案した作戦だ。失敗すれば沢山の期待を裏切ることになる。死傷者が出るかもしれない。これまでに感じたことのない感覚だった。

 そう谷川に話すと、「それは責任感っていうやつですよ」と、彼は得意気に言った。

「責任――」

「そうです。自分の行動で誰かを傷つけたら、その人は責任を取らなければなりません。その自覚と覚悟のようなものですかね。責任感っていうのは」

「そんなこと、考えたことなかったな」

 二人はスラムの広場に並んで座っていた。遠目に宮中を望む場所だ。

「日本でも罪を犯せば処罰されるんじゃないですか? それは責任を取らされてるってことですよ。それに、引責辞任とかも責任感の表れですよね」

「引責辞任? 何だそれは」

「責任を取って辞めるっていうだけですけど」

「なぜ責任を取ることと辞めることが結びつく」

 もちろん日本でも、失敗した時に適任ではなかったとしてその役を辞することはあった。しかし、それは「引責辞任」とは違うような気がした。

 谷川は少し考えてから、「逆に、責任が取れないから辞めるっていうことですかね」と答えた。

 その昔、日本には「死んでお詫びする」という言葉、つまり文化があったと、新堂は聞いたことがあった。きっとそれと同じなのだ。その時も、死ぬことと詫びることの因果関係が理解できなかった。それでも、そういう文化は姿を変えて、「辞めてお詫びする(責任を取る)」という形でこの島に残っているのかもしれない。


 新堂はしばらく「責任が取れないから辞める」という谷川の言葉を頭の中で反芻していたが、「それは、責任が取れないなら不幸になれ。ということか」と、思い付いたままに聞いてみた。

 新堂の発言に、谷川は反応できなかった。

「どんなに詫びても責任が取れないことはある。ならば、せめて責任を負うべき人が辞去して不幸になれば、少しは慰めになる。そういうことではないのか」

谷川は何も言わなかったが、新堂は身震いした。この作戦が失敗したら、新堂は責任を追及されて、ともすると「死んでお詫び」を迫られるかもしれない。そう理解したのだ。


 見慣れない街の風景を見ていると、様々な考えが浮かんでくる。新堂は、自分の身勝手さを思わずにはいられなかった。

「こんなことを言うと谷川さんがどう思うか分からないが」と前置きしておいて、「俺は自分のことしか考えてこなかった」と、さっき気付いたことを白状した。

 谷川は「今度はどうしたんですか」と、新堂に顔を向ける。

「このクーデターは、誰のためになる」

「少なくともここに住む人のためにはなるでしょう」

「だが、クーデターのせいで地位や職を失う人も大勢いる」

 新堂は官僚や上級市民を想った。谷川もその一人だった。谷川はただ「えぇ」と言って遠くを見た。

「俺はただ俺のためにやっているに過ぎない。その俺のせいで悲喜こもごも引き起こされるのに、俺はそんなことは考えたこともなかった。自分勝手な奴だ」

「人は皆勝手ですよ」

「慰めのつもりか」と、新堂は自嘲気味に笑った。

「私思ったんです」と、谷川が持ち前の真面目顔をする。「新堂さんは、理想の社会を実現するために戦ってる。それは、自分のためだけの身勝手な行動なんかじゃない。それは、きっと崇高な理念のための闘いなんです。だから、私も――」

 谷川はそこで何かを言いあぐねて、口をつぐんでしまった。新堂はすぐに「いや違う」と否定した。「俺は俺の理念を、俺の理想を押し付けている。そうやって谷川さんを、島の人たちを巻き込んでいる」

