第11話 90分前

 暗い独房。冷たい鉄格子。

「食事を済ませておいてよかった」

 谷川に貰った携行食が思い出される。彼は拘束されずに済んだようだ。

 国民島に来た頃は、日本人であるというだけで彼はヒーローだった。その後、慣れてくると特別扱いも無くなり、大分馴染んできたつもりだった。人と関わるのが苦手だった新堂も、笑ったり冗談を言ったりするようになっていた。

「はぁ」

 新堂は大きく溜息をつく。微かな明かりに、吐く息が白く浮かんだ。日本から来たということを理由に不利な扱いを受けたのは初めてだった。理不尽極まりないと思う反面、信用してもらえないのも仕方ないと思った。現に、新堂はずっと君主を裏切ってきた。戸籍などの情報もKに流していたのだ。


「新堂さん、大丈夫ですか」

 こそこそと声がする。

「谷川さんか」

 人影が近付いてきて、新堂も鉄格子に目を凝らす。

「あぁよかった。元気そうですね」

「どうして」

 谷川は、いくつかの鍵から一つ選ぶと、錠を開けた。音を立てないよう慎重に鎖を解く。

「話は後です。早く離れましょう」

 暗い廊下に見張りは誰もいない。新堂は谷川を追って外へ出た。

 促されるままに車のトランクに入る。また真っ暗な空間だ。車はすぐに走り出した。体が揺られる。宮中を出て街を走っているようだ。

 十分もしないうちに、トランクが開いた。日の光に、新堂は目が眩んだ。

「乗り心地はどうでしたか。ゆっくり運転したつもりなんですけど」

「最悪だ」

 新堂はふらふらと車の後部座席に移った。

「お客さんどちらまで?」

 谷川がタクシーみたいにルームミラー越しに新堂を見て言った。

「スラムまで頼む」

「そう言うと思ってました」

 車はすぐにまた出発する。

「大丈夫なのか、こんなことして」

 新堂はトランクの中でぶつけた膝をさすりながら聞いた。谷川は両手でしっかりとハンドルを握っている。新堂は車の運転はできないが、谷川も得意ではなさそうだ。

「まずいですよ。ばれたらクビですよ、クビ。しかも、きっとばれるでしょうね」

 そう言う谷川は何だか少し楽しそうにも見えた。

「今の生活を手に入れるのにも苦労したんじゃないのか」

「ええそうですとも。それもこれで終わりですよ」

 道の凹みを乗り越えるのに車が大きく揺れた。

「どうして助けた」

「助けない方がよかったですか? それで、私一人に日本軍を止めろって言うんでしょ? 新堂さんは」

「一緒にやってくれるのか」

「何言ってるんですか、今更。日本軍を止められるのは私たちしかいないんでしょう? それに、国民島が併合されたら官僚も上級市民もありませんよ。もうどうせ全部終わりなんです。それなら、最後に――」

 車はさらにスピードを上げる。

「最後くらい、自分のやりたいことをやらせてください」


 スラムの入口で車は止まった。この先の道は細くて入れない。

「鮫を探そう」

 二人は小走りで路地を上っていく。広場を通り抜けると、見張りなのか門番が立っている小屋があった。すぐに新堂が駆け寄る。

「鮫を探している。会わせてくれないか」

「見かけない顔だが」

 門番は訝しげに二人を観察した。二人とも、こぎれいなシャツに黒いコートを羽織っていた。

「私は鮫の協力者だ。とても重要な情報を届けに来た。日本人の新堂と言ってもらえれば分かるはずだ」

 間もなく、二人は小屋の中に通された。

 大きな部屋には、十人の男が四角いテーブルを囲んで座っていた。鮫もいる。新堂たちは彼らに向かって事情を説明し始めた。

「私は新堂だ。一年ほど前に日本から脱出してきた。これまで、宮中で働きながら、Kという人物を通じてあなた方を支援してきた。君主を打倒して、自分たちの手で決められる未来を手に入れるのが私の夢だ」

