少女A

ナカタサキ

少女Å

 視界を遮断して耳を塞いだ。意図も容易く世界を否定した少女は僕と同じに見えた。不平不満をネットの海にぶちまける少女と知り合うのも、リアルで出会うのも驚くほど簡単だった。自宅でも誰かに出会える手軽な時代に生まれたことは幸福か否か。その判断がつかないくらいには疲れていたし寂しかったのだ。

「――どうして分かってくれないの?」

 少女の嗚咽混じりの問いかけに答えられた者はいるのだろうか。答えは否である。少女のマシンガントークで分かったことは家にも学校にも居場所がない毎日が辛いこと。言葉を刃にして自らを打ちのめしている少女は痛々しくて見ていられない。

 夕刻を告げる鐘が響いた。日はとっくに暮れており、古い街灯だけが僕たちを照らしている。

「……ごめん」

 僕の矮小な脳では、いくら考えても少女の望む答えは出ないであろう。ひとつも分からないのだから。少女に対して清廉潔白でいようと思うほど言葉は何も出ない。情けない謝罪を口にすることしかできないことを少女は烈火の如く怒り狂い、涕泣した。

 少女はきっと僕が導き出した矮小な答えを聞きたかったのだろう。

 少女は自身に似付かわしくない、不屈の精神を植え付けられている。少女は諦めることを許さない。いや、許せないのだ。自身の性質を受け入れることができるほど少女は成熟していない。愛が足りない少女に僕は少女の欲しい愛は何一つ与えることの出来ない現実と、求める愛はもう二度と与えられないであろう、ほぼ確定した現実を少女は許せないでいる。

 幼い魂は自らの首を絞め、苦しみに悶えている姿を見ていられなかった。いっそ終わりにした方が幸せではないのだろうか、なんて甘言が囁かれる。涼しい風が吹いた。最近の気候は穏やかで、随分と過ごしやすくなってきた。終わらせるには良い時期かもしれない。

「……明日、出かけない?」

 今まで堪えてきた物を細切れに吐き出すように唇を震わした。恐怖で震えているのではない、惜しいから震えているのだ。

 癇癪玉を破裂し尽くした少女は僕の問いかけにおもむろに頷いた。今日の少女の尋問が終わったことに安堵した。僕らは別れ、それぞれの帰路についた。


 少女と僕は赤の他人だが、運命的な繋がりがあると僕は確信していた。きっと少女は僕と同じ虚構の住人、すなわち同類だと感じた。 

 出会った瞬間に痺れた。少女はきっと僕の空虚を暴いてくれる、破壊してくれる女神だと。


 待ち合わせは僕の部屋。

 秋雨が静かに降り続ける外界と、繋がりを断ち切るように少女は窓を閉じた。

「ハワイに行きたい」

 少女の瞳はハワイの青い空なんかひとつも写していない。少女お得意の口からのでまかせ気まぐれ適当な思いつきだろう。

「行ってくれば?」

 言葉とは裏腹に、僕はスマートフォンでハワイのツアーを調べる。オフシーズンでもひとり六万円はかかる、僕の預金口座の残高を思い出すが、ひとり分も用意できないし、そういえばパスポートも持っていなかった。

「パスポートない」

 退屈そうに少女は呟いた。

 つまらない、つまらない、つまらない。

 少女の顔にははっきりと「つまらない」と書いてある。つまらないを体現した少女は側に座っていた僕を蹴飛ばしてきた。

「痛いんだけど」

 僕の制止なんて聞かずに蹴り続ける。ワンルームに君臨している暴君は部屋の主の僕なんてどうでも良いらしい。出会ってしまったのが運の尽き。少女は学校には行かずこのワンルームに入り浸ることにしたらしい。迷惑な話だ。

「ハワイは行けないけど、県内の海なら行けるよ、海水浴はできないけどきっと静かで気分転換にはなるんじゃない?」

 少女を終わりへ誘う為に、猫なで声を出した。ニャンニャンニャン、学校をサボって海に行くなんて青春ごっこはとっても楽しいニャンニャンニャン。

 青春時代を有効活用することが出来なかった僕はとっくに終わった青春時代を取り戻す為に悪あがきをする。青春をワンルームで無駄遣いしている少女は僕の提案を良い物に感じたらしい。ニャンニャンニャン、少女はお腹を見せた猫のように、ゴロニャンと僕の提案をのんだ。

「今から行こうか」

 僕の突拍子のない発言も少女は魅力的に感じたらしい。

「行く!」

 嬉々としながら少女は玄関へ向かう。昨夕、癇癪玉を破裂させた少女は今は何の柵みもないらしい。ただ少女の破裂した癇癪玉は僕に移ったみたいで、昨夕から僕の鳩尾に何かが鈍く蠢いているようだ。

「車?」

「そうだよ」

 少女は無邪気に僕に尋ねる。純粋な笑顔を浮かべる少女に何も感じなかった。僕の女神は少女の笑顔の中には存在しないのだから。

 信頼されていると思うと悪い気もしない。けれど、自身の欲望に対して中途半端で振り切ることが出来ないから女神は僕に最愛の口付けをしないのかもしれないと思うと僕は死にたくなる。