「どうしたんですか新堂さん。あの時の熱はどこへ行ってしまったんですか!」

 谷川が妙に明るく言って立ち上がった。そして太陽に向かって大きく伸びをする。

「新堂さん、もうここまで来たんです。それこそ責任を取って、最後までやり通してください。引責辞任なんて許しませんからね!」

 影が短くなってきていた。新堂も膝に手をついて立ち上がった。


 宮中の制圧に割ける人数は三百人だけだった。鮫が最前線で指揮を執り、アシカは後ろから全体を見る。宮中に精通している新堂と谷川は、鮫の案内役だ。

「時代遅れの武器ばかりですね」と、谷川が新堂に囁く。しかし、新堂はそうは思わなかった。武器というものをほとんど見たことが無かったからだ。

 谷川は、「鉛球を撃ち尽くしたら何の役にも立たない旧式の銃。ほんの二分くらいしか効かない煙幕」と、ぶつぶつ言いながら物色している。

「日本にはどんな武器があるんですか?」

「さぁ、どうだろうな」

 新堂は思い出そうとしたが、戦争も革命も知らなかった。

「警察は銃くらい持ってないんですか?」

「あぁ、電気銃があるな。撃たれるとしばらく動けなくなるらしい。撃たれたことのある奴は見たことないが」

「新堂さんにはこれですね」

 谷川がそう言って手渡したのは、頑丈そうな筒だった。

「何だこれは」

「懐中電灯です」

「そうか」

「使い慣れない人は使わない方がいいです」

 そう言いながら、谷川は銃を二丁手に取った。


  ◇


鮫が部屋を出て行くのが見えた。他の男たちも続々と出て行き、作戦会議は終わったようだった。そして、アシカが二人の男を部屋に連れてきた。

「こちらは新堂さんと谷川さんだ。俺たちの支援をしてくれる」

 アシカは朗らかに二人を紹介したが、カリンとレモンは笑わなかった。むしろレモンは、この男たちはレオの仇なのではないかと思った。

「私はレモン。それに姉のカリンよ」

 レモンは精一杯強がって名乗った。カリンは軽く目を伏せた。

 アシカはそんなことにはお構いなく、「新堂さんは日本から来たんだ」と、楽しそうに話す。「レモンは前に、日本に行きたいって言ってただろ?」

「……」

「そうなのか」と新堂が話しかけてきた。自分たちと同じような顔立ちだった。

「どうして日本へ行きたいんだ?」

「……」

 レモンはどういう感情を持ってこの男と向き合えばいいのか分からなかった。日本にいた人、日本を出た人、宮中にいる人、宮中を出た人。

 レモンが何も答えないので、新堂は「安全だからか。それとも豊かだからか」と聞いた。

「……家族みんなで、暮らせるから」

 貧しくなければ、そもそも家族が離れ離れになることは無かった。レオが死ぬことも無かった。母の病気も治せた。それが、レモンが日本に行きたかった理由だった。

「……家族は、そういうものか」

 新堂が独り言のように呟いた。


「これ、あなたが書いたの?」

 レモンが、ボロボロになった紙の束を持ってきた。「今世紀の日本は動物園か牧場の様相である」という文字が見える。

「そうだ。もう随分と昔のことのような気がするが、確かに私だ」

「動物園って何?」

 レモンが初めてこの文章を読んだ時に感じていた疑問だった。

「珍しい動物を集めて、檻の中で飼う施設だ。その動物を見に来た客からの入場料でその動物を養っている」

「ふーん」

 レモンも、自分の見たことのない動物が世界には沢山いる、ということは知っている。それらが一箇所で見られるなら、確かに行ってみたいと思った。

「日本に行くということは、檻の中の動物になるということだ」と、新堂がレモンに語りかける。

「でも動物園は飼っている動物に死なれたら困るでしょ? だからちゃんと世話もするしご飯もあげる」

「そうだ」

「じゃあその動物たちは幸せなんじゃないの?」

 新堂は、「動物がどう思うかは知らない」と、あくまで淡白だった。それから「だが」と力を込める。「だが、俺たちは人間だ。人間は外に世界があることを知ってる。ならば、外へ行きたいと望むし、自分の行き先は自分で決めたい。それが人間だ。それができない日本は、動物の国ということだ」


「そんなの勝手よ」

 レモンが、声を絞り出すようにそう言った。

「私たちはずっと不自由だった。今だってそう。生きていけるだけの食べ物があって、家族が一緒に暮らせたら、それで、それだけでよかったのに――」

 そこまで言うと、レモンは外に走り出てしまった。


「レオが死んだのはあんたたちのせいだと思ってるわ」

 カリンが横目で新堂を見た。

「レオ、というのは」

「治安部隊に殺されたのよ。私たちのリーダーだった。あの子の兄よ。そして私たちのね」

「そうか」

「これ以上あの子から何も奪わないで」

「そのつもりはない」

「つもりはなくても、あんたの理想のために巻き込まれる人もいるのよ」

「そうか」

 アシカは、二人にしばらく広場で待ってもらうように言った。その後で武器庫を案内するからと。

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自由の刑 山田(真) @yamadie

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