 皆真剣に新堂の言葉を聞いていた。この窮地を打開する策を持たない彼らにとって、急に現れた新堂は希望をもたらしてくれる救世主かもしれなかった。

「日本が宣戦布告してきている。明日には実行部隊が上陸してくるだろう」

 新堂は、皆の顔色を見ながら言葉を選んだ。スラムの人々とどこまで現状に対する認識を共有できているか分からなかったが、同じようなことを考えているように感じた。

「あなた方は革命を起こして君主を引きずり下ろす戦略だったのだろう。しかし、日本が侵攻してくると聞いて、その対応を協議している。で、今はどういう対抗策を取るつもりだ」

 新堂はここで話をやめて鮫の顔を見た。新堂は、この組織のリーダーは彼だと思っていたからだ。しかし、応答したのは少年と青年の間のような男の子だった。

「我々の認識は今のあなたのお話と完全に一致しています。それから、これまでの篤い支援に改めて感謝します」

アシカはそう言って、一度会釈した。少し座り直すと、新堂を見据えて続ける。

「さて、日本への対抗策ということだが――。新堂さん、あなたはそれを持ってきてくださったのではないのですか」

 要するに、もったいぶっていないでそれを早く披露しろ、ということだと新堂は受け取った。侮れない男だと思った。

「その通りだ」と新堂は全てを話すことにした。「ただし、この作戦はあなた方にとって受け入れ難い内容かもしれない。まず、手持ちの発電機をすべて破壊してほしい」

 男たちは動揺を隠しきれなかった。「この電気がないと革命は成功しない!」と誰かが言った。

 アシカの頭の中も混乱していた。発電機を買うようアドバイスをくれたのは、Kだった。そのKの背後にいたのがこの新堂という男だったとしたら、なぜ今になってそんなことを言うのだろう。アシカは、「なぜ急にそんなことを言う」と問うた。

 新堂の答えはシンプルだった。

「それは、日本の侵攻が急だったからだ。以前と今とでは、状況が違う」

 アシカがとりあえず納得すると、新堂は次の作戦を説明する。

「次に、発電所を破壊する。つまり、この島では一切の電気が手に入らない状況を作る。日本の実行部隊はヒューマノイドと呼ばれる人型の電動ロボットだ。それらを充電できないようにしてしまえば、侵攻はある程度抑えられる」

 誰も何も言わなかったので、新堂は一人で話し続ける。

「あなた方は発電機を買うよう何者かに助言されていた。そのための資金援助も受けていた。そうだろう」

 新堂の考えでは、彼らは正体を隠した日本からの支援を受けていた。

「そうなのか」と、アシカを見たのは、鮫だった。彼は以前からレオやアシカの資金の出所を気にしていた。

 アシカは、「それはあなたからの支援ではないのですか」と新堂を見る。

「俺じゃない。俺が提供したのは、情報と技術だけだ。金じゃない」

「そうですか」と、アシカも釈然としない顔をする。

 鮫が拳をテーブルに乗せて、「こういう状況だ。すべて話してくれねぇか」とアシカに迫った。

 アシカ、鮫、新堂の思惑が交錯し、隅で立って聞いていた谷川には、何がどうなっているのかまったく分からなかった。


「分かった。まず俺から話そう」と、アシカが腹をくくって話し始める。

「俺は、Kという人物からずっと助言と資金援助を受けていた。彼はレオの支援者でもあった。カリンの話では、レオが殺された日のデモも、元は彼の発案だったらしい。新堂さんの言う通り、発電機を集めるようにも言われていた。彼の技術で島中を停電させることができるから、ということだった」

 鮫は「やはり後見がいたか」と心の中で呟いた。

 次は新堂の番だ。

「俺の推測では、その支援者は日本のスパイだ。併合の際に発電機が必要になるから、金を渡して調達させていたのだろう」

「しかし」と、予想外の指摘に驚いたアシカが反論する。「彼はそれだけじゃない。多くの情報や資料を提供してくれていた。本当に重要な協力者だ」

「そうだろう」

 新堂の中で、最後のピースがはまろうとしていた。

「Kは君主への不満を煽り、この島を身分によって分断するのが役目だった。そうすれば日本の併合を前向きに受け止めてくれる人が増えるからだ。だから、奴は本気であなた方を支援したはずだ。そして、この俺自身も、気付かずにそれを手助けしてしまっていたらしい」