 絶望を悟られないように僕も玄関へ向かう。早く女神に出会いたいと切望した。


 秋雨は弱まることもなく、しとしとフロントガラスを打ちつける。

「雨の日に海に行くって初めて」

 僕の不慣れな運転に揺られながらも少女はご機嫌な様子だ。

「……大学生の一人暮らしで車も持ってるって、ひょっとしてお金持ちなの?」

 僕のワンボックスカーを眺める。僕はきっと苦々しい表情をしている。

「いや、お金持ちじゃないよ。これは親父の遺産」

 この春に突然死した親父が使っていた車を僕は相続したいと申し出たのだ。家族内でこのワンボックスカーの処遇に困っていたらしく、快諾してくれた。

「お父さんもあんたが相続してくれて喜んでるわよ。お父さん、あんたが東京で免許とったって聞いてから洗車したり自動車保険を調べたりしてさ、あんたが帰ってくるのを楽しみにしてたんだから」

 呆れたように母は笑っていた。

「一人息子の運転で釣りでも行きたかったみたいよ、お父さん。なのになんで死んじまったのかね」

 記憶の親父は車が好きで、小学生の頃は二人でよく釣りに出かけていた。高校卒業して上京してからは二人で出かけることはなかった。僕は親父が僕の運転で出かけることをそんなに楽しみにしていたなんて知らなかった。 

 生きている頃にたくさん話せばよかったなんて虫が良すぎるだろう。

 少女はこの話題に興味を無くしたらしく、適当な相づちを打ったかと思えば、スマートフォンで音楽を鳴らしていた。

 自由気ままな少女は僕のちょっとした不機嫌にも気づく様子もない。また鳩尾の辺りが蠢いている。――少女はきっと今日もいつも通り帰れると思っているのだろう。

 少女を裏切る瞬間を想像すると、少し鳩尾が落ち着いた気がした。 

 

 一時間ほどで海に着いた。コンビニで買った菓子パンを食べながら、僕らはフロントガラス越しに海を眺めていた。海は秋雨に打ちつけれて、白い泡を作っては消し、作っては消しを繰り返している。

「雨の日の海ってこんななんだね。知らなかった」

 少女は興味深そうに、フロントガラス越しの海を撮影していた。雨音に包まれるワンボックスカーに背中をおされたような気がした。 

 考えるより先に身体が動いていた。少女の白く華奢な首筋を両手で握り、抑えた。

 少女は瞳を大きく開き、ようやく僕を真正面から写した。ひゅうひゅうと鳴るか細い息が手にかかる。少女の生死を僕が握っていると思うと興奮する。

「……な、んで」

 だんだんと虚ろになっていく少女の瞳に、僕はようやく、最愛の女神に出会えた気がした。多幸感で死んでもいいとさえ思える。さあ早く、この僕を解放してくれよ。

 震える手では上手く力が入らない。少女はか弱い抵抗を辞めない。

 なんで、まだ生きたいみたいに、抵抗するんだよ。


 一瞬、少女のスマートフォンが鳴った。驚いた僕は手を一瞬緩めてしまった。その隙に少女は秋雨の中、ワンボックスカーから逃げ出した。

 僕は最愛の女神を追いかけた。

「――こっちくんな、人殺し」

 息切れしながらも、怯えた瞳で少女はこちらを見る。

「……僕と一緒にここまで来て、何もないと思ったの?」

 弱い癖に隙だらけで無防備で、少し優しくしただけで僕を信じた愚かな少女。その中に女神を見いだした僕が一番愚かだろう。

「裏切り者、最低、あんたなんか信じなければよかった」

 怒りや恐怖で淀む少女の放つありきたりな言葉は僕を苛立たせるには十分だった。

「おい! 違うだろ! お前も僕と同じだろ、なあ。世界なんてつまんないよな、生きていたって良いことなんて何一つないよな。なあ、一緒に死んでくれよ。お願いだよ、なあ」

 初めて出会ったとき、軽蔑するように僕を見た君の瞳は僕と同じだった。それなのに、今の少女は僕と違う瞳をしている。死にたいのは僕だけだった。死にたくない、生きたいと訴える少女に僕の女神がいるはずがない。

 僕を奈落に突き落とした少女は僕を置いて、どこかへ逃げてしまっていた。

 ただ辛くない世界に連れて行って欲しかった、親父じゃなくて俺が死ねばよかった。僕の本音は母なる海にかき消された。

 

 ワンボックスカーで瞳を閉じれば、幼い頃に親父が連れて行ってくれた海を思い出した。あの美しい海にはもう辿り着けないだろう。お父さんごめんなさい、僕はもう疲れてしまったよ。秋雨はいつの間にか止んでいる。海は無情にも僕を助けなかった。


 これは十月の話だ。

 そして昨日、僕は少女を見かけた。友達と思われる人と、笑い合いながら歩いていた。少女は幸せそうに見えた。

 桃源郷への道筋が分からない僕は、鳩尾を鷲づかみにされたような痛みを堪えながら、君主のいないワンルームに帰る。

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