「どういうことだ」

「俺は鮫の代理人を名乗るKという人物に、宮中の内部情報を提供してきた。そんな代理人は存在しないんだろう」

 新堂が鮫を見ると、鮫は「知らねぇな」と答えた。

「そいつも日本のスパイだったのだ。メッセージはここには届いていなかった。結果として、間接的にあなた方を支援していたとも言えるが。宮中の地図や官僚の個人情報は俺が奴に渡したものだ。きっとあなたの手に渡っていただろう」

 新堂はそう言いながらアシカを見る。

「提供されていた。官僚殺しに必要な情報だった」

「それも日本の策略だ。宮中に恐怖をばらまき、憎悪と対立を演出したかったのだろう。すべて日本による併合の地ならしだったというわけだ」

「日本はそんな汚い手を使うのか」とアシカが言った。

 皆、俄かには信じられないという表情だった。

「AIに綺麗とか汚いとかいう概念は存在しない。あるのは効率だ。その効率は、過去の情報から計算される。新しい勢力が国を覆い尽す前に、社会が分断されていた。ただ、そういう前例がいくつもあったというだけだ」

 新堂は、彼らが日本の歴史を再現しようとしているように感じた。人間同士が感情的な対立を繰り返し、何も決められない政治になった。それに嫌気が差した人々が、最適解を求めてAI政府を選んだのだ。そこでAIを選ばなかった、人間の可能性に賭けた国民島に、同じ轍を踏ませるわけにはいかなかった。


  ◇


「信用できるのか」

 鮫が新堂を見ながらそう言った。しかし、新堂は客観的な証拠を持たなかった。

「俺は元日本人だ。日本のことは誰よりよく分かっている」とは言ったが、信用できる理由にはならない。そこへ助け船を出したのは、アシカだった。

「新堂さんの説明は筋が通っている。そうだろう?」

 確かに、アシカたちはこの島では反政府勢力だ。それは、敵国からすればいつだって支援すべき対象だ。

鮫は、「この男が本物のK、日本のスパイかもしれんぞ」と言って、にやりと笑った。

アシカは「もしそうだとしたら、発電所の破壊は提案しない。電力は併合した後も重要なインフラだからだ」と答えた。

鮫が何も言わないのを確認して、アシカは多数決を取った。それが、彼らが物事を決める時のルールだった。


「新堂さん。あなたを日本民主主義人民共和国の一員として認めます。それから、後ろの方も」

「た、谷川と申します」

 谷川は思わず本名を名乗ったが、鮫は黙ったままだった。

「谷川さん、宜しくお願いします。私は暫定首相のアシカです」

 それから、他の九人の幹部も次々に自己紹介した。


「さて」と、アシカが隣の部屋から椅子を持ってきて言った。「改めて、作戦を考えよう。日本軍の侵攻を止める作戦だ」

「最優先は発電所をぶっ壊すことなんだろ」と、鮫が背もたれに身を投げ出しながら提案する。

「じゃあ、宮中を抑えて、後は治安部隊にやらせればいい。明日やろうと思ってたことを今日やるってだけのことだ」

 何人かが頷いた。

鮫は「ハッハッハ。体を動かすのは好きだぜ」と立ち上がり「九〇分くれ。きっかり九〇でいい」と人差し指を立てた。

 アシカはもう一度多数決を取ると、「作戦開始は正午だ」と言って、会議を解散した。

皆それぞれの持ち場へと戻っていく。

部屋には、アシカ、新堂、谷川の三人だけが残された。


「成功すると思いますか」

 誰もいなくなると、アシカが新堂にそう聞いた。新堂は「さぁな」と返事してから、「自分たちでやろうと決めたことをやる。それが大事なんだ」と言った。

「そうですよね」とアシカも頷く。それから、「そうだ。カリンたちを紹介します」と、新堂と谷川を隣の部屋に案内する。

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